「召しにふさわしく歩みなさい」
聖書:エペソ4:1~16節
牧師:佐藤勝徳

1、主の囚人パウロ

パウロは、エペソ4章1節で自分の事を「主の囚人」と呼んでいます。その第1の意味は、キリストを信じる信仰の弁明の為に、ローマの獄中に囚われの身になっているという事です。その事から、エペソ人への手紙は、パウロがローマの獄中で書いた「獄中書簡」と呼ばれてきました。第二の意味は、霊的な意味で、「キリストの愛と正義」に縛られ囚われている身であるという事です。パウロは、それほどキリストの愛と正義の素晴らしさに目が開かれていたのです。キリストは十字架にかかってまでも全人類の罪を願われた愛に満ちた方ですが、罪を悔い改めない者に対しては厳しい裁きをもって臨まれる罪と悪を忌み嫌われる正義のお方です。「キリストの囚人」の霊的な意味は、愛と正義のキリストを喜び賛美し、とりこになっている事です。それ故に、パウロは初代教会のエペソの教会の異邦人キリスト者に向かって「召されたあなた方は、その召しにふさわしく歩みなさい」と命じる権威が与えられていました。

2、神の僕として召されたキリスト者

私達キリスト者は神さまによって、神にお仕えする「神の僕」として召された者なのです。人間にとって何が一番幸福な事かと言いますと、聖書は罪びとがキリストを信じる信仰により、罪が永遠に赦され、神の僕として神さまにお仕えする身になる事だと教えています。キリスト者は、ただキリストを信じた信仰だけで、天地万物を創造されました愛と正義に満ち溢れた聖なる神さまの永遠の僕とされ、仕える者となったのです。その召しにふさわしい歩みと言うのは、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者で構成されている「一人の新しい人」、「キリストの御体なる教会」「天に国籍を持つ天の市民」、「神の家族とされている」者として、全てキリスト者と「御霊の一致」を熱心に保持する事です。「御霊の一致」と言うのは、頭の命令によって血が一つのからだの各器官を一致して働かせているように、キリストを頭とするキリスト者一人一人で構成されている御体である教会が御霊によって既に一致している事実に立って、聖霊の一致を保持する事です。全てのキリスト者はキリストにあって既に御霊によって一致の中におかれている「一人のあたらしい人」或いは「キリストの御体」を構成しているのです。既に全てのキリスト者はキリストにあって「御霊の一致」の中に置かれているのです。ですから、パウロは「御霊の一致を造れ」とは言わず「御霊の一致を保ちなさい」と命じたわけです。では御霊の一致を保つには、どうすればよいのでしょうか。

3、御霊の一致を保つ道

①謙遜

第1に謙遜である事です。謙遜は二つに分けて考えなければなりません。先ず愛と正義に満ちた神さまに対しての謙遜です。神さまへの謙遜は、神さまのみ心やご命令に喜んで聞き従う事です。次は、人に対しての謙遜です。人に対しての謙遜の意味は、自分を無にして全ての人を自分より優る尊い存在として喜び尊び、自分を僕の位置において仕える事を意味しています。その為に、聖書が教えている通りに、全ての人が大変尊いお方である神の形に肉体と霊が創造されている事実に立って、一人ひとりの存在を心で重く受けとめる事です。又、一人ひとりは個性が与えられ、それ故に一人ひとりの為の世界が与えられ、一人ひとりはその世界の王、或いは女王となっているという事実によって一人ひとりを重く受け止める事です。更に、キリストが人類の代表者として一人ひとりの罪を背負って、一人ひとりの罪の赦しの為に血を流されたほどに、一人ひとりが愛され尊ばれているという事実に立って一人ひとりの存在を重く受け止める事です。罪びとの一人ひとりはキリストの命と同じくらい大変価値のあり尊い存在なのです。その神の愛を預言者イザヤが次のように教えています。「イザ43:4わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」。聖書が教える以上の四つの視点から、短所と長所のあるあるがままの隣人を見て、一人ひとりの隣人の存在に心でずっしりと重さを感じる時に、隣人に対して謙遜の道を選び取るようになるのです。

 

②柔和

謙遜の次は「柔和」です。柔和は、字のごとく隣人に対して心を綿のように、羊の毛のように、柔らかいクッションのようにしておくことです。キリスト者は、聖書によって諭された罪の赦しの福音の真理や多くの真理を鉄のような心で堅く信じて揺るぎ無いようにしておく事が必要ですが、同時に、自分の信じる真理やその他の様々な考えに対して、隣人から批判を受けたり疑問を投げかけられれば、その批判や疑問に対してすぐに不愉快に思って跳ね返したり、心を固く閉じたりするのでなく、先ずはその批判や疑問を感謝して柔らかく受け止め、自分の信じる真理や様々な考えを服を脱ぐようにいったん傍らにおいて、隣人からの批判や意見を参考に、再度聖書的に建設的に再検討するという姿勢が必要です。それが「柔和」です。その「柔和」は、批判や疑問を投げかける隣人に対する謙遜から生まれてきます。謙遜と柔和はいつもセットで人の心に生じるものです。

以上の謙遜と柔和は、キリスト者が既に与えられている御霊の一致を保つ秘訣なのです。

4、謙遜と柔和を身に着ける秘訣

その謙遜と柔和を身に着けるためには、2000年昔に、キリストが十字架で死んだときに、自分の内に残存する傲慢で頑なな心である「古い人」はキリストと共に十字架で死んだという事実と、同時に、キリストと共に甦り「謙遜と柔和」の神の聖なる性質に与ったという勝利の福音の事実に聖霊様によって目が開かれておくことです。その事実に安んじる時に、聖霊が「柔和と謙遜」の道を選ばさせ歩まさせて下さるのです。キリスト者同志が御霊の一致を保つとき、どれほど多くのキリスト者が存在していても、神の目には一人の人のように見えるのです。それは、肉体の各器官が頭に従って一つになって働いているのと似ているのです。

異邦人であるキリスト者のあなたは、ユダヤ人キリスト者と一人の新しい人となっています。異邦人であるキリスト者のあなたはユダヤ人のキリスト者と、キリストの御体なる教会を構成しています。神さまは、そのあなたが、「謙遜と柔和」により、他の全てのキリスト者と「御霊の一致を保ちながら」、神さまの栄光の為の「善行」に励む、神の僕としてあなたを召されたのです。

キリストをまだ信じていないあなたも、キリストを信じてあなたの全ての罪が赦され、愛と正義に満ちた聖なる神さまの僕として召されますようにお祈りしています。