「サマリヤの女性を救われたキリスト」
聖書:ヨハネ4章3節~30節
牧師:佐藤勝徳
ユダヤ人から忌み嫌われ断絶されていたサマリヤ人のひとりの女性が自分の住んでいる町の人々に 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか」とユダヤ人のイエスの事を伝えました。
彼女は、人の目を避けるように真昼間にスカルにあるヤコブの井戸に水を汲みに来ました。彼女が、人の目を避ける生活をしていたのは、結婚に5度も失敗し、6人目の男性と同棲をし、町の人たちからは「ふしだらな女」と白い目で見られるようになっていた事によります。普通は涼しい朝に多くの女性が井戸にやって来て水を汲みます。彼女はその時間をさけて、誰もやって来ない熱い真昼間にヤコブの井戸にやって来たのです。すると、サマリヤ人を忌み嫌い交わりを断絶しているユダヤ人の男性が井戸の傍に座っていたのです。彼女は恐る恐る井戸に近づき水を汲もうとすると、なんと決してサマリヤ人に声かける事がないはずのそユダヤ人の男性が「わたしに水を飲ませてください」と優さしく声をかけたので、びっくりでした。聖書は次のように教えています。「そこで、そのサマリヤの女は言った。『あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。』──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──」と。
ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の仲になった原因は、昔、イスラエルが南ユダ王国と北イスラエル王国と2つに分裂した事に原因があります。北イスラルはBC722年にアッシリヤによって滅ぼされ、異邦人との雑婚が起こりました。南ユダ王国はBC586年にバビロンによって滅ぼされ、多くがバビロンに連れていかれ捕囚の民となり、やはり雑婚が起こりました。しか、70年後、バビロン捕囚から解放された時、ユダヤ人の男性はユダヤ人の血の純潔を守る為に、外国の女性と結婚した全てのユダヤ人男性が離婚したのです。その元南ユダ王国のユダヤ人は、サマリヤ人と呼ばれるようになった元北イスラエルのユダヤ人は選民としての血の純潔を失っているとして、忌み嫌うようになったのです。しかし、キリストはサマリヤ人も神の選民であるユダヤ人だと認めておられたのです。選民というのは、創造主の憐れみと恵みよって世界を祝福するために選ばれた「神の民」だという事です。サマリヤ人のユダヤ人もその特権的な使命に預かっている人たちだという事をキリストは認めておられました。町の人から「ふしだらな女」と見られていたその女性をも、選民の女性としてキリストは認めておられたので、深い愛を込めて「わたしに水を飲ませてください」と御声をかけられたのです。その後、サマリヤの女性とキリストとの長い対話が続きますが、キリストは彼女に「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」と約束されました。その「いのちの水」は、キリストを信じて罪赦された者が受ける「聖霊」を意味し、聖霊によって神の永遠の命に満たされる事を約束したものです。しかし、彼女はその「いのち水」を普通の水と思いキリストに次のように願いました。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい」と。キリストが象徴的に教えれた「いのちの水」が罪の赦しに基づき与えられる聖霊を意味している事を彼女に悟らせる為に、彼女のふしだらな生活に言及されていきました。「あなたの夫を連れてきなさい」と。彼女が「私には夫はおりません」と返答すると、キリストは「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです」と。彼女が町の人から白い目で見られるようになった5回の離婚と6人目の男との同棲の事実を突きつけられたのです。彼女は驚き、心にグサッと来たと思います。彼女はキリストを「預言者」だと思いました。彼女は「ふしだらな女」ではありましたが、罪の赦された平安で創造主の神を礼拝を献げたいと霊的餓え渇きがあったのです。キリストはその事をご存知でした。その彼女にキリストは「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」と、聖霊による礼拝の必要性を教えました。彼女が、旧約聖書で預言されている「メシヤ(キリスト)」の来臨を信じている事を伝えると、キリストは「あなたと話しているこのわたしがそれです」と、ご自身がそのメシヤ(キリスト)だと教えられたのです。彼女は、びっくりして水がめを置いたまま、町へ喜び急ぎ帰って「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか」と町の人々に伝えました。その事を聞いたサマリヤの多くの人々が、彼女のした全てをご存知であるユダヤ人のイエスは、全てをご存知の全知の神が人となられたメシヤ(キリスト)だと信じたのです。その彼らが、キリストに自分たちの町に滞在して下さるように願いましたので、キリストは2日間滞在され「神のみ言葉」を語られました。その結果、彼らは更にユダヤ人のイエスが間違いなく「救い主」だと確信できたのです。聖書に次のように教えられています。「そして彼らはその女に言った。『もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです』」と。
ユダヤ人のイエスを旧約聖書が預言している「メシヤ(キリスト)」だと信じたサマリヤの女性と多くのサマリヤの人々が、やがて「いのちの水」である聖霊を受けたったことを聖書は教えています。「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。・・ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」
「いのちの水」である聖霊は私たちを神のいのちで満たし、目に見えない霊なる創造主の神を「そこに存在する実在のお方」として真と喜びをもって礼拝し、神のように愛に満ち、聖く正しく生きるようにして下さるのです。
その「いのちの水」である聖霊は、サマリヤの女性のようにユダヤ人のイエスを自分のキリスト(救い主)だと信じる人々に誰でも平等に与えられ、永遠にその人の心にとどまり、神のいのちを湧きあがらせてくださるのです。あなたがキリストによって救われたサマリヤの女性やサマリヤの多くの人々のように、聖書により確かめ、ユダヤ人のイエスを自分のキリスト(救い主)だと信じて罪の赦しに与り、「いのちの水」である聖霊が永遠にあなたの心に住んで下さる事をお祈りします。