「天の故郷にあこがれて」
聖書:へブル11章13節~16節
牧師:佐藤勝徳

1、死後、罪びとには神さまの裁きがある

へブル書の著者は「(へブル9:27人は一度死ぬ事と、死んだ後に裁きを受ける事が定まっている」と教えています。私たちは、日々罪を犯す罪びとです。罪には故意の罪もあれば、過失の罪もあり、大きな罪もあれば小さな罪もあります。いずれにしても罪は裁かれなければならないという真理は、誰もが良心の働きを通して知っています。しかし、本来人間の罪を裁く資格のある方は、罪が一切ない創造主の全知全能の聖なる神さまだけです。罪ある者は、誰も裁く資格ありません。また、全てを100%知っていなければ、正しい裁きをすることが出来ません。また、その正しい裁きを実行する為に誰にも邪魔されない全能の力を持った権威のある方しか裁くことができません。人は一度死ぬ事と、死んだ後、全知全能の聖なる神さまによって裁かれる事が定まっているのです。

2、死後、人が神の裁きから逃れる道

その神さまの裁きから人は本来逃れる事はできませんが、全知全能の聖なる創造主の神さまは、憐れみ深い愛に満ちたお方ですので、罪びとの一生涯の罪が赦されてその裁きから逃れる道を備えておられます。その事を知っていたのが、旧約聖書に登場する、天の故郷にあこがれていたイスラエル民族の先祖であったアブラハムと妻サラ、その子孫のイサク、ヤコブ達であったのです。彼らの事をへブル書の著者は「信仰の人々」と呼んでいます。彼らが何を信じていたかと言いますと、先ずは天地万物を創造された全知全能の聖なる創造主の存在を信じていた事です。(参照:創 14:22~23) 旧約聖書の時代において、聖なる全知全能の創造主から、罪が赦されて永遠に裁かれない為には、まず、天地万物の創造主を信じる事が求められたのです。アブラハム達は、神が創造された天地万物を観察して、天地万物は創造主によって創造された神さまの愛の作品だという事を確信する事が出来たのです。神さまは、ご自身が創造された天地万物を通して、誰もが創造主のご自身を信じる事が出来るように示されているのです。ですから、誰も「創造主」を知りませんとは言えないのです。パウロが次のように教えています。「ロマ1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」と。

3、旧約時代に神さまによって罪赦され義とされた信仰

アブラハム達は、創造主が愛と正義と知恵と力によって天地万物を創造されたという事を信じる信仰をもって歩んだ「信仰の人々」でした。更に、彼らは、創造主が約束された事は必ず実現すると信じていたので「信仰の人々」とよばれていました。創造主の神さまが彼らに約束された事は、「子孫の増大」、「約束のカナンの土地の付与」、「世界を祝福する民族となる」という三つの約束です。それを「アブラハム契約」と呼びます。アブラハムは100歳、妻サラは90歳の時に約束の子イサクが与えられました。妻サラは元々不妊の女性でした。アブラハムは種を宿す力のない老人でした。しかし、それでも二人は神さまは必ず約束を実現される真実な全知全能の神さまだと信じ続けたのです。その結果「イサク」が与えられました。また、イサクとその息子ヤコブも同じ「アブラハム契約」を直接神さまから聞かされ、その約束を信じ続けました。それ故に彼らは「信仰の人々」と呼ばれたのです。旧約時代では、創造主が天地万物を愛と正義と知恵とお力で創造された事を信じる事、創造主は罪を悔い改めれば赦されるという事、そして創造主が約束された事は必ず実現すると信じた人は、その一生涯の全ての罪が赦され永遠の義人と認められていたのです(参照:創 15:5~6 )。アブラハム達は約束の一部を受けましたが、子孫が空の星のように海の砂浜の砂のように増大するという事と、約束のカナンの土地を受けるという事と、世界の諸国を祝福する民族となるいう3つの約束の実現を見ないままに死んでいきました。しかし、彼ら決して失望しませんでした。神さまは時が来れば、必ず自分たちを復活させてでもその約束を実現して下さると、絶対的に信じて安んじて死の床についたのです。そのアブラハムの信仰がヘブル書で教えられています。「ヘブル11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。・・・11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」

アブラハム、イサク、ヤコブ、サラたちは復活の朝を待って現在も「マクペラの洞穴」で眠っていると聖書は教えています(参照:創世記23:29、25:9、49:30、50:13)。マクペラの洞穴は現在イスラエルと紛争が起きているガザ地区の北部から東にある死海の途中にあります。信仰の人々と呼ばれている旧約時代の聖徒達の希望は、創造主の神さまが「アブラハム契約」に従って、自分たちを必ず復活をさせて下さり、約束のカナンの土地を踏ませ、多くのイスラエルの民を見させ、そのイスラエルを通して世界の諸国が祝福されている事を見させて下さると、希望を抱いて死んでいったのです。その彼らには特別にもう一つの希望が約束として与えられていました。その約束は旧約聖書には直接的に教えられていないのですが、へブル書の著者が教えています。それは、死後、霊で天の故郷に導かれるという約束でした。「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです」。彼らは、神さまから「故郷」に導かれるという約束を受けましたが、それは地上の故郷「ウル」の事でなく(参照:創11:31)、天の故郷だと信じたのです。彼らの肉体が死んで眠ったとしても、自分たちの霊は、病気もない、苦しみもない、死もない、平安と喜びと聖なる笑いが永遠に続く天の故郷に導かれると確信したのです。その信仰の表明として、彼らはどんなに豊かになっても立派な家を建てて定住生活をせず、常に移動する天幕生活に徹したのです。その彼らの生き方に不思議を感じた人々に、自分たちは「天の故郷」を目指している、地上の旅人、寄留者だ告白しながら歩んだのです。(参照へブル11:9~10)。その彼らの信仰を見て、神さまは彼らを恥とされず、天に彼らの為に「都」を準備されたのです。

4、三つに無条件契約の追加

旧約時代の信仰ある聖徒たちの死後の希望は、第1に肉体が復活をしてアブラハム契約の成就を受けるという希望でした。そのアブラハム契約の約束は、時代が進むにつれて段々と深く進展し、更に三つの無条件契約が付け加えられました。それは先ず、モアブの地でイスラエルと結ばれた「モアブ契約」と呼ばれる「カナンの地」を無条件で与えるという「土地の契約」でした(申命記29章、30章)。次に、その土地でダビデの子孫であるメシヤが王となるという「ダビデ契約」でした(Ⅱサムエル7:11~17、Ⅰ歴代17:10~14)。更に、ダビデの子孫であるメシヤを王として迎える全てのイスラル民族の霊性の回復という「新しい契約」でした(エレミヤ31:31~34)。イスラエルの預言者たちは、その「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」の成就として、旧約時代の信仰の人々が復活する事、自然がエデンの園のように美しい自然に回復する事、肉食動物が全て草食動物になり、動物同士の平和、人間と動物の平和、更に、戦争が一切ない平和な世界になる事を預言したのです。そのイスラエルを中心とした「メシヤ的王国」がやって来る事が繰り返し預言されています。(参照:イザヤ2:1~5、11:1~112、65:17~25)。旧約時代の信仰のある人々は、第1に「メシヤ的王国」に復活の体に与って必ず導かれるという希望を大変強く抱いていたのです。(イザヤ26:19、ダニエル12:2)。第2の希望は、アブラハム達のように、死後の自分たちの霊は、死や病や苦しみが一切ない、愛と平和と喜びと聖なる笑いが永遠に続く「天の故郷」へ導かれるという希望でした。その事を彼らは信じて「あこがれていた」というのです。その約束は、キリストが十字架で死に、三日目に甦り、40日後天に昇られた時に、「ハデス」(陰府)のアブラハムの懐で安んじていた信仰の人々と呼ばれる旧約時代の全ての聖徒を連れて昇られ成就しました。その彼らの事をへブル書では「全うされた義人の霊」と呼んでいます(へブル12:23)。旧約時代の信仰ある人々の力強い信仰の息吹を感じます。私たちはどうでしょうか。聖書が約束する死後の希望に、日々あこがれながら、強く求めながら、地上の生活を歩んでいるでしょうか。

5、新約時代に神さまによって罪が赦され義とされる信仰と希望

新約時代の私たちが、死後の希望に満たされて歩む秘訣は、第1に、キリストが私たちが受けなければならない罪の刑罰を十字架で身代わりにお受け下さったことを信じる信仰によって神さまから罪赦され永遠の義人と認められている事です。(参照ロマ3:22)。十字架のキリストを自分の救い主だと信じる信仰によって義とされた人は死後、4つの偉大な希望に与ります。第1は、旧約時代の「信仰の人々」があこがれた「天の故郷」へ導かれる事です。(参照ヘブル12:22~23)天の故郷には、先になくなった信仰の人々、父なる神さま、御子なるキリスト、無数の天使がおられ、キリストが携えあげられた十字架の血があるのです。迫害が厳しく殉教者も多かった初代教会の時代に、へブル書の著者は、殉教したとしても、その霊は必ず天の故郷、天の都に導かれて、先に天に導かれている、教会の聖徒達の霊、アブラハム達など旧約時代の全うされた義人の霊たち、更に父なる神さま、主イエスさまと出会い、キリストが天に持っていかれた十字架の贖い尊い血を見ながら、永遠に続く愛に満ち溢れた素晴らしい交わりの中に導かれる事を教え解いたのです。キリスト者の第2の希望は、死んだ体が必ず永遠に罪を犯さない永遠に朽ちない栄光の体で甦り、霊と一つにされて再び天の故郷へ導かれる事です。それは、キリストが空中に再臨された時に与えられる約束です。その時、私たちの心、感情、知性、意思は完全にされ、空中に来られたキリストの愛を完全に知って、大変深い感動と喜びに満たされるのです(参照Ⅰテサロニケ4:16~18)。キリスト者の第3の希望は、復活した体で天に導かれ、しばらく天の故郷で過ごした後、キリストがイスラエルと約束されたあの素晴らしい「メシヤ的王国」に導かれる事です。キリスト者は「メシヤ的王国」の平和を存分に楽しみながら、王なるキリストに仕え、世界の人々を祝福する為に愛と正義に満ちた完全な生き方をするのです。また、そのメシヤ的王国において、神様がイスラエルの人たちと結ばれた4つの無条件契約の成就としてのメシヤ的王国を体験し、神が如何に約束に忠実なお方であるかを知り、神さまを賛美するのです。キリスト者の第4の希望は、黙示録21章で約束されている「新天新地」に導かれる事です。1000年続くメシヤ的王国(参照黙19:1~6)がどれほど素晴らしい世界であってもやはり罪に堕落した世界ですので、死もあり、不信仰もあり、罪もあります。その為1000年の後に、神さまによって宇宙の万象と共に、轟音を立てながら焼き尽くされて消滅していきまます(参照Ⅱペテロ3:7~10)。その後に、罪や死や病は苦しみが100%完全に無い、先の天と地と海がない新天新地が創造されます。その地に天から聖なる都である新しいエルサレムが降りてきて、そこを神さまが永遠の住まいとされます。その新天新地に、全てのキリスト者は導かれ、甦った栄光の完全な体と完全な霊と共に永遠に喜びに満ち溢れて神さまに仕えつつ永遠に暮すのです。黙示録に次のように教えられています。「黙 21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである』・・・」。

新約時代の今の私たちには、旧約時代の人たちには示されていなかった「黙示録21章の新天新地」が希望として与えられています。私たちも、旧約時代の信仰ある人々の信仰の息吹に倣って、聖書が約束する希望に満ちて歩みましょう。

あなたが、十字架のキリストを信じて罪が赦され、永遠の義人と認められ、悩みの多いこの地上において「天の故郷」「メシヤ的王国」「新天新地の神の御国」をあこがれて歩む「信仰の人」となられますようにお祈りしています。