「神の大能の力によって強くされよ」
聖書:エペソ6章10節~24節
牧師:佐藤勝徳

1、神さまの偉大な大能の力によって強くされよ!

エペソ6章10節で、パウロはキリスト者を「終わりに言います。主にあってその大能の力によって強められなさい」と励ましています。その理由は、教会がキリストの十字架の罪の赦しと、エゴからの解放の「きよめの福音」を大胆に宣教しつつ、世の人々の必要に仕えていく教会となる為には、神の偉大な力が欠かせないからです。また、教会の使命を妨げようとする超自然的な悪の力を持つ、悪魔に対抗していくには神の大能の力が欠かせない事によります。パウロは、教会の戦いは目に見える人間との戦いではなく、目に見えない霊的存在の悪魔と悪魔に仕えて世界を支配している悪霊の隊長と悪霊共との戦いだ教えています。その霊的戦いに勝利する力は神さまの偉大な大能の力だけですので、キリスト者は霊的戦いにおいて勝利する為に、神さまの偉大な大能の力で強くされる事が不可欠なのです。

2、「終わりに言います」の意味

「終わりに言います」と訳されているギリシャ語原文には、終わりという言葉がありません。「終わりに言います」と意訳されているギリシャ語はTou/ loipou/(トウー ロイプー)という言葉で、直訳しますと「この(その)他の」となります。それは、エペソの教会では、既に良く知られていた「この(あの)他の(事)」であったのです。それが、神さまの偉大な大能の力を意味しているのです。

3、エペソ書で教えられている「神の力」

神さまの偉大な大能の力は、キリストを救い主と信じる者に働く力であり、その力は、「死んだキリストを甦らせた」とパウロは教えています。神さまの偉大な大能の力は、キリスト者の心を強めるだけでなく、死んだキリストの遺体に働いて甦らせたように、キリスト者の肉体にも働いて肉体を強めて下さるのです。「1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。・・2:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、・・3:7 私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。・・3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。・・3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、・・3:20 どうか、私たちのうちに働くによって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に」」

4、創造主の力は無から天地万物を創造し、保持し、統治する力

創造主の偉大な大能の力は、創造主の愛と正義と知恵と目的とご計画と共に働き「天地万物を」を無から創造し、保持し、統治している力です。神さまが「天地万物」を創造されたと聞くと、多くの人は「神話」のように聞こえる事でしょう。それは、学校や報道機関を通して多くの科学者によって天地万物の起源は、「偶然の積み重ねによる『進化』の結果」だと繰り返し教えられ、聞かされ、洗脳のされてきた事によります。「洗脳」というと失礼かもしれませんが、本当に多くの日本人と多くの世界の人々が「進化論」を洗脳的に叩き込まれているのです。「進化論」の間違いは、少し考えればすぐに分かる事です。それは、私たちの住んでいる世界には、物質は知恵の無い偶然では意味のある物、目的のある物、秩序正しい物は造れないという絶対的科学的法則が存在している事によります。その法則を多くの科学者は無視し、万物は偶然の積み重ねで造られたと嘘の情報を流し続けているのです。岩石類、鉱物質類、雨、水、雲、動植物、人間など全ては、緻密な構造をしている原子によって造られています。現在118種類あると言われている原子の組わせの違いで違った物資が出来ているのです。原子で造られている全ての物質は、知恵と力を働かせなければ意味のある目的のある物として造られる事はありません。人間は色々と知恵を使って、自動車、飛行機、冷蔵庫、テレビ、スマホ、パソコン、時計などを造っています。それらは偶然ではなく、人間の知恵と力を働かせた結果です。そのように、目的と意味のある物は偶然によらず、誰かの力と知恵により目的と計画によって造られている事が分かります。では、人間の知恵と力では造る事が出来ない、非常に緻密にできているあらゆる植物、生物、動物、地球や宇宙はどうでしょうか。知恵の無い偶然の力では意味のある目的のある緻密な物は造れないという「科学的法則」によりそれは否定されます。それらが知恵の無い偶然で造られる事がなければ、答えは、全知という完全な知恵のある創造主の偉大な大能の力によるという事になります。それは、3歳ぐらいの子どもでも理解ができる科学的事実です。聖書によりますと創造主の偉大な大能の力には、永遠に変わらない全知の知恵と愛と正義と善意とがいつも伴っていますので、そのお方の力でキリスト者が心身とも強くされると神の知恵と愛と正義と善意にも満たされるのです。その力は、キリストにより聖霊を通して与えられるのです。また、その力は病も奇跡的に癒すのです。イエス・キリストは約3年の公生涯において、あらゆる病を癒し、多くの奇跡をなさいました。聖書は、そのイエス・キリストから神さまの偉大な大能の力が出て行ったと教えています。「ルカ 6:19 群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた。イエスからが出て、すべての人を癒やしていたからである。」

5、主にあっての意味

①洗礼の意義(受動的な意味の「主にあって」)

以上のように、キリストにある神さまの偉大な大能の力は、キリストを信じるキリスト者の心身ともに強める力であり、万物を自由にコントロールできる力です。その力がなければ、キリスト者は召しにふさわしく「御霊の一致を熱心に保って」歩む事は出来ないのです。その理由は二つあります、第1に、貪欲にさせる罪の原則に支配されている罪の性質持ったエゴの塊である古い人がキリスト者に残存している事です。第2に、悪魔の超自然的な力が働いてキリスト者の歩みを妨害をするからです。この二つの悪の力から私たちを解放するのが、主の偉大な大能の力なのです。その偉大な力によって強くされるヒントは、「主にあって」という言葉です。「主にあって」と言う言葉の意味は、受動的な意味と能動的な意味の二つが有ります。受動的な意味は、キリストを信じて洗礼を受けたキリスト者に残存している古い人は、キリストと共に十字架で死に、共に葬られ、共に甦り、共に天の父なる神の右の座に着いているという事です。(参照:ローマ6:3~5、ガラテヤ3:7、コロサイ2:12)

②受動的にキリストにある者とされた理由

ではどうして、私たちは受け身の受動的な意味で「キリストにある者」とされたのでしょうか。それは、最初の人アダムが全人類の代表者として創造された事にあります。アダムは、全人類を包含する全人類の代表者として創造されましたので、アダムがエデンの園で罪を犯した時に、全人類も共に罪を犯し有罪となり、共に罪に堕落し霊的死んだ言うのがパウロの教えです。(参照ロマ5:18、Ⅰコリ15:22 )。キリストが最後のアダムと呼ばれるのは、最初のアダムの内に包含されて罪に堕落した全人類を終わらせる為の、全人類の最後の代表者として父なる神さまによって遣わされた事によるのです。最初のアダムは、最後のアダムであるキリストのひな型として創造されていたのです。(ローマ5:14)。キリストが2000年の昔にユダヤのベツレヘムにお生まれになった事は、最後のアダムとして誕生をされた事を意味しています。最初のアダムに包含されて罪に堕落した全人類は、最初のアダムから切り離されて、最後のアダムであるキリストに結びつけられ包含されたのです。ですから、約2000年の昔キリストが十字架でに死んだ時に、キリストに結び付けられ包含されていた罪に堕落した全人類も共に死んだのです。パウロが次のようにそれを表現しています「Ⅱコリ5:14私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです」と。

そのキリストとの十字架の共同の死と共同の復活という「きよめの福音」の適用に与るのは、キリストを救い主とし信じて洗礼を受けた者に限るのです。キリストを信じて、洗礼を受けた全てのキリスト者は2000年昔にキリストと共に十字架で死に、キリストと共に甦り、キリスト共に天の父なる神の右に座すという「きよめの福音」に与っているのです。

 

6,主にある者は既に強い!

キリストと共に十字架で死に、共に葬られ、共に甦り、共に天に座している「主にあるキリスト者」は、弱い者でしょうか。それとも、キリストにあって既に強い者とされているでしょうか。既に、強い者とされているのです。この地上に生きているキリスト者が身も心も、キリストにあってその偉大な大能の力にによって強くされる方法は、キリストにあって天に導かれている自分がキリストにあってすでに強いものとされているという事実に立って、「わたしは強い。だから強くあれ」と宣言する事です。その信仰の宣言により、神の偉大な大能の力がそのキリスト者の心身に聖霊によって働き、超自然的な力を持つ悪魔に立ち向かわせ、神の御心に叶った歩みをさせるのです。

7、神の偉大な力が継続的に与えられる秘訣(能動的な意味のキリストにあって)

神の偉大な力が継続的に注がれ続けるには、更にいくつかの秘訣があります。第1に、神のなさる事はいつも喜ばしき讃えるべき最高最善の御業、ベストの御業だという事実を認め続け、神とその御業をいつも喜び賛美する事です。

第2に、キリストと共に十字架で古い人が死に、共に甦り、共に天の父なる神さまの右の座に座しているという「きよめの福音」に立ち続ける事です。第3に、キリスト者の霊の中におられる、キリストの細き導きの御声に忠実に従い続ける事です。使徒行伝には、従う者に聖霊がいつも注がれる事が教えられています(使徒5:32)。コンセントによってそこにある電気に繋がったときに、電気の力が流れて電気機器は動かされ、光がともり、熱が生じます。そのように、キリストの内に神さまの偉大な大能の力がありますが、キリストに日々従う事によってキリストにつながっていなければ、神さまの偉大な大能の力が聖霊によって継続的に注がれません。キリスト者の霊に内住されている魂の監督者であり牧者であるキリストの細き御声に、日々聞き従う事が神の偉大な大能の力が継続的に注がれる秘訣です。キリストに日々従がう事が能動的な意味の「キリストにあって」という事です。第4に、、霊的良き習慣を保持する事です。日曜日の礼拝を厳守する事、日々聖書を読み祈りの時を持つ事、更に日々福音を伝える事に心を燃やし、福音を伝える努力をし続ける事です。この4つの良き霊的習慣はあなたがキリストから神さまの偉大な大能の力で強くされて歩む秘訣です。

あなたも、キリストを信じて洗礼を受け、キリストにある者とされてキリストにある神さまの偉大な大能の力で強くされ、神の愛と正義と知恵に満ちた祝福された力強い人生を歩まれますようにお祈りしています。