「役人の死にかかっている息子を癒したキリスト」
ヨハネの福音書 4章45節~54節
牧師:佐藤勝徳

ガリラヤのカペナウムという町には死にかっている息子を持つ王室の役人が住んでいました。その役人も、イエスが水を葡萄酒に変えられた事や、エルサレムでなされた不思議な御業の事を噂で聞いていましたので、再びイエスがガリラヤに来られたと聞き、わらをもつかむような思いで、死にかかっている息子の癒しを求めてイエスの下へ馳せ参じました。イエスは、ご自身が「救い主(キリスト)」だと証明した「水を葡萄酒に変えられた」カナにおられたという事をヨハネは強調しています。カペナウム~カナまで約30㎞、標高差は約600mもある道を徒歩によって一日かけて必死でイエスの下へ馳せ参じた「役人」は、イエスにむかって「カペナウムに来て」を強調し、息子の病を癒して下さるようお願いしたのです。ところがキリストはその役人に、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり決して信じない」と、当時のユダヤ人の問題点を指摘されました。それは、ローマの圧政から奇跡としるしをもって解放する者を「救い主」だと決め込んでいた事です。
役人も同じでした。彼は、イエスに息子の病の癒しを求めてきたのですが、イエスを旧約聖書が預言している「メシヤ」だとはまだ信じていなかったのです。その時にイエスが求められたのは、イエスをキリスト(救い主)だと信じる十分な証拠が既にカナにおいて「水を葡萄酒に変えた」という奇跡によって提示されていた事を役人が悟り、イエスを「救い主」だと信じる事でした。その事をイエスは指摘をされて、役人が真の信仰を持つように促されたのです。ナザレのイエスを「救い主」だと信じる信仰に、神の愛の奇跡の癒しや、又、様々な祝福や様々な必要性を満たす神の愛の御業が顕れるからです。その事を悟った王室の役人は、イエスが、旧約聖書が預言する「救い主」だと堅く信じて、「主よ、どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください」と懇願したのです。イエスは彼の信仰を喜ばれて「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています」と宣言されました。役人は、なんとその言葉を聞いただけで不思議にイエスの「癒し」を信じ切る事が出来たのです。それも「奇跡」です。役人はその信仰をもって家路に急ぎました。その途中、彼の僕たちに出会い「息子さんは直りました!」と報告を受けたのです。彼が「熱が引いた」時刻を聞くと「昨日の午後1時」だというのです。それはなんとイエスが「子どもは直っています」と告げられた時と同じ時刻だったのですから、役人は感動に包まれました。その出来事を通して、役人と彼の家の者全員が、イエスは、「創造主の神の子が人となられた救い主」だと信じたのです。 役人の死にかかった息子を癒された奇跡を、ヨハネの福音書の著者は、水を葡萄酒に変えられた奇跡と同様、イエスが「創造主の神の子が人となられた救い主」だと、全てのユダヤ人が信じるための十分な「しるし」であったと教えています。更に、二つの奇跡を聖書の学んで知った世界の全ての人にとっても、ナザレのイエスをメシヤだと信じるに十分なしるしであるのです。 世界で最も幸いな信仰は「イエス」を「救い主・キリスト」だと信じる信仰です。あなたが、その幸いな信仰に導かれることをお祈りします。キリストの奇跡の方法は多種多様ですが、一番多いのが「言葉だけ」による奇跡です。ヨハネによる福音書1章1節~2節で、キリストが天地万物の創造主だと教えていますが、キリストの天地万物創造の方法が創世記1章に記録されています。人間を除いて他の全ての万物は「言葉」による創造でした。キリストが「光あれ!」と宣言されれば「光」ができました。「鳥は天の大空を飛べ」と宣言されれば、鳥が造られて大空を飛び回りました。神は全知全能の創造主ですので、神が言葉を発すると必ずそのようになるというのが聖書の教えです。正に、キリストが約30キロ離れている場所から、役人の死にかかっている息子を「直りました」とお告げになっただけで、その熱を下げて癒された事は、キリストが全知全能の愛に満ちあふれた創造主の神だという事を証明する第2回目の「しるし」であったのです。「水を葡萄酒に変えられた奇跡」、「役人の死にかかった息子の癒し」は、あなたがキリストを自分の救い主だと個人的に信じる為の十分な証拠として神が与えられている「しるし」だと、ヨハネによる福音書は教えているのです。キリストは、言葉だけで万物を創造し、又、多くの奇跡をされましたが、そのキリストの言葉の力を私は19歳の時に初めて体験しました。キリストの「明日のことを思いわずらうな。明日のことは、あす自身が思いわずらうであろう。という言葉に出会った時、急性肝炎で体がしんどくて眠れず、明日生きる事に思い悩んでいた心がスーっと消え失せ、深い平安に満たされ、ぐっすりと眠る事が出来、すがすがしい気持ちで朝を起きることができたのです。聖書のキリストの愛の言葉によって私の身も魂も救われた忘れられない19歳の時の出来事です。あなたも是非、キリストの愛の言葉が詰まっている聖書をお読みになり、キリストの偉大な救いの力を体験されますようにお祈りしています。
みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」(新約聖書/ヤコブ1章21節)