「親子の健全な在り方」
聖書:エペソ6章1節~4節
牧師:佐藤勝徳

 

1、両親に従順な子どもへの祝福

パウロはキリストを信じて救われいてる子どもたちに向かって「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです」と、優しく呼びかけています。その理由はイスラエルの人々の為に与えられたモーセの十戒の中で、「あなたの父と母を敬え」が人間関係の一番初めの戒めとなっている事によります。第2に、その戒めに従う時に、イスラエルのその子どもたちは、神さまがイスラエルと結ばれた「アブラハム契約」で約束されている約束の地であるパレスチナの地において長く生きるという幸いが約束されている事によります(出エジプト記20章22節)。以上の子ども達に与えられた戒めと約束は、約束の土地以外は、パウロは全ての異邦人キリスト者の子どもたちに適用して教えています。長寿が約束されている事は、心の平安という祝福が同時に伴っている事を教えています。人間が健康で長生きする最大の秘訣は、「心の平安」です。心臓病の権威者である韓国の朴という先生は、患者さんの心が平安にならないと効くべき薬の効果が薄れてしまうので、薬を処方する前に、患者さんの心が平安になるための指導をされてきたそうです。その為に、朴先生は愛称で「平安先生」と呼ばれてきました。主にあって、両親に何事も従う子どもたちは、心に平安が与えられながら長生きする事が聖書の約束です。

2、主にあって両親に従うとは

子どもたちは、主にあって何事も両親に従順でありなさいと言う、パウロの教えは子どもを祝福する教えであって、決して子どもの人権を侵害するものではないのです。それが「主にあって」という教えで強調されています。聖書で「主」というのは、天地万物を創造された創造主の事を意味しています。創造主は天地万物の創造主であり、保持者であり、統治者なので、天地万物の王の王、主の主だと聖書は教えています。そのお方が、十字架で全人類の罪の赦しの為に、身代わりの刑罰を父なる神さまからお受けになり三日目にご復活をされ、今も天において人類の祝福を願ってとりなしの祈りを父なる神さまにお捧げになっている神の御子イエス・キリストです。「主にあって」というのは、十字架にかかってまでも人類の罪の赦しを願われた、創造主の神の御子イエス・キリストの無条件の愛によって愛されている喜びの中に生かされている事を意味しています。子どもが両親に従う事は、愛に満ちた「主」が祝福を与えんとしての戒めだと言う事を子どもが正しく理解して感謝して喜んで従う事ですので、それは子どもの人権侵害にはならないのです。

3、両親の子どもへの監督権

次に、パウロは子どもに対する親の正しい在り方を教えています。聖書は、子どもを養育している親は、子どもが幼い時から創造主の神さまに喜ばれる生き方を身に着けるように、教え、しつけ、監督するように命じています。旧約聖書の申命記6章では、、唯一の創造主の神さまを「心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして愛せよ」と教えられています。その戒めを、親たちは子どもたちの心に刻みこむように「良く教え込みなさい」と命じられています。伝道の書12章1節には、子どもたちに「あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ」と教えられています。親は、偶然によって人間が造られたという偽りの進化論の教えを科学的に正しく反論する知識を身に着け、正しく創造主の事を子どもたちに教え込む義務と権威が創造主によって与えられているのです。箴言22章6節にも次のように教えられています。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」と。

4、両親の子どもに対する正しい教育の在り方

子どもが、「主にあって」両親に従うには、親から主を信じるように教育を受けていなければなりませんので、親には子どもを小さい時から正しい信仰に導く監督権が与えられている事が分かります。ですからエペソ6章4節に次のように教えられています。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」と。

 

①子どもを怒らせてはならない

子どもが、親のしつけや教育に対して怒る怒りは二種類あります。一つは間違った「怒り」です。親が、子どものわがままな態度を厳しく戒める時、子どもの中には、自分のわがままな欲望が阻止された事に対して怒りを露わにして、親を困らせる時があります。それは、子ども自身のエゴによる間違った怒りです。もう一つは子どもの正しい怒りです。子どもの感受性は大変鋭いものです。親が自分を叱っているのは、親の名誉や利益の為という「親のエゴ」によっているのか、それとも、子どもの幸福を願う純粋な動機からなのかを感じ取るのです。子どもは親のエゴに対して「怒る」のです。その怒りを、子どもが素直に表す事が出来れば良いのですが、多くの場合は、その怒りを心の奥深くにしまい込み、心の傷となって残るのです。その心の傷が、子どもの健全な成長を妨げ、子どもが少年、青年へと大きく成長するにしたがって表面化し、子どもがぐれていくのです。子どもが情緒的に成長せず、素直に親に従ったり、良い人間関係を築く事が出来ない最大の理由は、幼い時に親から受けた心の傷にあるのです。

②主の教育と訓戒によって

パウロは続けて親に向かって「かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」と教えています。「主の教育」というのは、主から教えられた事、示された事をもって子どもを教育する事です。その為には、親が偉大な自分の創造主であり、救い主であるキリストによって、罪が赦され、愛されている安心感によって、また、エゴで生きる生まれながらの自分が、キリストと共に十字架で死に、キリストと共に甦って、無条件の愛で生きる新しい人にされたという安心感によって、主との深い交わりの中にいつも自分を置いておく事が必要です。その深い平安の中での主との愛のコミュニケーションがあって初めて、エゴによらず「主の教育」によって、子どもを教育する事が可能となるのです。親が主との深い愛の交わりがなければ、親は自分のエゴに囚われ、イライラして、子どもを傷つける言動が多くなり、子どもにどのように対処すべきなのか、判断能力を失ってしまう危険があるのです。

「主の教育」の後に、「主の訓戒」によって子どもを教育ししつける事をパウロは教えています。主の訓戒というのは、主の厳しい戒めという事です。親は故意の悪や罪に対する主の厳しい戒めをもって、子どもの故意のわがままや悪や罪に向き合わなければなりません。旧約聖書の箴言では、親が主の戒めによって、子どもの故意の悪や罪を厳しく対処する事を繰りかえし教えています。

③親の子どもに対する厳しい戒めについて

聖書は、主が、主を信じる者の故意の罪や悪にに対して厳格に戒められるように、親は、子どもの故意の罪や悪に対して厳格に戒めるように命じられています。その時、例え子どもが子ども自身のエゴの為に怒っても、その間違った子どもの怒りに対して親はそれに動じないで厳しく対処しなければならないのです。子どもを主にあって健全に養育する事は、親の大変重要な一大事業なのです。

◆「箴 13:24 むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。」

◆「箴 19:18 望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。」

◆「箴 23:13 子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。」

◆「箴 23:14 あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる」。

親は、健全な子育ての為に、キリストの「罪の赦しの福音」と「エゴからの解放の福音」により、愛と正義と謙遜に満ちた主との深い愛の交わりの中に生きておく必要があります。そうすれば、その親に、主は聖霊によって主の教育と戒めによって、子どもを監督し、教育し、しつける為の愛と知恵と権威と力を授けて下さるのです。

5、親が子どもを虐待しない為に

2022年度の統計ですが、インターネットで最近の親の子どもへの虐待について次のように教えられていました。「こども家庭庁によりますと、昨年度、18歳未満の子どもが親などの保護者から虐待を受けたとして児童相談所が相談を受けて対応した件数は速報値で、全国であわせて21万9170件でした。前の年度より1万1000件以上増え、過去最多を更新しました。・・虐待の内容別でみると、暴言を吐いたり、子どもの目の前で家族に暴力を振るったりする「心理的虐待」が12万9484件で最も多く、全体の59.1%を占めています。次いで、▼殴るなどの暴行を加える「身体的虐待」が5万1679件で全体の23.6%、▼子どもの面倒をみない「ネグレクト」が3万5556件で全体の16.2%、▼「性的虐待」が2451件で全体の1.1%となっています」。

よく言われるのが、虐待を受けて育った子は、自分が親になった時に、自分の子どもに虐待をするという事です。虐待の悪循環です。人間の生まれながらの罪の性質は暴力の性質です。パウロがローマ書3章で次のように教えています。「義人はいない。ひとりもいない。・・彼らの足は血を流すのに速く、 彼らの道には破壊と悲惨がある。 また、彼らは平和の道を知らない」。

親が、子どもに対してイライラカリカリしてエゴでしかりつけるのは、親の劣等感、体の疲労と病、経済的困窮、仕事の悩み、人間関係の悩み等色々な理由があります。しかし、最も根本的な原因は、主との愛の交わりの喪失にあります。人間は、主との愛の交わりが喪失すると、色々な事が原因となって罪の性質である暴力が顔を出して、イライラして暴言を吐いたり、暴力をふるったりするのです。その暴言と暴力は、身近な人間関係の中で、特に弱い立場にある人や子どもに向かい、それが、虐待と暴力の悪循環を生むのです。その虐待と暴力の悪循環を断ち切るのが、キリストの十字架の血による「罪の赦しの福音」により、罪深い者をあるがままの自分を無条件の愛で愛して下さっている神さまの愛を信じる信仰と、キリストの十字架の死と復活によるエゴからの解放という「きよめの福音」を信じる信仰によります。

子を持つ親の皆様が、又、親に育てられている子どもの皆様が、エゴによる虐待と暴力の悪循環から解放される為に、キリストの十字架の「罪の赦しの福音」とエゴから解放するキリストの十字架の死と復活の「きよめの福音」を得とくされますようにお祈りしています。