「嵐のガリラヤ湖上を歩かれたキリスト」
聖書:ヨハネ6章16節~21節
牧師:佐藤勝徳
「夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。 6:18 湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。『わたしだ。恐れることはない。』 それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。」(ヨハネ6:16~21)
キリストは水を葡萄酒に変える事によって,万物の性質を自由に変える事ができる万物の支配者だという事を示されました。又、死にかかっている子どもと38年間も歩けなかった人を言葉でそれぞれ癒される事によって、ご自身が言葉で「天地万物を創造された創造主の神」だという事を示されました。更に、五つのパンと二匹の魚で5千人のお腹を満たされた事により、、人間に必要な物を自由に増やすことができる「愛に満ちた全知全能の神」だという事を示されました。今日は、嵐のガリラヤ湖上を自由に歩かれたキリストの事を学びます。キリストは、突風で荒れ狂う湖上の弟子たちが乗っている舟に近づかれました。弟子たちは一瞬幽霊ではないかと恐れましたが、キリストは「わたしだ。恐れるな」と言われ、彼らの舟にお乗りになりました。すると舟は嵐の影響を受けることなく、すぐに目的地のカペナウムに着いたのです。キリストは嵐の中を「湖上を歩く」という奇跡と、舟が嵐中、影響を受ける事なくすぐにその目的に着いたという奇跡によって、ご自身が万物に支配されない「万物を超越している創造主」」だという事を教えられました。創造主の神は万物の中に存在されてどこにでもおられるお方で、私たちはその創造主の中に生き存在しています。しかし、創造主は同時にどんなものにも影響を受ける事無く存在できる「万物の超越者」なのです。昔、キリストは人となれる前には、見たり、触ったり、語ったりできるみ使いの姿をされて、イスラエルの歴史の中に登場されました。イスラエルの人々は、BC586年にバビロンに滅ぼされ多くの人がバビロンに連れていかれ捕囚の民となりました。その中に、メシャク、シャデラク、アベデ・ネゴという3人の青年がいました。彼らは、バビロンの偶像に頭を下げなかったので、バビロンの王であるネブカデネザルの怒りを買い、燃える炉の火の中に投げ込まれました。しかし、不思議に3人のはずが1人増え4人が炉の火の中を歩いているのです。もう一人はみ使いの姿で顕れたキリストだったのです。恐れおののいた王は、慌てて彼らを炉の火から出てくるように命じました。炉から出てきた彼らは髪の毛一本も焦げる事も服も燃えず、火のにおいもなかったと、聖書は記録しています。み使いの姿で顕れたキリストは万物の超越者として、3人の青年たちを燃える火から守られたのです。ダニ3:25「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ」。ダニ3:27「太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。」
キリストは、万物を超越している創造主の神ですので、核爆弾を何発受けても「びくともしない」何の影響も受ける事がないお方なのです。そのお方が、私たちの全ての罪を背負って十字架で地獄の苦しみを受けながら身代わりの刑罰を受け、罪の赦しの為の血を流されました。しかし、死はキリストを死の中に閉じ込めておくことができず、キリストは三日目に甦られたのです。キリストは死を超越されているお方なのです。現在、万物の超越者、死の超越者であるキリストは天におられますが、同時に信じる者一人一人の心の中に霊で共におられます。万物の超越者である創造主のキリストが信じる者と永遠に共にいて下さり、あらゆる災いから助けようと心を燃やされているのです。詩篇121篇1節2節で創造主に対して次のように信仰が告白されています。「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。」
私たちはコロナなどの疫病にかからないように最善の注意をする必要があります。又、熱中症にならないように気を付けなければなりません。しかし、万物の超越者であるお方が守ってくださるので、それらを必要以上に恐れる必要はないのです。癌も確かに怖い病気です。しかし、癌をも必要以上に恐れる必要はありません。小説家の三浦綾子さんが、癌検診を受ける時に、夫の光世さんから「いかなる病名であろうと、神には風邪を治すのも、癌を治すのも、同じことなのだ。それに、治っても治らなくても、一番よいようにしてくださるのだから、感謝しよう」という言葉をかけられました。その言葉で、綾子さんは深い平安に満たされました。(がん闘病記/北国日記より)あなたも、あらゆる災いから私たちをいつも助けようとされている、愛に満ちあふれた万物の超越者である創造主のキリストを信じてバプテスマ(洗礼)を受け、平安な人生を歩まれませんか。お祈りしています。
「わたしだ。恐れる事はない」(ヨハネ6章20節)