「ヘブル書のキリスト⑦」
聖書:ヘブル他人への手紙:3章:1~19節
牧師:佐藤勝徳
「3:1 そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。 3:2 モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。 3:3 家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。 3:4 家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。 3:5 モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。それは、後に語られる事をあかしするためでした。 3:6 しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。 3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、 3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。 3:9 あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。 3:10 だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。 3:11 わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」 3:12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。 3:13 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 3:14 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。 3:15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。 3:16 聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。 3:17 神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。 3:18 また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。 3:19 それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。」
【はじめに】
プロのサッカー選手でゴールキーパーをしている22歳の野澤大志ブランド選手が、所属するFC東京から、ベルギー1部リーグのロイヤル・アントワープに移籍する事になったので、6月28日の試合後に感謝の挨拶をしました。その感謝の挨拶の最後に、「自分を変えてくれたイエス・キリストに感謝しています」と、イエス・キリストを証していました。
イエス・キリストが彼をどのように変えたのか具体的には分かりませんが、彼は数年前から、インスタグラムを初め、イエス・キリストの証や聖書の御言葉の発信を始めています。インスタグラムの最初に「野澤 大志ブランドン 神イエスは愛です!✝️」と、「イエス・キリストは神であり愛のお方」だと発信しています。ブランド兄弟は現代の日 本において、特に若者に対して非常に重要なメッセージを発信している「天に召された聖なる兄弟」の一人です。ヘブル書の著者は、特に、キリストが創造主の偉大な神だという事を力点にしてへブル書を書いています。
1、モーセに優る偉大な神キリスト
これまでのメッセージと少し重なりますが、彼は、初代教会の迫害下にあったユダヤ人キリスト者の間に起こって来た間違ったキリスト論を否定しながら、キリストが偉大なる創造主の神さまだと論じています。1章では「天使に優るキリスト」を論じました。3章では「モーセに優るキリスト」を論じています。ユダヤ人は三位一体の神が中々受け入れられないので、キリストを神だと中々確信できません。その為にキリストは偉大な一人の人間として受け止めていたようです。ユダヤ人にとって最も偉大な人とは「アブラハム」とか「モーセ」が取り上げられますが、そのモーセの方がキリストに優るのではないかと思い始めたのです。そこで、ヘブル書の著者は、キリストがモーセに優る事を証明するように聖霊に導かれて、モーセに優るキリストを教えました。モーセは、イスラエルと言う、「神の家」全体に対して忠実なイスラエルの指導者でした。彼は、イスラエルをエジプトから解放した後、一度だけ神さまに背きました。
それは、岩に向かって宣言して水を出すように命じられましたが、イスラエルのあまりにもひどい不信仰に彼は怒りを抑えられず、怒りをもって岩を二度打ち叩いたのです。その時に水が岩から流れ出てきました。その怒りが、神さまの御心に一致していなかったので、彼その一度の背きの為に、約束のカナンの地に入る事が許されなかったのです。モーセは神さまに背いたのが一度だけでしたので、神さまからは「忠実な者」と、喜ばれていました。そのモーセに対して、イエス・キリストはご自分を、万物の創造主として、イスラエルと言う家を建てる者として、また、メシヤとしてお立て下さった父なる神さまに100%忠実であったお方です。神さまに背かれた罪は一度もありませんでした。モーセはイスラエルと言う家の一人でしたが、キリストはモーセを含めイスラエルと言う家を創造されたお方であるので、当然、イエス・キリストはモーセに優る存在ですと、ヘブル書の著者は教えています。家よりも家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様ですと教えています。人間は自分達の住む為の家を設計し、建てますが、万物を造られた方であるキリストは神だと教えました。モーセは神の僕として、神の家であるイスラエル全体に対して忠実でしたが、キリストは御子なる神として神の家であるイスラエルを忠実に治められるお方です。イエス・キリストをモーセに優る偉大な創造主の神として、イスラエルを治められるお方ですので、その確信と、日々の生活において与えられるキリストによる愛の助けや恵みを希望とし、その希望を誇りとして喜ぶ事を人生の終りまでしっかりと持ち続けるなら、私達が神の家なのですと、断言しています。イスラエル民族は神の家として創造されたのですが、キリストを否定して、神の家として、神の栄光を現す事ができなくなりました。それは、自分達を創造されたイエス・キリストを十字架にかけて否定した事によります。でも、神の家として神の栄光を現す使命を失ったのではありません。やがて、終末の時代、大艱難時代の最後の時、神の憐れみにより、イスラエル民族に神の恵みと哀願の霊が注がれ、イスラエル民族が民族ごとキリストを十字架にかけた先祖の罪を自分の罪だと認め、悔い改めに導かれ、十字架にかかられたナザレのキリストが旧約聖書の預言していたメシヤだと認め、イスラエル民族全部が声を合わせて天におられる大祭司キリストに向かって「主の名によって来られる方に祝福あれ」と叫んで、キリストをメシヤとして迎えます(マタ23:39)。その叫びに応じてキリストは地上に再臨されるのです。
2、神の家となる道
それまでの間、ユダヤ人キリスト者が、メシヤであるキリストが偉大な天地万物の創造主であり、天使に優り、モーセに優る喜びの賛美と感謝をもって礼拝を捧げるべきお方だという、真理にしっかりと立ち、自分達を治め、支配されているお方として、喜んで聞き従うならば、それこそ、父なる神がお住い下さる神の家となって父なる神さま御自身が神さまの栄光を現して下さるのだと教えました。罪びとの人間にとって、自分を通して神がご自身の愛と正義と言う栄光を現して頂けるほど幸いな事はありません。神の家となる特権は、今は、ユダヤ人キリスト者のみだけに与えられている特権ではなく、異邦人キリスト者にも与えられている重要な恵みの特権です。新約時代の教会は、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者で構成され「新しいひとりの人」と呼ばれています。その新しいひとりの人と言う人格的教会を通して、神が働いて世界に神の祝福をもたらす働きをするのです。そのひとりの人が「キリスの御体なる教会」ともなり、「神の宮」とか「神の家」ともなっているのです。
◆「エペこのことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、 2:16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。」
二つの者と言うのは、ユダヤ人と異邦人の事です。その両者がキリストにあってひとりの新しい人と言う、人格的共同体となり、又、同時に、キリストの一つのからだとして、キリストの栄光を現すのです。
◆「ロマ 12:5 大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。」
◆「エペ 1:23 教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」
◆「エペ2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。 2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、 2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
◆「Ⅱコリ 6:16 神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
◆「Ⅰテモ 3:15 たとえ遅くなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたに知っておいてもらうためです。神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。」
生ける神の家、生ける神の宮、生ける神の教会を作っている材料は、一人一人のユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者です。そのキリスト者の事をペテロは「生ける石」と呼んでいます。普通の建築物の家は、家の中に住む人のためにあります。そのように、霊の家である教会は、教会の中に住む父なる神さま、主イエス様、聖霊の三位一体の神さまの為にあります。生ける神の家である教会を構成している生ける石であるキリスト者一人一人に神さまが働いて、この世界に神の祝福をもたらす働きをされるのです。また、神の正義の裁きをも表す働きもされるのです。神の家とは、神さまに従って生きて神の祝福をもたらす働きをなす人格的存在です。そこから、神の家は、キリストのからだと呼ばれるようにもなっています。全てのキリスト者で構成されるキリストの御体なる教会は、キリストの愛と正義と知恵と力という、キリストの人格を現し、世界に神さまの祝福をもたらすのです。罪に堕落したものが、罪を赦されて、永遠の義人とされ、永遠の命を与えられ、神の聖なる性質を造りこまれて神の子とされた事で、初めて、キリストによって一人の新しい人と言う、人格的共同体とされ、また、同時に、神さまが住んでお働き下さり、生けて動く世界に神の祝福をもたらする神の家、神の宮とされ、更に、キリストの御体なる教会とされ、キリストの人格を表す動的な生ける教会として世界に神の祝福をもたらすのです。そにょうな使命が与えられている事ほど、幸いな使命は有りません。それ故に、神さまが生きて働いて下さる生ける家となるには、天使に優る創造主のイエス・キリスト、モーセに優る万物の創造主の神さまであるイエス・キリストの愛と正義を心から喜び讃え、日々キリストに従う事が必要だとヘブル書の著者は教えています。
3、神の家であるイスラエルの失敗の歴史
生ける神の家として、キリストによって創造されたイスラエルの民の過去の暦を振り返ると、神の家としての実質を表す事に失敗の歴史であったことを、ヘブル書の著者は教えています。
その一例として、エジプトから救われ、荒野を40年間放浪したイスラエルの先祖の不従順の罪をあげています。
◆「きょう、もし御声を聞くならば、 3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。 3:9 あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。 3:10 だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。 3:11 わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」 エジプトを出た、イスラエルの民族の第1世代の人々は、その不信仰と不従順の罪の故に、全てが荒野の神の怒りによって裁かれて滅んで行きました。
◆「3:16 聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。 3:17 神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。 3:18 また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。 3:19 それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。」
4、イスラエルの失敗の歴史に倣うな
ヘブル書の著者は、1章2章で、神さまは憐れみ深いお方、キリストは憐れみ深い大祭司だと、神さまの優しさに強調点を置いて、キリストが創造主の神さまだと論じてきましたが、3章では、その憐れみ深い大祭司なるキリストは、神さまの全権を託された使徒なるキリストであり、天使に優るキリスト、モーセに優るキリストだと論じています。そのキリストを信じる信仰によって、迫害があるからと言って、何らかの苦しみや悲しみや試練があるからと言って、神さまをいつも喜び、賛美しつつ聞き従うという事をしなければ、あの荒野で不信仰になり、神さまをいつも喜ばず、賛美せず、感謝もせず、つぶやいて偶像崇拝に落ち込んだイスラエルを怒り裁かれたあの時のように、神さまが、現代の生ける神の家を構成しているキリスト者を神として厳しく怒り裁きをなさるんだと警告をしています。
◆「12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。 3:13 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 3:14 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。 3:15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。」
私たちは、どんなに厳しい酷と思える苦難や災いが臨み、苦しみ、悲しんでも決して、神さまに反抗的になって背いてはいけないのです。痛み悲しみ苦しみつつも、その苦難は神さまが与えて下さった最善として、心静かに深く受け止めて、神さまに感謝を捧げ、喜びを捧げる必要があるのです。その神さまへの信仰を失うと、人は不従順となり、自分の欲望と思いのままに生きるという霊的偶像崇拝者になってしまうのです。神はそのような不信仰と不従順をすぐには裁かれませんが、忍耐して、神さまに対して正しい在り方へと悔いあらためるように導かれます。しかし、神が忍耐して待っても待っても、荒野で裁かれたイスラエルの民のように反抗的な態度と不従順を続けるならば、そのキリスト者を神さまは厳しく怒り、訓練として厳しい苦難の中を通されます。キリスト者は、キリストへの信仰による永遠に罪が赦され義人とされていますので、この地上での不信仰と不従順に対して神の怒りを受け裁かれると言っても、永遠に裁かれて滅びる事はありません。この地上で受ける祝福がさし控えられ、苦しみと試練が増大するという裁きを受けるのです。もちろんその苦しみは、悔い改めに導く為の神の愛の訓練としての苦難、試練だという事をヘブル書の著者は12章で教えています。
5、神を永遠に喜び賛美する理由
最後に、正しい理解をもって、創造主の神さまを、喜び賛美する事について学びたいと思います。
①愛の神さま
私達が創造主の神さまを永遠によろこび賛美する最大の理由は、私達をいつもあらゆる事を祝福で満たそうとされている愛のお方だという事です。その、愛は、神さまがお造り下さった自然を通して示されています。また、聖書を通して示されています。更にイスラエルを通して示されています。そして、イエス・キリストのご生涯と十字架の死と復活によって示されています。
②正義の神さま
次に、私達が神を喜び賛美する理由は、神は罪や悪を忌み嫌われる正義のお方であり、忍耐の末に、悔いあらためない者には厳しい怒りをもって裁きをなさる峻厳なお方だと言う事です。神が罪と悪を忌み嫌う正義のお方は、峻厳なお方だという事も、喜び讃えるべき神の聖なる性質です。パウロは、ロマ1章で創造主こそ永遠にほめたたえるべきお方だと教えていますが、その同じロマ書1章で、創造主が、不信心な者、真理を否定する者に創造主の神は厳しく裁きをもって臨んでおられると教えています。
1)旧約聖書における神さまの裁きの出来事
罪を犯したアダムとエバはエデンの園から追放されました。罪が満ちたノアの時代の人々は大洪水で滅びノアの家族8人だけが生き延びました。神に逆らったバベルの塔の時代の人々は、言葉が乱され、平和を失い、氷河期を迎えました。北イスラエルは神に逆らい偶像崇拝と多くの罪に堕落し、BC722年にアッシリアによって滅ぼされました。同じように南ユダ王国もBC586年にバビロンによって滅ぼされました。キリスト時代のイスラエルは、キリストを十字架にかけて殺した罪の故にAD70年ロマによって滅ぼされました。
2)万事の背後にある神さまの善なる御心
以上のように、聖書の中において、神に逆らった為に、神の厳しい怒りによって裁かれ滅びゆく出来事が多く教えられています。そのように、人類が過去において、現在において体験している様々な自然災害や人災や戦争などの苦難の出来事の中に、人類の不信仰と罪に対する神の怒りによる裁きが啓示されているの言うのが聖書の教えです。1つの災いには、罪に対する神の怒りと、罪の悔い改めに導き永遠の救いに導くという神の憐れみと、キリスト者を霊的に訓練するという愛のもわざと、神の栄光を現すという御心とが複雑に入り組んでおり、因果応報の教えだけで解答を見つける事はできません。ヨブの苦難は、ヨブの罪とは何の関係もありませんでした。悪魔や強盗共の悪意と神の愛の許可と言う御心が複雑に入り組んでヨブは苦難を体験しました。イエス様の十字架の苦難もキリストの罪とは何の関係もありませんでした、悪魔の悪意と当時のユダヤ人指導者の妬みと悪意、民衆の指導者によって扇動された横暴を神さまが許可されて、人類を罪から救うという御心がなされました。しかし、その許可された悪や罪に対しては厳しく裁きをされました。多くの災いや苦難の意味はその時は分からず後になって知る事も多くあります。いずれにしても、万事は全てその背後に神の愛と正義という神の最善の御心が働いて起きている出来事なのです。それ故に万事を神の善にして善なら最善の御業だとして喜び賛美し感謝する事を聖書は教えています。神さまは、完全なお方です。その愛、その正義、その知恵を、その力、全ては完全であり、その御業について、万事について、天使からも誰からも何ひとつ非難されたりする問題点はありません。それが絶対の神だという意味です、万物の目的であり原因である父なる神さま、父なる神さまの設計に基づいてイスラエル民族を神の家として創造し、万物を創造されたイエス・キリストは誰からも何の非難も受ける必要が無い何一つ欠点がない完全なお方です。父なる神も御子なる神も聖霊なる神の三位一体の創造主の神は、永遠に完全で完璧で、その為さることはいつも完全で完璧で、永遠に喜び、賛美し、感謝されるべきお方です。神さま、その事をいつもイスラエルに教えられてきましたが、イスラエルは苦難に会うとその信仰を捨てて、不信仰になる罪に堕落し、神の厳しい怒りを買う歴史を繰り返してきました。迫害の厳しい、初代教会のユダヤ人キリスト者の中に、その苦難の故に神を永遠に喜び讃えるお方だという信仰が揺らぎ始め、不信仰へ陥りかけたユダヤ人キリスト者が出てきましたので、ヘブル書の著者は警告を発信したのです。
◆「12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。 3:13 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 3:14 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。 3:15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」
6、最初の確信
最初の確信、それは、十字架にかかり罪を清めて下さったキリストは、万物の創造者であり保持者であり、憐れみ深い大祭司であり、天使に優るお方、モーセに優るお方であり、永遠にいつも喜び賛美され、感謝を受けるべきお方だという確信です。
私は19歳で洗礼を受けてからもうすぐで60年になります。その間、幾度も最初の確信が揺らぐ試練に度々遭遇してきました。しかし、神さまの憐れみで、77歳になった今は、最初の確信に導かれ、父なる神、御子なるキリスト、更に聖霊なる神さまに対して、又、神の御業である善にして善なると言われる万事に関していつも喜び賛美し感謝する信仰の思いが以前にまして強められている事を感謝しています。父なる神さまに対して、「私が、恐れつつ、聖名をいつも喜び賛美し感謝を捧げています父なる神よ」と、生ける父なる神さまの臨在をしっかりと目の前に意識しながら祈りを捧げています。父なる神さまをいつも喜び讃え感謝する気持ちが強いと、祈りが口先だけでなく、神さまの臨在を目の前にしっかりと意識しながら、心の底から捧げる事ができるようになります。また、父なる神さまとの生きた交わりの中に生かされている喜びが深まるのです。また、神さまが祈りに答え下さる事を期待する心が深まり、祈りを捧げる喜びが深まるのです。その人の祈りは罪赦された義人の祈りとして、父なる神さまの御心を動かすのです。それが、ネヘミヤの祈りでした。バビロン捕囚から再び約束のカナンの地に帰って来た時のネヘミヤの祈りがネヘミヤ記に啓示されています。厳しい裁きを体験したネヘミヤの祈りです。
◆「ああ、天の神、【主】。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。 1:6 どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。 1:7 私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。 1:8 しかしどうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。 1:9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る』と。 1:10 これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。 1:11 ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」
【終わりに】
私達も、慈愛と峻厳に満ちた父なる神さまに対して、罪があるならば罪を悔い改め、ネヘミヤのように「ああ、天の神、【主】。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。 1:6 どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください」と祈る者とされましょう。祈りの答えを沢山体験して、野澤大志ブランド兄弟のように、いつも喜んで自然に、イエス・キリストに感謝していますとか、創造主の父なる神に感謝していますと、証ができる者とされましょう。
