「御霊の一致を保つ道とその祝福」
聖書:エペソ4:1~16節
牧師:佐藤勝徳

1、キリストの御体なる教会の一器官として召されたキリスト者

1節に「召されたあなた方」とありますが、「召された」というギリシャ語のカレオーの意味は「呼ばれた」とか「呼び出された」です。教会と言うのは、キリストを救い主として信じたキリスト者が、天地万物の創造主の神さまによって、神さまに仕える僕、又、神の子として呼び出された者たちの集りだという事です。その召された全てのキリスト者によってキリストを頭とする一つの御体なる教会が造られているのです。全てのキリスト者はキリストの御体なる教会の一器官として既に完全な御霊の一致の中に、完全な相互愛、完全な相互扶助の関係の中に置かれているのです。それは、キリストにあっての目に見えない事実なのです。現実において目に見える形で御霊の一致を熱心に保ち、相互愛、相互扶助の関係の中にキリスト者が生きて、神さまのあらゆる祝福を世界にもたらす使命を全うする為には、先ずキリストにあって完全な御霊の一致の中に既に置かれているという、目に見えない霊的事実に目をとめて安んじて感謝しておく必要があります。その感謝と喜びが、現実の世界において「御霊の一致」を喜んで、熱心に保とうとする意欲を湧きあがらせるのです。

2、御霊の一致を保つ寛容と愛と忍耐

先週はその御霊の一致を保つために「謙遜と柔和」の必要性を学びました。それに続いてパウロは「寛容と愛と忍耐」」を取り上げています。寛容、は他者の欠点、問題点、単所を、又、色々なの違いを、更に自分に対する罪や失敗を、海のような、青い大空のような美しい心である善意に満ちて受けとめる事です。お互いが「御霊の一致」を保ち、相互愛、相互扶助の中に生きるには、美しい広い善意に満ちた心で、それらを受け止める寛容と忍耐が必要となります。率直に、自分の意見を言わなければならない時がありますが、それでも、相手のプライドや感情を考慮した知恵ある言葉が必要です。それは、寛容な心から生まれる建設的で建徳的な知恵ある言葉です。次に、愛です。愛は他者をあるがままで受けいれ、その他者の祝福の為には、必要とあらばキリストのように自分の命を、自分の全財産を差し出す覚悟の事です。三浦綾子さんの塩狩峠の主人公のモデルになた実在の30歳の長野政雄さんが、暴走する列車を自分の身を投げ犠牲にしてとめて多くの乗客を救った事は有名ですが、その長野政雄さんは、いつもポケットに遺言書入れて持ち歩いていたと言われています。そのゆ遺言書の内容は次の通りです。

一、火葬となし可及的虚礼の儀式を廃し 之に対する時間と費用とは最も経済的たるを要す 湯棺の如き無益なり廃すべし 履歴の朗読儀式的所感の如き之を廃する事
一、家族親族を待たずして二十四時間を経ば葬られたし
一、余が大罪ハイエス君にあがなはれたり 諸兄姉よ余の罪の大小となくすべてを免されんことを
一、余ハ感謝してすべてを神に献ぐ 諸兄姉よ余をして一層感謝すべく祈り給はんことを
一、我が家の歴史其他余が筆書せしもの及信書ハ之を焼棄の事
一、余ハ諸兄姉が余の永眠によりて天父に近づき 感謝の真義を味ははれんことを祈る 苦楽生死均く感謝なり

長野政雄さんのように、自分の損得、自分の名誉地位に囚われず、隣人の祝福の為に、キリストの如く命がけで仕える事が愛です。そのような愛こそが、キリスト者同士が御霊の一致を保つ道なのです。つまり、ガラテヤ書5章で教えられている「御霊の実」を魂に持つ事が「御霊の一致を保つ」秘訣なのです。 次に、パウロは御霊の一致を保つ理由について7つの「一つ」を教えています。

3、キリスト者を一致させている7つの一つ

①体は一つ:全てのキリスト者で構成されている地上のキリストの御体なる教会は一つという事です。
②御霊は一つ:キリストを信じた時に一人ひとりのキリスト者の霊の中に内住して下さった御霊は同じ一つの御霊であるという事です。
③望みが一つ:キリスト者の霊性がしみも傷もないイエス・キリストのような神の子となるという事、それがキリスト者に共通して与えられている一つの望みです。
④主は一つ:創造主の神を意味する主と呼ばれる人間は、十字架で全人類の罪を背負い、身代わりの刑罰を受けて死なれ、三日目にご復活をされたユダヤ人であるナザレのイエスだけであるという事です。
⑤信仰は一つ:罪が赦され永遠の命に与る救いを受ける信仰は、人類の罪の赦しの為に十字架にかかり、三日目にご復活をされたナザレのイエス・キリストを信じる信仰だけであるという事です。
⑥バプテスマは一つ:キリストに結び付けられ、キリストの十字架の死と復活に与るバプテスマは、教会が、キリストの名によって行う聖礼典のバプテスマだけであるという事です。
⑦父なる神は一つです:全てのキリスト者の上にあって支配し、全てのキリスト者を貫いて一つに繋ぎ、全てのキリスト者のうちにおられる父なる神は唯一の父なる神だという事です。

以上の七つの一つ一つ真理によって神さまは全てのキリスト者を結び合わせ、全てのキリスト者が心を合わせ(同じ心で)、一致して神に仕える者としているのです。それをパウロは「御霊の一致」と呼んでいるのです。全てのキリスト者は父・子・御霊と言う三つで一つの平和の神さまである三位一体の神さまが全てのキリスト者に内住し、全てのキリスト者を一つの絆のようにして結び合わせ、心を一致させているのです。全てのキリスト者は、神さまによってキリストにあって以上の7つ真理の絆で結ばれ完全な御霊の一致の中に召されているので、7つの真理をいつも保持しながら、その事に感謝し、喜び安んじながら、自分と関わる目の前の全てのキリスト者との関係において、また、世界に存在している全てのキリスト者との関係において「御霊の一致を熱心に保つ」ことが召しにふさわしい在り方だとパウロは教えました。御霊の一致を保つという事は、御霊の実である「謙遜と柔和と寛容と愛と忍耐と平和」の中に、御霊の導きに心を合わせて従う事を意味しています。

4、王の王、主の主であるキリストからの賜物の活用

次に、7節の「しかし」と言う言葉で御霊の一致がどのように保たれるのか、そのためには御霊の実である「謙遜、柔和、寛容、愛、忍耐、平和」という精神的な人格的要素とは異なる、個々人のキリスト者に与えられている御霊の賜物や能力や役割や奉仕の活用を教えています。それが、「私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」という事です。キリスト者は御霊によって一つにされていますが、個々人には恵みとして、キリストからの賜物として違った能力が与えられ、違った役割が与えられ、違った奉仕が与えられ、、違った御霊の賜物が与えられています。その賜物を与えて下さっているキリストは、地の底である「ハデス」に降り、そこから、旧約時代の霊魂の聖徒を全て引き連れて大空と宇宙空間(もろもろの天)を取って一番高いに天に昇られたました。それ故に、キリストは父なる神から地球の全ての領域、宇宙の全ての領域を愛と正義に基づく権威で満たす事を認定され、王の王、主の主となられたのです。それが10節の「この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです─」と言う意味です。キリスト者に与えられているもろもろの賜物は、その王の王、主の主となられたキリストから与えられた尊い賜物、絶対的な賜物ですので、決して比較して妬み合うことなく、互いに喜び合い、感謝し合い尊重し合う事が絶対に必要なのです。キリスト者は御霊の導きに従って主からの「賜物」をお互いが活用する事によって、御霊の一致が保たれて行くのです。

5、5つの職務と目的

その賜物の一つに教会指導者の職務があります。それは使徒、預言者、伝道者、牧師、教師の5つの職務です。その賜物を与えられた教会指導者の役割は、御霊の導きに従って全てのキリスト者を訓練し、それによって全てのキリスト者の賜物が豊かに開発され用いられて豊かな奉仕へと導く事です。その結果、教会は成長し建てあげられて、世界の人々を祝福する貢献度が更に豊かになっていくのです。

6、キリストの満ち満ちた人格に教会の霊性が引き上げられる 

御霊の一致を教会が熱心に保つときに与えられる祝福は、全てのキリスト者が「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」のです。つまり、教会がこの世界に貢献する奉仕において豊かに成長するばかりでなく、信仰の一致に到達し、神の御子に関する知識の一致に到達し一人ひとりの霊性が完全な大人となり、キリストの人格にまで成長していくのです。キリストの人格にキリスト者の霊性が似せられるという聖化の望み は、キリスト者が御霊の一致を保つ事によって実現して行くのです。教会の霊性がキリストの人格のように聖化させられていくという恵みと祝福は、キリスト者個人の努力や従順だけで成し遂げらるのでなく、教会全体で「御霊の一致を熱心に保つ」事によって与えられる神さまの恵みなのです。教会が御霊の一致を熱心に保つと、人の罪悪や悪魔の偽りの教えの風に吹きまわされたり、波にもてあそばれたりする事無く、愛をもって真理を語り合い、あらゆる点において成長し、霊性がかしらなるキリストに達するという祝福に与るのです。

あなたも、キリストを信じて、洗礼を受け、世界を祝福する使命を帯びているキリストの御体なる教会の一器官となられますようにお祈りしています。