2022年11月6日礼拝メッセージの要約
「キリストは全ての人の唯一の仲介者」
聖書:第1テモテの手紙2章1節~6節
牧師:佐藤勝徳

使徒パウロは、若き伝道者テモテに対して、教会の指導者として信徒の兄妹姉妹が、全ての人の為に、又、王と全ての高い地位にある人達の為に願いと祈りと、とりなしと感謝を献げられるように指導することを勧めました。その理由を7つ教えています。それは、第1にキリスト者が「敬虔」に生きる為です。敬虔というのは創造主の聖なる神さまの怒りと裁きを恐れ、罪から離れ愛に満ちて生きる事を意味しています。第2に、威厳をもって生きる為です。威厳というのは、謙遜な人に神さまより与えられる権威が身に着き、人々を罪から離れて正しい生き方へ導く力ある存在となる事です。第3に、平安で静かな一生を過ごす為です。それは神さまから与えられた平和の中に生かされる事を意味しています。第4に、それは神さまの御前に良い事として喜ばれる為です。第5に、神さまは全ての人が救われて真理を知る事を望んでおられるからです。第6に、神さまは唯一で、神さまと人との仲介者も唯一で、そのお方は神さまが人となれたキリスト・イエスだからです。第7に、キリストは全ての人の贖いの代価としてご自身をお与えになったからです。

使徒パウロはⅠテモテ2章1節~6節で「すべての人」という言葉を3回も使っています。現在地球上には約80億人近い人々が住んでいますが、その全ての人が救われる事を願って、キリストは全ての罪を背負って十字架で身代わりの刑罰を受けられ、その全ての罪を既に取り除かれました。しかし、その御業は、現在の全ての人々の為だけでなく、過去に地球上に存在した全ての人の為でもあり、これから未来に存在する全ての人の為でもあったのです。それは、過去現在未来の全ての人が、創造主の父なる神さまの愛の作品だからです。人間一人一人は約60兆の細胞によってその肉体が大変精巧に緻密に造られています。その素材は水分が約60%ですが、他は土の中に存在している「土の塵」と聖書が呼んでいるミネラル元素です。インターネットで次のように教えられていました。「人間はその60%が水といわれています。この水を除くと、人間の身体は、炭素原子が50%。酸素原子が20%、水素原子が10%、窒素原子が8.5%、カルシウム原子が4%、リン原子が2.5%、カリウム原子が1%などから構成されています。人間は炭素原子を主要な構成成分とした生物であることがわかると思います。」

創造主の神さまは水分とミネラル元素という素材を使って、それぞれの母の胎内で一つ一つの細胞を巧みに造り、組み合わせて見事に人間の肉体を造られています。脳細胞をつなぐと約40万㎞になるそうです。月と地球の距離が38万㎞ですので、地球から月を超えて更に2万㎞もあるのです。そんな超緻密な人間の体は偶然には決してできないでしょう。しかし、人間は物質だけで生きているのではありません。聖書は人間の肉体に神が「霊」を吹き込まれたと教えています。肉体と霊とで創造された人を聖書は「神のかたち」に似せて創造された大変尊い存在だと教えています。創造主の神さまは永遠のお方ですので、そのお方のかたちに似せて創造されたという事は、神さまは人が永遠に平和の内に生きる事を願って創造された事を意味しています。しかし、人類は罪に堕落し、神さまとの平和な関係を自ら破り失ってしまいました。それにより神さまの裁きによって肉体は死ぬ結果を招きました。霊は、神さまとの平和な交わりを失ってしまいました。その状態を「霊的死」と言います。肉体的死と霊的死は、人類が罪に堕落した結果であって、決して自然なものではないのです。その、肉体的死と霊的死から私たちを解放し、神の怒りによる裁きから救い、永遠に創造主の神さまとの平和な関係の中に私たち全ての者が生かされる事を願って、独り子の神が人なり十字架で全人類の罪を背負って身代わりの刑罰をお受けになりました。それが、唯一の仲介者キリスト・イエスなのです。仲介者というのは、敵対関係の中にある者の間に立って、両者を平和な関係にする人の事を言います。父なる神さまに逆らい神さまの怒りの中にある人類が神さまと平和な関係を取り戻すために、キリストは人類の罪の赦し為に贖いの血を流されました。贖いというのは、代価を払って買い戻すという意味があります。仲介者キリストは、全ての人が肉体的死と霊的死と神の怒りによる裁きから救われ、永遠に父なる神の愛の懐に買い戻す為に、ご自身の罪なき貴い命を贖いの代価とされたのです。そのキリストの愛が、どれほど深く、広く、高く、長いものか、あなたの心の目が開かれてお知りになり、キリストに愛されている喜びと平和があなたに満ちはあふれる事をお祈りします。

ロシアによるウクライナ侵攻で平和がどれだけ大切か、ウクライナの傷ついた人々、悲しみの中にある人々、破壊された建物や町々をニュースで見るたびに思わされます。私たちに必要な平和は、人と人との平和と共に、創造主の父なる神さまとの永遠の平和です。その二つの平和があって、初めて人は本当の平和の中に生きていると言えるのです。 罪びとの私たちは、キリストを信じて罪が永遠に赦される事により、全知全能の創造主なる神さまと永遠の平和な愛の交わりの中に生かされます。神さまとの平和な愛の交わりの中で、私たち罪びとは聖霊によって隣人と平和に生きる力と愛が与えられ、真の平和の中に生きる人となるのです。隣人を悲しませている人が、自分の平和や楽しみを喜んでもそれは大変空しく意味がありません。それと同様に、正義の神さまの怒りを買うような罪の生活を送りながら、自分の平和や幸福を喜んでいても大変空しく意味がありません。目に見えない愛の創造主の神さまと隣人との平和の中で初めて、自分の平和と幸福を喜ぶ事に意味があり価値があるのです。そのような意味のある平和な人生をあなたに与えようと、神さまは独り子のキリストを十字架におかけになりました。その救いと恵みの中で真の平和の中に生きているのがスウエーデンの歌姫レーナ・マリアさんです。レーナ・マリアさんは、生まれながら両手がなくて、左足は右足の半分の長さしかないので、義足をつけていますが、一度もその事を悲しんだ事がないのです。その障害のある体は愛に満ちた創造主の神さまからのプレゼントだと喜び「もう一度生まれるとしたら同じ体で生まれたい」と証をされています。その証を知って私は感動し米子のビッグシップで、市内の諸教会の協力によりクリスマスコンサートをして頂きました。

「なぜあなたはいつも幸せそうにしているのか、障害を持っているのにその前向きさはどこから来るのか」とよく質問されるが、その答えは『私の中にイエス様がいてくれるから』と言い、「You light up my day」を賛美。『あなたこそが私の全てを照らしてくれる、憎しみを赦しに変えてくれる』とイエス・キリストに出会った喜びを歌うと、会場から大きな拍手が湧いた。」(2015年の東京武道館で)

「Ⅰテモ2:4神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。」