「神の武具/真理の帯⑥」
エペソ6章10節~24節
牧師:佐藤勝徳

【はじめに】

先週は、真理の帯として「正しい聖書解釈の為に」悪魔や悪霊の嘘に騙されないように祈る必要性をお伝えしました。悪魔や悪霊の嘘に騙されない為の祈りを深く祈る為に、今朝は「悪魔と悪霊による巧妙な策略」を更に詳しく学びたいと思います。彼らの巧妙な策略が見えてくれば、きっと深く祈る人へと引き上げられると思います。最初に、悪魔の過去現在未来の住まいについて学びます。その次に、「この世」とは何か、この世について学びます。最後に悪魔と悪霊共がこの世に対して、どのような悪さを行っているのかを学びます。

1、悪魔の過去現在未来の住まい

元々ケルブという御使いであり、後に神さまに逆らって悪魔となった悪魔の過去の住まいは、創造主の神さまがおられる宇宙を超えた第3の天と、宝石で輝くエデンの園(アダムとエバの為の植物のエデンの園とは異なる)が存在する地球でした(参照エゼキエル28:13)。では、悪魔は現在どこに住んでいるのでしょうか。それは、鳥たちや飛行機が飛び交う大空です。それは第1の天と呼ばれています(参照エペ2:2 )。パウロは悪魔の事を「空中の権威を持つ支配者」と呼んでいます。空中とは、鳥たちや飛行機が飛び交う大空の事を意味しています。 悪魔の未来の住まいは、主の日と呼ばれる「7年の大艱難時代」の3年半の時に、ミカエルによって天(空中)から地上の世界に落とされる事が黙示録で預言されています。(参照:黙示録12:9)。彼の未来の住まいは地上ですが、その期間はわずか3年半です。その後は、再臨のキリストによりメシヤ的王国が続く1000年間、地球の真ん中にあるハデス(陰府)にある「アビソス」という場所に閉じ込められ、そこが彼の住まいとなります(参照:黙示録20:1~3)。1000年のメシヤ的王国が終わると、悪魔はアビソスから解放され、再び神に反逆を企て、メシヤ的王国の不信仰な人々を四方から集めて、ゴグマゴグと呼ばれる大軍団を結成して、メシヤ的王国のエルサレムの都に向かって軍隊を仕向けて行きます。しかし、天の父なる神さまが天から火によって、そのゴグマゴグの軍隊を悉く焼き尽くされ滅ぼされるのです。その時に、悪魔は永遠に苦しみ続ける火の池に投じられます。(黙20:8~9」)。悪魔の未来の最後の住まいは「火と硫黄が燃える池」です。そこで、悪魔は永遠に苦しみ続けるのです。

悪魔の未来の運命について私たちは聖書を通してその概観を理解をしましたが、では、現在彼は自分の住まいとしている「大空」からどのような悪さをしているのでしょうか。悪魔や悪霊どもは、霊ですので目に見えないので、私たち人間にとっては厄介な存在です。しかし、彼らを見て良く知っておられるお方がいます。それは、父なる神さまであり、御子なるキリストであり、別の慰め主である聖霊の三位一体の神さまです。その神さまが、目に見えない彼らの事を、聖書を通して教えて下さっているので、私たちは、聖書を通して彼らが「第1の天である大空からどんな悪さ」をしているのかを知る事が出来ます。彼らの策略や悪さを知る事が出来れば、私たちは深く祈りつつ神の武具で身を固めて対処する事ができます。

2,悪魔が支配する世について

悪魔と彼の手下である悪霊どもの悪さを具体的に知っていく前に、悪魔が自分の支配下に置いている「世」とは何か世について知っておく必要があります。

①世と訳されているギリシャ語と世の定義

聖書で世と訳されているギリシャ語は三つあります。アイオーン、ヘーメラ、コスモスです。アイオーンとヘーメラの主な意味は「時代」です。コスモスは、時代という意味でも使われますが、主に「創造主を抜きにした、創造主の敵となっている人類社会を中心とした世界」という意味です。つまり、悪魔の仲間になっている人類社会がコスモスの意味です。コスモスは新約聖書では166回使用されています。

②世とは神に敵対し、罪に満ち、間違った価値観満ちている人類社会

ヤコブ書では「世は創造主に敵対している」と教えています。「ヤコブ  4:4 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである」。

マタイは、この世は、罪の誘惑があり、罪が満ちている悪い世、汚れた世であると教えています(マタイ18:7。)この世なぜ、この世は罪に満ちているのかというと、この世には、人に罪を積極的に犯させる法則としての力を持つ罪が入り込んでいるからだとパウロは教えています。(ロマ 5:12) このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきた」。この世は、人に罪を犯させる貪欲が満ちているとヨハネは教えています。また、ヤコブはこの世は汚れていると教えています。(ヤコブ1:27)

人が罪を犯す最も重要な原因は罪の法則により、罪になびく性質をもって生まれた古い人と呼ばれる人間が貪欲になるからだとと聖書は教えています。人は湧き起こって来るる貪欲を満たす為に、様々な悪い価値観を持つようになりましたので、この世は間違った悪い価値観で満ちています。その事をヨハネは次のように教えています。

「一ヨハ  2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである」と。

聖書はそのような間違ったこの世価値観にキリスト者が妥協したり、キリスト者がこの世を愛する事は罪だと教えています(ロマ 12:2、 )。ヨハネもそのような間違った悪い価値観で満ちているこの世を愛してはいけないと教えています。

(1ヨハ 2:15)

以上のように聖書は私たちの住んでいる世は「創造主を抜きにし、創造主に敵対している人類社会であり、その人類

社会は汚れと罪に満ち、間違った価値観で満ちている世界である」と聖書は教えています。

③世は霊的には愚かな無知無能であり、この世の神、この世の君と呼ばれる悪魔の支配下にある

そのような神に敵対している人類社会は、真の唯一の創造主を認めないし知らない、また、真の救い主キリストが創造主である事を知らない、霊的には愚かな無知無能だと聖書は教えています。(ヨハ1:10、17:25、1コリント1:21))。又、この世はキリストは憎んでいると聖書は教えています(ヨハ 7:7)。更に、この世は悪魔を神として君として仰ぎ、この世は悪魔の支配下にある事を聖書は教えています(2コリント4:4、ヨハネ12:31)。この世の支配者、この世の君、この世の神となっている悪魔は、自分の手下である悪霊の力によって、偽の哲学者、偽の宗界家、偽の預言者、偽の教師を多く起こし、神に敵対する人類社会に様々な偽の哲学、偽の宗教である偶像崇拝、呪術、占い、霊媒、オカルトを多く起こし、戦争や自然災害という破壊をこの世に多くもたらしています。更に間違った教えや反ユダヤ主義をはびこらせて、世の人々が創造主を信じないように、キリストの福音を信じないように、イスラエルを祝福しないように、色々と悪さをしています。(参照:マタイ24:11、24、Ⅱペテロ2:1、Ⅰヨハネ4:1)。詩篇96篇5節ではエリリームという名の悪霊が世界に偶像崇拝を広げている事が教えられています。

3、悪魔の支配下にある世を愛されている神さま

キリストは種まきのたとえ話で、神の言葉である福音を種に例えられました。農夫が種をまくとある種は道に落ちました。すると鳥が飛んできてその種をくわえてどこかに飛んでいきました。その意味は、キリストの福音を聞いても、心を頑固にして否定すると悪魔がやって来てその人の心に撒かれた福音の種を奪ってしまう事だと教えられました。(マタイ13:4、19)。サタンは初めから人殺しですので人が幸福になる事を喜びません。人がキリストの福音を信じて罪の赦しが与えられ平安になる事を決して喜びませんので、キリスト者による福音宣教の業をいつも阻止しようと働いているのです(2コリ 4:4)。しかし、神に敵対し悪魔の支配下にある罪深い人類社会を父なるさま愛して、全ての人の罪が赦されて永遠の祝福の中に生きる事を願っておられます。(Ⅰテモ2:4)。その為に、ひとり子なる神であるキリストをこの世に遣わされ、神に敵対する全人類の罪を十字架で背負わせて、全人類の罪を取り除かれました。そのひとり子なる神であるキリストを、わが救い主として信じる人は誰でも、平等に罪が赦され、神の遠の命に与り、永遠の祝福の中に生きる事が出来るようにされたのです。それがヨハネ3章16節の御言葉で教えられています。「ヨハ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」。そのような福音を世の人が信じないように、悪魔は色々と妨害しています(マタイ13:4,19、Ⅱコリ4:4)。しかし、神様はそのような悪魔の妨害を阻止して、恵みにより聖霊によってキリストの福音を信じる人々を多く起こされているのです。

創造主の父なる神さまは、ご自身に敵対し、悪魔を神とし君としている人類社会をこよなく愛されている事を、キリストの十字架の死によって示されました。(Ⅱコリ5:19)。キリストは神に敵対する人類社会を愛されているので、ご自身の事を「世の光」と呼ばれました(ヨハ 8:12 )。神さまの恵みにより、聖霊の助けによって、世の光であるキリストをわが救い主として信じる信仰に導かれた全てのキリスト者は、神に反逆する人類社会という闇の世から光のキリストの支配の中に、、悪魔の支配から父なる神の支配へと救われました。(使徒 26:18 )

4、救われたキリスト者への悪魔の策略

キリストを信じて闇から光へ、悪魔から神の支配へ救われた人は、神に敵対する人類社会という世の一員でなくなり、世のものでなくなったのです(ヨハ15:18~19)。そのキリスト者に対しての悪魔の策略は、第1にキリスト者が「福音宣教の情熱に燃えない」ようにする事です。第2にキリスト者が「霊的に成長しない」にする事です。それによって、キリストの福音を聞くチャンスを世の人々に少なくしているのです。キリスト者が福音宣教に燃える事を悪魔は一番嫌がりますので、その為に様々な罪を犯させ、この世と妥協させて、聖霊満たされないように。霊性が整えられないように、惑わしているのです。もし。キリスト者が、この世の価値観と妥協し、この世の友となれば、聖霊の火は必ず消え、福音宣教に燃えなくなるので、悪魔は、キリスト者をこの世と妥協させ、仲間にさせようと必死に誘惑をしているのです。その為に、彼はキリスト者に残存するの古い人をつつき、妬みや恨みや憎しみなどの邪悪な思いを持たせ、又、名誉欲や物質欲や金銭欲などを湧き起こして、聖書を日々熱心に読んだり、聖書研究会に熱心に集ったり、祈祷会に熱心に集ったり、礼拝を毎週熱心に厳守しないように、霊的な価値観より、この世の価値観を優先させるという罠をキリスト者に仕掛けているのです。その事を知っているパウロは次のように警告しています。「世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである」(1コリ 7:31)。もし、世にあって色々と仕事をしなければならない「世と交渉のある」キリスト者が、福音宣教に燃えなかったり、自分の霊性の成長の為に聖書を読み祈る習慣を大事にしなかったり、教会の聖書研究会や祈祷会にほとんど出席しなかったり、毎週の日曜日に喜んで礼拝を捧げる事を習慣化していなければ、又、日々、キリストの導きの御声に聞き従って生きる事を習慣化していなければ、この世に深入りしている可能性があります。悪魔は、キリスト者がこの世に深入りして、霊性がキリストのように成長する事を何としても妨げようとしています。もし、キリスト者の霊性が、霊的習慣を守る事によって、霊性が聖霊によってキリストのように整えられていくと、世はどうなるでしょうか。そのキリスト者によって世は多くの祝福を受けていくのです。また、ユダヤ人がそのキリスト者に良い意味で妬みを感じて、キリストに興味を持ちキリストを信じて救いに導かれるのです。聖書は、私たちの目指す霊性は「キリストの如く」です。悪魔は、それはあまりにも高い目標で無理だと思わせ、キリスト者がキリストのようになることを目指さないように仕向けているのです。その策略の罠ににどれほど多くのキリスト者がかかっている事でしょうか。悪魔は、キリスト者によって反ユダヤ主義を教会に広め、教会がイスラエルの祝福の為の祈りと支援をさせないようにさせ、ユダヤ人の撲滅を図り、キリストの地上再臨を阻止しようとしているのです。悪魔がキリスト者に罪を犯させ、この世の価値観へと誘惑する最大の目的は、キリスト者を不幸にする事だけでなく、ユダヤ人撲滅の手先にさせる事にあるのです。そのような悪魔の策略に陥らないように、神の武具である真理の帯をしっかりと心に結び、正義の胸当てを胸につけ、福音の備えを足に履きつつ、神の助けを深く強く祈り求めましょう。あなたも、キリストを信じて、神に敵対するこの世から救われ、神の霊的武具を身につけて、悪魔に勝利する人生を手にされますようにお祈りしています。