「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ④」
聖書:Ⅰテサロニケ5章16節~19節
牧師:佐藤勝徳
「はじめに」
信仰と言うのは、聖書の教える目に見えない真実や真理に自分の知性や意志や感情を調和させるという事です。いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝するというみ言葉の実践は、キリスト者に与えられている11の福音の恵みと目に見えない神の激しい熱情の愛がいつも自分に注がれているという事実を事実と認める信仰によって、自分の知性と意志と感情をその事実に調和させる事を意味しています。信仰によるその御言葉の実践は、私たちを聖霊で満たし続け、聖霊の火で燃やし続ける、あらゆる事で私たちを祝福するのです。それ故に3回にわたって神のリクエストである、「いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝する」ための、土台を学んで来ましたが、更に、続きを学んでいきたいと思います。
1、神はいつも喜ぶべき最善をなされている
私達は、キリストを信じた者が11の福音の恵みに与っている事と、創造主の神さまがいつも、あらゆる祝福で満たそうといつも心を燃やし愛されいる事を信じて、しっかりとそれをイメージしていつも、神の愛に相応しくを自分の知性と意志と感情を整え調和させて喜び感謝するとともに、次に私たちが日々喜び感謝しなければならない事は、神さまは、私達の為に、最善をなそうといつも心を燃やされいているお方だと信じてしっかりとイメージする事です。その、最善には、従順の故に祝福する最善と、無条件の愛ゆえに憐れみによって与えられる計り知れない数多くの恵みと言う最善と、罪を忌み嫌う正義の故に、罪と不従順の故に祝福を控え、災いや不幸を与えるという最善とがあります。また、ただ神の栄光の為にと言う苦難が伴う最善があります。更に、意味が理解できない数多くの苦難や災いと言う最善があります。この地上に起きている、全ての出来事の背後に、いつも最高に喜ばしき最善のみをなそうと心燃やされている、神さまの善意がそこに働いているのです。その全ての出来事が最善だという事は、全ての出来事を「喜んで感謝すべきだ」だという事を意味しています。私たちが日々体験する全ての出来事は、あなたの為にどうする事が最善かを深くお考え下さった神の最善の知恵による最善の喜ばしき出来事だという事を、固く信じて、全ての出来事を喜ばしい出来事だとしっかりとイメージして、自分の知性と意志と感情をそれにふさわしく整えて日々体験する全ての出来事を心から喜んで感謝する心で満たして下さい。その信仰の訓練は、あなたをあらゆる事で、より祝福される道へと導きます。パウロが次のように教えています。
◆「一テモ4:7 しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。 4:8 からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。 4:9 これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である。」
私の妻は、5月16日で満82歳になり皺がずいぶん増えましたが、今も現役で仕事をしていますので、出勤前は、それなりにお化粧をして顔を整えています。それは、仕事をする者の一つの礼儀でしょう。私達の心を、日々、いつも絶えず喜びと感謝で整える事は創造主の天の父なる神さまへのとても重要な礼儀の一つです。それは、キリストを信じているものへの神さまのリクエストなのです。
2、いつも喜び絶えず祈り万事に感謝する事を妨げる原因
①不信仰
しかし、「いつも喜び、絶えず祈り、万事に感謝する」という、信仰の実践をなそうと決心した人に、それをさせまいとして妨げる原因があります。その原因と克服について学びたいと思います。いつも喜び絶えず祈り万事に感謝させる事を妨げる原因は何かといいますと、第1は、創造主の神が愛をもっていつも最善をなされている目に見えない事実を事実として認めない不信仰です。荒野のイスラルの民は、荒野の厳しい生活が自分達の信仰の成長の訓練として神が与えて下さった最善の出来事だと信じないで、いつもつぶやき、神さまに喜びと感謝捧げる事をしませんでした。その為に、荒野で神さまによって滅ぼされ、約束のカナンの地に導かれませんでした。
②アマルティアと古い人
第2の原因は、パウロがローマ書で教えている万人に働くアマルティアと言う罪の法則の力です。生れながらの人間を聖書は「古い人」と呼んでいます。古い人は、アマルティアと言う罪の力によって、自分の意志とは関係なくすぐに心身ともに貪欲させられてしまいます。罪の力ですぐに貪欲なる事が、古い人の罪の性質です。古い人は貪欲によって、様々な邪悪な思いを持つので、言葉と行いで更に邪悪な罪を多く犯します。古い人は、アマルティアで貪欲になり、不平不満つぶやき等様々な罪を多く犯します。それが、古い人が罪に堕落したアダムから遺伝によって受け継いで来た罪の性質です。罪の力ですぐに貪欲なって人を妬んだり恨んだり憎んだり、不平不満するのが生まれながらの古い人です。。罪の力によって貪欲になった生まれながらの人間は、偶像崇拝の罪、神を神として感謝して喜ばない罪、万事を感謝して喜ばない罪、万人を感謝して喜ばない罪など、多くの恐ろしい罪を犯すのです。古い人は、まるで罪の生産工場の様です。パウロはまず、万人がアマルティアと言う罪に支配されている事を次のように教えています。
◆「ロマ3:9私たちは前に、ユダヤ人もギリシシャ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。 3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」
3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」 3:15 「彼らの足は血を流すのに速く、 3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。 3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」 3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」と。
私も含めてですが、多くの牧師方やクリスチャン方は、パウロが罪の目録を列記する前に、万人が「アマルティア」と言う罪の力の下にあるという意味を正しく理解しないまま、罪の目録を読んできたと思います。罪の下にあるというのはどういう意味でしょうか。その意味を詳しく解説しているのが、ローマ5章12節から7章全体です。その全体を、これまで既に学んで来ましたので今日は要約してお伝えしたいと思います。
3、アマルティア(罪)について
①アマルティアはアダムの堕落で世界に入って来た
ギリシャ語原語ではアマルティアと呼ばれる単数形の罪は、アダムの罪の堕落によってこの世界に入り込んで来た悪魔がもたらした悪です。アマルティアは生まれながらの古い人間に罪の法則となって働いています。◆「ロマ 5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り・・」
◆「【口語訳】ロマ7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。」
心の法則と言うのは、神さまの罪の赦しと愛に喜んでお答えした「貪欲にならず、聖く生きて行こう」という、決心の事です。パウロは繰り返し繰り返しその決心をしたのでその決心を「心の法則」と呼びました。法則と言うのは、同じ条件のもとに、何度も同じことが送る事を意味しています。引力はも、この地上で繰り返し働いていますので、「引力の法則」と呼びます。パウロは、自分の心に「貪り」が湧き起こってくるたびに、「貪らないぞ。聖い心で生きるぞ」と、決心したのです。その決心と言う「心の法則」に対して、自分の体に存在する罪の法則が繰り返し働いて、自分を「貪り」の虜にしているという事実をパウロは知って、あぜんとしたのです。
②アマルティアは生まれながらの人の心と体を奴隷にして多くの罪を犯させている
◆「ロマ 6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」
パウロは、生まれながらの人間である古い人は「罪の奴隷」だと教えています。3章9節の「すべての人が罪の下にある」を、パウロは6章6節では全ての人が罪の奴隷となっている教えています。
③アマルティアは「貪らないぞ」と決心する人の心身にすぐに働く
救われたクリスチャンが神さまの愛に答えて、神に喜ばれる聖なる生活を送る為にモーセの十戒の10番目の戒めである「貪るな」と言う戒めを守ろうとすれば、その決心にすぐに働いて、貪りを起こさせるのがアマルティア(罪)です。今度は、絶対に貪らないぞと決心してもまた貪ってしまいます。その人の意志による決心をパウロは「肉」と呼んでいます。その肉にすぐにアマルテイアは働き「貪り」を起こさせるのです。肉に対してアマルティアはまるで引力の法則のように、法則となって働いています。人間が鳥のように空を飛ぼうとしてジャンプしても引力の法則ですぐに落ちてしまいます。肉で「貪らないぞ」と決心するとアマルティアは法則となって、繰り返しその決心を嘲るかのように、「貪り」をその人に起こさせるのです。地に落とすのです。
その事をパウロは体験したので、次のように告白しています。
◆「ロマ7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。」
◆「ロマ 7:11 それは、戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。」
◆「ロマ7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです」。原理は法則とも訳せるノモスと言うギリシャ語が使用されています。
人間の心身は、アマルティアによって貪りの罪を犯し、その貪りの罪によって多くの恐ろしい罪を犯すので、パウロは生れながらの人間の体を「罪の体」だと呼びました。
◆「ロマ6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて・・」 また、罪の体は、「貪るな」と言う戒めを全く守る事が出来ないので、その体をパウロは「死の体」とも呼んでいます。死の体と言うのは、実際に死んだ体の事でなく、律法を守る事において全く無力なからだと言う意味です。私達の生まれながらの人間の心身がアマルティアによってすぐに貪欲になり、その貪欲により人間の身体、各器官は、各肢体、目、口、手足は罪を積極的に犯します。その体をパウロは「罪の体」と呼んでいます。同時に、戒めを全く守れない「体」ですのでその同じからだをパウロは「死の体」と呼びました。。パウロは、自分の無力なからだに絶望をし、絶叫しました。
「ロマ 7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」
④罪の性質は遺伝によって受け継いでいる
批判された事や批判した人、苦しい事つらい事、又、そのような苦しい事やつらい事を負わせた人をいつも喜び感謝する事が出来ないのは、人間の心身が、アマルティアと言う罪の法則によってすぐに名誉欲などの貪欲に陥り、その貪欲によって、不平不満が宿り、妬み、恨み、憎しみ等邪悪な思いを抱き、喜びと感謝の心を失わせている事によるのです。そればかりか、「貪欲」を放置しているとさらに積極的に多くの罪を犯すのです。そうした生れながらの人間である古い人は、アマルティアによってすぐに「貪ってしまう」という罪の性質を遺伝によって受け継いでいるのです。それは、全ての人が、共通してアマルティアの力で「貪り」を起こし、全ての人が同じように多くの罪を犯している事で、罪の性質はアダムからの遺伝による事が分かります。以下の図は、私たちがアダムからの遺伝によって誕生し、罪の性質もアダムからの遺伝による事を教えています。では、 私達はどうすれば罪の法則から解放され、罪を犯さない体、キリストの律法を積極的に守れるからだとなり、いつも喜び絶えず祈り、万事に感謝する事が出来るのでしょうか。その解放の道をお伝えしたいと思います。
4、アマルティアからの解放の道
アマルティアによって、罪を積極的に行う罪の体と、律法を守る事が出来ない「死の体」「無力な体」から私たちを解放して、いつも神と万人と万事を喜びつつ感謝できるように父なる神はキリストによってその救いの御業を十字架の死と復活によって成し遂げて下さいました。
①全人類は最初のアダムに包含された
アダムは人類の最初の代表者として創造されました。その人類の代表者のアダムに人類は包含されていました。そのアダムが罪に堕落した事で、彼に包含されていた人類の共に罪を犯し堕落しました。パウロはローマ5章とコリント書で全人類は全人類を代表するアダムに包含されていた事を教えています。
◆「ロマ5:18こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められた」
◆「ロマ5:19ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされた」
◆「Ⅰコリ15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいる」
パウロは、アダムの遺伝によって生まれて来た全人類を、「アダムにある者」、つまり、「アダムの内に包含されている者」と理解をしていました。図で分かるように、全人類は全部共通して罪に堕落したアダムの命を遺伝によって持っています。その一人一人のアダムの命は、遡って行けば神がアダムの命の中に包含されていた命であり、その包含されていた命が、遺伝によって引き出されてきたのです。その命はアダムにあってエデンの園で罪を犯した命です。私達の命は、エデンの園で罪を犯した命を遺伝によって引き出され受け継いでいるのです。つまり、私達は最初のアダムにあって罪に堕落し「神との生きた交わり」を失った者、「霊的に死んだもの」となったのです。その事は、パウロは「アダムにあってすべての人が死んでいる」と教えたのです。アダム以降に生まれて来た全ての人は、アダムからの命の遺伝によって引き出され罪の性質を受け継ぎ、アマルティアの奴隷になってしまい、罪を自然にいつも積極的に犯し、貪るなと言う戒めを全く守れない無力な人間となりました。
②人類は最初のアダムから最後のアダムであるキリストに移され包含された
そのような私達人類を、アマルティアから解放し、キリストの律法を御霊の力で守れるように救いの道を神さまはご計画されました。それが、最後のアダムと呼ばれる、第2番目の人類の代表者としてキリストを遣わす事でした。天の父は2000年昔、神の子である神が人となったイエス・キリストをユダヤのベツレヘムに最後のアダムとして遣わされました。その時、全人類は、アダムの血統から切り離されて、キリストに移され、キリストに包含されました。神は、アマルティアの罪の法則ですぐに心身ともに貪欲になり、心身において多くの罪を自然と犯す生れながらの私達古い人をキリストに包含して下さったのです。

1)古い人はキリストと共に十字架で死に罪アマルティアから解放された
キリストに包含され、キリストと一体となった古い人である私たちは、キリストが十字架で死なれた時に一緒に死にました。それは、歴史的事実です。キリストが死んだのが歴史的事実であるように、私達もその時、歴史的事実としてキリストと一緒に死んだのです。死んだのですから、死んだ人間にいくら貪るように力を働かせても、死んだ人間は貪る事をしません。キリストと共に古い私たちが死んだ事は、貪らないものとなったという事です。つまり、アマルティアから解放された事を意味しています。パウロが次のように教えています。
◆「ロマ6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。 6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。」罪の性質を持った古い人が2000年昔、キリスト共に十字架で死んだ事で、単数形のアンルティアという罪の力から、解放され、貪らないものとなったという、きよめの福音は、消極的な福音ですが、それでも福音ですので、私達は大いに喜ぶ必要があります。神さまにハレルヤと感謝を捧げましょう。罪の性質をアダムからの遺伝によって受け継いでいる全人類は、キリストと共に十字架で死んだ事を、パウロは第Ⅱコリントとガラテヤ書で教えています。
◆「Ⅱコリ5:14私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」
◆「ガラ6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」
2)古い人はキリストと共に甦り新しい人となった
しかし、「きよめの福音」には、古い人が死んだという消極的な面以外に積極的な面があります。それは、古い人はキリスト共に死んで墓に葬られただけでなく、キリストと共に甦り、神の徳と呼ばれる神の聖なる性質に満ち満ちた新しい人として甦り、キリストのように、人のため喜んで命を捧げ、喜んでキリストのように全ての人を無条件の愛、無償の愛、無私の愛で愛し、キリストのように全ての人を自分より優る人して尊ぶ謙遜さがあり、いつも喜び絶えず祈り万事に感謝する者とされたのです。洗礼を受けた私達キリスト者は、2000年昔のキリストのあってのきよめの御業が適用され、再現され、キリストと共に十字架で死に、共に甦り、キリストのように既に神の徳と呼ばれる神の聖なる聖質に満ち満ちたものとされているのです。パウロが次のように教えています。
◆「コロ2:9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。 2:10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。」 キリスト者が受ける洗礼式の意味は、2000年昔、キリストと共に十字架で共に死に、共に葬られ、共に甦ったという出来事の再現だとパウロは教えています。
◆「ロマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。・・ロマ 6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。」
◆「コロ 2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。」
◆「コロ 3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。」
パウロは、洗礼を受けたキリスト者は、キリストと共に甦っただけでなく、キリスとト共に天の父なる神の右の座に着いた者だ」とも教えています。
◆「エペ2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
キリスト者の古い人は、洗礼を受けた事で、2000年昔の、キリストと共に十字架で死に、葬られ、共に甦りキリストのように生きる事が出来る新しい人にされ、キリストと共に父なる神の右の座に着くという、偉大なる「きよめと昇天の福音」に既に与っているのです。
【終わりに】
以上のキリストにあっての「聖めの福音」の霊的事実を聖霊によって諭されて初めて、キリスト者の内に残存している古い人と古い人から出てくる肉の働きや地上の肢体と呼ばれる様々な邪悪な思いや感情や言葉を対処し、キリストのあって甦った新しい人として、聖霊によってキリストのように愛と正義と謙遜に満ちて、いつも喜び絶えず祈り万事に感謝する実践が可能となって行くのです。
