「教会携挙とは何か」
聖書:Ⅱテサロニケの手紙2章1節~13節
牧師:佐藤勝徳

 

「教会携挙」と言う言葉は一般的に殆ど知られていませんが、実は聖書が教えるこれから起こる重大な歴史的出来事です。ニコラス・ケイジ主演の「レフト・ビハインド」という映画が2014年に日本で上映されました。その映画は、聖書の預言通りに復活のイエス・キリストの空中再臨により、キリスト者が全て空中に引き上げられ、天に御国へ導かれるという「教会携挙」を描いています。終わりの時代に起こる「教会携挙」が起きたその後、世界は人類が経験したことがない厳しい災害に見舞われます。レフト・ビハインドと言うのは「取り残された者」とか「後に残された者」と言う意味で、その教会携挙の恵みに預かる事が出来ず、厳しい艱難の中を通らなければならない人々と世界のことを指しています。映画は、教会携挙により世界が大パニックに陥った事が描かれています。Ⅱテサロニケ2:1~13は神さまの教会に対するご計画と、イスラエルに対するご計画という、二つのご計画が要約的に教えられています。

≪神さまの教会に対するご計画≫

神さまのキリストの花嫁なる教会に対するご計画は、キリストの空中再臨により教会は天に引き上げられ、天の父なる神の家に花婿なるキリストが準備された新居に導かれる事です。 1節に「私たちの主イエス・キリストが再び来られる」と、復活して天におられるイエス・キリストが再びやって来られる空中再臨の事が教えられています。空中再臨の目的は、地上のキリスト者を空中のご自身のもとに集め、天に引き上げて下さることです。パウロは次のように教えています。「私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められること」と。その主の空中再臨の時にキリスト者がキリストのみもとに導かれる事に関して詳細に教えているのは、同じテサロニケの手紙第1の4章15節~18節のみ言葉です。キリストの空中再臨の時に、死んだ全てのキリスト者が、先に永遠に朽ちない、病気をしない、罪をお犯さない栄光の体に甦り、次に生きているキリスト者の体が永遠に朽ちない、病気をしない、罪をお犯さない栄光の体に変えられて、共に空中の主のもとへ引き上げられ、主とお会いしそのまま天の父の家に導かれます。主の空中再臨の時には、私たちの霊も体も完全にされますので、空中の主と私たちのキリスト者の愛の交わり完璧になり、何一つ陰りや曇りはなく、なんの疑いや不信もなく、愛と正義と謙遜とに満ちた王の王、主の主であられるキリストを純粋な心で喜び賛美し歌い愛の交わり喜びに満たされるのです。それが、キリスト者の最も深い大事な慰めですので、パウロは「4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」と勧めたのです。

教会が天の父の家に携挙された後、天において重大な恵みの出来事が二つ準備されています。一つは、報いを決める為のキリストの裁きの座に全てのキリスト者が導かれる事です。それは罪を裁く為の裁きではなく、地上で、神の霊である御霊の導きに従って行った仕事や事業や奉仕などに対して冠が与えられ、また、良き報いが決定される為の裁きです。そのようにして、全てのキリスト者がきよめられ そのきよめの裁きが終われば、次に行われるのが花婿なるキリストと花嫁なる教会との婚礼です。古代のユダヤの習慣では、花嫁は婚礼の前に水で体をきよめる「ミクベ」と呼ばれる儀式を行います。そのように、天に携挙された花嫁なる教会は花婿なるキリストとの婚礼の前に、「ミクベ」のように、キリストの裁きの火できよめられるわけです。それは天における婚礼の準備として行われるのです。その後、この地上に実現する平和なメシヤ的千年王国に導かれるのです。

次にイスラエル民族に対する神のご計画を学びたいと思います

≪神さまのイスラエル民族に対するご計画≫

空中再臨とは別の、キリストの地上再臨はいつ起きるのでしょうか。それは、キリストを十字架につけたイスラエル民族が民族全体で、その罪を悔い改め復活のキリストに向かって「祝福あれ。主の名によって来られ方に!」と、叫んだ時です。その事をキリストは次のように預言されました。「マタイ23:39あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません」と。

キリストの地上再臨の目的はイスラエル民族と結ばれた4つの無条件契約「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」の成就として、イスラエルを中心とした平和なメシヤ的王国をこの世界に実現する事です。そのメシヤ的千年王国が実現する前に、世界支配をねらってやって来る不法の人とか滅びの子と呼ばれている反キリストの出現がある事をパウロは教えています。その反キリストは地上に再臨されるキリストによって「御口の息をもって殺され、来臨の輝きをもって滅ぼされる」のです。それが、「主の日」に起こるというのです。では、「主の日」とはどのような日のことでしょうか。それは、ダニエル9章で預言されている終末の70週の預言の最後の1週である7年の大患難時代のことを意味しています。人類がそれまで体験した事がない神の怒りによる恐ろしい災いが7年間にわたって起こるのです。初代教会時代のテサロニケ教会には、その「主の日」が既に来たと教え、キリスト者を惑わして落ち着きを失わせたり、心を騒がさせたりする偽教師がいました。その彼らの偽りの教えをパウロは取りあげて、テサロニケ教会の人たちに次のように警告をしました。「Ⅱテサ2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず携挙が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです」(私訳)と。その警告は特に現代の終末時代の中に生きているキリスト者を初め世界の人々に対する警告ともなっています。現代はインターネットの普及で、「フェイクニュース」が氾濫し、何が本当なのか見分ける事が非常に難しい時代となっています。嘘の情報で世界をかく乱させているのが「偽り父」と呼ばれるサタンです。サタンが一番多くの嘘の情報を流すのは、聖書が教えるキリストに関する情報、イスラエルに関する情報、終末に関する情報、教会に関する情報です。この四つに関して、キリスト教初期時代から今日迄、偽りの解釈による嘘の情報をサタンは教会と世界に流し続け、その度合いが増々広まり深まっているのです。「だれにも、どのようにもだまされない」為には、聖書を詳細に学び、字義通りの平易な正しい解釈にもとづく聖書知識をしっかりと蓄える事です。では、「主の日」の到来はいつ起こるのでしょうか。パウロは「まず携挙が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない」と教えています。パウロは「主の日」が来る前に起こる歴史的明確の目印として「教会携挙」が起こる事と、「反キリスト」がサタンによってこの世界にやって来る事を教えています。反キリストの出現についてダニエル書9章で教えられています。彼は、イスラエルと全世界の国々と「7年の安全保障条約」を結びます。それが反キリストの出現を教える歴史な明確な目印です。教会携挙の為の空中再臨は、7年の大艱難時代と言う「主の日」が来る前に起きます。
その為の前兆について聖書は何も教えていません。突如やって来るのです。今日かもしれません。空中再臨される主によって携挙される私たちキリスト者に求められている事は、主とお会いして、深い愛の交わりの喜びの中に導かれる事を思い、「今日か、今日か」とお待ちする「再臨待望信仰」をしっかりと持つ事です。あなたも、キリストを信じて罪の赦しの恵みに預かり、レフト・ビハインドにならないように、教会携挙の恵みに導かれ、さらに、イスラエルを中心とした平和なメシヤ的王国に導かれますようにお祈りします。