「私たちの平和と希望の拠り所」
聖書:イザヤ2:1~4
牧師:佐藤勝徳
新年おめでとうございます。私たちのの住んでいる現代の終末の世界は、キリストの預言通りに増々戦争が増大し、自然界の荒廃も増大しています。そのような世界の中で「平和と希望の拠り所」はどこにあるのでしょうか。今から、約2700年前のイスラエルの預言者イザヤがその解答を教えています。イザヤ書2章1節から4節では、やがて地上に再臨されるイエス・キリストによって、神がイスラエルと結ばれた4つの無条件契約の成就として、イスラエルを中心とした、戦争が一切ない平和な「メシヤ的王国」の到来を預言しています。イザヤ2章2節の「終わりの日」というのは「メシヤ的王国の時代」を意味しています。「メシヤ的王国」は、世界の人々にあまり知られていませんが、聖書が預言者を通して繰り返し預言している「神の国」です。その、メシヤ的王国では、エルサレムが世界で一番高い山に修復され、そこに再臨のキリストがお住いになる「第4のエルサレム神殿」が建ちます。その神殿を「主の家」とか「ヤコブの神の家」と呼んでいます。キリストはヤコブである「イスラエルの王」として、メシヤ的王国のイスラエルと世界の諸国を治める平和と愛と正義の王となります。その、主の家の王なるキリストにお会いする為に、世界中から巡礼者がやって来る事が預言されています。その巡礼者に向かってキリストは神の御教え、神の御言葉をお語りになり、巡礼者の心は平安と喜びに溢れます。巡礼者たちが、そのみ教えをそれぞれ自分の国へ持ち帰り、それぞれの国民に伝達をし諸国民はそれを実行します。それによって、戦争の道具は全て平和の道具に打ち直され、世界から戦争の武器が全てなくなります。核兵器はもちろん、空軍機、戦艦、戦車、ミサイルなどが全てなくなり、二度とと戦争の事を学ばない、平和な世界になるとイザヤは預言しました。イザヤは、メシヤ的王国のキリストは、戦争がない平和だけでなく、「健康と長寿の世界」「肉食動物が全て草食動物になる自然界の平和」「災害がほとんどなく豊作に恵まれる平和な農業」、「家庭だんらんが絶える事が無い家庭の平和」などを実現するお方として預言しています。「イザヤ11:6・・狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。 11:7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。 11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる」。このメシヤ的王国を実現するキリストが地上に再臨される鍵は、キリストを十字架にかけて殺したイスラエル民族が全員で、その罪を悔い改め「主の名によって来るべきお方に祝福あれ」と復活のキリストに向かって叫ぶ叫びにあるのです。(ゼカリヤ12:10~14、マタイ23:39)
預言者イザヤは、イザヤ書で、キリストが最初に地上にやって来る「初臨」と、再び地上にやって来る「再臨」を何度も預言しています。
◆キリストの初臨の預言
①「イザ9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」
この預言は、初臨のキリストは、赤ちゃんとして生まれ育ち、平和の君として異邦人ではありませんが、異邦人のガリラヤと、ユダヤ人から軽蔑されたガリラヤ地方で活躍される事が預言されています。この預言は、見事に成就しました。キリストがお育ちになったのはガリラヤの地方のナザレの村で、そのガリラヤ地方で沢山の奇跡を行って人びとの病を癒し、喜びと平和を与える平和の君として活躍されました。
②「イザ11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。 11:2 その上に、【主】の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と【主】を恐れる霊である。」
この預言は、キリストはエッサイの子孫として、大変貧しい中に登場し、聖霊に満たされて活躍される事が預言されています。この預言も見事に成就し、キリストは貧しい大工のヨセフと母マリヤによって育てられました。エッサイの子どもはダビデです。ダビデの息子がソロモンで、ソロモンの子孫がヨセフです、ダビデからナタンが生まれ、ナタンの子孫がマリヤさんです。大工のヨセフも母マリヤもダビデの家系から生まれ、キリストを生み育てました。キリストは、30歳ごろにバプテスマのヨハネから洗礼を受け、聖霊がハトの姿で降り、それから、いつも聖霊に満たされて約3年間活動し、奇跡をなしつつ、神の御言葉を正しく解釈して伝えました。
③「イザ53:1【主】の御腕は、だれに現れたのか。 53:2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。 53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・」
この預言は、初臨のキリストは、砂漠の中にある人の目につかない根のように出現し、人から蔑ますマレ、罵られ、苦しめられ、罪びと扱いされ、神に裁かれたと思われながら、イスラエルと人類の罪の赦しの為に、身代わりに刑罰をお受けになる事が預言されています。この預言もその通り、文字通り、字義通りに成就しました。キリストは、さんざん罵られ侮辱され、痛みつけられながら、十字架でイスラエルと人類の罪の身代わりに刑罰をお受けになって、赦しの道を開かれました。
◆キリストの再臨の預言
①「イザ 2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて示された先見のことば。 2:2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。 2:3 多くの民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。 2:4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」
この預言は、終わりの日と呼ばれる時に、再臨されたキリストが、世界で一番高い山になったエルサレムの山に立つエルサレム神殿を住まいとされて、世界中からくる巡礼者の礼拝を受けられ、その巡礼者に神の御教えをお語りになる事が預言されています。そのみ教えを受けた人々が、自分の国々帰り実践をし、キリストの御教えにしたがった戦争の為の武器を全部平和のための道具にし、世界は決して戦争をしない平和な世界になる事が預言されています。この預言はまだ実現していませんが、その準備が着々と進められています。
私たちの住んでいる世界は、世界が何度も破壊できるほどの核爆弾が沢山あります。2023年1月の時点で、世界が保有している核兵器保有数は12、512だと言われています。再臨された、キリストにより世界からすべての核兵器がなくなる時が来るのです。
②「イザ 9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。」
再臨されたキリストは、ダビデの王座について、メシヤ的王国で平和を実現されます。ダビデというのは、古代イスラエル国家の2番目の王さまでした。キリストはその子孫として生まれ、再臨された時にイスラエルの王となりますので、ダビデの王座に着くと預言されています。この預言もまだ実現していませんが、もうすぐに実現します。
③「イザ 11:5 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。 11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。 11:7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。 11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。 11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。 11:10 その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く」
この預言は、エッサイの子孫であるキリストが目立たないように最初に来臨されますが、そのキリストが再臨され、世界中から尊敬とを受け、人々は深い安らぎを得る事と、オオカミや豹や熊やライオンなどの肉食動物がら草食動物に変えられ、羊や山羊や牛などの家畜と仲良く暮らす事、乳飲み子たちが無毒となったココブラや蝮なと仲良く遊ぶことが預言されています。動物と動物、人間と動物とが平和に暮らす時が来るのです、この預言はまだ実現していませんが、これから間もなく実現するのです。
④「イザ65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。 65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。 65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。 65:21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。 65:22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。 65:23 彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは【主】に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。 65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる。」
この預言は、やがて来る7年の大艱難時代に荒れに荒れた世界が新天新地と呼ばれる程、素晴らしい世界に修復される事が預言されています。その新天新地と呼ばれる修復されたメシヤ的王国の特徴は、人の寿命は木のように長くなり、不信仰な人でも100歳までは生きる健康と長寿の世界となる事です。乳飲み子が早死にしたり、疫病やがんや人間を早死にさせる病は一切ない世界となります。畑の作物もいつも豊作となります。平和な家庭生活と健康的な食生活が約束されています。祈ればすぐに神さまの応答も約束されています。ここでも、動物間の平和が預言されています。このメシヤ的王国を再臨のキリストが実現されるのです。
以上のように、預言者イザヤは、やがて再臨のキリストによって、イスラルを中心とした平和で豊かで健康な、全ての人が望むメシヤ的王国が実現する事を教えています。メシヤ的王国の、キリストを信じている全ての人は、霊的にも精神的にも、健康的にも、経済的物質的にも、全ての事で満ち溢れた祝福で包まれ、平和で楽しい日々を暮します。私たちの平和の希望は、再臨のキリストにあります。
◆現代の平和と希望の拠り所
現代の私たちの世界は20世紀になって、急速に世界は悪化の一途をたどっています。キリストが預言された、戦争の増大、飢饉の増大、地震の増大、不法の増大、偽預言者による偽教理の増大、愛の減少など、昔ノアの時代に大洪水によって世界が滅びた時の兆候が著しくなってきています。多くの人は戦争の無い平和な世界を望んでいますが、増々テロや紛争、大きな戦争が増大しています。聖書は、この世界に一時的に反キリストによる「偽の平和な時」が少しの間訪れる事を預言していますが、すぐに世界規模の戦争が2度起こる事も預言しています。やがて、7年の大艱難時代がやってきて、人口は極端に減少し、世界の自然も大荒れに荒れます。その7年の大艱難時代の中間で、反キリストはイスラエル絶滅作戦を開始します。その時、イスラエルの多くの人たちがエドムのボツラに避難します。しかし、3分の2のユダヤ人が反キリストの軍隊によって殺されます。生き残った3分1のユダヤ人が、再び国を失った事について神さまに絶叫しながらその理由を聞きます。その結果、自分たちの先祖がナザレのイエスを十字架にかけて殺したという、神への反逆の罪の故だと気付き、その罪を自分たちの罪だと自覚し、涙ながらに悔い改め、復活のキリストに向かって「主の名によって来られる方に祝福がありますように。アーメン主イエスよ来たりませ!」と叫ぶのです。その叫びに応じて、キリストは再臨され、反キリストとその軍隊を悉く滅ぼしイスラエルを守られます、。その戦いの後、キリストは75日間で、荒れに荒れた世界をイザヤが新天新地と呼んだ素晴らしい世界に修復され、世界平和を実現されます。
私たちの、未来の平和の希望は再臨のイエス・キリストにありますが、現代の私達の平和と希望の拠り所は、キリスト者の心に内住されているキリストにあります。復活のキリトとは、ご自身を信じる人の罪を赦すだけでなく、その人の心の中に霊となって住んで下さり、その人の心に神の平和をお与えになります。それだけでなく、全ての事で平和を与え祝福して下さるのです。やがて、メシヤ的王国の平和の王となるお方が、信じる人の心にの王となって内住されています。内住のキリストは、戦いの多いこの世界にあって、平和と喜びに満ちて生きるように、助け導き、祝福して下さるのです。
又、それに加えて、何事も思い煩うことなく、感謝の内に自分の願いを注ぎだす祈りと時を持つ時に、内住のキリストによって人知を超えた神の平安によって心が守られるのです。(ピリピ4:7)。
私たちの平和と希望の拠り所は、信じる者の罪を永遠に赦し、信じる者の心に永遠の王の王として内住して下さるキリストです。「コロ1:27この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」。
まだ、十字架で罪の赦しの為に死んで下さり、三日目に甦られたキリストを、自分の救い主として信じて心に受け入れておられない方は、是非、年の初めにキリストを信じて、心にキリストを平和の王としてお迎えくださるようお勧めします。また、既にキリストを信じておられる方がたは、私たちの平和の希望の拠り所のキリストが霊において心に内住して下さっている事を覚えて、この一年、内住のキリストの導きの細き御声に聞き従い、平和と希望と喜びに満ちた一年となるように祈っていただきたいと思います。