2026年3月1日礼拝メッセージ
「キリストの内に留まる為に」
聖書:ヨハネの手紙 第一 2章35節~40節
牧師:佐藤勝徳
「Ⅰヨハ2:20 あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。 2:21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。 2:22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。 2:23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。 2:24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。
2:25 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。 2:26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。 2:27 あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。 2:28 そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。 2:29 もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行う者がみな神から生まれたこともわかるはずです。」
【はじめに】
地球は別名「水の惑星」と呼ばれてきました。それほど、どの星とも比較できないほど命を育む「水」が多い惑星です。今年は、渇水で多くのダムの貯水率が悪くなり、一時大変でしたが最近の雨で少し回復したようです。地球の水の循環は、地球環境を守り、多くの生物、植物にとってなくてならない、非常にうまく考えられたシステムとなっています。下のイラストで示していますように、水の循環には第1に「海」が必要です。第2に、海の水を蒸発させる熱を送る太陽が、いつも地球と適切な距離にある事が必要です。第3に、海水が宇宙に飛び散ってしまわないように、地球には重力が必要です。重力とは、地球の引力と地球の自転で起きる遠心力を差し引いた力の事を意味しています。また海水が宇宙に飛び散らない為には、重力以外に、気圧のある大気圏が必要です。第4に、水が蒸発して気体になったり、液体になったり、凍って個体(氷)になったりする性質が必要です。第5に、太陽の熱で温まれた海水が、空に昇って行くには上昇気流が必要です。その為、空気は温められると軽くなるという性質は必要です。上昇気流は太陽の熱で軽くなった空気は上に昇って行く時に発生します。第6に、上昇気流で空に昇った蒸発した海水の気体が雲になる必要があります。雲は、その気体と空にある塵とが結びつきます。その時、気体は塵を核とした液体(水滴)に変化します。その水滴の集まりが「水雲」と呼ばれ、雨を降らせます。気体は更に気温低いところに昇って行くと個体(氷)になります。その氷の粒が集まって雲となります。その時、気体のH2Oは、六角柱と呼ばれる結びつき方をします。その為に、雪の結晶は全部六角になっています。雲が雨や雪を降らせるのは、上空で冷やされてできた雲の中の小さな水滴や氷の粒が、互いにぶつかり合って大きく・重くなり、上昇気流で支えきれなくなり重力によって落ちて行くからです。それが雨であり雪なのです。第7に、雨水や雪水を吸収して、海に再び流れさせる土が必要です。雨水を吸収する性質を持った土が無ければ水の循環は起こりません。土に吸収された雨水や雪水は泉となり川となって、或は地下水となって海に流れて行きます。
以上のように、地球を水の惑星として存在させている水の循環は、地球上に住む、動植物を育み生かすと言う目的の為に、見事に考え出されたシステムとなっています。又、水は、物を溶かす溶解力を性質としています。その溶解力によって、料理をしたり、口に入ったものが溶かされて消化されて、体の隅々に必要は栄養が行き渡っています。その水の溶解力について、東京農業大学の中西教授が次のように言っておられます。「我々の命も水の溶解力あればこそで、体重の70%を占める水分中には、生命の維持に欠かせない重要な物質が溶け込んで、様々な化学的反応が進行しています。水の溶解力は偉大なり」と。

素晴らしい数々の性質を持った水の循環は、明らかに、地球上の植物や生物、動物を元気に生かすという偉大な目的の為に、見事な知恵によって考え出された見事なシステムだとしか言いようがありません。この水を造り、水の循環をお考えになったのは、天地万物を創造された創造主だと聖書は教えています。以下の通りです。
◆「創1:9 神は仰せられた。「天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。1:10 神はかわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。」
◆「詩 95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。」
◆「詩 135:7 主は地の果てから雲を上らせ雨のために稲妻を造りその倉から風を出される。」
◆「詩 147:8 神は濃い雲で天をおおい地のために雨を備えまた山々に草を生えさせ・・」
地球の「水の循環」と言うシステムは進化論者が教えるように、知恵も無い、目的意識も無い「偶然」の積み重ねよって勝手に出来たというのが、理にかなっているでしょうか。それとも、聖書が教えるように全知全能の愛に満ちた創造主が動植物の生命の為と言う明らかな目的をもって考え出されたシステムと考える事が理にかなっているのでしょうか。皆さんはどうお考えになりますか。私は、目的意識も無い、知恵を全く働かせないという、偶然の意味を考えると、偶然は混乱と混沌しかもたらさないので、水の循環は、やはり、聖書の教える通り愛と知恵と目的意識のある創造主によって考案された最高の見事なシステムだと結論に至るのです。
1、三位一体の神
①御霊なる神さま
水の循環と言う見事なシステムを考案され創造された創造主の神さまは、聖書で三位一体の神として啓示されています。創造主は、父なる神、御子なる神、御霊なる神がそれぞれ独立の人格をお持ちでありながら、同時に完全に一つの人格をお持ちの神さまです。その神さまを神学的「三位一体の神」と呼んでいます。その三位一体の神さまがⅠヨハネ2:20~29において、教えられています。20節と27節で、「油」と言う言葉が4回使用されています。この油と言うのは、御霊なる神さまを象徴しています。昔、イスラエルでは王が即位する時、或は大祭司が即位する時には、オリーブ油が注がれました。その純粋なオリーブ油を旧約聖書は「御霊」の象徴だと教えています。預言者ゼカリヤが終末にイスラエルに登場する「油注がれ二人の人たちが」」がオリーブの二つ木で示された時に、「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。」という、神の啓示を受けました、その事によって、終末に登場するオリーブの木で象徴的に示された二人の人物が、神の霊である「御霊」を注がれて活躍する事が示されました。その預言から、オリーブは神の霊である「御霊」を象徴している事が分かります。また、御霊は創造主だと聖書は教えています。「詩 104:30 あなたが御霊を送られると彼らは創造されます。あなたは地の面を新しくされます。」
ヨハネが教える「油」は三位一体の神の「御霊なる神さま」を指している事が分かります。
②父なる神さまと御子なる神さま
次に、「御父」が4回使用されています。御父とは三位一体の神の父なる神さまを意味しています。父なる神さまは、天地万物の設計者ですので、万物の存在目的であり、原因の神さまだと教えられています(ヘブル2:10)。
次に「御子」も4回使用されています。この御子は、三位一体の父なる神さま、御子なる神さま、御霊なる神さま御子なる神さまの事を意味しています。御子なる神さまは、父なる神さまの設計された設計に基づいて、天地万物を、海水と水の循環システムを創造された創造主の神さまです。その事が、新約聖書で沢山教えられています。
◆「ヨハ 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」ヨハネは、御子なる神さまを「ことば」として教えています。
◆「コロ1:16・・天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」
◆「ヘブル1:2・・神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」
③唯一の神さま
以上のように、聖書は父なる神さま、御子なる神さま、御霊なる神さまが、別々の人格を持つ独立した神さま
あると共に唯一の人格を持つ神さまだと教えています。聖書は常に、神さまは唯一だと教えています。Ⅰヨハネ2章で教えられている、父なる神さま、御子なるさま、御霊なる神さまは、人格が別でありつつ、同時に完全に一つの人格の唯一の神であるのです。神が唯一だと聖書は教えています。
◆「申命記6:4 聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである」。
◆「マラ 2:10 私たちすべてには、唯一の父がいるではないか。唯一の神が、私たちを創造されたではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り、私たちの先祖の契約を汚すのか。」
◆「マル 12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。」
聖書の神は父子御霊の別々の人格の神でありつつ唯一人格の神であるという三位一体の神さまを信じていないとⅠヨハネ2:20~29は理解ができません。
2、キリスト者が初めから聖霊によって諭されて知らされている知識(真理)
①真のキリスト者とは
ヨハネは、先ず、十字架にかかり三日目にご復活をされたユダヤのナザレでお育ちになったイエスを、旧約聖書が預言している、イスラエルと全人類の為のメシヤだと信じているキリスト者には、聖なる方の注ぎの油があると、教えています。つまり、キリスト者の霊魂には、御霊なる神さまが油として注がれているというのです。その、油である御霊なる神さまによって、全てのキリスト者は知識を持っているというのです。この知識と言うのは、単に知的に知っているという事でなく、御霊によって諭された真理を知識として持っているという事です。
◆「Ⅰヨハ 2:21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。」
では、御霊の諭しによって知った真理とは何でしょうか。それは、十字架にかかり、葬られ、陰府にくだり、三日目に甦られたナザレのイエスを、旧約聖書が預言している「メシヤ」つま、創造主の御子なる神が人となられた「キリスト」だという真理です。
②偽り者とは
初代教会の中には、その真理を否定する教師がおりました。その教師をヨハネは「偽り者」と呼んでいます。何故、初代教会において「偽り者」と呼ばれる教師が存在していたのでしょうか。その理由は、ギリシャ思想の二元論の哲学によります。昔、ギリシャ世界に主流を占めていた哲学は、物質は悪で霊は善と言う「二元論」でした。高等学校の倫理でもその二元論が出てきます。有名なのは「ソクラテス」です。彼は物質は悪、霊は善と言う二元論を真理として信じていたので、自分の肉体が死ぬ事は善である。魂(霊)は肉体から離れて自由になり、真の幸せを手に入れる事が出来ると信じて、喜んで毒肺を飲んで死んでいったと言われています。ネットでソクラテスと二元論を次のように教えています。
古代ギリシャの哲学者はソクラテス(Socrates紀元前469年頃 – 紀元前399年)
・毒杯を飲んで死んだ哲学者: アテナイの法廷で死刑判決を受け、30日後に牢獄で友人クリトンらの逃亡の提案を拒否し、自らドクニンジンの毒を仰いで死を迎えました。
・二元論的思考: ソクラテス自身は著書を残していませんが、弟子プラトンの『パイドン』によると、真の哲学者は「魂」を「身体」の束縛(欲望や感覚)から解放し、死は魂が肉体から解放されて知恵(イデア)の世界へ行くことである、という「身体と魂の二元論」を最期に説きました。初代のキリスト教会の中に、ギリシャの二元論に影響された「グノーシス主義」と呼ばれる人たちが、教会の指導者になっていました。そのグノーシス主義についてAIが次のように教えています。
グノーシス主義の主張(異端)
①二元論: 霊は善、物質(肉体)は悪・牢獄。
②救い: 聖書よりも、特別に得られた霊的な知識(グノーシス)による救済。
③キリスト論: キリストは真の肉体を持たず(仮現論)、神的な霊が一時的に人間イエスに宿っただけとみなす。
④旧約の否定: 旧約聖書の神は偽りの神と考える。
グノーシス主義者は霊なる神が、悪である肉体を持つ人間になる事は無いとして、御子なる神が人となって十字架にかかり、三日目に甦られたとするナザレのイエスが、メシヤであるという教えを否定していました。その彼らの事を、ヨハネは「偽り者」と呼んでだのです。また、その彼らの事を、御父と御子を否定する者とも呼び、彼らは「反キリスト」だと、ヨハネは厳しく否定しました。そのような彼らは「御父」を霊魂に持っていないと教えました。また、御子なる神が人となったキリストだと告白するもの、つまり御子を告白する者は「御父」を霊魂に持っていると教えました。
3、真のキリスト者は永遠の命に生かされている
①永遠の命とは
御子なる神が人となってキリストであり、メシヤは神の性質と人の性質を持ったメシヤ神人説が、12弟子達によって宣教されていました。それが、初代教会の人々が初めから聞いていた真理でした。しかし、しばらくして、二元論のグノーシス主義者の教師によって、それが否定されるようになりました。その教えを否定して、初めから聞いていたメシヤ神人説に留まっているなら、それが御子及び御父に留まっている事になると教えました。それが、キリストが真のキリスト者に与えて下さった「約束」であり、それが「永遠の命」だとヨハネは教えました。永遠の命と言うのは、御父と御子との交わりの中に実際に生かされている事だという事です。永遠の命に生かされている事は、御父と御子なる神との生きた交わりの中におかれている事を意味しています。それが永遠の命の実態です。父なる神が永遠の命であり、御子なるキリストが永遠の命そのものです。永遠の命が与えられているという事は、父なる神と御子なる神と御霊なる神の三位一体の神を霊魂に宿し、その神さまと永遠に一体になって交わりに生かされている事を意味しています。もし、グノーシス主義者のように、物質は悪で霊が善だという事になれば、霊なる三位一体の神は、肉体を持つ人間の霊魂の中には絶対に永遠に内住される事は無いという事になります。つまり、誰も永遠の命を持つ事は出来ないという事になります。ヨハネはそのような異端の教えを持ち込んだ彼らを「キリスト者を惑わす人」「教会を惑わす人」と呼びました。
ヨハネは、神の御子が人となったキリストが十字架で私達の罪の赦しの為に十字架にかかり、葬られ、三日目に甦えられたメシヤだと信じるキリスト者には、キリストから受けた注ぎの油がとどまっていると強調しました。
②真のキリスト者には真理の御霊が宿っている
油で象徴される御霊の事を、キリストは真理の霊と呼びました。
◆「ヨハ 14:17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。」
◆「ヨハ 15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。」
◆「ヨハ 16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。」ヨハネは、キリストから御霊が「真理の霊」だと教えられていましたし、又、自分の信仰の体験により、自分の内にいます御霊が、自分の生活の全ての領域において、必要な導きや教えを与えて来た御霊だという事を知っていました。キリストの御教えと自分の体験に基づきヨハネは「それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません」と教えました。
③真のキリスト者は誰からも教えられる必要がない
誰からも教えを受ける必要が無いというのは、教会の指導者や教師の賜物を持っているキリスト者から聖書の説き明かしを聞く必要が無いという意味ではありません。しかし、私たち教会の指導者が、聖書の解き明かしをしても、その御言葉の真理を諭してくれるのは、教会の牧師や伝道者ではなく、御霊だという事です。パウロは、御霊の事を私達の知性と心に御働く啓示の霊、心の目を開いて諭して下さる諭しの霊だと教えています。「1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、 1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」牧師や伝道者は、神のメッセージを準備して講壇で語りますが、その聖書のメッセージを聞く兄弟姉妹の知性と心に真理として知らせ、心の目を開いて諭して下さるのは、あくまでも御霊なのです。ですから、私達はメッセージを聞く時、常にメッセージを御霊によって悟れるように、心の目が開かれて諭されるように祈り御を忘れてはならないのです。その祈り心があれば、もし指導者が間違った事を伝えれば、それが間違いだと聖霊は教えて下さるのです。そういう意味で、誰からも教えてもらう必要はないのです。
④キリストの内に留まるとは
また、御霊は、日常の全ての事に関わって、導きを与え、キリストの細き御声をかけて下さいます。その細き御声に聞き従う事が真理の内を歩んでおり、それがキリストの内に留まっている事になるのです。キリストの内に留まっている人には、キリストが葡萄の木の例えで教えられたように、その人は二つの実を結んでいきます。一つはガラテヤ書5章でパウロが教えている御霊の実と言う心の実です。「ガラしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」自分がキリストの内に留まっているかどうかを知る方法は自分が「御霊の実を心に結んで生きているかどうか」です。
もう一つの実は、福音宣教活動をしているかどうかです。御霊は、福音宣教の霊ですので、私たちを、常に福音を伝える為に必要な導きを与えます、福音宣教は、直接言葉で福音を伝える事、直接福音文書を配って福音を伝える事、間接的には、隣人の救いの為、又、福音宣教の為に祈る事、又、福音宣教のために献金をする事です。キリスト者の内に注がれている御霊は、日々直接的にか、間接的にか、私たちが福音宣教に勤しむように導かれます。
先週、水曜日、私は地元の散髪屋さんで散髪をしました。終わった後、奥さんがコーヒーをご馳走して下さいました。私は、あらかじめ「横田早紀恵さん」のトラクトを準備していたので、それをお渡ししましたが、お渡ししただけでなく、その時、他のキリスト者の信仰と共に主が十字架で私達の罪を背負って死んで下さった事も語る事が出来ました。奥さんは熱心に耳を傾けて下さいました。私は、とても充実した時を過ごしました。キリストは、私たちに「全世界に出て行って全ての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と、命令されています。そのお方が、私達の内におられますので、そのお方が、私たちを宣教のために奉仕をするように導かれない事は有りません。しかし、宣教も、自分勝手にする事でなく、常に聖霊の細き導きの御声に聞き従ってなす事が必要です。
⑤空中に再臨される主の御前に恥じ入る事が無い生活
日々御霊の教え(油の教え)と言う、細き御声を聞き分けて歩むとき、その人はキリストの内に留まり、御霊の実と宣教の奉仕と言う実を結びながら歩んでいく日々を送ります。それが、キリストが空中に現れる時の「恥じ入る事が無い」生活だとヨハネは教えています。「そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。」
最後に、内側からいつも細き導きの御声を、魂の監督者であり牧者であるキリストが御霊によって語りかけて下さっているにも関わらず、キリスト者がその細き御声をかき消す原因をお伝えしたいと思います。
4、御霊の声をかき消す原因
①思い煩い
第1に、思い煩いです。私達は、天地万物を創造し、保持されている愛に満ちた祝福に満ち溢れた御心をお持ちの三位一体の偉大なる神さまを内に永遠に宿し持っているものです。ですから、どんな問題があってもその方が助けて下さるので、何も思い煩う必要はないのです。思い煩いを捨てて、万事に感謝しして祈れば、必ず必要な導きの御手を差し伸べて、祝福へと導かれます。。全ての問題を全知全能の神さまが心配して下さり、何とかしようと心を燃やされているので、何の心配もいりません。不信仰からくる思い煩いと心配をすてて、感謝の内に自分の願いを捧げる人は、必ず人知を超えた神の平安がその人心を支配し、キリストにあって心が守られるのです。心が守られるというのは、御霊の細き御声をかき消さずに従う可能性を充分に与えて下さる事です。人間の意志は罪に堕落して不従順の傾向性が強いので、神の恵みによって従順に生きる可能性、傾向性を増大させて頂く必要があるのです。悪魔は、従う者に手を出す事は出来ないのです。
◆「ピリ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
◆「Ⅰペテ 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
◆「イザ 30:15 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。
◆ヤコブ 4:7 ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」
②肉の力に頼る事
第2に、神さまの助けを求めないで、自分の肉の力や知恵によってことをなす時、その人は、御霊の細き御声をかき消すのです。いつも、へりくだって、何事も神さまの助けを求めながらことをしましょう。また、人に頼る事も御霊の細き御声をかき消します人に頼る事も肉に頼る事です。イザヤは、鼻から息の出入りする者に頼るなと教えいました。キリストも「肉は益なし」と教えておられます。自分の肉、他人の肉に頼ると、御霊の細き御声をかき消すのです。
◆「ヨハ 6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。」
◆「イザ 2:22 人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか。」
第3は、古き人から起きる邪悪な感情を放置する事
古き人から出てくる様々な邪悪な感情に支配され、それを放置し、喜びと感謝を失っていると御霊の細き御声をかき消すのです。ですから、私達は、古き人から出てくる邪悪な感情を、2000年昔にキリストの十字架で死んだものとして否定し、十字架に委ねて安んじましょう。パウロは、古き人から出てくる邪悪な感情や言葉や行いを「地上の肢体」と呼んで「殺せ」と命じています。古き人と古き人から出てくるものは全て否定して十字架に委ねましょう。それが古き人と古き人による地上の肢体を「殺す」事です。同時に、古き人はキリストと共に甦って万事をいつも喜び感謝する者とされ、キリストのように神と人を愛する者とされているという霊的事実に安んじましょう。キリストのその「聖めの福音」に立って十分に安んじる人は、聖霊の働きを受けて平安が増し加わり、御霊の導きの御声に聴き従う可能性が増大します。古い人から湧き起こる邪悪な感情を放置していると、御霊の細き御声をかき消すのです。
私たちは、今日でも空中に現れて下さるかも知れない、再臨のキリストの御前に、恥じ入る事が無い生活を送る為に、油である御霊の教えと導きの細き御声に忠実に聞き従いましょう。又、その事を祈りましょう。
