「ユダヤ人の王であるキリスト」
聖書:ヨハネによる福音書18章28節~40節
牧師:佐 藤 勝 徳
AD27年の4月のユダヤの過ぎ越し祭の時に、イエス・キリストはエルサレムのゴルゴタの丘で十字架刑に処せられました。十字架刑は、国家に対する反逆罪への刑罰として、ローマ人が考案した死刑の方法です。しかし、あまりにも残忍で非常な苦痛を伴う極刑であることから、十字架に架けられる者は限られていました。十字架に架けられる犯罪人は、裸にされ、両手両足首に約15センチの長さの大釘を打ち込まれ、十字架に固定されます。この時、手足首の神経は切断され、言葉では表現できない激痛が襲います。さらに十字架に吊り上げられると、両肩は脱臼し、釘を打ち込まれた傷口に全体重がかかり、さらなる激痛が襲います。そして、犯罪人は、呼吸を保つ為に、死を迎えるまで何度も何度も足を突っ張って体を持ち上げなければなりません。このような苦しみが何時間と(場合によっては何日も)続き、そして最終的に、激しい痛みと疲労の為に呼吸困難となり、心拍異常を起こして心肺が停止し絶命します。そのような地獄の苦しみが伴う十字架で、キリストはユダヤ人と全人類の罪を背負って、身代わりの刑罰をお受けになる事を弟子たちに教えられました。「ヨハ12:32 『わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。』12:33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである」。キリストはご自分が十字架で処刑される事を「地上に上げられる」と表現されました。ヨハネはキリストの死後、その言葉を思い出し、キリストはユダヤ人と人類の罪の為にローマ方式の残酷な十字架の磔で死ぬご自分の死に方を示されていたという事に気づきました。その彼の気づきが、キリストを殺そうとしていたユダヤ人と、ローマの総督ピラトとの会話の中で表現されています。キリストを処刑にしようとしているユダヤ人たちが、大祭司カヤパの所から、ローマの総督ピラトの下へキリストを連れて行きました。しかし、ピラトは、キリストがユダヤ人の信じる宗教的な事でキリストが連行されて来た事を知っていたので、彼はユダヤ人に「自分たちの律法で裁きなさい」と、キリストの処罰をユダヤ人の手に委ねようとしました。しかし、当時、死刑はユダヤ人に許されていなかったので、彼らは「私たちには誰も死刑にすることはできません」と返答をしました。その時に、ピラトはユダヤ人たちがキリストに対して「死刑」を望んでいる事を知ったのです。ユダヤ人たちはキリストをローマ人の手によって十字架で殺そうとしたのです。その事を、ヨハネは、「これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」と、深い感動をもって記録しました。神さまは、古代の諸国で最もどう猛なローマがユダヤを支配する時が来ることをご存知でした。そのどう猛なローマが考案した十字架という地獄の苦しみを与える処刑方法で、ユダヤ人と全人類の罪の身代わりとしてキリストが身代わりに打たれる事を御心とされたのです。それは、人の罪の恐ろしさとその責任の重さを教えています。キリストはユダヤ人と全人類の全ての罪が赦され多くの人が永遠の祝福の中に生きる事を夢見ながら、喜んでご自分から十字架におかかりになったのです。そのキリストの深い愛に感動したヨハネは、「これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」と書いたのです。その後で、キリストとピラトとのやり取りを記録しました、そのやり取りのテーマは「キリストはユダヤ人の王なのか」という事です。、ピラトは官邸にイエスを呼んで「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねました。それに対してキリストは「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。」とお答えになりました。キリストはピラトとのやり取りでご自身がユダヤ人の王だと明言されました。メシヤがユダヤ人の王だという真理は、旧約聖書で何ども啓示されています。一番最初の啓示は創世記のヤコブの預言です。ヤコブは、メシヤであるユダヤ人の王が世界の王になると預言しました。◆「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う」と。次に民数記でバラクが預言しています。◆「ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こる」と。 キリストが約2000年の昔にユダヤのベツレヘムで誕生された時に、東方の博士達が不思議な星が夜空に出た事を見つけ、その不思議な星はメシヤがユダヤ人の王としてお生まれになる事だと示され、エルサレムにやって来た事をマタイは記録しています。◆「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました』」と。預言者ゼカリヤは、「 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。・・この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る」と預言しました。その預言は、約2000年昔に子ロバに乗ってエルサレムに入場されたキリストが、やがて地上に再臨され、「とこしえにユダヤ人と世界の王となる」という預言です。ユダヤ人の王だと明言されたキリストの言葉を聞いたピラトは、当時のヘブル語、ラテン語、ギリシャ語の三つの言葉で罪状書を書きました。それは、キリストがユダヤ人と全世界の王だという事を示しています。 キリストは、十字架におかかりになる時に、ご自分を否定したユダヤ人の中より、ご自分をユダヤ人の王として信じる幸いなユダヤ人が起る事を確信し喜んで十字架の苦難の道を歩まれました。又、イスラエルの先祖アブラハムに神さまが約束されたように、空の星のように増大した沢山のユダヤ人が全て、ご自身を王として喜んで受け入れて仕える幸いな1000年のメシヤ的王国を確信しながら喜んで十字架の道を歩まれました。それはユダヤ人の為だけの確信ではありませんでした。全世界の諸国民の中より、ご自分を永遠の王として信じて受け入れ、この地上と1000年のメシヤ的王国で喜んでご自身に仕える異邦人が多く起こされる事をも確信して、喜んで十字架の受難の道を歩まれたのです。それがへブル書12章で教えられています。◆「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
ユダヤ人の王として十字架で死なれたキリストは、永遠にユダヤ人と全人類の王の王、主の主なのです。あなたが、キリストは十字架であなたの一生涯で犯す恐ろしい多くの罪の赦しの為に、地獄の苦しみを受けながら身代わりに刑罰をお受け下さった救い主だと信じるだけで、その瞬間にあなたの全ての罪が赦されます。同時に復活をされ今も天において生きておられるキリストが霊によってあなたの心の中に永遠の王として住んで下さるのです。そして、愛に満ちた王として、あなたの幸福を熱く熱く願ってあなたに「これが道だ。これに歩め」と幸いな喜ばしい命令と指示を毎日お与えくださるのです。あなたの心の中心に、あなたの生活の中心にキリストを永遠の王の王として、主の主として、あなたも喜んでお迎えし、永遠の幸いを手にしませんか。
「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。」(ゼカリヤ9章9節)