「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ⑧」
母の日に因んで
聖書:Ⅰテサロニケ5章16節~19節
牧師:佐藤勝徳

 

今日は「母の日」ですが、母の日の由来を短くお伝えしておきます。ネットで次のように教えられていました。

由来と歴史の詳細

  • きっかけ: アンナ・ジャービスが、亡くなった母親アン・ジャービスをしのび、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と訴えたこと。
  • 最初の母の日: 1908年5月10日、ウェストバージニア州の教会で白いカーネーションを祭壇に飾った。
  • 祝日化: 1914年、ウィルソン大統領により5月の第2日曜日が「母の日」として国民の祝日になった。
  • カーネーションの理由: アンナの母が好きだった花であり、純粋な愛の象徴とされたため。

1、良心と感謝
 人間には、良い事をしてもらえば、何らかの形でその事を喜びながら「感謝」の意を表明する事は人間として正しい事だという良心が存在しています。良い事をしてもらっても、それを喜び感謝しない事は、失礼な事、非常識な事として非難されます。米国のアンナ・ビジャースさんが、亡き母の生前の自分に対する愛を思い出し、自分には感謝が足りなかったと良心の責めを受けたのでしょう。また、社会全体が、愛情をもって生み育てくれたお母さんにもっと感謝の意を表す必要があると思ったのでしょう。それで、自分の反省も込め、社会への訴えをも込めて、教会の祭壇に母への感謝の気持ちを込めて母が好きだった白いカーネンションを飾ったのです。その彼女の行動は、アメリカの社会全体に影響を与え、5月の第2の日曜日を「母の日」として祝日にする事が米国議会で決められました。私たちは、愛情をもって自分を喜んで生み育て下さったそれぞれの母親に、心を込めて喜びつつ感謝の意を精一杯表しましょう。それが、子どもとして良心的な正しい在り方です。しかし、母親以上にもっともっと喜びを込めて感謝を捧げなければならないのは、母親を創造して下さった創造主の神さまです。

人の心に深い慰めと幸福を与える愛と優しさを、私たちは最初に母親を通して体験させてもらっています。人が、愛とか優しさとかを誰かから体験的に知らされていなければ、目に見えない創造主の神さまの愛を信じる事が非常に難しくなります。母の愛を体験する事は、他のどのような愛の体験に優って、創造主の愛を信じる為の重要な道備えなのです

2、特別な母の愛と創造主の愛
私たちが、創造主の神さまにいつも喜び感謝しなければならない事は、自分が人として生かされるために、母親を与えて下さった事を決して忘れる事無く、創造主に感謝を捧げる事です。
母親の愛情と優しさは格別なものです。言葉では表現できないものがあります。イザヤは母親の子どもへの愛を次のように教えています。
◆「イザ 49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。」
イザヤは母親が子を愛する姿を、創造主の神さまがイスラエルを愛する姿と比較して教えています。
◆「イザ 66:13 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。」
我が子を愛する母親のように、優しくイスラエルを愛する創造主の神の愛を信じていた詩篇の作者は、次のように告白しています。
「詩131:2 かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです。」
イスラエルに向けられた創造主の愛は、異邦人である私たちにも平等に向けられていますので、私たちも、詩篇131篇の作者のように、母の懐に安らぐ幼子のように、創造主の父なる神さまの愛と主イエス様の愛に憩い、魂を平安と喜びに満たされるようにしましょう。どうでしょうか。創造主の神さまの愛が、乳飲み子や、乳離れした幼子を愛する母親のように、優しくあなたに向けられている事を信じてしっかりとイメージが出来ているでしょうか。創造主と聞けば、何よりも優しい母親のように、自分を慈しんで下さってお方だと信じて、イメージしていつも喜び感謝しましょう。 創造主が、母親の胎内で私たち人間を創造された事は、ご自身が母親の如く全ての人々を優しく愛されいている事を教える為なのです。
3、生命物質は偶然によって出来たのではない
 母親の胎内で受精した受精卵が分裂を繰り返し、約38兆の細胞が生み出され、人間がつくられています。人間だけでなく、様々な生命物質は、アミノ酸と言う生命の源である元素によってタンパク質が造られて、存在しています。その事を知った、進化論者は、アミノ酸は偶然にできるんだと信じています。その事を証明するために、進化論者のミラーと言う科学者が、実験によって偶然にアミノ酸が出来たと発表し大きな話題となりました。ミラーの生命自然発生説を科学的に証明したとされる実験のイラスト図をご覧ください。
以上の、ミラーの実験で生命が偶然によって発生し、偶然によって発生した生命が偶然の積み重ねで進化して、地球上に存在するあらゆる動植物となったのだ、進化論者は主張していますが、重大な問題点を見過ごしているのです。
【ミラーの実験の問題点】
①ミラーの実験で出来た有機化合物は偶然の産物ではない
 以上のミラーの実験で発生した「アミノ酸」は偶然の産物でしょうか。それとも人間の知恵によって出来た産物でしょうか。原始の地球にあったであろうと思われる水蒸気、水素、アンモニア、メタンという元素をミラーが準備し、それに電気を流して有機化合物を発生させ、それを冷却するという、知恵を働かせて出来たのが「有機化合物」の「アミノ酸」でした。有機化合物の「アミノ酸」は、偶然によって発生したものではなく、ミラーの知恵によって生み出され、生成されたものだという事です。ミラーの生命偶然(自然)発生の実験は、逆に生命は偶然には出来ない事を教えているのです。また、原始地球に何が実際に存在していたのか、誰も分かりませんが、推測であっただろうと思われる元素をミラーが選んで、実験をしただけです。原始の地球においt偶然に、自然に「アミノ酸」が実際に発生したかどうかは誰も分からないのです。あくまでも、アミノ酸の発生が偶然に起きる可能性があるというだけで、誰もそうだと断言が出来ません。
②ミラーの実験で出来たアミノ酸はタンパク質を造れない右手型と言われるアミノ酸であった。
 もう一つの重要な問題点は、ミラーの実験で生成された「アミノ酸」は、タンパク質を構成できない右手型アミノ酸でしたので、ミラーの実験は生命の自然(偶然)発生を証明する事に実は失敗をしていたという事です。アミノ酸は、「左手型(L体)」と「右手型(D体)」という2つの形を持つ分子だと言われています。地球上の生物は、タンパク質を構成する際にほぼ100%左手型(L体)のみを使用していると言われいます。
4、アミノ酸の構成元素 炭素 (C) 水素 (H) 酸素 (O) 窒素 (N) は創造主の愛の作品
 アミノ酸を造っている水素、酸素、炭素、窒素と言う元素である原子の周りをまわっている電荷は全て-ですので、本来は、結びつく事は無いのですが、そこに不思議な力のバランスが働いて結合しているのです。
周辺に回る-電荷と、核にはプラス電荷の陽子と他に中性子をもった原子同士が結びつく為に、そこには力のバランスを働かすという知恵が働かせている事が分かります。金属類が機械などの意味あるものを造る為に結合させるには人間の知恵と力が必要です。偶然では不可能です。人間の知恵と力によってボルトやナットネジを使ったり、溶接をしたり、接着剤を使ったりして、金属類を結合させているのです。紙も同様です。紙で本やノートを作るには、人の知恵と力により接着剤やホッチキスなどを使って紙を結合させます。偶然では紙が意味のある結合をする事はありません。ブロックで塀を造るにはセメントで接着し、鉄筋を入れて固定させます。大工さんが、木材で家を建てるには、釘やネジ等を使って材木同志を結合させます。また、キチンと組み合わせが出来るように材木を必要な形に造って行きます。布を結び付けて服を作るには、糸などを使います。もし、物質をつくっている原子の周りをまわっている電子が-電荷以外に+電荷帯びた陽電子と出会えばどうなるのか、ネットで次のように教えられています。「プラス電子(陽電子)」が回る現象は、電子と陽電子がペアになった「ポジトロニウム」という一種の原子として現実にも存在します。しかし、物質と反物質であるため、回った瞬間に「対消滅」を起こして消えてしまいます。
私たちが携帯電話を持って使用できることについてネットで以下のように説明されていました
「私たちが携帯電話を手に持てるのは、原子が持つ「電子」と、電子同士が反発し合う「電磁気力」のおかげです。物質と物質が触れ合うとき、実際には原子の外側にある電子同士が反発し合っているため、私たちは物体を掴んだり触れたりすることができます。 」物質を造っている-電子が回っている原子は、約100種類あると言われいてます。その原子が緻密な力のバランスで色々と結びついて様々な物質を造っているのです。生命のもとであるアミノ酸と言う物質も水素、炭素、酸素、窒素と言われる4つの元素である-電子が周辺に回っている原子同士が緻密に計算された力のバランスで結びついて存在しているのです。偶然は、生命の源である「アミノ酸」を造ろうと思いませんし、その為に知恵を働かせて緻密に計算された力のバランスで4つの元素を結び付けようとも思いませんので、アミノ酸は偶然では決して出来ませんし、偶然は原子と原子を上手く結びつけることも出来ません。聖書が教えるように、ミクロの世界の原子や原子の結びつきで出来ている生命の源である「アミノ酸」を含め万物は父なる神の命令により、キリストが英知と力と愛情と正義と善意によって創造された物です。生命の源のアミノ酸は「キリストの愛の作品」なのです。

5、創造主は細かい愛の配慮で万事が最善となるようにコントロールされている
 創造主の神さまは、私たちが、幸せに生きて行く為に、原子によって様々な栄養素を造って下さいました。美味しい物、海の幸、野の幸、山の幸も全て元素によって造って下さっています。先週は、マクロの世界である宇宙の無数に存在している星の事を学びました。現在では、海の砂浜と世界の陸地の3分の1もある砂漠の砂をプラスした砂の数の約1000倍の星がある事が分かっています。夜空の美しい星や月を見たら、私たちを優しく癒し憩わせる為に、それらをお造り下さった母の如き優しき創造主の神さまを喜び感謝しましょう。暖かい太陽の日差しを受ければ、太陽をお造り下さった母の如く温かく愛して下さっている神さまを喜び感謝しましょう。また、ミクロの世界の物質、原子、元素をお造り下さった創造主は、大変細かい細かい愛の配慮をもって、私たちが日々体験する出来事がいつも最高最善になるようにされている事をいつも喜び感謝しましょう。

6、いつも喜びに満ち溢れていたパウロ
 私たちは、母の如き優しき愛の創造主の神さまに日々空気のように包まれて生かされています。又、万事が、いつも最高に喜ばしき最善となるように、マクロとミクロの世界を見事にコントロールされています。万物は神から出て神によってなり、神に帰するとパウロは教えています。その事を知ったパウロは、いつも、その事を感謝して喜びに満ち溢れて歩みました。次のように告白しています。

「Ⅱコリ 7:4 私には、あなたがたに対する大きな確信があり、あなたがたについて大きな誇りがあります。私は慰めに満たされ、どんな苦難にあっても喜びに満ちあふれています。」

パウロは堕落していたコリントのキリスト者の事を、それでも創造主の神さまが与えて下さった聖徒であるので、自分にとって大きな誇りであり、慰めだと証言しつつ、どんな苦難にあっても喜びに満ち溢れていますと公言しています。驚くべき証言です。パウロはどの様な視点に立って堕落していたコリントの教会のキリスト者を見つめていたのでしょうか。それは、彼らも、11の福音に与っており、やがて天において、メシヤ的王国において、更に新天新地において共に心を一つにして神に仕える非常に尊い存在だと確信していた事にあります。また、キリストにあっては古い人は死に、神の聖なる性質持った新しい人だと確信していました。また、キリストが命を懸けて救われたキリストの命に匹敵する尊い存在だと確信していた事にありました。見える所、コリントの聖徒達はパウロから厳しく批判され罪の悔い改めを求められていたのですが、キリストにあっての目に見えない部分にパウロは目を止めて、コリントの聖徒達を喜び誇りにしていたのです。また、どんな苦難をも、パウロは神が自分に与えて下さった大いに喜ぶべき最善の御業だと知っていましたので、つらい感情を飛び越えて自分の心を喜びに満たしていたのです。パウロ程、厳しい迫害と苦難を体験した聖徒は無いと思います。彼がその体験を次のように告白しています。

「Ⅱコリ11:22 彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。 11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。 11:24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、 11:25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。11:26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」
パウロは、想像を絶する苦難のただ中で、自分を信仰の意志によって喜びに満ち溢れさせていたのです。
【終わりに】
 私達が日々体験する小さなゴミや石ころ一つも、神が母の如き愛をもって最善の出来事として体験させておらるのです。私たちは、母の如き優しき創造主の神さまに空気のように日々包まれ、また、ミクロの世界からマクロの世界に起きている万事がいつも喜ばしき最善となるように見事にコントロールされている創造主の愛の細やかな配慮に包まれて生かされているのです。私たちも、パウロに倣って、創造主の最善を信じてどんな苦難があっても自分の心が喜びに満ち溢れるようにコントロールしましょう。