「日々喜びと笑顔で生きるために」
聖書:エレミヤ31章1節~7節
牧師:佐藤勝徳
日本では昔から「笑う門に福来る」と言われ、日々善い笑いをもって生きている人、日々善い微笑みを浮かべながら生きている人は、あらゆる面で幸福を手にすると言われてきました。第1に、健康的幸福がやって来る、第2に、経済的幸福がやって来る、第3に、心が増々喜びと平安に満ちるという精神的幸福がやって来るのです。「笑う門に福来る」と言う言葉は、単にことわざであるだけでなく、現代においては科学的に証明されていると言われています。 毎日を笑顔で微笑みを浮かべながら過ごす為に1番重要な事は、思いの中に良い事をしっかりと思い浮かべる事だと言えます。人の心に喜びと笑顔を与える最も大切な良い事は、創造主の神さまが全ての人を「無条件の愛」で愛して下さっているという真理です。私達は、日々罪を犯す多くの欠点があります。それでも、創造主の神さまは微笑みながらいつも無条件の愛を向け全ての人を平等に愛して下さっているのです。罪びとの私たちを長所短所のあるがままで100%受け入れ喜びながら、私たちがあらゆる点で幸福になるように、非常に熱い燃えるような無条件の愛でいつも神さまは愛されているのです。キリストは、全ての人への神さまの無条件の愛について、全ての人に平等に雨が注がれている事と、太陽の光が全ての人に平等に注がれている事で教えられました。◆「マタ5:45天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」。また、キリストは十字架で全人類の罪を背負って身代わりの刑罰を受けられた事によって、全人類の罪の赦しと救いを願っておられる神の無条件の愛を示されました。パウロも次のように教えています。◆「Ⅰテモ2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と。全ての人が永遠の愛である無条件の愛で平等に神さまに愛されている事を神さまはイスラエルの歴史によっても示されてきました。
南ユダのイスラエルは、偶像崇拝の罪、流血の罪、姦淫の罪、その他多くの罪を悔い改めなかった為にBC586年に滅びましたが、その滅びの最も大きな原因となったのは、15代目の王であるマナセの罪でした。聖書は次のように教えています。◆「Ⅱ列王24:3 ユダを主の前から除くということは、実に【主】の命令によることであって、それは、マナセが犯したすべての罪のためであり、 24:4 また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため【主】はその罪を赦そうとはされなかった。」
その悲劇的な時代に南ユダで活躍した預言者がエレミヤでしたが、彼は、神さまの厳しい裁きによって滅び行く南ユダのイスラエルの人々に向かって、イスラエルの回復の預言を31章で伝えました。
◆「・・【主】は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。」
以上の回復の預言のことばの中に「喜び笑う者たち」と言う言葉ありますが、それは創造主の神さまの永遠の愛である無条件の愛を信じる信仰によってイスラエルの人々が「喜び笑う」時が来る事を教えているのです。エレミヤの回復の預言は、イスラエルがバビロン捕囚になってから70年後に成就しましたが、それはイスラエルの回復はバビロン捕囚になってから70年後であると、神さまからエレミヤに約束されていた事によります。◆「エレ 29:10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』・・」。
イスラエルの人々は、ありとあらゆる罪を犯す恐ろしい民に堕落していたのです。それが、Ⅱ列王21章9節で「異邦人よりも勝って罪を犯した」という表現で教えられています。
神さまはそのような堕落しきっていたイスラエルの人々をなお愛し、彼らがバビロンによって滅ぼされる時に、「わがはらわたがいななく」と言われる程、痛み悲しみ悶え苦しまれました。。「31:2 エフライム(イスラエル)は、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。──【主】の御告げ──」
エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれ、滅び行くイスラエルを思い、断腸の思いで涙を流してとりなしの祈りを創造主の神さまにささげていましたので、神さまの断腸な思いを彼はよく理解したのです。「エレ 9:1 ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを」とエレミヤは叫びました。罪に堕落にしきっているイスラエルを創造主の神さまはご自分の愛する子、喜ぶ子として、永遠に愛されている故に、彼らが裁かれ滅び行く姿を見て、神さまは黙って見ている事が出来ず、断腸の思いかられ悶え苦しまれたのです。それ故に、神さまはイスラエルをバビロン捕囚から70年後に回復されました。また、キリストを否定して十字架で殺した罪の為に、AD70年にローマによって滅びたイスラエルをも、無条件の愛と痛みの愛をもって終末時代に神さまが回復される事をも預言していました。
神さまのイスラエルに対するその激しい燃えるような無条件の愛は、全ての人々に平等に絶えず向けられているのです。神さまは、イスラエルに愛を示しながら、ユダヤ人以外の全ての異邦人をもイスラエルと同様に激しく愛されている事を、エレミヤを通して私たちに教えられているのです。パウロも次のように教えています。「異邦人よ。主の民(ユダヤ人)とともに喜べ」と。罪に堕落し、神さまと人の前に顔をあげる事が出来ないほど多くの罪を犯している私たち異邦人が、創造主の神さまの愛がイスラエルと同様に自分たちにも向けられている事と、私たちの苦しみや悲しみを、ご自分の苦しみや悲しみとして断腸の思いで苦しまれている神さまの痛みの愛がイスラエルと同様に自分たちにも向けられている事を深く思い巡らすとき、その人の心に喜びがわいてきて自然と笑みが浮かんでくるのです。その笑みがあなたをあらゆる幸福に導くのです。≪マザー・テレサの微笑み≫「マザー・テレサがある日、カルカッタの町を歩いていると、向こうから険しい表情をした男性がやって来ました。彼はいつもマザーの活動を快く思っておらず、よく周りに悪口を言いふらしている人でした。マザーと一緒に歩いていたシスターは、すれ違う時、いったいどうなるかとハラハラしていました。するとマザーは心からの笑顔を浮かべて「こんにちは」と挨拶したそうです。驚いたシスターが「マザー、今の人、誰だかわかっているのですか?いつも私たちの悪口ばかり言う人ですよ」と言うと、マザーは「ええ、もちろんわかっていますよ。私は今、あの人の中におられるイエスに微笑みをかけたのです」と答えたというのです」(日向学院「朝の心」より)。
あなたが、あなたを無条件の愛と痛みの愛で、微笑みながら永遠に愛され誠実を尽くされている創造主の父なる神とキリストにいつも目をとめて、喜びと笑みに満ちて日々を歩まれますようにお祈りしています。