「パウロのイスラエルへの愛②」
聖書:ローマ9章1節~5節
牧師:佐藤勝徳

【はじめに】

◆アブラハム契約の神

神がイスラエルを選民とされた目的は、イスラエルを通して世界を祝福する為でした。神さまはその事を、アブラハム、イサク、ヤコブに繰りかえしお示しになりました。その約束を神学的に「アブラハム契約」と呼びます。創世記だけで11回も繰り返し啓示されています。 1)第1回目:創世12:1~3。2)第2回目:創世12:6~7。3)第3回目:創世13:14~17。4)第4回目:創世15:5~7。5)第5回目:創世15:17~19。6)第6回目:創世17:1~8。7)第7回目:創世18:17~18。8)第8回目:創世22:15~28。9)第9回目創世26:2~5。10)第10回目:創世28:13~15。11)第11回目:創世35:11~12。 神さまがアブラハム契約を永遠の契約としてイスラエルと結ばれた神であることを示す為に、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」(合計9回)だと繰り返し啓示されました。
1、パウロの同胞イスラエルの為の救いと祝福を祈る動機
パウロが、同胞のイスラエルの救いの為に、「自分自身が呪われてキリストから切り離される事を願う」と、祈ったその最も重要な動機は、神さまが永遠の契約である「アブラハム契約」に基づいてイスラエルが必ず世界を祝福する民となるという、神さまに特別に愛されている民族であった事によります。 パウロは、世界の祝福の為に選ばれたイスラエルが、その使命を果たす民族となる為にキリストを信じて救われ、「聖化の道」を歩む民族となるように切に願いました。
2、罪に堕落した人類への神さまの裁きの歴史
人類の代表者として創造されたアダムが、神の禁じられた「善悪を知る木」から取って食べるという不従順の罪を犯した結果、悪魔によって単数形の罪アマルティアが世界に入って来ました。それによって人類は死の支配と共に、単数形の罪アマルテイアの支配を受けて、多くの罪を犯す罪の性質を持った古い人となりました。そのような、人間が世界に増えた結果、世界はやがて暴力で満ちるようになり、ノアの時代に大洪水でノア家族8人以外は神さまに裁かれて全部滅ぼされました。その生き残ったノア家族から、再び人口が増えていきましたが、人類は再び創造主の神さまに反逆し、反逆の印として天まで届くバベルの塔を建てようとしたのです。その結果再び神に裁かれて、一つだった言葉が乱されて多くの言葉が生まれ、コミュニケーションが出来なくなり、人類はバベルの塔建設は断念せざるを得ませんでした。その時の神の怒りによって人類に氷河期がおとずれ、人類は世界に散ったのです。(氷河期については、「聖書66巻の終末論/創世記の終末論Ⅲ」/2023年4月2日にアップしたレポートをご覧ください)。

3、人類を救い祝福するための神のご計画
◆アブラハムとイスラエルの人類の救いと祝福の為の祭司的使命
以上のように、繰り返し創造主の神さまに反逆する呪われた人類に対して、氷河期後に神さまはなお救いの御手を差し伸べられました。神さまは人類の創造者として、「全ての人が救われて神さまの祝福の中を生きる事」を切に願っておられます」(参照:新約聖書Ⅰテモ手の手紙2:4)。その為に、アブラハムとその子孫であるイスラエルを通して人類の救いと祝福の為にご計画をお立てになりました。そこで、先ずアブラハムが偶像の町ウルから導かれ、約束の地であるカナン(現在のパレスチナ)に導かれてきました。アブラハムはそのカナンの地で、「アブラハム契約」を神さまから与えられました。ある時、ソドム、ゴモラの町の住んでいた甥っ子のロトが、敵の連合軍によって財産を奪われ連れ去られてしまいました。その事を聞いたアブラハムは約400人の僕たちと共に、その敵の連合軍と闘って打ち勝ち、ロトと奪われたロトの財産とソドム、ゴモラの王たちの財産も奪い返しました。その時、アブラハムはサレムという町の王であり、いと高き神である創造主の大祭司であったメルキゼデク(神の御子が大祭司メルキゼデクとなって父なる神に奉仕をしていた)に戦利品の中から最良のものの10分の1を献げました。(創世記14章)。その、アブラハムがメルキゼデクに10分の1の捧げものしたことについて、へブル書の著者が不思議な解説をしています。それは、アブラハムの死後、孫のヤコブから生まれ、やがて祭司の役割を担うようになった「レビ人」が、アブラハムの腰にあって、アブラハムと共に祭司メルキゼデクに10分の1の捧げものをしたというのです。(へブル7章)。それは、アブラハムが、モーセ律法とは別に世界に神さまの祝福が注がれる為の仲介役をする祭司的使命を帯びていた事を教えています。アブラハムはメルキゼデクから祝福され、祝福したメルキゼデクを通して神さまに10分の1を献げ、世界の祝福の為の仲介役という祭司の役割を果たしたのです。又、アブラハムが苦しみながらも神様に命令に従って復活信仰をもってモリヤの山(後にエルサレム神殿が建つ場所)で愛するイサクを本当に献げようとした事は、全て世界に神さまの祝福をもたらす為の仲介役としての祭司的行為でした。信仰と従順のテストにアブラハムは合格したので、愛するイサクを生きたまま再びアブラハムの懐に返されました。それによって、アブラハムの子孫から世界のメシヤ(救い主)が来臨することが確実になりました。また、イスラエルの民がモーセ律法に従って約1400年間、天幕と神殿で罪の赦しの為に犠牲の動物の血を流し続けた事は、単にイスラエルの民の罪の赦しの為だけでなく、世界の救いと祝福の為にメシヤ(キリスト)を世界に来たらせる為の祭司的預言的行為であったのです。以上の歴史の積み重ねでイスラエルからメシヤ(キリスト)が誕生しました。又、約40人のイスラエル人を通して聖書が人類の救いと祝福の為に与えられました。イスラエルは、罪に堕落した世界に神さまの祝福をもたらす為の仲介役である祭司として召されているのです。「Ⅰペテ 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」

4,神もパウロも断腸の思いでイスラエルの救いと祝福を願われた
神さまは、世界を祝福する使命を帯びたイスラエルを特に「目の瞳」のように愛されました。(申命32:10、ゼカリヤ2:8)。それ故に彼らが不信仰と罪で裁かれる時、神様はいつも「断腸の思い」で痛まれたのです(参照エレミヤ31:20)。イスラエルが不信仰の罪の為に、「世界の国々に散らされ多くの厳しい苦難の中を通らなければならい」と申命記28章64節~68節で預言されている事を知っていたパウロは、同胞のイスラエルが不信仰の罪の為にやがて世界に散らされ、過酷な苦難の道を辿る事を思うと、断腸の思いで彼らの救いと平和を祈らざるを得なくなりました。パウロがローマ書を書いていた時は、まだ、イスラエルはローマによって滅ぼされていませんでしたが、その日が近い事をパウロは知っていましたので、「聖化の道」を歩んでいたパウロの心には、聖霊の働きで、イスラエルを愛する思いが非常に強くなり、断腸の思いでイスラエルの救いと平和の為に「自分自身が呪われてキリストから切り離される事を願う」と祈ったのです。

【終わりに】
イスラエルに対するパウロの断腸の思いの祈りと共に、天において今も断腸の思いで祈っておられるキリストの祈りが通じて、やがて全世界はイスラエル民族を通して神さまの祝福に与る時がきます。その時が近づいています。
神さまがイスラエルを目の瞳のように愛されているように、あなたの事も神さまの創造の愛の作品として「目の瞳のように愛し」、断腸の思いいであなたの平和と祝福の為に祈っておられます。                                 「ヘブル 7:25 したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」