「携挙された教会に備えられている恵み」
聖書:黙示録22章16節~21節
牧師:佐藤勝徳
現在、不信仰なイスラエルと世界に臨む神の怒りの日である「7年の大艱難時代」の前に、キリストが空中に再臨され、花嫁なる教会を携挙され救われ事が約束されています。今日は、その携挙された教会に父なる神さまがどのような恵みを備えておらるのかを学びたいと思います。
初代教会の時代に迫害されてパトモス島に流刑にされた使徒ヨハネに、キリストはみ使いを遣わされて、終末に起きる出来事を啓示されました。その時に、キリストはご自身の事を「ダビデの根、また子孫」だと自己紹介をされています。(22:16)。黙示録5章にもイエス・キリストが「ダビデの根」と紹介されています。ダビデの根と言うのは、ダビデの子孫と言う言う意味です。創造主の神に代わって全世界の王になる事を野望としている悪魔を滅ぼす為に、創造主の神は女の子孫として生まれるメシヤをこの世界に遣わされる事を約束されています(創世記3:15)。そのメシヤがダビデの子孫から誕生するという事を、神さまはダビデに約束されました。それをダビデ契約と言います。そのダビデ契約に基づくメシヤであることを証言する為にキリストはご自身の事を「ダビデの根」と呼ばれました。又、ご自身の事を「輝く明けの明星」だと自己紹介をされています。それは、メシヤは「ヤコブの星」(民数記24:17)として出現するという旧約聖書の預言に基づくメシヤであるという事を証言する為にキリストはご自身の事を「輝く明けの明星」と呼ばれました。明けの明星は夜が過ぎ朝がやって来る事を告げる希望の星です。キリストは、この闇の世が終わりダビデ契約で約束されている「メシヤ的王国」の到来を知らせる希望の星であり、また、教会を闇の世から救い、神が備えられている多くの恵みに導く希望の星だという事です。それを知った、御霊も花嫁なる教会も声をそろえて「来てください」と言いました。それを聞いたものは同じように「来てください」と言うように命じられています。「アーメン!主イエス様、来てください」と信仰の喜びをもって告白する事は、イエス様の絶対命令ですので、私たちキリスト者も喜んで「アーメン!主イエス様!来てください」と告白する必要があります。その為には、主の空中再臨により天に携挙された教会には、どのような恵みと祝福を父なる神さまが備えられているのか、正しく知っておく必要があるのです。
①父なる神の家にキリストが備えられた新居に導かれる
第1番目の恵みと祝福は、空中に来られたキリストによって完全な人にされた全てのキリスト者は、キリストの花嫁なる教会として天の父の家である「天のエルサレム」にキリストが設けられた「新居」に導かれる事です。天の新しいエルサレムは透き通った碧玉のように輝いています。その都の城壁の土台はいくつもの美しい宝石で輝き、門は大きな真珠でできており、都の大通りは透き通ったガラスのような純金でできています。その大きさは2220㎞の巨大な正方形の立方体となっています。(黙示録21:6)。その一角に、キリストの花嫁である教会の為の新居が既に復活されたキリストによって設けられているのです。私たちキリスト者は、美しい青い碧玉のように輝き、ガラスのように透き通った金で出来た天のエルサレムにキリストが備えて下さった超美しい部屋を見て、その圧倒的な美しさに驚嘆するでしょう。その美しい美しいい栄光の都に永遠に住む者とされている恵みに涙して神さまに感謝するでしょう。
②天上でキリストの報いを決める裁きの座に立つ
第2番目の恵みは、天上でキリストの報いを決める裁きの座に立つ事です。この裁きは、キリスト者が地上で犯した罪を責め有罪にするための裁判ではありません。キリスト者の地上での罪はキリストの十字架の死によって全部帳消しになっています。天上での裁きは、地上で行った善行に対する報いを決める為の裁きです。良き報いを受ける善行と言うのは、御霊の導きに従って行った全ての行いや奉仕を意味しています。それが水一杯を差し出す事であっても、報いの対象となる事をキリストは教えられています。「マタ10:42 わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。報いは、牧師や伝道者だけに与えられるものでないのです。全てのキリスト者に用意されているのです。教会で主にあっての交わりの為に茶菓を準備したり、食事を準備したり、その他、主にあっての全ての奉仕も報いの対処になっているんです。その事を知っていたパウロは、神さまからの良き報いを受ける為に、闘技をする者のように、競技する者のように、勝利を目指し自己節制を行い、全力を尽くして、自分を鞭たたいて努力をしています、と証言しています。(Ⅰコリ9:24~27)「Ⅱコリ 5:10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです」。
以上の報いを定めるキリストの裁きは、やがて花婿なるキリストとの婚礼のための準備としても行われるのです。ユダヤの風習では、婚礼が行われる前に花嫁は水で身を清める「ミクベ」と呼ばれる水槽につかり、それから婚礼に向かいます。天上での花婿なるキリストとの婚礼の為に花嫁なる教会は水ではなく、キリストの裁きの座の火によるミクベのきよめに預かるのです。その火のミクベを通った後に、教会時代の全聖徒の正しい行いを象徴する「光り輝く、きよい麻布の衣」を結婚衣装として着るのです。それは全てのキリスト者に平等に着せられるのです。教会時代の全ての聖徒の正しい行いが、そのきよい麻布に反映しているのです。その事を思うと、主にあっての正しい行いを日々実践することが如何に重要かが分かります。「黙 19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。 19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
③天上で花婿なるキリストとの婚礼に導かれる
第3番目の恵みと祝福は、天上で花婿なるキリストとの婚礼の恵みと祝福に預かる事です。キリスト者の霊も魂も体も完全にされていて、既にキリストの愛の素晴らしさを十分知っていて喜びが満ちているのですが、キリストとの婚礼による、キリストとの愛の交わりがそれまでとは格段的に異なる深い交わりの中に導かれます。一般的に結婚する前の男女は、結婚後は更に深い交わりの中に導かれるように、婚礼後のキリストと花嫁なる教会の愛の交わりは一段と深まるのです。それが婚礼の恵みであり祝福です。
「黙19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」
④メシヤ的王国で婚礼の祝宴の座につく
第4番目の恵みと祝福は、キリストが王となって治める愛と平和に満ちたメシヤ的王国での祝宴に導かれる事です。メシヤ的王国で一番最初の大きなイベントは、天上で花婿なるキリストと婚礼をすませた花嫁なる教会との祝宴でしょう。メシヤ的王国の神殿の入り口の敷石の傍から湧き出ている泉は、川となって流れ出て行き、その川のほとりに植えられた果物や実のなる木は1か月に1度実を結ぶと教えられていますので(エゼキエル47:12)、祝宴に必要なぶどう酒はすぐに準備できる事でしょう。その川が流れた死海は海の生き物で満ち溢れる事も教えられています。祝宴には、極上の葡萄者や果物や新鮮な野菜や死海から獲れた新鮮な美味しい極上の刺身、更に各国の楽しい賛美の音楽や舞踏があるでしょう。その祝宴への招待客は、甦った旧約時代の多くの聖徒たち、甦った大艱難時代の聖徒達、大艱難時代を生き延びたユダヤ人聖徒と異邦人聖徒たちです。それらの人々が、花嫁なる教会の一員である私たちキリスト者に「おめでとう」「おめでとう」祝福してくれるのです。その祝宴に招かれた人は幸いであると言われています。「黙19:9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った」。 私たちキリスト者は、メシヤ的王国でしばらく続く驚くべき祝福と喜びに満ち溢れた祝宴の時をすごすのです。以上がキリストの空中再臨に伴う、携挙された花嫁なる教会の為に準備された4つの神さまの恵みと祝福です。その恵みと祝福を心の止め希望をもって心から感謝して「アーメン!主イエス様!来て下さい!」と告白し叫びましょう!
あなたも、キリストを信じて花嫁なる教会の一員となれば、空中に再臨されたキリストによって完全な人とされ、天の父なる神がご準備下さっている豊かな恵みと祝福に預かるのです。