「神を愛し隣人愛に生きる秘訣」
聖書:マタイの福音書:22章35節~40節
牧師:佐藤勝徳

「マタ22:35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。 22:36 『先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。』 22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』22:38 これがたいせつな第一の戒めです。 22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです』」。

【はじめに】
 先週の日曜日礼拝で、「創造主の愛」と言うテーマで、「隣人愛に生きる秘訣」について学びましたが、今朝は、も少し突っ込んで「隣人愛に生きる秘訣」について学びたいと思います。パウロは、Ⅰコリント13章の愛の憲章において「愛が無ければすべては空しい」と、厳しく教えています。どんなに人から称賛を受けるような立派な事を語り、立派な業績を残し、立派な犠牲の行為があっても、その動機が神を愛し隣人を愛する動機でなく、自己の名誉の為と言う、動機であれば、その立派な言葉や業績や犠牲の行為は神の御前には空しいもので、神さまから何の報いも祝福も受ける事が出来ないのです。ですから、純粋に隣人愛に生きるという事は、私達キリスト者にとって大変重要なテーマとなっています。
昔、キリストが在世されていた時、聖書学者が、イエスを愛する心からでなく、イエスの聖書知識を試し、正しく返答できなければ、イエスはメシヤではないと言いふらすつもりで、イエスに質問をしました。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか」と言う質問でした。「先生」と、イエスを尊敬しているふりして、実は大変腹黒い心でイエスに質問をしているのです。それをマタイは「イエスをためそうとして」と表現しています。
美しい言葉、上品なことば、麗しい言葉を語っているから必ずしも、心はそうでない事は、私たち罪びとの社会では良く見かける光景です。しかし、そのような罪びとに対して、創造主の神さまは、一人一人と日々どのように接して下さっているのでしょうか。罪びとの私たちが、創造主の神を愛し、隣人愛に生きるには、創造主の神さまを聖書によって正しく理解し信じておくことは絶対に欠かす事は出来ません。自分の思い込みの神さまを捨て、聖書に啓示されている神さまを神さまとして認識する事が必要です。

1、一人一人は母の胎内で創造主の御手によって創造されています
 創造主の神さまは、天地万物を永遠の愛と知恵と力をもって創造されましたが、私達一人一人はそれぞれの母の胎内で特別に御手を差し伸べて個性豊かにご自身の形に似せて創造されたお方です。男女の性の営みによる単なる生殖と言う法則によって人は誕生しているのではないのです。聖書は詩篇139篇で次のように教えています。「詩139:13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」と。すごい事です。詩篇の作者は、自分と言う存在は、創造主が母の名内で御手を伸べて造って下さった愛の作品だと確信していたのです。愛する兄弟姉妹、あなたはその事を確信していますか。現代の医学でも、遺伝子がどのようにして情報を得るのかは分かっていません。そこに情報があるという事だけが分かっています。意味と目的に沿った知恵のある情報と言うのは、決して知恵が無い、目的意識が無い偶然は生み出す事は出来ません。意味と目的のある情報は、知恵のある存在、目的意識のある存在によってはじめて生み出されるものです。細胞のDNAにインプットされた情報は、聖書が教えている通り愛と知恵と力に満ちた創造主がインプットされたものだとしか言いようがありません。一つの細胞の一つのDNAの情報量は、聖書が約1000冊分の情報がインプットされていると、昨年10月27日講演して下さったオーストラリヤの植物学者ドン・バテン博士が教えていました。あなたは、聖書に教えられている通りに、創造主があなたの母の胎内で御手を差し伸べ、受精卵に情報をインプットされ、その情報通りに全てをコントロールしながらあなたを誕生させられたのです。その事が、クリエーションリサーチ2026年1月号で次のように教えられています。「生命の誕生は神秘に満ちています。母親の胎内で、受精の瞬間から新しい生命が形造られて行き、母体も出産時に変化に対応していきます。それらは既に私達のDNAの中に、将来を見通した綿密な設計情報として記録されているのです。聖書には「あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」詩篇139篇13節、と記されています。あなたは目的をもって創造された価値ある存在なのです」
以下のイラストで示されているように、人が人として誕生する為の生殖の緻密な仕組みは、知恵のある人間もその仕組みを造り出す事は出来ません。ならば、なおさら知恵が無い目的が無い愛情が無い、無い無いずくしの偶然では決して出来なのではないでしょうか。聖書の教えによれば、それは天地万物を創造された愛と知恵と力に満ちた創造主による創造の御業なのです。あなたは間違いなく創造主が母の胎内で創造された愛の作品、愛の傑作品なのです。
ではあなたや私を創造された創造主が、どのようなお方なのか、改めて聖書の教える創造主の神さまについて学びたいと思います。

2、創造主は愛である
①平和と慈しみと憐れみに満ちた神
 聖書は創造主が愛であると一貫して教えています。創造主が愛であるというのは、創造主はご自身が創造された万物が私やあなたが平和のうち、穏やかさの中に存在する事を願って創造されたという事です。創造主は、戦争によって人が死んだり怪我をしたりするだけでなく、動物や生物が死んだり怪我をしたりする事、人間の住む建物や街が破壊されるだけでなく、動植物が安心て穏やかに住む森やジャングルや自然が破壊される事を決して望んでおられない慈しみ深いお方です。創造主は、子烏がお腹を空かして泣き叫んでいる事に心を痛め、餌を準備して与えるお方です。
「ヨブ 38:41 烏に餌を備えるのはだれか。烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようときに。
「詩 147:9 獣にまた鳴く烏の子に食物を与える方。」
創造主は人間の強欲の為に、又、繰り返される戦争の為に自然が破壊され、動植物にとって生きづらい環境になっているこの世界を見て、動物たちと共に、又、苦しみの中あるに全ての人ともに呻き苦しんでおられる慈しみ深い、憐れみ深いお方です。それ故に、やがてこの罪に満ちた世界から全ての武器を消滅させ、軍隊を全てなくし、戦争が一切ない平和な世界にされる事が約束されています。
「イザ 2:4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」
創造主は、この世界を戦争が無いだけでなく、肉食動物を草食動物に変え、毒のある生物を毒の無い生物に変え、人間と動物、動物と動物の間に争いがない穏やかな世界にして下さる事が聖書に約束されています。
「イザ11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。 11:7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
 11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。 11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」
「イザ 65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる。」
万物の平和と幸福を願っておられる慈しみ深い創造主に対して、喜び讃えてその慈しみに応答する事が正しい事だと聖書は教えています。
「詩 59:18 わたしの力と頼む神よ/あなたにほめ歌をうたいます。神はわたしの砦の塔。慈しみ深いわたしの神よ。」

②無償の愛
 創造主の神さまが人間と万物を創造された動機は、神の栄光の為です。つまり、神さまの永遠の聖なる神性と力が崇められる為です。神さまの栄光が崇められるためと言うのは、神がほめ讃えられる事を欲望するという自己名誉欲の満足の為ではありません。神の栄光がほめ讃えられる事は良い事であり正しい事だからです。神さまは人間からほめたたえられたいと言う。名誉欲とか称賛欲と言う欲は一切ありません。創造主は人間によって満たされなければならない不足は一切ない、十全充足のお方です。それ故に人間に対して無欲の方です。つまり、創造主が人間と万物を創造された動機は「無償の愛」、「無私の愛」、「無欲の愛」であったのです。ただ神の栄光の為と言う、正しい事を求める動機で天地万物を創造されたのです。パウロがその事を次のように教えています。「使17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。 17:25 また、何かに不足なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」
神が天地万物を創造された動機は、万物の幸いと祝福を願っての「無償の愛」、「無私の愛」、「無欲の愛」によるものでした。その動機は万物に取って、人間にとって最高に喜ばしき最善の動機なのです。それが神の栄光の為であるのです。
天地万物をただ神の栄光の為に、また、無償の愛、無私の愛をもって創造された創造主対する正しい対応の在り方は、喜びたたえながら創造主を愛する事だと、聖書は教えています。
③無条件の愛=敵を愛する愛
 創造主の愛は、罪に堕落したイスラエルの人や全ての人に向けられています。創造主は、罪びとを愛する事において条件を付けられません。つまり創造主の愛は、ご自分に敵対し反抗する敵をも愛する愛です。その事を的確に教えいるのがイエス様の教えです。
◆「マタ5:45天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」
また、イエス・キリストは、裏切るユダを愛して「友」と呼ばれたり、十字架でご自分を十字架につけた人々の赦しを祈られて、神の愛は「敵を愛する無条件の愛」だと教えられました。
◆「マタ26:48 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ」と言っておいた。 26:49 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で」と言って、口づけした。
26:50 イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。」
◆「ルカ 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
キリストの敵を愛する愛の教えと実際の行為を見て、ペテロも敵を赦す愛を説き、パウロも敵を愛する愛を説くようになりました。
◆「Ⅰペテ2:20b・・善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」
◆「ロマ12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」
キリストの十字架の贖罪による神との和解の恵みは、神の敵であった私たちを愛する、神の「敵を愛する愛」の表明でした。パウロが次のように教えています。
◆「ロマ 5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
3、創造主は正義である
①罪や悪を忌み嫌うお方
 創造主は、創造主と人、人と人との正しい関係正義とする正義の性質をお持ちのお方です。その正しい関係を損なう事を、罪や悪とされ忌み嫌われます。神と人、人と人の正しい関係が安息日の戒めを除いたモーセの十戒で教えられています。それは、イスラエル人と異邦人に関わりなく、全人類への永遠の戒めとなっています。
「偶像を造る事と偶像崇拝の禁止、神の名を汚す事の禁止、両親への尊敬、殺すなかれ、盗むなかれ、姦淫するなかれ、偽証するなかれ、貪るなかれ、」が十戒の中で教えられています。それは神と人との正しい関係、人と人との正しい関係を意味する道徳律法です。
創造主ご自身が正しい関係を愛する正義のお方ですので、創造主の御心、お考え、ご計画は全て関係を大事にする正義から出ている喜ばしきものです。その正義を創造主は愛されていますが、その正義に反する悪や罪を忌み嫌われます。人間が自分の犯した神との正しい関係人との正しい関係を損なう罪を心から悔い改めれば赦されますが、頑固になって罪を悔い改めなければ忍耐の末に厳しく裁き、様々な不幸や苦しみの中に落とされます。創造主は、罪びとや悪人が裁かれて不幸になる事は決して望まれないお方です。それ故に、主は怒る事遅く忍耐深いお方です。しかし、、裁きの必要な時は厳しく裁かれる正義のお方です。聖書に次のように教えられています。
「ヨエ 3:21 わたしは彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。【主】はシオンに住む。」
「ナホ 1:3 【主】は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。【主】は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。」
正義の創造主を喜び尊びながら、恐れつつ、罪から離れる事が神を愛する事です。
②キリストを信じる人を赦す事も神の正義
神は人の悪や罪を忌み嫌い、裁かれるお方であるという神の正義がキリストの十字架で示されました。神は、死罪に価する人の罪の赦しの為には、何の償い(贖いの死の犠牲)も無しに赦す事は出来ません。それは、神の正義に反するからです。死罪に価する人の罪が赦される為には、罪なき人間が贖いの代価として血を流す事を求めるのが神の正義なのです。その神の正義が全うされる為に、キリストは人類の罪を背負って、罪なきご自身を身代わりに十字架に捧げられたのです。人の罪が赦される為には、神の正義が全うされる方法でなければ、正義の神がご自分の正義を否定する事になります。でなくなってしまうのです。それは神には絶対できない事です。なぜなら、神は永遠に正義のお方だからです。キリストが、十字架で人類の罪を背負って身代わりの刑罰を受け、死罪に価する罪の償いをなされたので、その御業を信じる者を赦し、永遠に義人と認める事が神の正義となりました。キリストを信じる人を赦し、義としなければ、神はご自身の正義を否定する事になります。そうしなければ、キリストンの贖罪の御業を否定する事になります。それは神には出来ません。キリストを信じた者を赦し、義と認める事が神の義に相応しい事であり、キリストの贖罪の御業を認めている事になります。その真理をパウロはロマ書で教えています。
◆「ロマ 5:1 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
◆「ロマ 5:9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。」
キリストを信じる者をその信仰によって永遠に赦し、義と認める神の正義に対して、私達が喜び賛美を捧げる事は絶対的に正しい事であり、正義の神を愛する事になるのです。
4、創造主は善である
①痛みや苦しみの無い幸福な事だけでなく、痛みや苦しみの伴う事も神の最善の御業である
 愛であり正義である創造主を聖書は「善なるお方」だと教えています。創造主は、ご自身の愛と正義によって、いつも万物に対して、人類に対して、最善のみをなそうと心を燃やされていいます。痛みの伴わない幸福な祝福を与える最善であれば必ずそのようにされます。しかし、人の罪や悪の故に、その人の悔い改めと救いを願って「祝福を控えたり、或は痛みが伴う不幸与えること」が最善と判断されれば、必ずそのようにされます。地上で悔い改めのチャンスを失った者に裁きとして厳し災い不幸をもたらすこが最善と判断されれば必ずそのようにされます。また、人の罪や失敗や悪とは関係なしに、ご自身の御心の中で、災いや不幸をもたらすことが最善と判断されれば、必ずそのようにされます。又、ご自身を信じる者の人格がイエス・キリストに似た者とするための、教育的試練、教育的苦難を最善として信仰者に体験させられます。詩篇やヘブル書やヤコブ書でその事が教えられています。
◆「詩 119:71 苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」
◆「ヘブル12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。」
◆「ヤコブ1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」
苦難や災いという神の最善の御業は、人間の理解を超えた神の最善の摂理として歴史に顕わされて行きます。その事は、苦難の道を通ったヨセフの生涯やヨブの生涯や生まれつき盲人の生涯において表された事を聖書は教えています。
②ヨセフの体験
ヤコブの息子の12人のうち11番目の息子であるヨセフは自分を商人に売り飛ばして苦難に合わせたお兄さんたちに、自分の苦難は神がより良い事をして下さる為の神の摂理であったとして、お兄さんたちを赦しました。その神の摂理をヨセフはお兄さんたちに2回教えました。
◆「創45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。 45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」
◆「創 50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。 50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。 50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。」
③ヨブの体験
死海南東地域のウツに住んでいた、信仰深い愛と正義に満ちたヨブは、自分の罪とは関係なしに与えられた苦難を感謝して受け止めました。ヨブは、一日にして愛する10人の子どもを失い、同じ日に、羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、合計11500等の家畜を全部失うという、とてつもない苦難に遇いました。そのとき、ヨブはそれも最善をなさる神の最善の御業として喜び賛美したのです。ヨブは、神さまがシェバ人やカルデヤ人達の悪を使って、子どもたちを殺し、家畜を盗ませた事、また、大風によって子どもたちが死んだ事を知って深く悲しみますが、その悲しみの中で「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」 と、人の悪や自然災害を使って最善をなさっている神の摂理の御手を喜び讃えたのです。
◆「ヨブ 1:20 このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、 1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」 1:22 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」
神がなさる最善と言うのは、いつも人間にとって素直に喜べることだけでなく、当初は素直に喜べない、悲しまざるを得ない不幸や苦難や災いも含めて最善の事をなされていると聖書は教えています。神のなさる事は、人の悪や悪魔の悪を許可されながら行う許可の御心による最善と、神の積極的な御心による最善とがありますが、いずれにしても、宇宙と世界に起きている全ての出来事には、いつも最善のみをなそうとされている神の愛と正義の御心がそこに込められていると聖書は教えています。それ故に、パウロは、「いつも喜び、万事を感謝せよ」と教えたのです。
④詩篇と伝道書の教え
詩篇は、神の全ての御業は「最善だ」と教えています。伝道の書では、最高最善の御業を「神のなさる美しい御業」だと教えています。
◆「詩  119:68 あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください。」
◆「伝3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。 3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。 3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。 3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。・・ 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
伝道の書は、人間が物事をなす時の背後に最善をなさる神の摂理の御手が働いて、全ての事が最善となるように統治されている事を教えているのです。それを「美しい」と表現しました。詩篇はその全ての最善の主の御業を、美しい御業として喜び賛美する事を教えています。
◆「詩  21:14 御力を表される主をあがめよ。力ある御業をたたえて、我らは賛美の歌をうたう。」
⑤キリストの十字架の死による救いの御業
人間の罪や悪魔の悪を許可されながら、神の積極的な御心をなされているという事実を最も的確に教えているのが、キリストの十字架の死による贖罪の御業です。サタンの子となってしまったパリサイ人、律法学者、大祭司や祭司達、ローマのピラトやロ-マの兵士たち、そして多くの群衆の罪、キリストを裏切った弟子達の罪、サタンが心に入ってキリストを大祭司たちに銀貨30枚で売りう飛ばしたユダの罪、そうした人間の罪や悪を神さまは許可しながら、又、積極的にお使いなりながら、人類を救わんとする御自身の積極的な愛の御心を実現させられたのです。神さまの全ての御業の目的を全て理解ができませんが、この世界に起きている全ての出来事が、又、あなたが日々体験する全ての出来事がそのようになっているのです。ですから、聖書は私達に、万事を力ある神の最善に喜ばしき御業として、喜び感謝する事を教えてのです。
◆「詩  21:14 御力を表される主をあがめよ。力ある御業をたたえて、我らは賛美の歌をうたう。」
◆「詩  92:5 主よ、あなたは/御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。」
5、創造主は王である
天地万物を創造された全知全能の神であり、愛と正義と善に満ち溢れた創造主こそ、天地万物の王の王として、全世界と全宇宙を統治するに相応しい唯一の王の王だと聖書は教えています。その方こそ、威光と尊厳と栄誉に満ち満ちた王の王だと聖書は教えています。
①父なる神が王として讃えられている
◆「詩  47:3 主はいと高き神、畏るべき方/全地に君臨される偉大な王。」
◆「詩  47:9 神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。」
◆「Ⅰテモ 1:17 どうか、世々の王、すなわち、朽ちることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」
◆「Ⅰテモ 6:15 キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、・・」
②御子なるキリストが王として讃えられている
詩篇やテモテ書などで王の王とされている創造主の父なる神の王権が、人なって十字架で救いの御業をなされ、三日目に甦られたイエス・キリストにも与えられました。
◆「マタ 27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。総督はイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは言われた。「あなたがそう言っています。」
◆「Ⅰコリ 15:25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。」
◆「ヘブル 1:8 御子については、こう言われました。「神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。」
6、創造主は謙遜である
 創造主の父なる神と御子なるキリストは王の王なのですが、だからと言って決して威張ったりして人を見下げるという事はされません、それどころか、ご自分がお造りなった人間、又、罪に堕落した人間をご自分より優る尊い存在として、心をいつも低くして最大限に尊敬を払って下さっているまことに謙遜なお方です。それ故、傲慢になって人を見下げたり、侮辱したり、馬鹿にしたりする、高ぶりを罪として厳しく責められます。聖書には、高ぶりと傲慢を戒める教えが沢山あります。それは、創造主ご自身が謙遜なお方だという事を意味しています。
傲慢や高ぶりというのは、創造主によって創造され、創造主の憐れみと恵みによって生かされている事を忘れ、或は否定し、創造主の神を見下げ自分を創造主の神より高いものだと思う心、また、自分を自己絶対化し、他者を見下げる心です。
①傲慢と高慢を戒める聖書の箇所
◆「箴 16:18 高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」
◆「箴 18:12 人の心の高慢は破滅に先立ち、・・」
◆「箴 11:2 高ぶりが来れば、辱めも来る。」
②謙遜とへりくだりを教える聖書個所
謙遜とは、創造主の神を神として喜び崇めつつ、創造主に聞き従う事、又人を自分より優る者とて尊重する事です。
◆「箴 15:33 【主】を恐れることは知恵の訓戒。謙遜は栄誉に先立つ。」
◆「箴  22:4 謙遜と主を恐れることとの報いは、富と誉と命とである。」
◆「ゼパ  2:3 すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。そうすればあなたがたは主の怒りの日に、あるいは隠されることがあろう。」
◆「ピリ 2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」
◆「ヤコブ 4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。
③創造主が謙遜なお方であることを教えている聖書個所
◆「Ⅱサム 22:36 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの謙遜は私を大きくします。」
「詩 18:35 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの右の手は私を支えあなたの謙遜は私を大きくします。」
「マタ 11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」「ピリ2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、 2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、 2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
6、創造主は永遠に愛され賛美されるべきお方である
以上の創造主の神は、とこしえに全てのものから愛され、喜び讃えられ、感謝され、賛美されるべきお方だと聖書は一貫して教えています。
①創造主の神を喜び賛美する事を教えている聖書個所
◆「Ⅰ歴代 16:25 【主】は大いなる方、大いに賛美される方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。」
◆「詩 33:1 正しい者たち【主】を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。」
◆「詩 34:1 私はあらゆるときに【主】をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。」
◆「詩 71:6 私は生まれたときからあなたに抱かれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。」
創造主の神を、心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして愛するという事は、いつも絶えず創造主を心を尽くして思いを尽くして力を尽くして喜び讃え、創造主の御業を心を尽くして思いを尽くして力を尽くして喜び感謝する事です。 心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして創造主を賛美する事について、聖書は具体的な在り方を教えています。膝まずく事、両手を上げる事、叫び声をあげる事、手を叩く事、踊る事、楽器を打ち鳴らす事などがその具体的な在り方です。もちろん、それは、いつもそのようにはできませんが、特に個人的な朝の祈りの時,夕の祈りの時には、跪いて、両手を上げて、手を叩く事は可能でしょう。又、その人によりますが「叫び声をあげる事や「踊る」事も出来るでしょう。楽器で讃美するのは楽器の演奏できる人がいる時にできるでしょう。教会でオルガンやピアノを使って賛美するのは、楽器を使って賛美する事が聖書に教えられているからだと思います。
②具体的な賛美や祈りの仕方を教えている聖書個所
≪叫び声をもって≫
◆「詩 47:1 すべての国々の民よ・・。喜びの声をもって神に大声で叫べ。」
◆「詩 66:指揮者のために。歌。賛歌。1 全地よ神に向かって喜び叫べ。」
≪膝をかがめて≫
◆「詩 95:6 来たれ。ひれ伏し膝をかがめよう。私たちを造られた方【主】の御前にひざまずこう。」
◆「ロマ 14:11 次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」
◆「ピリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」
≪両手を上げて≫
◆「詩 63:4 それゆえ私は生きるかぎりあなたをほめたたえあなたの御名により両手を上げて祈ります。」
◆「詩 63:4 それゆえ私は生きるかぎりあなたをほめたたえあなたの御名により両手を上げて祈ります。」
◆「詩 134:2 聖所に向かってあなたがたの手を上げ【主】をほめたたえよ。」
≪手を叩いて≫
◆「詩 47:1 すべての国々の民よ手をたたけ。喜びの声をもって神に大声で叫べ。」
≪踊りと楽器で≫
◆「詩 149:3 踊りをもって主の御名をほめたたえよ。タンバリンと竪琴に合わせて主にほめ歌を歌え。」
◆「詩 150:4 タンバリンと踊りをもって神をほめたたえよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて神をほめたたえよ。」
◆「詩 4:指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌。」
◆「詩 6:指揮者のために。弦楽器に合わせて。第八の調べにのせて。ダビデの賛歌。」
神さまを、心をつくして、思いつくして、力をつくして愛する事は、いつも神さまを賛美し喜ぶ事です。又、祈り時に、跪き、両手を上げ、ハレルヤ!と叫び神さまを喜び賛美し、万事に感謝しながら、賛美する事です。もちろん、それぞれの体力がありますから、無理のないようにして実践しましょう。それが、神を賛美する正しい姿勢なのです。正しい姿勢も、正しい事を愛される正義の神をお喜ばせするのです。楽器で讃美できる方は、楽器をもって主を賛美しましょう。 私たちが思いを尽くして、心を尽くして、力を尽くして神さまを愛して喜んで賛美し万事を感謝できるものとなるように願って、キリストは十字架で地獄の苦しみを受けながら、罪を贖う血、罪の償いの為の血を流されたのです。神に賛美を捧げる愛する事が、キリストが十字架で流された血によってあなたに与えられた大いなる恵みと特権だとしっかりと心に刻印して頂きたいと思います。次週は「自分を愛するように隣人を愛する事」について再度学びたいと思います。