「被造物とキリスト者と御霊の呻き」
聖書:ローマ8章18節~30節
牧師:佐藤勝徳
【はじめに】
ローマ8章18節~30節には、被造物の呻きからの解放、キリスト者の呻きからの解放そして、御霊の呻きという3つの呻きが教えられています。
1、被造物の呻きからの解放
統計で2000年の時点で15種とされていた生物の絶滅危惧種は2004年には182種、2008年には632種、2010年には1000種を超え、2015年には2000種、そして2020年は4000種類を超えたと言われています。温暖化を初め乱獲や疫病、自然災害など色々な要因が重なって起きていると言われています。正に、神が愛をもって創造された被造物は苦しみに「呻いている」と言わざるを得ません。使徒パウロは約2000年前に、既に被造物の「呻き」を聞いておりました。被造物がなぜ「呻く」という苦しみの中におかれているのか、それは被造物の意志ではなく創造主の神さまの意志によったとパウロは教えています。創世記3章を読みますと。罪に堕落したアダムに神さまは、地球全体が呪わる事を教えられました(創世記3:17)。人類と被造物の代表者アダムの堕落により、全人類は罪に堕落し、地球全体が呪われる結果を招いたのです。しかし、その呻く被造物は「神の子の出現を待ち望んでいる」と、パウロは、被造物を人格化(擬人化)して教えています。神の子というのは、キリストのような愛と正義と聖と謙遜さを身に着けたキリスト者の事を意味しています。キリストのような愛と正義と聖と謙遜さを身に着けた神の子であるキリスト者は、既に天地の造られる前から一定数決められています。その、神の子がみな出現した時に、「被造物は神の子たちに愛される喜びに満たされ、呻きから解放される事を知って切に待ち望んでいる」と、パウロは教えています。「ローマ8:19被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです」と。その時は、キリストが地上再臨された時です。キリストが地上に再臨される前、不信仰な人類への神の怒りによって「7年の大艱難時代」が到来する事を旧約聖書と黙示録が預言しています。その「7年の大艱難時代」において、地球上の人口が4分の3の死滅し自然も4分の3が破壊されます。海に生物がいなくなるのです。その7年の大艱難時代において、神が定められた数の神の子が全部揃うのです。その事を、パウロは「異邦人の完成のなる時」と呼んでいま。(ローマ11:25)。同時に大艱難時代を生き残ったユダヤ人も皆救われ、キリストのような素晴らしい人となるのです。キリストのような素晴らしい神の子となった異邦人のキリスト者とユダヤ人キリスト者が、キリストが75日間で修復された平和なメシヤ的王国の住民となり、被造物は呻きから解放されるのです。肉食動物は全て草食動物になり、毒のある生物もなくなり、人と生物、生物と生物の間に平和が訪れるのです。その平和を預言者イザヤが次のように預言しています。「イザ11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。 11:7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。 11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。」
2、キリスト者の呻きからの解放
ローマ5:12~8章17節までにおいて、キリストを救い主と信じた、キリスト者キリストのような人格者に変えれていく
「聖化のみ道」が教えられています。その「聖化の道」を究めて歩んでいるキリスト者には、迫害、病気や怪我、死という苦しみや悲しみが多くあり、やはり度々「呻き」の中を通されます。パウロは、厳しい迫害を何度も受けて、厳しい苦難を味わっていました(参照:Ⅱコリント11:24~27)。パウロは「おおよそ、敬虔な者は迫害を受ける」(参照:Ⅱテモテ3:12)と教えていますが、初代教会は厳しい迫害下を歩んでいました。しかし、キリスト教の歴史の中で、現代程厳しい迫害時代は無いと言われています。迫害下にある現代のキリスト者の数は3億数千万だと言われています。その中で、北朝鮮の迫害が最も厳しいと、「ミッション・宣教の声」は良く報告をしています。しかし、キリスト者がどのような厳しい苦難の中にあり呻いても、「やがて、将来啓示されようとしている栄光に比べる」と取るに足りないとパウロは教えています。キリスト者の将来に約束されているその栄光とは何でしょうか。それは、今日実現するかもしれない、キリストの空中再臨の時に、キリスト者の呻いているからだは永遠に朽ちない栄光のからだとなり、霊魂は完全な霊魂に変えられ、心身ともに完全変えられるのです。その完全なからだは、「もはや罪を犯す事なく、病気をすることなく、苦しむことがない」、永遠に喜びと平安と安らぎが続くからだです。パウロは、その時のことを思うと、その時までの様々な苦しみは、取るに足りないもので、忍耐できない事は無いというのです。現在の地上で、「呻いている被造物」、も、「呻いているキリスト者」も、共に現在の呻きから解放される時が必ず来るのです。
3、創造主の造られた被造物に感謝
パウロは、非人格的な被造物を人格化して「呻いている」と表現していますが、被造物というのは、蛇やナメクジやカエルやトカゲなど爬虫類を初め、昆虫類、哺乳類の動物や植物もなどの生物だけでなく、、石や鉄や水などの物質も、更に物質を構成している原子も、全て神さまが愛をもって祝福を願って創造された神さまの愛の作品です。人間だけが愛の作品ではないのです。被造物祝福された状態は平和です。破壊がない、戦争がない、苦しみがない、うめきがない。平和である事が、被造物の本来の姿です。旧約聖書の創世記1章が教えている通りに、被造物は神さまが6日間をかけて愛と正義と知恵と力とで創造された愛の作品です。被造物の一つ一つは、石ころ一つも神さまの愛と正義と知恵と力が凝縮されている宝物です。宝石だけが「宝」ではないのです。人間だけが宝ではないのです。万物の一つ一つが神の愛の作品という「宝石」なのです。私達が生活に役に立っている生活道具、住む家、着る服、靴、車など、全ては色々な被造物によって造られている大変尊いものです。私達が感謝しなければならないのは、食べ物だけではないのです。私達が地上で生きて行く為に、太陽や月や多くの星、空気、雨、風等万物が存在している宇宙空間そのものにも、感謝をしなければなりません。その被造物を与えて下さったのが、創造主の神さまですので、パウロは神さまがお造り下さった食べ物を神に感謝し、同時に万事に感謝する事を教えています。パウロは被造物を擬人化してまるで意志があるかのように語っていますが、御霊によって神の愛と喜びと平安に満たされた人は、自分を生かしている被造物の一つ一つを人格して愛して大事大事にするのです。パウロがそうでした。キリストもそうでした。キリストは父なる神が空の鳥を養っている事をご存知でしたので、どれほど一羽の鳥を人格化して愛された事でしょうか。キリストは野の花一輪を父なる神がソロモンの栄華に優って愛をもって装っておられる事を知っていたので、野の花一輪を見てどれほど喜び人格化して愛されたでしょうか。スイスの有名な精神科医のポール・トゥルニエ師は、自家用車を人格化して「名前」を付ける事の大切さを教えています。
詩篇の作者は、被造物が神さまの愛の作品であることを知っていたので、神さまの愛に答えて被造物を人格化して神を賛美するように呼び掛けています。
「詩148:1 ハレルヤ。天において【主】をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
148:2 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
148:3 主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
148:4 主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
148:5 彼らに【主】の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
148:6 主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
148:7 地において【主】をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
148:8 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。
148:9 山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
148:10 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。」
4、被造物に謙遜になろう
神さまは、アダムとエバを創造された時、「創1:28『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』」と、地球とのその中の被造物を支配し、管理する事を命じられました。支配せよという命令は、被造物を好き勝手にしても良いという事ではありません。神さまは、愛と謙遜の神さまですので、神さまの御心に叶った愛と謙遜に満ちた人に、万物を支配する権威を授けられるお方です。キリストは弟子達に、もし上に立つ人になりたければ、仕える人になりなさいと教えられました。(参照:マタイ20:26)。キリストが万物の支配者として神さまから任命され、主権が与えられたのは、キリストの御生涯が愛に満ち、ご自分を無にして全ての人を自分より尊い存在として喜び尊ぶ謙遜と従順に満ちたご生涯を歩まれた事によります。「ピリ2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、 2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、 2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。 2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」。
5、ミカンの実験
被造物を支配する権威は、愛と謙遜を身に着けた人によるのです。被造物はその事をまるで知っているかのように、被造物に対して愛と謙遜を示す者には、それなりの祝福をもって応答するように神さまが造られています。。同じ二つのミカンを、同じように皿において、片方のミカンには「称賛のことば」を、もう一つのミカンには「侮辱的なことば」をそれぞれ1週間ほどかけ続けた結果、10日後、称賛のことばを受けたミカンは「瑞々しさ」を保ち。侮辱的な言葉を受けたミカン、小さくしぼんでしまったという、実験結果が報告されています。被造物に対して私たちが謙遜になるという事は、私達を生かしている呻きの中にある一つ一つの被造物を神さまの愛の作品として感謝する事です。私達キリスト者が、住んでいる家、使っている家財、着ている服や履いている靴、生活の為に必要な一つ一つの物に対して、愛と謙遜をもって喜び感謝する事は、私たちの霊性が聖化される為に大変重要な在り方です。現在の呻く被造物に感謝するキリスト者は、やがて実現する、キリストが王の王としてご支配をされる「メイヤ的王国」に導かれた時、呻きから解放された被造物を愛して、被造物と共に生きるのです。
6、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約の成就としてのメシヤ的王国
7年の大艱難時代に荒れに荒れた地球を、再臨のキリストがたった7日間で、エデンの園が回復したかのような美しい自然に回復され、罪や病いは激減し、人間の寿命は殆どの人が1000年を超え、早死にでも100歳までは元気に生きる世界にされます。その世界は、人が幼くして無くなるという事は一切ないのです。飢餓はありません。災害もほんの少しはありますが殆どありません(参照イザヤ65:17~25)。悲惨な破壊と殺戮をもらす戦争も一切ありません。武器はありません。兵学校もありません(参照:イザヤ2:1~4)。それがアブラハム契約(創世記12:1~3他11か所あり)、土地の契約(申命29:1~30:20)、ダビデ契約(Ⅱサム7:11~16、Ⅰ歴代17:10~14)、新しい契約(エレミヤ31:31~34)という、神がイスラエルと結ばれた4つの無条件契約が実現する「メシヤ的王国」です。被造物はそのメシヤ的王国を待っているのです。その被造物を愛する道が、「キリストの如く聖化される道」です。聖化の道を歩んでいるキリスト者は、自分たちを生かしている被造物に対して、キリストにあってキリストの如く愛と謙遜をもって喜び感謝するものとされているという霊的事実に安んじて、聖霊の働きを受けて、万物に愛と謙遜を表して生きるのです。
7、御霊の呻きの祈り
キリスト者は、呻く被造物を愛しながらシヤ的王国の到来を待ち望むと共に、、キリストが空中に再臨された時に、病気をしたり、苦しんだり、死んだりする自分の罪に堕落したからだが、復活のキリストのからだのように、栄光の体に必ず復活する、或いは変えられる事を希望として歩むのです。それが「聖化の道」です。その希望を持つキリスト者に対して聖霊は喜んで働き、キリストの空中再臨に備える聖化された霊性を与えて下さるのです。パウロはその希望を次のように表現しています。「ローマ8:23そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 8:24 私たちは、この望みによって救われているのです」。以上のような聖化の道を歩んでいても、キリスト者はこの地上では様々な痛みや苦しみがあります。祈りたくても祈れないときもあります。しかし、キリスト者に内住されている聖霊は、その苦しみや悲しみをご自分の苦しみや悲しみとして「呻き」ながら、父なる神の御心に一致して祈りを届けておられるのです。それが、霊なるキリストの命令によって私たちを「聖化の道」を歩ませて、キリストのような人格者に変えて下さる御霊です。キリスト者の霊の中に内住されている「アバ父よ」と呼ぶ御子の霊である御霊は、母の如き、優しさに満ちて私たちの痛み苦しみをご自分の痛みや苦しみとして、呻きながら父なる神に、私達に平安があるように、喜びがあるように、祝福があるように、切に切にとりなしをされているのです。
あなたも、キリストを信じて、呻く被造物を愛し、キリストの空中再臨の時に、あなたの病気をしたり、罪を犯したり、死ぬ運命にある呻くからだが復活のキリストのように栄光のからだに変えられる希望を持つ人、また、メシヤ的王国を希望として待つ人となりますようにお祈りしています。