「突然やって来る主の日」
聖書:Ⅰテサロニケの手紙5章1節~11節
牧師:佐藤勝徳

現在、世界は神の怒りにより大飢饉、大地震、大疫病の流行、世界大戦などの戦争、独裁主義国家の増大による迫害と抑圧などの様々な厳しい災いや不幸な出来事が広がっています。それは、戦争が一切ない、又、エデンの園が回復したような大変美しいメシヤ的王国がやって来る前、つまりキリストの地上再臨の前兆としてキリストが預言された事が、次から次と成就している事を私たちに知らせています。キリストは時を見極める目を持つように教えられましたが、どうでしょうか。皆さんは、現代がどのような時か、聖書の預言に従って時を見極める目をお持ちでしょうか。聖書は7年の大艱難時代と呼ばれる、イスラエル民族と世界の人々の不信仰と罪に対するみ怒りの「主の日」が突然やって来ると教えています。それをパウロは「盗人が夜中に突如襲う事」と「妊婦に陣痛が突如襲う事」とに例えました。キリストはその事をノアの時代に突如大洪水が世界を襲った事を例にあげて教えています。「主の日」と言うのは、土曜安息日の事やキリストが復活をされた日曜日の事ではありません。旧約聖書の預言者たちは「主の日」を終末時代の神の特別な厳しい怒りの日として教えています。「主の日」は旧約聖書に16回使用されていますが、すべて終末時代の「神のみ怒りの日」を意味して使用されています。主なものは次の通りです。●「イザ13:6 泣きわめけ。【主】の日は近い。全能者から破壊が来る」。●「イザ13:9見よ。【主】の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする」。●「エゼ30:3【主】の日は近い。その日は曇った日、諸国の民の終わりの時だ」。●「ヨエ1:15 ああ、その日よ。【主】の日は近い。全能者からの破壊のように、その日が来る」。●「ヨエ 1:15 ああ、その日よ。【主】の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る」。「ヨエ2:1この地に住むすべての者は、わななけ。【主】の日が来るからだ。その日は近い。 2:2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日」。「ヨエ2:13地に住むすべての者は、恐れおののけ。【主】の日が来るからだ。その日は近い」。●「アモ5:20 【主】の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、そこには輝きはない」。以上の旧約聖書で預言されている「主の日」の災いを歴史的時間順に起こる事を預言しているのが黙示録6章から18章です。▲第1の封印の災い(反キリストの出現)。▲第2の封印の災い(戦争の災い)。▲第3の封印の災い(食糧難の災い)。▲第4の封印の災い(人類4分の1の死滅の災い)。▲第6の封印の災い(大地震、黒くなる太陽、真っ赤になる月、星の落下の災い)。◆第1のラッパの災い(地上と樹木が3分の1焼け、野菜などの青草が全焼する災い)。◆第2のラッパの災い(海の生物が3分の1死滅する災い)。◆第3のラッパの災い(人類の3分の1が死滅する災い)。◆第4のラッパの災い(昼も夜も3分の1の光が消滅する暗黒の災い)、◆第5のラッパの災い(いなごと呼ばれる悪霊による激痛の災い)。◆第6のラッパの災い(2億の悪霊により人類の3分の1が殺される災い)。■第1の鉢の災い(獣と呼ばれる反キリストの刻印を受けている者と、偶像崇拝者に酷い悪性の腫物が生じる災い)。■第2の鉢の災い(海が全て血となり海の生物が全滅する災い)。■第3の鉢の災い(川と水源が全て血となる災い)。■第4の鉢の災い(太陽の炎熱で人間が焼き殺される災い)。■第5の鉢の災い(世界が闇に覆われ、その為に人間は舌を噛むほど苦しむ災い)。■第6の鉢の災い(悪魔や反キリストの口から出た蛙と呼ばれる悪霊が、ユダヤ人撲滅のための最終会議に、全世界の王たちをハルマゲドンに召集する災い)。■第7の鉢の災い(大地震と約35キロもする雹が降り注ぐ災い)。以上の恐ろしい災いの期間はダニエル書で「7年」だと教えられています。その恐ろしい7年の大艱難時代の災いから逃れる道は一つしかありません。それは、全人類の罪の赦しの為に、十字架で身代わりの刑罰を受け、三日目に甦られたイエス・キリストを救い主だと信じる信仰によります。パウロは、キリストを信じて罪赦されたキリスト者の事を「光の子ども」とか「昼の子ども」と呼んでいます。逆にキリストを信じることを拒否した人の事を「夜や暗闇の者」と呼んでいます。「主の日」は、突如、盗人が襲うように、「夜や暗闇の者」に襲いかかりますが、キリストを信じた「光のこども」「昼の子ども」と呼ばれる、キリスト者には「主の日」が襲う事はないと教えています。それは「主の日」が突然に来る前に、空中に再臨されたキリストによって全てのキリスト者が、朽ちない栄光の体に変えられて、安息と喜びの天の父なる神の家に携挙されるからです。その事をパウロ次のように教えています。「Ⅰテサ 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです」と。 モーセ律法には、ユダヤ人が守らなければならない春の祭りと秋の祭りが定められています(レビ記23章)。それらの祭りは全てキリストの生涯を預言しています。春の祭りの過ぎ越し祭は、キリストの十字架の死を預言しています。日曜日の「初穂の祭り」は復活のキリストを預言しています。五旬節の祭りは、弟子たちに降った聖霊降臨を預言しています。春の祭の預言は既に全て成就しました。まだ成就していないのは、秋の祭りで預言されている事です。秋の祭りには、第7の月に「ラッパの祭り」と「贖罪日」と「仮庵の祭り」が定められています。「ラッパの祭り」教会携挙を預言しています。贖罪日は「7年の大艱難時代」を預言しています。仮庵の祭りは「メシヤ的王国」を預言しています。パウロは、キリスト者が7年の大艱難時代から救われる教会携挙の時に「終わりのラッパ」が吹かれると教えています。終わりのラッパとは、ラッパの祭りで最後に息の続く限り「ぷー」と吹き続けるラッパの事です。ラッパの祭りでは長さの異なる吹き方3種類がセットで99回吹かれた後に、終わりにラッパが息の続く限り吹かれます。それはメシヤ的王国の到来を信じて吹かれます。その終わりのラッパをパウロは「教会携挙」の到来にも吹かれると教えているのです。「Ⅰコリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」と。キリストの「空中再臨」と「教会携挙」と「主の日」の到来は、思いがけない時に突然やって来るのです。今日かもしれないのです。キリスト者は、今日、キリストが空中に再臨されても良いように、日々キリストの導きの御声に従うという、慎み深い良心的な生き方をし、隣人愛に満ちて歩むことが求められています。まだ、キリストを信じていない人は、今日、キリストを信じて「光の子ども」「昼の子ども」とされましょう。それが突如としてやって来る「主の日」と呼ばれる大艱難時代の恐ろしい災いから守られる心の準備です。あなたが、「主の日」の恐ろしい災いから救われますようにお祈りします。