「4日も経った死人ラザロを甦らせたキリスト」
聖書:ヨハネ11章:1節~45節
牧師:佐 藤 勝 徳

ユダヤのベタニヤの村にキリストが愛した「ラザロ」と言う人がいましたが、彼は重病になり死にかけていました。ラザロの姉妹達であるマルタとマリヤがヨルダン川の向こう岸におられるキリストに使いを送って、「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」と告げ、キリストによる癒しを期待しました。しかし、キリストは「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光の為のものです。神の子がそれによって栄光を受ける為です。」と返答されて、すぐにラザロのもとへ駆けつける事をせず、その場所に2日間滞在されたのです。その間に、なんとラザロは死んでしまいました。その事をキリストはご存知でしたが、弟子達は知りませんでした。キリストは、弟子達に「私達の友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」と言われました。弟子達はてっきりラザロが普通に眠っていると思ったのですが、キリストは改めて「ラザロは死んだのです」と教えられました。キリストがベタニヤの村においでになった時は、ラザロが死んで「4日」も経っていたのです。マリヤの姉のマルタがキリストになぜすぐにおいで下さらなかったのか、少々不満げに言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と。するとキリストは「あなたの兄弟は甦ります」と、ラザロの甦りを約束されました。マルタは、それが信じられないので、「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」と返答しました。終わりの日というのは、イスラエルの復興したダビデ王国である「メシヤ的王国」の時代を意味しています。マルタはその日に、神を信じるユダヤ人の甦りがイザヤやダニエル達によって預言されている事を知っていました。しかし、それに対してキリストは、ラザロを今ご自身が甦らせる事を含んで「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」と、言われました。マルタは「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております」と返答しました。その後、キリストはラザロを甦らせる為に墓に向かわれました。当時の墓は横穴の洞窟でした。死んだラザロは白い布に巻かれて横たわっていました。マルタの妹マリヤは、泣きながらキリストにマルタと同じことを言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と。その時、キリストは彼女の悲しみに深く同情し、悪魔がもたらした「死」に対して霊の憤りを覚えられました。聖書は「人間の死」は自然なのものでなく、人間の罪を通して悪魔がもたらした「敵」だと教えています。キリストはラザロが横たわっている洞窟の墓の近くに来られると「涙」を流されました。聖書に次のように書かれています。「イエスは涙を流された。そこで、ユダヤ人たちは言った。『ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか』」と。しかし、同時に「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか」と言う者もいたので、キリストはその不信仰に怒りを覚えながらも墓の前に立ち、洞窟を塞いでいる石を取り除けるように命じられました。マルタは「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」と返答しました。その彼女にキリストは「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」と言われましたので、周りの人たちは墓の石を取り除きました。するとキリストは父なる神にお祈りを献げられてから大声で「ラザロよ!!出て来なさい!!」叫ばれたのです。すると、ラザロは甦り、顔は布切れで包まれ、手と足を長い布で巻かれたまま、洞窟の墓の中より出てきたのです。それを見て驚いている人達にキリストは「ほどいてやって、帰らせなさい。」と言われました。キリストがラザロを甦らせたその奇跡を目の当たりした多くのユダヤ人がキリストを神が遣わされた「救い主」だと信じたのです。

キリストは死んで4日も経って腐っていた「ラザロ」を甦らせた事により、ご自身が「無から有を創造する創造主」だという事をユダヤ人だけにでなく、全人類に対しても明確にされました。キリストはご自身の事を次のように教えられました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」。以上の教えには3つの真理が教えられています。①キリストは「よみがえり」であるという事です。それは、ご自分がやがて全人類の罪の赦しの為に十字架で死んでも必ず自分の力で永遠に朽ちない栄光の体で甦る者だという事を意味しています。同時にご自身を信じる者をも必ず永遠に朽ちない栄光の体で甦らせて下さる事を意味しています。キリストはその事を「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」と教えられました。②次にキリストはご自分を「いのち」だと言われました。それは、ご自分を信じる者をご自分の愛と正義の神いのちで生かし、神に喜ばれる愛と正義に満ちた人生を歩ませるようにして下さる事を意味しています。③最後にキリストは「また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」と約束されました。生きていてキリストを信じる人が「決して死なない」というのは肉体が死なないという事ではありません。甦ったラザロも、これまでキリストを信じた多くの人が死んで朽ちて行きました。「決して死なない」というのは、キリストを信じた人が、死後もその霊が神との生きた交わりを永遠に失わない事を意味しています。聖書は「創造主」との生きた交わりがない状態の人を「霊的に死んだ人」と呼んでいます。キリストを信じるとその霊的死から解放され、永遠に愛と正義に満ちた「創造主」との生きた交わりの中に永遠に生かされるのです。あなたも死んで4日も経ったラザロを甦らせ、あなたの罪の赦しを願ってあなたの全ての罪を背負って十字架にかかり、三日目に甦られたキリストを、あなたの「救い主」として信じれば、あなたの全ての罪が赦されるだけでなく、神の永遠の命が与えられ、永遠に創造主との生きた交わりの中に生かされるのです。又、キリストが空中に再臨された時に死んだあなたの肉体が永遠に朽ちない栄光の体に甦り、あなたの霊と再び結び合わせられて、神の国で永遠に生きるのです。是非、キリストを信じて下さい。お祈りしています。