「復活のキリストとマグダラのマリヤ」
聖書:ヨハネによる福音書20章1節~18節
牧師:佐 藤 勝 徳

キリストが十字架で死なれてから3日目の日曜日の朝に甦られた事は、ヨハネによる福音書と他の3つの福音書が歴史的事実として、共通して伝えている偉大な全能の神の出来事です。では、なぜキリストは死んで3日目に甦られたのでしょうか。キリストは弟子たちに、ご自分が苦しんだ後に「3日目甦らなければばらない」と、ご自分の「3日目」の甦りを神の御心としてご自分の力で甦る事を約束されていました。それはユダヤの「初穂の祭り」に基づいていた約束でした。旧約聖書レビ記23章10節には、春の「過越し祭」の一連の祭りで、金曜日の過ぎ越し祭から数えて3日目の日曜日が「初穂の祭り」という収穫感謝祭として教えられています。その麦の初穂は、実は復活のキリストを象徴していたのです。それは、パウロが復活のキリストの事を「復活の初穂」だと教えている事で分かります。「Ⅰコリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」。キリストが復活の初穂であるという事は、キリストに続いてキリストのように永遠に朽ちない栄光の体で甦る人が次から次と起こる事を教えているのです。パウロはその事を神さまから奥義として示されていました。「Ⅰコリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」。 過ぎ越し祭の金曜日から数えて3日目の日曜日の初穂の祭りは、キリストの復活とそれに続く、キリストを信じる者の復活を象徴的に教えているのです。そのように、モーセ律法の例祭には、神のイスラエルと人類の救いに対する基本的なご計画「マスタープラン」が隠されて教えられているのです。

さて、キリストはモーセ律法の初穂の祭りに従って3日目の日曜日の早朝に甦られましたが、亡くなったキリストの体に香油を塗って最後の別れをしようとしていち早く墓にやって来たのが「マグダラのマリヤ」でした。彼女が墓に行くと、キリストの体が見つからないので「誰かが主を取っていきました」と、墓の傍で号泣してしまいました。彼女は、キリストの「3日目に甦る」という約束を信じるには至っていないかったのですが、キリストを深く愛していましたので、み使いとキリストから「なぜ泣いているのですか」と、優しく声をかけていただきました。マリヤは今自分に声をかけて下さっている方が「復活のキリスト」だと気が付かず、園の番をしている「管理人」だと思いました。その時に復活のキリストが「マリヤ」と呼ばれると、彼女の心の目が開かれて、そのお方が復活のキリストだと気が付き「ラボニ―(先生)!!」と喜び叫んだのです。そして、思わず復活のキリストにすがりついたのです。マリヤが、復活のキリストにすがりつく事が出来たのは、キリストは間違いなく肉体をもって甦られた事を教えています。それは、初代教会時代に教会内に異端として入って来ていたギリシャ思想による「仮現論」という教えに対する反証となっています。「仮現論」では、キリストの復活の姿は実際に肉体が甦ったのでなく、幻であったというのです。マタイによる福音書ではマグダラのマリヤともう1人の別のマリヤが復活のキリストの御足を抱いて礼拝しています。ルカによる福音書では、復活のキリストを幽霊だと思った弟子たちに、復活のキリストはご自分が幽霊でない事を教える為に、焼き魚を食べられました。また、キリストの復活を疑う弟子のトマスに、あなたの指を手の釘あとに、槍で刺されたわき腹に差し入れてみなさいと言われました。4つの福音書が記録している復活のキリストの姿は、いずれも仮現論を否定するための論証となっています。

実際に甦った復活のキリストはご自身にすがりついているマリヤに「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」と言われました。なぜそのように言われたのでしょうか。復活後のキリストが地上で活躍する期間は40日間しかありません。ヨハネは神さまが「時」を非常に重要視されている事を教えています。復活をされたキリストは、その短い期間にご自分のなすべき事を果たし、天に昇って行かなければなりせんので、いつまでもマリヤがすがりついている事をお許しなりませんでした。それ故に「わたしはまだ父のもとに上っていないからです。」と言われました。マリヤは愛する復活のキリストがいつまでも地上に、傍にいてほしかったのですが、キリストは天に昇らなければなりません。その理由は、ご自身が天において父なる神より聖霊を受けて、その聖霊を信じる者に注ぐ為でした。 キリストは、仮庵の祭りの大事な日に、「渇いている者は私のもとに来て飲みなさい。信じる者は生ける水の川が腹の底から川のように流れでる」と約束されましたが、その約束についてヨハネは次のように説明を加えています。「ヨハ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである」と。 キリストは父なる神より、聖霊を注がれ万物の王として就任するという「栄光をお受けなって」初めて、過ぎ越し祭から数えて50日目の「ペンテコステ」の日に弟子たちに天から聖霊をお注ぎなる事が出来たのです。

天に昇られたキリストは、ご自身を信じる者の罪を永遠に赦し、その心に聖霊を注ぎ、聖霊を永遠に心に内住させてくださるので、全ての信じる者は、キリストから「わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神」と、愛に満ちた父なる神さまと特別に親しい交わりの中に生かされるようお救い下さるのです。あなたが、キリストをご自分の救い主だと信じる時に、あなたの全ての罪が永遠に赦され、あなたに天に昇られた偉大なる復活のキリストから聖霊が注がれ、聖霊が永遠に内住して下さって、聖なる愛に満ちた父なる神さまと親しい交わりの中に生かして下さるのです。また、死後、あなたの霊魂は天の御国へ導かれるのです。更に、キリストが再臨された時に、あなたの死んだ体は、初穂の復活のキリストに続いて、永遠に朽ちない、罪を犯さない、苦しまない、病気をしない栄光の体に復活し、天の霊魂と一つになるのです。そして、この地上に実現する戦争が一切ないイスラエルを中心とした「メシヤ的王国」の世界の住人にとなるのです。それが、キリスを信じる者への神さまの「マスタープラン」なのです。あなたの罪を十字架で取り除かれたキリストを、あなたがマグダラのマリヤのように愛して、復活の希望に満ちて日々を歩まれますようにお祈りします。