「神の武具/真理の帯④」
聖書:エペソ6章10節~24節
牧師:佐藤勝徳

【はじめに】

これまで、悪魔とその手下である悪霊共と「闇の世の支配者たち」と呼ばれる悪霊共の親分との戦いにおいて、私たちが勝利する為に、神の武具として以下の9つの真理の帯を心の腰に締める事が必要だという事をお伝えしてきました。

1、初代教会時代に既に教会に悪魔の偽りの教えが入り込んでいた

今日は、10番目の真理の帯として「聖書を正しく解釈する原則」を学びます。悪魔は偽り者として、キリスト者が聖書を間違って解釈して、イスラエルを呪う者、イスラエルの為に祝福を祈らない者とし、キリストの地上再臨を阻止しようとしています。それが、悪魔が世界の王になろうとするための策略です。教会がその悪魔の野望を打ち砕き、キリストの地上再臨に貢献するには、聖書を正しく解釈する事が求められています。初代教会時代に既に悪魔の偽りの教えが入り込んでいました。ギリシャのグノーシス主義者によってもたらされたのは、キリストは肉体を持った人間ではないという教えや、結婚を禁じたり、断食を求める「禁欲主義」の教えが持ち込まれました。また。キリストを信じるだけでは罪が赦されない。ユダヤ人のように「割礼」をすべきだという「律法主義の福音」も入ってきていました。パウロはエペソの教会指導者に、偽りの教えが教会に入り込んできて教会がかき回されると警告をしています。(使徒20:29~31)

2、ベレヤのユダヤ人を模範として

聖書の教えやキリストの罪の赦しの福音などを正しく聖書から学ぶ、その模範者は「ベレヤのユダヤ人」です。

ベレヤのユダヤ人たちは、パウロからキリストの十字架の罪の赦しの福音を熱心に聞いた後、、それが本当に聖書が教えているのかどうか毎日熱心に聖書を調べたのです。(使徒17:10~11)。ベレヤのユダヤ人は、聖書を正しく解釈するための良き模範者となっています。

3、聖書を正しく解釈するための原則

①聖書は神の霊感の書である

聖書を正しく解釈する為の第1の原則は、聖書66巻は預言者たちが神の霊によって導かれて書いた「誤り無き神の霊

感の書」、「誤り無き神の御言葉」であるという事を堅く信じる事です(Ⅱテモテ3:16、Ⅱペテロ1:20~21)。キリストも「律法の一点一画も消え去る事が無い」と、聖書の絶対性を教えられています(マタイ5:18)。ペテロは、そのような

聖書を勝手に解釈をしては駄目だと厳しく命じています。

②聖霊の諭しを祈り求める

神の霊感の書である「聖書」が書いてあることを正しく理解する為には、啓示の光を与えて下さる聖霊の助けが

必要ですので、自分の知力に頼らず、心を低くして聖霊の助けを祈り求めることが必要です。(エペソ1:17~19、詩

119:130)

③主と対話しながら聖書を読む

 聖書は、父なる神からの愛の手紙です。その愛の手紙の意味を知っておられるのは、キリスト者に内住されている復活の主イエス・キリストです。父なる神は愛の手紙である聖書のみ言葉を正しく諭して下さる主イエスと対話しながら読むことを御心とされています。なぜなら、キリスト者に内住されいてるキリストは「知識と知恵」という宝をお持ちだから

です(コロサイ 2:3)。

④ユダヤ的・へブル的背景を重んじる

聖書を書くために奉仕をした約40人の人たちはルカを含め全てユダヤ人です。ローマ書でパウロは神の御言葉が

委ねられたのは「ユダヤ人です」と現在形で教えています。それは旧約聖書の御言葉も、新約聖書の御言葉も全てユダヤ人に委ねらたことを意味しています(ロマ 3:1)。ユダヤ人が聖書を書いたという事は、当然ながらユダヤ的、へブル的背景に基づいて書いていますので、その事を重んじながら聖書を学ぶことが求められています。