「信仰の大盾と救いの兜」
聖書:エペソ6章10節~24節
牧師:佐藤勝徳

 【はじめに】

悪魔が敵として戦いをしかけ、罠に陥れて不幸にし絶滅させようと狙っているのは、先ず、イスラエル民族です。それは、創世記3章15節で、サタンの敵として神さまが設定されたのが、メシヤを生む女だという事です。その女が、漸進的に段々と明確にされ、それがアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるイスラエルだという事を神さまは聖書を通して教えておられます。イスラエルこそが、サタンは神に代わって自分が世界の王になるという野望を妨げる民族だと知っているのです。イスラエル民族がこぞって、復活のキリストを「メシヤ」だと信じて主の名を呼べば、復活のキリストがキリストが地上にやって来て、サタンの野望は夢で終わってしまうのです。その事を知っているサタンは、今、やっきになって「イスラエル」を絶滅させる為の策略を進めています。その策略は「反ユダヤ主義」を世界に広め、ユダヤ人の撲滅を図る事です。もう一つは、イスラエル民族が全員救われる鍵を握っているのが、神さまに忠実なクリスチャンたちです。現在、神さまに逆らっているイスラエル民族が、その罪を悔い改めてキリストを信じる信仰をもち、救われる為の原則は、キリストのように素晴らしい人格を備えた神に忠実なクリスチャンに良い意味で妬みを感じて、キリストに関心を持たせる事です。そのようにして、神はユダヤ人を救いに導こうとされています。ですから、悪魔の策略の第2番目は、キリスト者に火矢を放って、キリストに忠実に従う事を阻止する事です。

1、信仰の大盾

ですから、パウロは、悪い者であるサタンが放つ火矢の数々を日々打ち消すために、神の武具として信仰の大盾をとりなさいと命じました。キリスト者が、キリストに忠実に従わず、その人格が「栄光から栄光へと」似せていく事を妨げるのが悪魔が放つ火矢なのです。古代の戦争で、火矢が多く使われていたので、パウロはその時代の戦いの武器である「火矢」を例えに、サタンの放つ「霊的火矢」について教えました。サタンの放つ「霊的火矢」は、現代も同じように放たれています。サタンは「偽りの父」だとキリストが教えられたように、キリスト者に嘘の情報を流して、嘘の中に閉じ込めておくことです。

①嘘の情報

嘘の情報は、正にサタンが放つ現代の火矢です。キリスト者の嘘の中に閉じ込められいる姿に、イスラエルの人々は魅力を感じて妬みを抱く事はありません。特に、イスラエルに関する嘘の情報におどろされているキリスト者にはユダヤ人は魅力を感じません。現代は、特にペレスチナ問題を通してサタンは「反ユダヤ主義」を世界に蔓延させています。そのような中で、その嘘から守られて、イスラエルを正しく理解し、イスラエルを愛し祝福しているキリスト者にユダヤ人が出会えば、そのようなキリスト者に魅力を感じ妬みを感じてキリストを信じる信仰に導かれる可能性が出てきます。その可能性をつぶす為に、サタンはキリスト者に優秀な神学者が構築した「置換神学」や「契約神学」により、イスラエルに関して嘘の情報を信じるように仕向けているのです。その、嘘の情報から私たちを守るのが、「私は真理」だと断言されたキリストです。真理であるキリストがキリスト者の心の中にお住みですので、サタンの嘘の情報を見抜き、嘘の情報から守って下さるように、内住のキリストを信じて祈る事が必要です。それが、サタンのイスラエルに関する嘘の情報という火矢から守られる信仰の大盾です。

②歪んだ悪いセルフイメージ(自己像)

次に、キリスト者に歪んだ悪いセルフイメージを抱かせる為の悪魔の火矢がありうます。その火矢は、キリスト者が自信を失ったり、消極的になったり、劣等感を抱かせてて、聖霊に満たさせないようにする事です。私たちは、罪深いあるがままの自分、短所が多い自分の存在に先ず自信を持つ必要があります。その為には、罪深いあるがままの自分、短所の多い自分が、神さまから「キリストの如く尊い存在」として喜ばれ愛されているという、神さまの無条件の愛を信じる事が必要です。あるがままの存在に自信がなく消極的で劣等観で苦しむキリスト者にしようとする悪魔の火矢から守る信仰の大盾が「神さまの無条件の愛」を信じる信仰です。イザヤ書43章で神さまは罪深いイスラエルに向かって次のように語られました。「イザ43:4わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と。その同じ愛が、私達全てのキリスト者に平等に向けられているのです。

③能力に自信を失わせる

次に、キリスト者の能力に関してサタンは自信を失わせ劣等感を持つように火矢を放ってきます。劣等感というのは何が原因かと言いますと、その一つは隣人と比較する事です。サタンは、いつも他人と比較しながら生きるように仕向けているです。その、悪魔の火矢を打ち消す信仰の大盾は、隣人が自分より優れた能力を持っている事は、自分に与えて下さった神さまの最善の御業だとい、事実に心を向けて神さまに感謝する事です。同時に隣人と比較して自分に能力がない事も自分にとって最善の御業だと信じて感謝する事です。神さまのなさる事は全て自分にとっていつも最善だと信じる信仰が、隣人と比較して劣等感に貶めて聖霊の働きを失わせようとする悪魔の火矢を消す信仰の大盾なのです。

④心配と思い煩い

次にサタンの火矢は、仕事やお金や生活上に起きる様々な問題を起こして、キリスト者の心を心配と思い煩いで満たす火矢です。キリスト者が心配と思い煩いに満たされ聖霊の火は消えさせ、信仰の喜びがなくそうとするのがサタンの放つ火矢です。そのサタンの火矢から守る信仰の大盾は、万事を感謝する信仰と共に、神さまが問題を必ず解決して下さると、神の偉大な全能の力、神さまの偉大な可能性を信じる事です。パウロはその信仰の大盾を持っていました。「ピリ 4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」。ダビデもその信仰の大盾を持っている事を詩篇で教えています。詩篇23篇1節「 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」。詩篇46篇1節「46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」。ペテロは、その信仰の大盾を持つように次のように教えています。「Ⅰペテ 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」。パウロは、サタンによって苦しめられ弱くなっても、「弱いところに力を完全に与えて下さる」神さまを信じる信仰の大盾によって、弱い事を喜び感謝し誇るようになったのです。

⑤疑いと不信仰

サタンが放つもう一つの火矢は、神の祈りに応答して下さるという、祈りの約束を信じないように、疑うように仕向ける火矢です。祈っても祈っても、応答がなければ、神さまは自分の祈りや願いをお聞きになっていないのではないか?、神さまの祈りにお答えくださる約束はどうなったのか?と疑い、祈りを止めてしまう時があります。それは悪魔の火矢にやられています。私たちの祈りは、どんな祈りもちゃんと聞かれているのです。その祈りに対して神さまがどのようにお答えくださるか分かりませんが、それでも、神さまの愛と約束を奇跡の力を信じて祈り続け待ち続けるのが信仰の大盾です。イスラエルの人々は、約2000年前にローマに滅ぼされ、世界に散って行く離散の民となりました。その約2000年間、イスラエルの多くの人々は、子々孫々にわたって神様は必ず約束の地に帰らせて下さると信じて、出エジプトを記念する「過越し祭」を守り続けたのです。来年こそ「エルサレムで」が、その時のユダヤ人の合言葉だったというのです。先日、ラヴィデス(ホロコースト体験者のユダヤ人哲学者)の時間論に関する哲学書には、ユダヤ人は過越し祭に関する記述があります。それによりますと、ユダヤ人は離散の地で「過越し祭」ののテーブルの席に一つ「エリヤの為の空席」を設けて守ってきたそうです。それは、マラキ書で、メシヤが来る前に「エリヤ」が遣わされるという預言を信じて、エリヤがいつ来ても良いようにエリヤの為の椅子として空席を設けているというのです。それを、約2000年間守ってきたというのですから驚きです。彼らの信仰により、神さまは1948年5月14日に約2000年ぶりに、イスラエル共和国を実現させられました。

私たちは、実現しなければ、神さまの祈りの約束をすぐに疑ってしまい、祈りが退屈になったり、弱くなったり、時には祈る事をやめてしまう時があります。それは悪魔の放つ矢にやられている証拠です。どんなに祈りがかなえられないとしても、聖書の約束の言葉を信じて、祈りを力強く続けることが「信仰の大盾」です。

以上の信仰の大盾を持つときに、聖霊が働き、神様が大盾となって悪魔の放つすべての火矢を打ち落として下さるのです。詩篇では、神さまががイスラエルの盾、或いは大盾だと告白されています。

「詩 115:11 【主】を恐れる者たちよ【主】に信頼せよ。主こそ助けまた盾。」

2,救いの兜

信仰の大盾に続いて、パウロは「救いの兜」を被るように教えています。悪魔の策略から私たちを守る神の武具の一つが「救い兜」です。救いの兜は、自分がキリストを心から信じた結果、どのような永遠の救いに導かれているかを確信しておくことです。

①神さまとの関係

1)神さまによって永遠に裁かれない立場が与えられた。

キリストを信じた結果、キリスト者はどのような救いに与っているのでしょうか。先ず神さまとの関係における救いをお伝えします。それは、永遠に罪が赦され、永遠に義とされ、神さまの御怒りと裁きから救われている事です。永遠に罪が赦されて義とされ神の御怒りから救われている事は、三つの裁きから救われている事です。第1に、肉体が死んだ時に、その霊魂は裁かれてハデスに落とされる事無く、霊魂は完全にされて父なる神、御子なる神がおられる天の御国へ導かれる事です。天の御国に導かれた霊魂のキリスト者は決して罪を犯すことがないのです。

第2に、主の日と呼ばれる「7年の大艱難時代」の苦難に合う事が無いように、主が空中再臨された時に、霊は完全にされ、肉体も永遠に朽ちない永遠に罪を犯さない栄光の体に変えられて、天に導かれる事です。先に死んだ人は、その時に、既に完全にされた霊魂の衣として栄光の体に甦って空中の主のもとに導かれます。

第3は、黙示録20章に啓示されている最後の審判において、キリストを信じなかった人々が落とされる、火の池に決して落とされる事無く、永遠の新天新地の御国へ導かれる事です。

「エペ2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」

2)永遠に神の子とされました

キリストを信じた結果、永遠の命が与えられ、神の子として生まれ変わった事が救われた事を意味しています。ヨハネによる福音書では、神の御子であるキリストが遣わされた目的は、御子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得る為であると教えています。(ヨハネ3:16)。その永遠の命に与る事によって、人は罪びとの身分から神の子の身分に変えられたのです。それを、新しく生まれる事だと主はニコデモに教えられました。永遠の命に与り、神の子として新生する事は、どんな身分やどんな人種に関係なくく信じる者に平等に与えられる神の賜物だとも教えらました。永遠の命を得て新生した事は、同時に、神の聖なる性質に与ったので、新しい人にされた事をも意味しています、それは古いものである罪の性質が永遠に去った事を意味しているのです。パウロは次のように教えています。「Ⅱコリ 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。ます」。霊魂に神の性質を与えられ、新しくされたキリスト者の内に「古い人」が残存していても、それはキリストの十字架の死と共に永遠に過ぎ去ったものです。ですから、どんなに古い人が顔を出しても。それは十字架で永遠に過ぎ去ったものとして対処しましょう。

 

②サタンとの関係

次に人は、サタンとの関係において救われました。キリストを信じるまでは、サタン所有権があり、サタンに支配されていましたが、キリストを信じたキリスト者は、サタンの支配から、神の愛と正義の支配へ救われたのです。キリストが十字架で罪の赦しの為に流された血は、神の永遠の裁きから贖い出しましたが、同時にサタンの所有から神の所有へと贖い出しました。それ故に、キリストの血は「贖いの代価」と呼ばれています。「Ⅰコリ 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」

「使  26:18 それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。・・」

「エペ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」

③人と関係

次にキリスト者は、創造主抜きの堕落した人類社会という世から解放され、天に属するものとなりました。闇の世から光の天に国籍を持つ者へと救われたと言います。キリストと共に十字架で死に、キリストと共に甦り、キリスト共に天に属するものとなったのです。キリスト者は堕落した人間に縛られて生きる必要がなくなったのです。パウロが次のように教えています。「ガラ6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」。

「エペあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」

私たちはキリスト共に十字架で死に、共に甦り、共に天に昇り、天に国籍を持つ者となりました。今地上で生かされているのは、キリストの大使としてキリストの御心をこの地上に実現するためです。私たちは、この地上に属しながら、この地上に属さないものですので、この地上に属する罪びとの言いなりになって生きてはならないのです。「Ⅰコリ 7:2 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。人間の奴隷となってはいけません」。「ロマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。」とパウロは教えています。

あなたも、キリストを信じて信仰の大盾と、救いの確信の兜とをしっかりと心に持ち、悪魔の策略に対抗して堅く立って歩んで行く、勝利者の人生を得とくされますようにお祈りしています。