「ピラトにむち打たれたキリスト」
聖書:ヨハネによる福音書18章36節~19章16節
牧師:佐 藤 勝 徳
教会の礼拝で告白されている使徒信条で、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ・・」と、イエス・キリストを十字架で処刑にしたローマの総督ピラトの事が教えられています。ピラトは、何回も尋問した結果、ユダヤ人が求める「十字架」で処刑するような罪がキリストにはない事を確信しましたので、何度もキリストを釈放しようと努力しました。ピラトはユダヤの過ぎ越し祭の時に、死刑囚に恩赦を与えユダヤ人からの支持を得ようとして自分が考えた慣例により、強盗のバラバを引き合いに出し、キリストを赦そうとしました。バラバは、当時ユダヤ人の間で名の知れた強盗であり、人殺しであり、暴動を繰り返していた暴徒たちの親分でローマに反逆をしていた極悪人でした。。ピラトが「ユダヤ人の王を釈放する事にしようか」とユダヤ人に問うと、彼らは大声をあげて「この人でない。バラバ」だと言ったのです。ピラトは、極悪人で有名なバラバを引き合いに出せば、ユダヤ人は「イエスを赦せ」という言うだろうと思ったのですが、結果は逆でした。それでも、ピラトは何とかしキリストを赦そうと努力しました。その為に彼が次に思いついたのが、キリストをむち打つ事でした。
ユダヤのモーセ律法には「40回」のむち打ちの刑が定められ、棒の先に取り付けられた短い皮のむちや棒や杖によるむちがありました。しかし、ピラトの使った「むち」はローマ式のもので、残酷なものです。そのローマ式のむちは「フラゲルム」と呼ばれ、むちの先の方にはとがった骨や釘や金属の塊が取り付けられていた言われます。それでむち打たれると、打撲、内出血、内臓破裂が起き、更に肉をザクロのようにぼろぼろに引き裂き骨が見える事もあったと言われます。ピラトはその「フラゲルム」と呼ばれるむちでキリストを打ったのです。それは、背中だけでなく、顔面も含め身体のいたるところを打ったと言われています。回数に制限がありません。預言者イザヤが受難のキリストを「その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、・・」と預言していますので、キリストの顔面もむちが打たれ損なわれてひどい状態にされただろうと思います。その上に、ローマの兵隊はとげが2~3センチもあるようないばらで編んだ冠をキリストの頭にかぶせたり、むちで損なわれひりひりしている顔面を平手で打ったり、残虐非道な仕打ちをしたのです。ローマ兵から嘲笑されて王を意味する紫色のガウンを着たせられたキリストの頭と顔面を含め全身から血が流れ、人のようではない見るに忍び難い大変憐れな状態されてしまったキリストを、ピラトは祭司長や役人たちの前に連れ出し「見よ!この人です!」と言いました。それは、どんな酷いむち打ちを受けても、恨み言一つも言わないキリストに罪がない事を確信したからです。また、ピラトがキリストをそこまで打ち付ければ、ユダヤ人たちも、それで良しとするだろうと思ったわけです。しかし、そうではありませんでした。祭司長たちや役人たちはより激しく「十字架につけろ!!」と繰り返し叫びました。そのユダヤ人たちが、キリストが自分を「神の子」と呼んで神を侮辱しているという事を告げたので、ピラトは恐れをなし、恐る恐るキリストに「あなたはどこの人ですか」と、尋ねたのです。キリストは何の返答もされなかったので、「私には、あなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威がある事を知らないですか」とピラトは言いました。それに対してキリストは「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです」と返答されました。自分をこれから十字架につける事を決定するピラトの罪よりも、「十字架につけろ!」と叫んだユダヤ人の罪がもっと大きな罪だと教えられました。ここで、キリストは、非常に大事な真理を二つ教えられています。それは、人間を含め万物は創造主の天の父なる神の真の主権の下に置かれているという真理です。ご自分を十字架につけようとしているピラトやユダヤ人はすべて神の真の主権の下にあるという事です。キリストの十字架の死は、ピラトやユダヤ人の罪を許可されながら実行されたユダヤ人と全人類の罪の赦しの為の神の救いのご計画であったという事です。キリストの十字架の死の本質は、ピラトやユダヤ人に殺されたのでなく、創造主の父なる神の愛と正義の真の主権によるもので、それはユダヤ人と全人類の救いの為の身代わりの刑罰であったと言う事です。二つ目の真理は、キリストを十字架につけたユダヤ人の罪の大きさです。全世界をもってしても書き記す事が出来ない程の多くの愛の奇跡の御業をもってご自身が神のひとり子なる神だとユダヤ人たちに証明されたにも関わらず、ユダヤ人の指導者たちはキリストの奇跡は悪霊の親分であるベルゼブルによるものだと悪霊憑き呼ばわりし、ついには残酷な十字架にかけて殺したのです。その罪の大きさは計りしれません。キリストはその罪のゆえにユダヤ人の滅びを預言され、それがAD70年ローマによってエルサレムが滅ぼされた事で成就し、ユダヤ人は国を失い世界に散らされて行ったのです。実は、その悲惨な出来事は、その事が起きる約1500年前にモーセが申命記30章で預言していたのです。「【主】があなたをそこへ追い散らしたすべての国々・・」と。しかし、キリストは、ご自分を苦しめ十字架につけたピラトやローマの兵隊たち、ユダヤ人指導者たちと群衆、又、極悪人のバラバの罪の赦しを願って、彼らの全ての罪を背負って十字架で身代わりの刑罰を受けられたのです。キリストを十字架につけて殺したユダヤ人の中から、五旬節というユダヤの祭りの時に、弟子のペテロの説教によってキリストを信じて罪が赦されたユダヤ人が3000人ほど起こされました。
バラバの罪は暴動、殺人、強盗でした。ピラトの罪は名誉欲と地位安泰欲故の悪への妥協でした。ローマの兵隊の罪は冷酷と侮辱罪でした。ユダヤ人の指導者達の罪は強欲と妬みと嘘とによる悪だくみでした。群衆の罪は扇動される罪でした。あなたにはどんな罪がありますか。嘘、妬み、憎しみ、貪欲、名誉欲、殺人、暴力、冷酷、侮辱罪、扇動される罪、妥協の罪などがありますか。殺人はないと多くの人は思うかもしれませんが、聖書は殺人の原因となる「憎しみ」の感情も殺人の罪に匹敵するものだと教えています。あなたが、一生涯の中で、思いにおいて、言葉において、行いにおいて、無意識において犯す全ての罪が赦される為に、あなたの全ての罪を背負って罪なきキリストが十字架で身代わりの刑罰をお受けになったのです。その真理を信じてあなたもキリストの父なる神によって永遠に赦され、永遠の平和を手にされますようにお祈りします。ピラトが言った「見よ!この人です!」は
このメッセージをお読みのあなたへの神からのメッセージなのです。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(Ⅰペテロ2章14節)