「聖霊のバプテスマ」
聖書:使徒行伝2章1節~13節
牧師:佐 藤 勝 徳

1、ペンエコステの不思議な出来事

約2000年の昔に、ユダヤのエルサレムでペンテコステと呼ばれる春の収穫祭の時に不思議な事が起こりました。それは、イエス・キリストを救い主として信じている約120人のユダヤ人たちが集まって祈っている時に、暴風のような大きな音が響き渡り、その人たちの上に火のような舌の形をした神の聖霊が臨み、その人たちは喜びに満たされ、自分たちの全く知らない、習った事がない外国の言葉を語り始めたのです。それを聖書は「異言」と呼んでいます。ペンテコステは、ユダヤの過ぎ越し祭と仮庵祭と並んで3大祭りのひとつで、モーセ律法ではその3大祭りの時にはユダヤ人がエルサレム神殿に上り、礼拝することが命じられています。その為、そのペンテコステの日にエルサレムには世界に散っている離散のユダヤ人や改宗者のユダヤ人が大勢集まっていたのです。彼らは、キリストの弟子たちに起こった事を目の当たりにして、自分たちの生まれ育った外国の言葉を弟子たちが自由に話している事に大変驚きました。又、キリストの弟子たちがまるでお酒に酔っているかのように喜びに満たされているのを見て「酒に酔っている」と嘲る者もいました。そこで、ペテロが立って「酒に酔っているのでなく、ユダヤ人が十字架にかけたナザレのイエス・キリストが復活をし、天から聖霊を注がれたのだ。それはヨエルの預言によるものだ」と、弁明しました。その結果、3000人の人がキリストを信じて、洗礼を受けたのです。以上が2000年昔、ユダヤのエルサレムでペンテコステの時に起きた不思議な出来事です。

2、4回の聖霊降臨

ペンテコステの日に起きた聖霊降臨の出来事は、使徒行伝ではあと3回起こった事を記録しています。

①ペテロとヨハネの按手によりサマリヤのキリスト者に聖霊が降った(使徒8:16)

②ペテロの説教中にローマの百人隊長コルネリウスと異邦人に聖霊が降った(使徒10:44)

③パウロの按手によりバプテスマのヨハネの弟子たち12人に聖霊が降った(使徒19:4~7)

3、聖霊のバプテスマとその意味

使徒行伝の4回の聖霊降臨は特別な意味がありました。それは、原始キリスト教会は、キリストの御体なる教会としてユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者によって構成されたという事です。それは、旧約聖書の異邦人がユダヤ人と一緒になって神を賛美するという預言の成就であったのです。パウロがローマ書次のように教えています。「ロマ15:10 また、こう言われています。『異邦人よ、主の民とともに喜べ』」と。へブル書12章では、教会の事を「長子の教会」と呼んでいますが、それは、教会の誕生は全てユダヤ人で始まった事にあります。聖書は、ユダヤ人は異邦人に対しては長子の立場にある事を教えています。「4:22 そのとき、あなたはファラオに言わなければならない。【主】はこう言われる。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。』・・」

ペンテコステの日に聖霊が降臨し、長子であるユダヤ人によってスタートした教会ですが、キリストの御体なる教会はユダヤ人と異邦人によって構成される事が神の御心でした。それ故に、使徒行伝において4回の聖霊降臨でその事を実現されました。①約120名のユダヤ人キリスト者、②サマリヤのユダヤ人キリスト者、③バプテスマのヨハネのユダヤ人キリスト者、そして④ローマの百人隊長であるコルネリウスと異邦人キリスト者に聖霊が降り、神の御心であるユダヤ人と異邦人によるキリストの御体なる教会が形成されました。キリストの御体なる教会に結び付ける聖霊降臨を、聖書は聖霊のバプテスマと呼んでいます。ペテロがその事に気づきました。ペテロは、異邦人に聖霊が降った時に、「使徒1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです」というキリストの約束を思い出したのです。「使11:15 そこで、私が話し始めると、聖霊が初めに私たちの上に下ったのと同じように、彼らの上に下ったのです。11:16 私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い起こしました。」

4、キリストを信じた時に誰もが聖霊のバプテスマを受けている

ペテロは、ペンテコステの日の聖霊降臨をキリストが約束された「聖霊のバプテスマ」だと理解をしていましたが、異邦人に聖霊が降った時、それも主の約束された「聖霊のバプテスマ」だと分かったのです。そのペテロの経験から、使徒行伝で降った4回の聖霊降臨は、いずれも主の約束された「聖霊のバプテスマ」であったという事が分かります。つまり、聖霊のバプテスマというのは、キリストを信じる者をキリストの御体なる教会に結び付ける為の神の御業だという事です。

ペンテコステの日の聖霊降臨の時に、弟子たちが聖霊に舌をコントロールされて異言を語りました。ペンテコステの祭りに来ていた世界各地のディアスプラのユダヤ人たちは、自分たちの生まれた国の言葉を自由に語っているその弟子たちに驚き、彼らの語る言葉に耳を傾けました。その結果、その日に約3000人のユダヤ人が救われたのです。ペンテコステの日の異言や暴風のような音、火のような舌の形で降った聖霊は、キリストの十字架による罪の赦しの福音に、祭りに来ていた世界中のユダヤ人に耳を傾けさせる為に十分効果があった神の奇跡の御業でした。ユダヤ人はしるしを求める民ですので、そのような不思議な奇跡を見ないと、ペテロの語るキリストの十字架の福音に耳を傾けなかった事でしょう。

では、今日、ペンテコステのような不思議なしるしの伴う聖霊降臨がなければだれも聖霊のバプテスマを受けていないのでしょうか。そうではありません。ペンテコステのような聖霊降臨が無くても、キリストを信じた人は全て聖霊のバプテスマを受けているとパウロがコリント人への手紙の中で教えています。「Ⅰコリ 12:13 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです」。 コリントの教会にペンテコステの時のような特別な降臨はありませんでしたが、それでも、パウロはキリストを信じているコリント教会の全ての人が、ユダヤ人もギリシャ人も奴隷も自由人も一つの御霊によってバプテスマを受け一つのからだとなりました、と教えています。キリストを信じた時に、罪が赦され永遠の義人にされただけでなく、誰もが聖霊のバプテスマを受けキリストの一つのからだを構成する者となったというのがパウロの教えです。御霊を飲んだというのは、御霊が一人ひとりのキリスト者に内住されている事を意味しています。聖霊が内住して下さっている全てのキリスト者で一つのキリストの御体なる教会が存在しています。誰もがキリストを信じた時に、永遠に罪が赦され、永遠の義人にされ、同時に聖霊が霊の中に永遠に与えられるという聖霊のバプテスマに与り、キリストを頭とする一つの御体なる教会に結び付けられたのです。

全世界のキリスト者は、キリストを信じる信仰により聖霊のバプテスマに与り、キリストを頭とするキリストの御体なる教会の一器官として、互いに愛し合い、互いに助け支え合い、互いに祈り合いながら、頭なる愛と正義に満ちたキリストに仕えるという特権に既に与っているのです。それ故、キリスト者はそれぞれが属している教会のキリスト者の為だけでなく、全世界の教会と全世界のキリスト者の祝福の為にも祈り仕える使命が与えられている事を覚えましょう。

あなたも、キリストを信じて聖霊のバプテスマに与り、キリストの御体なる教会の一器官としての人生を歩まれますようにお祈りしています。