「敵を愛し、迫害する者の為に祈りなさい」
聖書:マタイ5章38節~47節
牧師:佐 藤 勝 徳

【はじめに】
現在、世界の50か国で約3億6千万人のキリスト者が厳しい迫害下に置かれていますので、今ほど「敵を愛し、迫害する者の為に祈れ」というキリストのメッセージが必要な時代は無いと思われます。

  マタイによる福音書の山上の説教と呼ばれるキリストの教えは、当時のユダヤ教の指導者で、旧約聖書の教えを説いていたラビ達の間違った教えを正すためにもなされたものです。マタイ5:38~48もそうです。

1、「目には目を、歯には歯を」の正しい解釈

マタイ5章38節の「目には目を、歯には歯を」は一般的に報復を教えるものとして知られ、モーセ律法の中で3回啓示されているます。(出エ 21:24、レビ 24:20、申 19:21 )。当時のラビたちは、その戒めを「やられたらやり返して良い」と神は報復を認めておられると説いていました。キリストは、そのラビたちの解釈の間違いを正し、やれたらやり返すという「報復」を禁じられました。どんな仕打ちを受けても憎しみや悪意を捨てて愛と善意で対応する事を説かれました。

「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい」と説かれました。

2、憎しみや恨みの根源的原因

「やられたら、やり返す」、つまり報復、仕返し、復讐は誰でもも身に覚えがある邪悪な感情です。気の弱い子は別ですが、それは小さなの子どもたちの喧嘩にも見られる事です。悪さや意地悪、危害を加えられた時、即座に反射的 に仕返しする。時にはそれ以上の事をすることもしばしばです。これは人間の名誉心を貪る貪欲の罪の性質から来ています。 気の弱い人は、相手の仕打ちを不当と思いながらも、表立ってはやり返せない時があります。その場合、いつもその事を心の奥底に忘れず執着してしまいます。それが「恨み」となって心の中に存在し続けます。その恨みにより、必ずいつか仕返しする機会を淡々と狙うわけです。そのような、仕返しをしたいという憎しみや恨み、また、人の成功や賞賛を喜べない妬みなどの邪悪な感情をなぜ人間は持つのでしょうか。それは、目に見えない生ける創造主の神さまによって満たしていただく承認の欲求(名誉欲)を、人に求めるという貪欲の故なのです。貪欲というのは、必要以上に欲しがる事、又、欲しがってはならない事を欲しがる事です。更に、目に見えない生ける創造主の神さまに求めなければならない称賛を人に求める事も貪欲の範疇に入るのです。人間は、全ての人がアダムが罪に堕落した結果、貪欲を持つ傾向性をもって生まれるようになったのです。その生まれながらの人間を聖書は古い人と呼んでいます。人間の「憎しみ」「恨み」等仕返しを求める邪悪な感情の根源的理由は、人に承認を求める貪欲にあります。それが否定されてしまう暴力や批判を受けると、心が傷つき「憎しみ」や「恨み」などの邪悪な感情を持つのです。キリストが「十字架で罵られても、罵り返すことをせず」、ご自分を十字架につけた者の為に赦しの祈りをささげ、敵を愛する事が出来たのは、人から賞賛を求める貪欲が一切なかったからでした。それゆえにキリストはどんなにののしられても心が傷つく事がなく、「憎しみや恨み」によって人を罵るという事が全くなかったのです。

3、 選民ユダヤ人に求められている事

5章38節から42節迄は、個々人の個人関係における正しい在り方を説いていますが、43節から、選民であるユダヤ人としての正しい在り方が説かれていきます。ユダヤ人を敵視する、敵である異邦人に対してユダヤ人としてどのようにあるべきかが教えられています。それは、ユダヤ人に敵視する異邦人をも「自分のように」愛しなさいと教えられたのです。当時、ユダヤの国は異邦人であるローマによって支配され傷めつけられていましたので、ローマを憎んでいたのす。そのようなユダヤ人に対して、敵である異邦人のローマを愛し、ローマの為に神の祝福を祈れ、と言うキリストの教えは受け入れ難いものでした。ではなぜ、キリストはそのように教えられたのでしょうか。その理由は、第1に、「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」という事でした。キリストは創造主の天の父なる神さまは、ユダヤ人と異邦人の区別なく全ての人を平等に愛し全ての事で祝福される事を願っておられるという事を改めて教えられたのです。

第2の理由は「アブラハム契約」の故でした。キリストの教えの背後には、神さまがイスラエエルと結ばれた「アブラハム契約」があるのです。アブラハム契約の中に、イスラエルが世界を祝福する民となるという約束がありました。世界を祝福する為に重要な事は「敵を愛する」という無条件の愛です。その愛があって初めて敵や迫害するローマの為に祝福を祈る事が出来るのです。ユダヤ人キリスト者が、敵を愛し迫害する者の為に祝福を祈るためには、アブラハム契約に立ち返る必要があるのです。「創世記12:3地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

第3の理由は、ユダヤ人が信じる天の父なる神さまが「完全なお方」であるからだキリストは教えられました。ユダヤ人キリスト者が、敵を愛し、迫害する者の為に祝福を祈り求め、世界を祝福する民となるには「天の父が完全であるように、完全になる」事が求められているのです。天の父が完全というのは、この文脈では、「敵をも愛する無条件の愛で、全世界の人々を平等に愛されている事」を意味しています。その神さまのように、世界を祝福するために召されたユダヤ人キリスト者であるメシヤニックジューは「完全であれ」とキリストは教えられました。

※メシヤニックジューとはユダヤ人キリスト者の事

4、全てのキリスト者に求められている完全な愛

以上のキリストの「敵を愛し、迫害する者為に祝福を祈る」という完全な愛は、メシヤニックジュ―だけに求められている事でなく、全ての異邦人キリスト者にも求められている事です。それをパウロがローマ書で教えています。「ロマ12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」

キリストを信じる信仰によって義とされた異邦人キリスト者も、アブラハムの霊的子孫として召され、世界を祝福するという約束に与かっているのです。パウロがその事を教えています。「ロマ 4:16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。」

私達異邦人キリスト者は、メシヤニックジューであるユダヤ人と共に、「敵を愛し、迫害する者の為に祝福を祈る者」として召されているのです。

5、敵を愛し、迫害する者の為に祈る秘訣

私たちが、キリストの教えに従って「敵を愛し、迫害する者の為に祝福を祈る者」となる為の最も重要な秘訣は、貪欲の傾向性をもって生まれ、やられたらやり返すという古き自分が、キリストと共に十字架で死に、キリストと共に葬られ、キリストと共に甦って敵をも愛する神の聖なる性質に既に与っているという真理に聖霊によって心の目が開かれる事です 「敵を愛し、迫害する者の為に祈る」という実践は、生まれながらの人間の意思の力で実践できるものではありません。それはキリスト者の霊と一つになって内住して下さっている聖霊によって可能なのです。その聖霊の助けを受ける為には、貪欲の故に復讐を欲する古い人はキリストと共に十字架で死んだ事、キリストと共に葬られた事、キリストと共に甦り、敵をも愛する神の聖なる性質に与っているという事実に目が開かれる事です。そして、聖霊によって諭されたその真理を認め深く安んじる事です。その信仰に、聖霊が働き、聖霊の力によって実際に「敵を愛し、迫害する者為に祈るキリスト者に引き上げて下さるのです。

敵を愛し、迫害する者為に祝福を祈られたキリストによって、あなたも日々の生活の中で、どんな人の為にも祝福を祈る人になられるようにお祈りします。