「聖化の道を究めてⅧ」
聖書:ローマ8章1節~17節
牧師:佐藤勝徳

【はじめに】
◆聖化の定義
先週の日曜日に続いて今回も改めて「聖化の道」を共に学びたいと思います。先ず、確認しておきたいと事は、聖化とは、罪の性質をもって生まれた古い人である人間が、道徳的に良い人間になる事ではないという事です。聖化とは、何かを付け足す事でなくその過程でキリスト者に残存している古い人の罪の性質が弱体化、或いは減少化し、キリストを信じたキリスト者に与えられている神の性質が徐々に漸進的にあらわになっていく過程を意味しています。先日、私は我が家の金メッキされているスプーンが、金メッキがはがれて、銀色の部分があらわになっている事に気づきました。それを見て、聖化の過程と似ているなあと思いました。キリスト者の内側に与えられている神の性質が聖霊によってよって少しずつあらわになっていく事を、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていく事だとパウロは教えています。キリスト者になってから、聖化の道を究めて歩んできたキリスト者であれば、その人の人格という品性はキリストに似ている事を意味しています。ある姉妹の御主人が、奥様の導きでキリスト者になりました。その事を、その教会の牧師に証をしました。「先生、大変申し訳ないのですが、私がキリストを信じるきっかけとなったのは、先生のメッセージによって恵まれたからではないのです。それは、妻の中にキリストを見たからなのです」と。聖化の道を究める事をしてこなかったキリスト者の人格という品性は、救われる前とその後とは多少は変化をあっても、殆ど聖化は進んでいない事になります。ですからキリスト者にとって、「聖化の道を究める事」はとても重要なテーマだという事になります。これまで、7回に渡って「聖化の道を究めて」という事で、パウロがローマ書で説く「聖化の道」をお伝えしてきましたが、どうでしょうか。「聖化に道を究めて」日々歩むことが出来るようになられたでしょうか。先週のメッセージ聞いてある方が「春がきました」と喜びのメールを送って下さいました。聖化の道を究めると、間違いなくその人の心に春がやって来て、「春ののどけさは心に満つ」と喜びの賛美を口ずさむようになるのです。今朝のその喜びを得とくされるように、聖霊様の助けを祈ります。

1、聖化の鍵はキリスト者に内住されている御霊です

①キリスト者の霊に内住されている御霊

聖化の道を歩む鍵は、キリスト者の義とされた霊の中に内住されている「御霊」です。8章1節から17節において、御霊が14回使用されており、その御霊はキリストを信じるキリスト者の霊の中に内住されている事が教えられています。

1)「8:9 神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら」

2)「8:11もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、・・・」

3)「8:11 あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって・・」

②内住の御霊は、父なる神と御子なるキリストから遣わされている御霊

キリスト者の霊の中に内住されている「御霊」は、父なる神と御子なるキリストから遣わされているので、「神の御霊」「キリストの御霊」「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊」と呼ばれていいます(8:11)。ここに三位一体の神が啓示されています。「8:9もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、」の神は、父なる神を意味しています。「8:9キリストの御霊を持たない人」のキリストは神の御子キリストです。パウロは、聖化論の中で、父なる神と御子なる神と御霊なる神の三位一体の神を教え、私達の霊に直接触れて「聖化の道を歩ますのは父なる神と御子なるキリストによって遣わされている「御霊」だと教えています。

③キリスト者の霊

救われる前のキリスト者の霊は元々そこに存在していても、生ける神さまと直接触れ合うという交わりがなかったので、実質は死んだ霊でした。しかし、キリストを信じた結果として、その霊は罪が赦され義とされた霊となりました。その霊に霊なるキリストが内住されたと同時に御霊も内住されました。その結果、キリスト者の霊は、神さまと直接触れ合う事が出来る生きた霊となりました。「8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています」。キリスト者はキリストを信じた時に、永遠に罪が赦され永遠の義人となりました。その結果、御霊とは異なる霊なるキリストがその人の霊の中に内住されています。霊なるキリストを内住させている霊をパウロは「義とされた霊」と呼んでいます。キリスト者の霊は、霊なるキリストを内住させ、義とされ、その上に尚もキリストが遣わされた御霊を内住させている霊となっています。ですので、キリスト者の義とされた霊の中には霊なるキリストと霊なる父なる神と御霊の三位一体の神が内住されているのです。霊なる父なる神も、霊なるキリストも、私達キリスト者が「聖化の道を究めて歩むように」と願って、御霊なる神をキリスト者の霊の中で働かせておられる事が分かります。

2,聖化の為の御霊の具体的な働き

では、キリスト者の義とされた霊の中に内住されている御霊は、聖化の為に、具体的にどのような働きをされているのでしょうか。

①原理(法則)となって働かれている御霊

御霊の働きの第1は、キリスト者の霊の中で「原理(法則」となって働かれている」事が教えられています。「8:2御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した・・」

②キリスト者を導かれている御霊

御霊の働きの第2は、キリスト者を日々神の御心に叶った歩みをするように導きの働きをされている事です。「8:4御霊に従って歩む私たちの中に・・」。「8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」

③キリスト者が神の子として父なる神と親しく交わる事が出来るようにする御霊

御霊の働きの第3は、 キリスト者が神の子として父なる神と親しく交わる事が出来るように助ける事です。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」。私たちが、日々の祈りの中で御霊によって「アバ父よ」と呼びながら父なる神に親しく祈る秘訣は、自分の霊の中に、アバ父よと呼ぶ神の子の霊が与えられ、アバ父よと呼んで父なる神に親しく祈る者と既にされている絶対的事実を認めて安んじてそのように宣言する事です。その信仰に御霊が働き、父なる神に親しく祈っている自分を体験させて下さるのです。

④御霊は、キリスト者の霊と共に働く

御霊の働きの第4は、キリスト者の霊と共に働く御霊であるという事です。「8:16私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」。キリストは信じる者は「心の底から御霊が生ける水の川となって流れ出る」と約束されましたが、その御霊は信じる者の霊と共に流れ出て神の救いの御業など、恵みの御業をなさるのです。(ヨハネ7:38)

⑤御霊は、従う者に「いのちと平安」の思いを与える

御霊の第5の働きは、御霊の導きの御声に従うキリスト者の思いの中に「いのちと平安」の思いを与えて、キリスト者に御霊に従って神の御心の道を歩んでいる事を証明して下さるのです。キリストは「私の羊は私の声を聞き分ける」と約束されましたが、キリスト者が御霊を通してお語りになる羊飼いのキリストの御声を聞き分ける霊の耳が与えられているのです。(ヨハネ10:27)。その事実を認めて安んじるましょう。そうすると、御霊ご自身が私達に導きの御声に気が付くように助けます。以前、教団の先生方とフィリピンで開催された「アジアサミット」に出席をした事がありました。その帰りの前日に、某先生が、お金とパスポートの入った大事な財布を紛失されました。その事を私は知らなかったのですが、その事を知った先生方がみんなで一所懸命に探されたのですが、何処にも見当たりません。ほとほと困られた時に、ある先生がその事を私に知らせて下さったのです。私は、すぐに祈って御霊の導きを待ちました。その私の思いでは、御霊は自動車の中を探すように導かれたと思いましたので、某先生が乗っておられた大きなワゴン車を探しまわりましたが、見つかりませんでした。しかし、駄目かと思った時に、ふと私は助手席のドアのポケットに手を入れてみたのです。そうすると、財布がそこにあったのです。こうした事は、探し物だけではありません。生活の全ての事で困った事があれば、御霊は細き御声をもって助けの御手を差し伸べて下さるのです。もう一つ、証をします。私はある時、畑の草刈りをしようとしましたが、草刈り機の刃がかけて駄目になっていました。その時の私は草刈り機の刃を交換する方法を知りませんでした。そこで主に助けを祈りました。すると、幻の中で主の手がスーッと伸びてきて、主が刃を交換しようとされていたのです。私は、それを見て刃の交換方法が分かりましたので、「主よ分かりました」と返答して、刃すぐにを交換する事が出来たのです。イエス様は、私の羊は私の声を聞き分けると約束されました。キリスト者には、主が御霊によって語って下さる細き御声を確実聞き分ける霊の耳が備えられているのです。その事を認めて安んじましょう。そして、日々の生活の中でこれは主だと感じたら大胆に従いましょう。その時、もし不安や恐れや何か寂しい思いや意欲減退等の死の感覚があれば、それは肉に従っている可能性がありますので、少し止まって主に再度導きを祈り求めましょう。御霊に従っているかどうかの判定の一つ重要なチェック機能は、実際に御霊に従っていれば「いのち平安」という、幸せな感覚、幸せな思いが心を支配します。間違っていれば、肉の感覚、肉の思いである「死」と呼ばれる様々不幸な不安や恐れや焦りなど思いが支配的となります。私達には、御霊によって歩んでいるか、肉によって歩んでいるかを知るためのチェック機能が備わっているのです。

⑥御霊は、キリスト者の死ぬべきからだを生かして下さる

御霊の第6の働きは、キリスト者の死ぬべきからだを生かす働きをする事です。キリスト者は、神の律法を意志で守る事において全く無力なからだを持っています。そのからだをパウロは「死ぬべきからだ」と呼んでいます。その死ぬべきからだを生かして神の律法を守る事が出来るように働いて下さるのが御霊です。「8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」

⑦御霊は、キリスト者の罪を犯すからだを殺される

御霊の第7の働きは、キリスト者の罪を積極的に行う「罪のからだ」を殺して、キリスト者のからだが罪を犯さないようにする働きをする事です。「もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」

御霊は、私達の「死ぬべきから」だという、律法を守れないからだを生かして、律法を守れる働きと、罪を犯す「罪のからだ」にキリストの十字架の死を働かせて殺し、罪を犯さないようにして下さる働きがあります。これは、セットでなさる御業です。「死ぬべきからだ」は同時に「罪を犯すからだ」であるからです。では、私達は実際の生活の中で、御霊によってキリストのように正しく、聖く、愛と謙遜に満ち、罪を犯さない正しい生活を送るには、私達はどうすれば良いのでしょうか。

具体例を証したいと思います。私の車にはドライブレコーダーが搭載されています。そのドライブレコーダーは、私の運転をチェックする機能がついています。特に左に寄りすぎるとすぐにその事を警告します。運転が終わると、私の運転をABCで判定します。良ければA、悪ければCと判定を声で教えてくれます。しかし、私は、そのドライブレコーダーをうるさいなと思って、しばしば警告を無視して運転をしていました。高速道路で追い越し車線があると、100キロで時120キロで追い越したりする無謀な運転をしていました。しかし、今年になって「聖化の道」を皆さんと改めて学び直して、私は車の運転では古い人の思いのままに運転している事に気が付き、謀運転する古い人はキリスト共に十字架で死に、キリストと共に甦って交通法規を守って安全運転をする新しい人になった事に感謝し、私は正しい運転をするものですと認めて安んじて宣言したのです。すると、御霊が働いたのでしょう。それ以来、無謀な運転することなく、安全運転ができるようになったのです。その結果、連続で「Aです」とドライブレコーダーの判定は受けるようになったのです

もう一つ、具体例を証します。私達の古い人はすぐに人を批判したり見下げたりして、他人の語る言葉に真剣に耳を傾けなかったり、聞いているふりをすることがあります。それは古い人のなしている罪の行動です。私は、ある牧師の集いで、ふとそのような罠に陥りかけましたが、その時に、すぐにそのような古い人と古い人の邪悪な思いは、キリストと共に十字架で死に、キリストと共に甦り、キリストのように万事を神のなされた最高最善の御業として感謝する者とされているという事実と、全ての人をキリストのように謙遜になって最高最善のお方として尊び喜ぶものとなっているという、キリストにある霊的歴史的事実を心の中で認めて、安んじて、宣言しました。すると、万事を神のなさっている最高最善の御業として感謝し、全ての牧師方を自分より優る尊い存在として尊敬の心が御霊によって与えられ、平安と喜びが私を支配したのです。

以上のように、私達は、自分の感情や思いや行動の出所が古い人だと気が付けば、すぐにそれらは十字架のキリストと共に死んだものとして十字架の死に委ねましょう。また、キリストのように、正しく、聖く、愛と謙遜に満ちて生きるものとされているという、霊的歴史的事実に認めて、安んじて宣言しましょう。その上で、御霊の導きの細き御声に聞き従いましょう。そうすれば、御霊が十字架の死を罪のからだに働かせて殺して、罪を犯さないように、また、律法を守れない死ぬべきからだに御霊が働いて、律法を守れるように生かして下さるのです。

3,御霊はキリスト者に求められている神の律法の要求を全うさせる

御霊は、以上の7つの働きを通して、キリスト者に求められている「偶像を拝むな」「偶像を造るな」「主の名を汚すな」「両親を敬え」「殺すな」「姦淫するな」「盗むな」「嘘をつくな」「貪るな」というキリストの律法を、御霊に従う者に守らせ律法の要求を全うさせるのです。「御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」

以上の、キリスト者の義とされた霊に内住されている御霊を中心に、キリスト者のからだの構造をイラストで表すと以下のようになります。

【終わりに】

◆聖化への飢え渇き

以上の図で表しました御霊の働きを具体的に受けて、キリスト者が栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていく「聖化」の道を歩んで行くためには、思いにおいても、言葉においても、行いにおいても、キリストのように正しく、聖く、愛と謙遜に満ちて歩みたいと切に願う飢え渇きを持つ事です。パウロはその飢え渇きを持ちましたので、「聖化の道を究める事」が出来たのです。「ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」。是非、あなたもパウロのような飢え渇きが与えられるように、神さまに祈って下さい。

あなたも「聖化の道を究めて」実際に、キリストの姿である神の子としての人格と品性を御霊によって備えさせて頂きましょう。