「アリマタヤのヨセフによって葬られたキリスト」
聖書:ヨハネによる福音書19章34節~42節
牧師:佐 藤 勝 徳

キリストは、十字架で私達罪びとの罪の身代わりに、父なる神より刑罰を受け、肉体的にも精神的に地獄の苦しみを受けられ、最後にご自分の力で心臓を破裂させたか、停止させられて死なれました。キリストがあまりにも早く亡くなったので、ローマの兵隊はキリストの死を確実にするために槍で突き刺しましたが、その時に「水と血」が流れ出たと記録しています。人間の血は、死ぬと「血清」という黄色い部分と血餅(けっぺい)と言う血の塊になる赤い部分に分離をすると現代医学では教えられています。「水と血」が分離してキリストの体から流れ出たのは、医学的にはキリストはすでに死んでおられた事を意味しています。同時に、キリストから「水と血」が流れ出た事は、その血こそは全人類の罪を取り除く贖いの血であったことを教えています。キリストは最後の晩餐の席で、弟子たちにぶどう酒を飲ませ、そのぶどう酒が象徴するご自身の十字架で流される血を「契約の血」だと教えられました。キリストが私たちの罪の身代わりに地獄の苦しみを受けられた後に流された十字架の血は、キリストを信じる者の罪を永遠に赦し、永遠に聖なる神に近づく事を可能にした「契約の血」なのです。父なる神は、その「契約の血」によりご自身に近づくものをいつも喜んで赦し受け入れ祝福して下さるのです。私達罪びとは、天の神さまから契約を受ける資格はないのですが、天の神さまは憐れみと恵みによりキリストの十字架の血による「血の契約」を与え、命をかけて、信じる者に必ず罪の赦しを与え、必ず永遠の命を与え、必ず永遠の平和と幸いを与えると言う約束を絶対に守られるのです。神さまには嘘はありません。

◆キリストの葬り
さて十字架でキリストが亡くなられた時に、キリストがアリマタヤのヨセフによって「葬られる」という事がおきました。それは当然の事のように思われるのですが、実は当然の事ではなかったのです。当時、囚人の墓があったようですが、十字架につけられた極悪人は、丁寧に葬られる事はなく「ゴミのように」、エルサレムの北にあった「ヒンノムの谷」に投げ捨てられていたと言われています。ヒンノムの谷は当時ゴミ捨て場であり、動物などの死体も焼かれいつも火が燃え、蛆が尽きなかった気味の悪い場所でした。そこに十字架の極悪人は投げ捨てられていたのです。キリストの両サイドの十字架にかけられた強盗は、ヒンノムの谷に投げ捨てられていたでしょう。ではなぜキリストの死体は丁寧に葬られたのでしょうか。それは、イザヤの預言によったのです。キリストの傷だらけの、血だらけの死体は、ユダヤ人の慣習によってダヤ人の指導者の一人であるニコデモが持ってきた没薬とアロエを混ぜわせた30キログラムの香料とその他の香料で覆われてから白い麻布に包まれました。

◆二人の命がけの行動
《アリマタヤのヨセフとニコデモについて》
アリマタヤのヨセフは当時のユダヤ人指導者がどれほどキリストに対して殺意を燃やしていたかよく知っていましたので、自分がキリストの弟子だと公言すれば自分も命が危なくなる事を知っていました。その為に、自分がキリストの弟子であることを隠していたのです。しかし、キリストが十字架で命を懸けて救いの御業をなして下さった事を知った彼は深く感動し、命を懸けてキリストの葬りをピラトに願い出ました。そのヨセフの勇気に触発されて、十字架のキリストをメシヤだと信じたもう一人のユダヤ人指導者であったニコデモが命がけでキリストの葬りの手伝いをしたのです。

◆葬られる事は幸いな事
二人の命がけの勇気ある行動により、キリストが丁寧に葬られた事は、キリストはユダヤ人が訴えるような「悪人」では無かった事を意味しています。キリストはご自分から積極的に十字架で地獄の苦しみを受け、ご自分の力で死に尊い血を流され、全人類の罪の赦し為の救いの御業を成し遂げられた神が人となられた聖なる人だったのです。それ故に、その死体を神さまはアリマタヤのヨセフとニコデモによって丁寧に葬られたのです。聖書は死んだ人が丁寧に葬られる事は神の恵みによる「幸いな事」の一つとして教えています。神さまはキリストを丁寧に葬られた事によってユダヤ人のキリストに対する訴えがでたらめであったことを証明されました。

◆キリストは富む者の墓に葬られた
ユダヤ人の過越し祭における聖なる「安息日」が目の前に迫っていたので、ヨセフは急いでキリストを葬らなければなりませんでした。ユダヤ人は、十字架の死を、木にかけられた者の死を、神に呪われた者の死であると考えておりましたが、木にかけられた死体は、必ずその日のうちに埋められねばなりませんでした(申命21:23参照)。幸い、キリストが十字架にかけれたゴルゴダの丘には「園」と呼ばれる場所があり、ニコデモは金持ちでしたので、そこに「新しい墓」を生前墓として高額を使って造っていたのです。その墓はまだ誰も葬られていませんでした。そこにヨセフは安息日が来る前にキリストを急いで「葬る」事が出来たのです。それは、預言者イザヤの預言の成就でした。イザヤは受難のメシヤ預言の中で次のように預言していました。「53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた」と。苦しんでいるキリストの十字架の下でロー兵が上着を分け下着をくじで取った事、キリストが十字架上で「渇く」と言われた事、十字架上のキリストの骨が折られなかった事、十字架上の死んだキリストにローマ兵の槍が突き刺さった事、以上の4つの出来事と共に、キリストが金持ちのアリマタヤのヨセフによって新しい墓に葬られた事は、いずれも、旧約聖書の預言の成就であったのです。

◆救われる条件
パウロは、私たちの罪が天の神さまによって赦され永遠に義人とされ永遠の命を得る為の条件を次のように教えています。「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、パウロはキリストが私たちの罪の赦しの為に十字架で死なれた事、葬られた事、三日目に甦られたという福音を、正しく理解して信じる人は「救われる」と教えています。罪赦されて永遠の救いに導かれる為にはキリスト①十字架の死 ②葬り ③復活という三つの出来事が自分の救いの為であったと信じる事が必要なのです。イザヤが預言した通りに、金持ちのアルマタヤのヨセフによってキリストが葬られた事を信じるか否かによって、あなたが救われるかどうかが決まるのです。あなたも、旧約聖書に基づき、キリストの十字架の死と葬りと甦りを正しく理解したうえで、キリストを信じる信仰をお持ちになり、永遠の滅びから永遠の命へと救われますようにお祈りします。