「神の武具/真理の帯」
聖書:エペソ6章10節~24節
牧師:佐藤勝徳

【真理の帯】
パウロは、悪魔の策略に対抗する武具として先ず「真理の帯」を掲げています。キリスト者が心の腰にしっかりと締めなければならない真理とは何でしょうか。

1、天地万物と人間は創造主による神の作品であるという真理の帯

第1番目に、創造主の神さまが天地万物を創造されたという真理です。現在、偽りの父である悪魔は、進化論の父と呼ばれるダーウインによって、天地万物は偶然の積み重ねの進化によって存在したという、偽りの教えを世界に広げる事に成功しています。しかし、聖書は、天地万物は偶然の積み重ねによる進化によってでなく、創造主が6日間で創造された事が歴史事実だと教えています。(創世記1章)。又、聖書は現在の私達人間は、創造主の神さまが、ご自身の設計に基づきそれぞれの母の胎内で創造して下さった結果だとはっきりと教えています。「詩篇139:13それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」。キリスト者が悪魔の策略に打ち勝って悪魔を退散させ、平安と喜びの中に生きて行くには、先ず、天地万物と人間は創造主によって創造された神さまの愛の作品だという真理を揺るぎない心でしっかりと心に刻印する事です。

2、天地の造られる前に選ばれていたという真理の帯                                     第2番目の真理の帯は、私達キリスト者は、天地万物の造られる前から、キリストにあって天上の全ての霊的祝福に

よって既に祝福された者であり、しみも傷もない神の子となるようにと、神に選ばれたという真理です。(エペ1:3・4)

3、地上に再臨されるキリストによって1000年のメシヤ的王国が実現するという真理の帯

第3番目の真理の帯は、創造主の神さまはイスラエルと結ばれた四つの無条件契約である「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」の成就として、再臨のキリストにより、イスラエルを中心とした「メシヤ的王国」が実現するという真理です。再臨のキリストは、サタンは1000年の間陰府の「アビッソス」に閉じ込められます。(黙示録20:1~7)。この地上から武器を一掃されます。肉食動物を草食動物にされます。災いや病気は罪が減少させます。エデンの園のように美しい自然にされます(イザヤ65:17~25)。再臨のキリストはそのような愛と平和に満ちた「メシヤ的王国」をこの世界に実現されるのです。パウロはローマ書15章で、キリストが割礼のあるユダヤ人としてこの世界に来られたのは、神さまがイスラエルと結ばれた4つの無条件契約を必ず実現されるいう確証の為であったと教えています。「ロマ 15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためである」と。再臨のキリストによる1000年のメシヤ的王国の実現を信じて、イスラエルを祝福するキリスト者は、災いをもたらそうとする悪魔の策略に打ち勝ち、彼を退散させ、神さまによって霊的にも、経済的にも、物質的にも、健康的にも祝福されるのです。

4、キリストの十字架の罪の赦しの福音に与るのは信仰のみによるという真理の帯

第4番目の真理の帯は、キリストが十字架で全人類の罪を背負って身代わりの刑罰を受け、全人類の罪を取り除かれたという福音の真理です。その真理を信じる信仰によって、永遠に自分は罪が赦され永遠の義人になったという救いの恵みを心に刻み安んじる事です。キリストの十字架による罪の赦しの福音を堅く信じて安んじる事が心に真理の帯を締める事です。キリストを信じる信仰により、永遠に罪が赦され義とされ永遠の命に与った私たちは、天の御国だけでなく、必ず再臨のキリストが王となる「メシヤ的王国」に導かれ、愛と平和と喜びに満たされて1000年間を暮すのです。今の私たちは、メシヤ的王国元年からメシヤ的王国1000年まで必ずそこに存在するのです。そして、メシヤ的王国の霊的祝福、物質的祝福、平和の祝福をしっかりと享受するのです。その恵みと救いに与るのはキリストを信じる信仰のみによるのです。「エペ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」。

5、「聖(きよ)めの福音」という真理の帯

第5番目の真理の帯は、キリストの十字架の死と復活による「聖(きよ)めの福音」です。キリストが十字架におかかりになったのは、私たちの罪の赦しの為だけでなく、自然と罪を犯す罪の生産工場となっている罪の性質をもって生まれた古い人の私達が十字架でキリスト共に死ぬ為、キリストと共に葬られる為、更にキリストと共に甦り神の聖なる性質に与って罪を犯さない新しい人となる為、更に更にキリスとト共に天の座に着く為でした。それが「聖(きよ)めの福音」です。パウロは、この「聖(きよ)めの福音」に立って、キリスト者の地上での正しい在り方を説いています。

「エペ2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」。

①バプテスマの意義

パウロは、キリスト者がバプテスマ(洗礼)を受けた時に、キリストと共に死に葬られ、共に甦ったという事を繰り返し教えています。それがバプテスマ(洗礼)の神秘的意義です。「ロマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(他、ガラテヤ3:27、コロサイ2:12)

②全人類の代表者キリスト(最後のアダム)

では何故、私たちは、2000年の昔にキリストと共に十字架で死に、共に葬られ、共に甦って神の性質を持つ新しい人にされたと言えるのでしょうか。それは、キリストが人類の代表者として遣わされた事によります。キリストお一人で、全人類の罪を十字架で取り除くことが出来たのは、キリストが神の前における全人類の代表者であった事によります。全人類の代表者というのは全人類を包含しているものです。全人類包含するキリストが約2000年昔に十字架で死んだ事は全人類も十字架で共に死んだ事を意味しています。パウロは次のように教えています。「Ⅱコリ5:14ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」 全人類の為のキリストの十字架の死は、全人類の罪を取り除く為であったと同時、全人類が共に死ぬという共同の死であったのです。(参照:ガラテヤ6:14)

パウロは全人類の代表者のキリストを「最後のアダム」と呼んで、最初のアダムと比較しています。(Ⅰコリント15:45)。最初のアダムはキリストのひな型として全人類を包含する全人類の代表者として創造されました。それ故に、彼がエデンの園で罪を犯したとき、全人類も彼と共に罪を犯したとパウロはローマ書5章で教えています。「ロマ5:14アダムはきたるべき方のひな型です。・・ロマ5:19ひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされた」。

キリストは、地上における全人類の2番目の代表者でしたが、最後の代表者でもあったので、パウロはキリストを「最後のアダム」と呼んでいます。最後のアダムであるキリストがユダヤのベツレヘムにお生まれになった時に、最初のアダムに包含されていた人類は、その最初のアダムから切り離されて最後のアダムであるキリストに結びつけられたのです。神さまは全人類の代表者であるキリストに全人類を包含させられたので、全人類はキリストと共に十字架で死に、共に葬られ、共に甦ったのです。それが2000年昔、エルサレムで起きた出来事です。そのキリストの救いは、キリストを信じて洗礼を受けたキリスト者に適用される事をパウロは教えているのです。

6、告白すれば「すぐに罪が赦される福音」という真理の帯

第6番目の真理の帯は、キリストの十字架による罪の赦しの福音に基づき、日々犯す良心の呵責を覚えるどのような罪も、心から悔い改めて告白すれば、父なる神はキリストの十字架の血によってその告白した罪と、知らずして犯した無意識の罪をも含めて、すぐにお赦し下さるという「即赦される福音」です。それを真理の帯としてを心に刻む時に、平安の中で神さまとの愛の交わりを楽しむ事ができるのです。キリストの十字架の贖罪の血は、信じる者を永遠に赦すだけでなく、日々犯す罪を心から悔い改めて告白すれば、父なる神はすぐに赦さなければならない義務を負わせる力ある血なのです。良心の呵責を覚える日々の罪は、告白すれば「即赦される福音」の真理をしっかりと心に刻みましょう。「Ⅰヨハ 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。

7、神はいつも最善をなされているという真理の帯

第7番目の真理の帯は、創造主の神さまは、ご自身の愛と正義と完全という善なる性質に基づいて、いつも万物に対して、全人類に対して最善をなされているという真理です。神さまがいつも最善をなされている事を詩篇では次のように教えています。「詩 119:68 あなたは善にして善を行われます」と。伝道の書では「3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と教えています。神さまは人類と万物に対していつも最善をなそうと心を燃やされているのです。

◆神の善意と罪びとの意思と悪魔の悪意が複雑に入り組んでいる罪に堕落した世界

私たちの住んでいる罪に堕落した世界には、人格的な意思をもって活動している存在が5つあります。第①は創造主の神さまです。第②は神さまに仕えている善天使です。第③は罪びとの私達人類です。第④はサタンと呼ばれる悪魔です。第⑤はサタンに仕えている悪霊共です。神さまと神さまに仕えている善天使には悪意は一切ありません。善意のみをお持ちです。神さまの善意というのは、愛と正義に基づいて人類の一人ひとりにとって、又、動植物などの万物にとって何が最善なのかを判断して行う意思の事です。罪びとの私たちは善意で生きたり悪意で生きたりしていますが、悪魔や悪霊共にはその名の通りに悪意しかなく、善意は存在しません。罪びとと悪魔や悪霊共の悪意とは、自分の邪悪な野望や貪欲を満たす為に、人や動植物をなどを利用しようとする意志です。その為には人の命や動物の命を残虐的に奪う恐ろしい意思で、自然界をも荒らてしています。私たちの住んでいる世界は、神さまと善天使の善意と罪びとの善意と悪意悪魔や悪霊共の悪意が複雑に入り組んで、犯罪や戦争、病気や様々な災いが起きています。悪魔は偽りの父であり、人殺しですので、彼はこの世界に偽りの思想を吹き込んで偽の宗教を起こし、創造主の神さまから人を切り離し人を真の幸福から遠ざけようとしています。また、彼は人殺しですので様々な災いを起こし、人間が差別や戦争や災いで苦しむのを楽しみ自分の食べ物としています。全てではありませんが、多くの自然災害の背後に悪魔の働きがあるのです。又、全てではありませんが、人間を互いに憎しみで殺し合いをさせたり、欲望の為に戦争をさせたりしているのが悪魔と悪霊どもです。ヨブが体験した天災と人災は悪魔による災いだと聖書は教えています。「ヨブ1:12 【主】はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない」。神さまの許可を得た悪魔は、人災でヨブの子ども達10人を殺害し、天災と人災でヨブの財産を失わせ、ヨブに厳しい皮膚の病を負わせました。しかし、そうした災いをもたらす人間と悪魔と悪霊どもを支配しているのが、善意だけをお持ちの神さまです。神さまは人間と悪魔の悪意による悪を、神さまの愛と正義に基づく善意でコントロールされ、最善のみがこの世界に起きるようにされています。悪魔と罪びとが望む全ての悪や災いが全てこの地上に起きているのではないのです。神さまが最善として判断され許可された悪や災いだけがこの世界に起きているのです。私達は、神さまのなさる事の意義を全て知る事はできませんが、間違いがないのは、神さまはいつも一人ひとり、動物の一匹一匹に、植物の一つ一つに対していつも最善のみをなそうと心を燃やしておられるお方だという真理です。

現在、世界各地でのメガファイヤーで多くの人や動植物が苦しみ滅んでいきます。又、大地震、大洪水、火山の大噴火などの大災害で多くの人や動植物が苦しみ犠牲になっていきます。更に戦争で多くの人や動植物が苦しみ犠牲になっていきます。その背後に人間と悪魔と悪霊どもの悪意と貪欲が働いています。神さまは、痛みつつも、それらの災いや苦しみを体験する事が、人類と動植物にとって最善と判断されれば、その事を体験させておられるのです

【終わりに】

今日は以上に7つの真理の帯を学びました。その真理をしっかりと心に刻みながら歩むことが、神の武具としての真理の帯を締める事です。その真理の帯は、私たちに喜びと平安を与え、私たちが悪魔の策略に対して堅く立って抵抗させ、悪魔を退散させる力を与えるのです。あなたも、キリストを信じて7つの真理の帯を締め、悪魔を退散させる聖徒になられますようにお祈りしています。