「キリストはいのちのパンである」
聖書:ヨハネ6章22節~35節
牧師:佐藤勝徳
キリストはヨハネ6章35節で、ご自身の事を「わたしはいのちのパンである」と言われました。その言葉は、キリストが5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々のお腹を満たすという奇跡をされた後に、再び奇跡のパンを求めてキリストの下にやって来た群衆との禅問答のようなやり取りの中で語られた言葉でした。その禅問答のようなやり取りをお聞きください。
キリストの言葉:「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。。・・」
群衆の応答:「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」
キリストの言葉:「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
群衆の応答:「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
キリストの言葉:「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」
群衆の応答:「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」
キリストの言葉:「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。・・」
以上のキリストと群衆の禅問答のようなやり取りの詳細を説明する事は割愛しますが、その要約をお伝えします。

群衆がキリストに求めているのはあくまでも口にする「パン」でした。彼らはキリストが教えられた「永遠のいのちに至る食物」をも、口にするパンと思ったのです。そこで彼らは、昔、先祖が苦しみのエジプトから解放され、荒野で40年間放浪視した時に、モーセが奇跡のパンである「マナ」で養った事を持ち出して、あなたは信じる為にどんなパンを食べさせるのだと、詰め寄ったわけです。その彼らに、キリストはまず、昔先祖が荒野で食べた奇跡のパンである「マナ」はモーセではなく神が与えたという事を強調して、今、その父なる神があなた方に与えようとされている「まことのパン」「神のパン」は天から下って来て「世にいのちを与えるパン」だと教えられました。それはもちろん口にするパンではなく、心に神の永遠のいのちを与える心のパンの事でした。しかし、群衆はその事を悟らず、その神の永遠のいのちを与える心のパンをも口にするパンだと思たのです。そこで彼らはキリストに向かって「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」と願ったのです。その群衆に向かってキリストは、それは口にするパンではなく、「わたしがいのちパン」だと教えられました。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」と。そのキリストの言葉の「わたしが・・です」という言葉に重要な真理が教えられています。日本語訳では分からないのですが、原語のギリシャ語では「わたしが・・です」はエゴーエイミという言葉が使用されています。エゴーは強調形の「わたし」です。エイミも「わたし」で直訳すると「わたしは、わたしは‥です」となり、自己を絶対化していることばとなっています。それは創造主の名前を意味する表現なのです。キリストは創造主が人となったご自身を「唯一の救い主」だと信じる者を「わたしに来る者」と言われましたが、ご自身を信じて身元に来る者の心は「決して飢えることなく、渇く事がない」と約束されました。すごい約束です! キリストの言葉には嘘はありません。私たちの心を、永遠に喜びと平安の中に生かすのが、天から降ってきた「唯一のいのちのパン」であるキリストなのです。創造主が人となられたキリストは、私達にとっての「心のいのちのパン」となってくださる為に、私達の全ての罪を背負って地獄の苦しみを受けながら、十字架で身代わりの刑罰を受け償いの為の血を流されました。その事実を信じて、キリストが私の救い主だと個人的に信じる人は、信じた瞬間に間違いなく、愛と喜びと平安と力に満ち溢れた「神の永遠のいのち」に預かるのです。あなたが決して飢える事がなく、渇く事もない、愛と喜びと平安と力に満ちた心を持って生きる為に、キリストを信じてキリストの身元に祈りによって近づかれますようにお祈りします。生きているキリストが「いのちのパン」としてあなたの祈りに応答されます。
私は、しばらくの間、ある異端の団体に洗脳とマインドコントロールにより入信させられていた青年達を説得する活動をしていました。私は説得に自信がなくすごく不安でしたが、神様に祈ったときに「すべての事を感謝せよ」という御声がかかりました。わたしは、その御声に聞き従って石ころ一つに、枯れた葉っぱに、すれ違う人々に、目に見える全てのものに対して神様に感謝したのです。すると、いのちのパンであるキリストが私を深い平安と喜びで満たされたのです。その訓練は今も続け、心をしっかりと働かせていつも喜びながら日々感謝しています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」
(Ⅰテサロニケ5章16節~18節)