「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ②」
聖書:テサロニケ人への手紙 第一 5章16節~19節
牧師:佐藤勝徳

 

「Ⅰテサ 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。」
【はじめに】

「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ」というのは、創造主の父なる神さまが、万人にリクエストされている事ですが、その実践を「キリスト・イエスにあって」と条件が付けられていることを、先週の礼拝で学びました。キリスト・イエスにあってと言うのは、2000年昔、キリストが十字架で私達の全ての罪を背負って身代わりの刑罰を父なる神より受けられ、罪の償いをして下さった事により私達の全ての罪を完全に取り除かれた事を信じて、父なるかみより罪の赦しに与り、永遠に義人とされ、聖霊により良心の呵責から解放され、神の裁きから解放されて、聖なる父なる神さまと喜びと平和の交流の中に生かされている事だと学びました。

≪いつも喜び感謝すべき事とは≫
1、福音を喜ぶ
キリストにあって永遠に罪が赦され、永遠の義人とされて、父なる神との和解の中に生かされていることを、先ず、いつも喜ぶ事が求められています。キリストの十字架の死と三日目の復活による罪の赦しをパウロは福音と呼びました。福音についてAIは次のように解説しています。
「福音(ふくいん)とは、ギリシャ語の「エウアンゲリオン(よき知らせ)」に由来し、キリスト教ではイエス・キリストの生涯、死、そして復活によってもたらされた、人間を罪から救う「神からの喜びの音信」を指します。
キリストの十字架の死と葬りと三日目の復活による「永遠の罪の赦し」は正に、飛び跳ねて喜ぶべき良きおとずれ、幸せのおとずれなのです。キリスト者はその福音にいつも永遠にあずかっているので、その福音をいつも喜ぶ事が求められています。
2、創造主の神さまそのものを喜ぶ
 次に、いつも喜びつつ感謝すべきことは、愛と正義と謙遜と知恵と力に満ち、いつも最善のみをなされている創造主の神さまそのものです。聖書は一貫して創造主の神さまを喜び賛美し感謝すべきことを教えています。この真理は、既に繰り返し学んで来ましたが、その事を教えている聖書個所を3か所お伝えしておきます。
◆「詩33:1 正しい者たち。【主】にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。 33:2 立琴をもって【主】に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。」
◆「詩63:4 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。 63:5 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。 63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。 63:7 あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。」
◆「ロマ1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。・・・1:25・・・造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」
私達は、詩篇63篇で作者が告白しているように、最高に美味しいご馳走を食べた時に抱く嬉しい気持ち、喜ばしい気持ちをこめて、神さまを喜び賛美し感謝しましょう。なぜなら、神さまはそのように魅力あるお方だからです。神さまは、愛と正義と謙遜と知恵と力に満ち、私達の為に、いつも最高に喜ばしき事のみをされているお方ですので、そのお方を最高に美味しいご馳走を食べた時に抱く嬉しい気持ち、喜ばしい気持ちをこめて、喜び賛美し感謝する事は当然の事です。
3、万事を喜ぶ
 次は万事を喜び感謝しましょう。私達を取り巻く広大な宇宙や地球で起きている万事が、いつも創造主の神が自分の為に最善の出来事として与えて下さっている事だと理解して、万事を喜び賛美し感謝しましょう。その為に次の真理を会得しておきましょう。その真理とは「この世界に起きている万事は、全て創造主の父なる神の積極的な最高最善の御心と悪や罪を許可する許可の御心とが絡み合って起きている」と言う真理です。神の積極的な御心と言うのは、いつも人間を含めて万物に対して最高最善ですので、その御心によってなされるすべての御業はいつも最高に喜んで受け取る必要があります。聖書は教えているその積極的な神の御心と言うのは、イスラエルと結ばれた「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」と言う4つの無条件契約の成就として、この世界に、イスラエルを中心としたメシヤ的1000年王国を築き、罪に堕落したこの世界にキリストのような人物を満たす事です。そのビジョン実現の為に、神はイスラエルを選民として選び、又、キリストを十字架におかけになったのです。その神さまの積極的な良き御心を成し遂げる為、悪魔や悪霊共の悪による悪い出来事や不幸な出来事、更に罪びとの罪や悪による悪い出来事や不幸な出来事を許可するという、許可の御業にを絡み合わせて万事を行っておられるのです。以上の真理を正しく理解した上で、万事を感謝しましょう。その為に、神が万物の支配者、統治者、王の王だと教えている聖書の御言葉をご紹介します
①神は万物の支配者
◆「詩47:2 まことに、いと高き方【主】は、恐れられる方。全地の大いなる王。」
詩篇47篇は創造主の父なる神は、地球全部を支配し統治されているお方だとは教えています。
◆「Ⅰ歴代29:11 【主】よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。【主】よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。」
Ⅰ歴代誌29章11節は、創造主の神さまが罪に堕落した全宇宙と全地にある万物と悪魔や悪霊共や罪びとや全ての王国を支配し統治されている王の王として讃えられています。それゆえに、全地を含めた全宇宙は神の支配のもとにある神の御国だと言えるのです。それ故に、悪魔や悪霊共の悪や罪びとの罪や悪は、神の許可なくしては何ひとつなす事が出来ないのです。その神の絶対支配について、キリストは次のように教えられました。
◆「マタ 10:29 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」
小さな大変安い値段と売買されいてる雀一羽さえ父なる神の愛と正義の統治の下にあり、父なる神の赦しが無ければ、その雀一羽さえ絶対に地に落ちないと、父なる神の絶対主権、絶対統治をキリストは教えられました。又、釈放するか十字架にかけるの主権は自分にあると主張したポンテピラトに向かってキリストは次のように言われました。
◆「ヨハ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」 19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。・・」
キリストをは天の父なる神さまが、ピラトを支配されている事を教えられたのです。
②ヨブの苦難
旧約聖書のヨブの苦難は、悪魔の申し出を神が許可されて起きた苦難でした。ヨブは、一日にして全ての財産と子ども10人の命が悪魔によって奪われましたが、それは、神が悪魔に許可された出来事でした。
◆「ヨブ 1:6 ある日、神の子らが【主】の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。 1:7 【主】はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは【主】に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」 1:8 【主】はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」 1:9 サタンは【主】に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。 1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。 1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」 1:12 【主】はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは【主】の前から出て行った。」
③キリストの苦難
キリストの十字架の苦難も、人類の贖罪の為と神の御心を実現する為に、神が悪魔の働きや神に逆らっているユダヤ人の不信仰と悪を許可されて実現された偉大なる救いの御業でした。
◆「ヨハ13:2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた・・」
◆「ヨハ 13:27 ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。『あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。』・・」
◆「マタ 26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。」
◆「マタ 26:52 そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。 26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。 26:54 だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
私たちは、愛と正義に満ちいつも最善のみをされている神さまの御業を全て理解は出来ませんが、素直に喜び賛美し感謝できる御業だけでなく、ヨブが味わった苦難や、この地上に起きている様々な酷い出来事、残酷な出来事、戦争、災害、人災、天災、事故、病気、怪我など多くの苦しい出来事、悲しい出来事も含めて全てが神の愛と正義に基づく善なる御心によって許可されて起きている出来事です。それ故に、苦しい事や悲しい事や順調な事や楽しい事も含めて、全てが神の最高最善の喜ばしき出来事として、喜び賛美し感謝する事が求められているのです。文字通り、万事の背後には、創造主の愛と正義に基づく善なる喜ばしき御心が働いているのです。その事を認め理解して、万事を喜び賛美し感謝しましょう。その事を教えているⅠテサロニケ人への手紙以外の御言葉をお伝えしたいと思います。
◆「詩 107:31 【主】に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。」
◆「詩 150:2 その大能のみわざのゆえに神をほめたたえよ。その比類なき偉大さにふさわしく神をほめたたえよ。
◆「伝 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」
◆「詩  119:68 あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください。」
④生活の中で体験する全ての出来事を喜び感謝せよ
私たちが日々の生活で体験する全ての出来事の背後にも、神さまの愛と正義に基づく最善の御心がはたいていますので、その全てを喜び感謝しましょう。人から褒められたり、喜ばれたりする事、仕事ができる事、なすべき使命がある事、食事ができる事、勉強ができる事、おしゃべりができる事、お風呂に入れること、運動ができる事、読書ができる事、新聞を読めること、ペットや美しい自然の草花や景色を楽しむ事が出来る事、そうした肯定的な出来事を初め、病気をしたり怪我をしたりする事、人から妬まれたり、恨まれたり、憎まれたり、批判されてプライドが傷ついたり不愉快になる事など否定的な出来事も、実は神さまが与えて下さっている最高に喜ばしく最善の出来事なのです。
5、万人を喜ぶ事
 万事の中に人との出会いもありますが、今日は区別をして万人を喜び感謝する事を聖書が教えている事をお伝えします。キリストは敵をも愛しなさいと教えられましたが、それは万人を喜び感謝し愛する事を教えています。以下の聖書の御言葉がそれを教えています。
◆「マタ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
パウロもキリストに倣って同じことを教えています。
◆「ロマ12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」
パウロもペテロも全ての人を尊敬せよと教えています。
◆「ピリ2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」
◆「Ⅰペテ2:17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。 2:18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。」
隣人を愛するとか尊敬するという事は、隣人の存在を喜び感謝する事を意味しています。 聖書は私たちが出会う全ての人との出会いは、万人を支配されいてる創造主の神さまが、愛と正義に基づく最善の喜ばしき事として与えて下さっている出来事だと理解して、心から全ての人を喜び感謝する事を神はリクエストされているのです。その理由は、万人は全て創造主神さまがそれぞれを母の胎内で個性豊かに神の形に似せて創造された愛の傑作品だからです。また、キリストが十字架でご自身の尊い命を捧げて、永遠に救いに導こうとされた尊い存在だからです。一人ひとりはキリストの尊い命に匹敵する高価な存在として神は見ておられるのです。その一人一人との出会いを最善の事として与えておられるので、出会う全ての一人一人を自分より尊い存在、キリストの命に匹敵する尊い存在として喜び、感謝する事を神はリクエストされているのです。
以上のように、天から天地万物を愛と正義によって保持し統治されている創造主の父なる神さまは、私たちにキリストにあって、キリストの福音とご自身をいつも喜び賛美し感謝する事、また万事と万人をいつも喜び感謝する事をリクエストされています。私達は、キリストにある神の僕として、なんとしてもそのリクエストにお答えして日々を歩み、父なる神さまをお喜ばせする必要があります。その人は、必ず聖霊の火に増々燃やされて、神さまの御栄光の為、多くの人々の救いと必要な為に豊かに用いられて行きます。しかし、そのリクエストにお答えしない事は罪ですので、その人からは聖霊の火が消えて、神の御栄光の為に、多くの人々の救いと必要な為に、役立つ日々を送る事が出来ません。それ故に、是非、今、決心をして頂きたいと思います。神の栄光と人々の救いと必要の為に、「いつも喜び、絶えず祈り、万事に感謝して生きて行きます」と。その決心を父なる神さまは喜ばれます。
6、実践の証
 私は、これまで、何度か証をさせて頂いておりますが、ある時、神さまに「平安な心で歩んでいくにはどうすれば良いですか」と尋ねました。神さまの答えは、「万事に感謝せよ」でした。そこで、私は、それが神さまの御心だと分かり、一大決心をしました。「万事に感謝するぞ」と。その決心に基づいて、徹底して見るもの、聞くもの、生活で体験する全ての出来事に対して感謝を続けました。そうすると、私の心が少しずつですが変化がやって来ました。心が穏やかになってきたのです。その事を、一番感じ取ったのは子ども達です。「おやじが一番変わった」と言ってくれるようになりました。妻と関係も改善されて行きました。妻が腕を組んでくれるようになりました。メッセージも変わってきました。教会の皆さんが気付かれたかどうかは分かりませんが、準備はいつも苦闘ですが、私の心に聖霊の油塗りが始まり、メッセージをする事が喜びとなってきました。私は、話すのが下手で、メッセージは大変苦手でしたので、メッセージは私にとっては苦闘でした。しかし、感謝の実践はその苦闘から解放し、平安と喜びをもって、聖霊の油塗りを受けながらメッセージを語る事が出来るようになりました。
ある時、友人の牧師が、自分達の教会の新会堂の献堂式で私に祝辞を依頼してこられました。私は、まずいと思いました。それは、妬みが強く働いていたからです。妬まず、友人の献堂式を心から共に喜びたいと思う自分の願いに反して、それを喜ばない妬みが湧いてきたのです。神さまに必死に助けを祈りました。その時も、示された事は「万事に感謝せよ」でしたので、私は友人の教会の献堂式について、時間を割いて徹底して感謝を捧げました。すると不思議な事が起きたのです。妬みの心が段々と薄れ、ほぼ消えたのです。私は良かった、これで偽善的な祝辞でなく、心からの祝辞を述べる事が出来ると安心がやって来ました。万事に感謝すると聖霊が私の心に働かれる事をその事を通しても知る事が出来ました。又、感謝の実践は、聖霊の細き御声を聞き分ける霊の耳を段々と鋭くして行きました。その事は、会堂建築事業を進める上で大変役だったのです。新会堂建築完成まで色々な試練がありましたが、もし、感謝しながら、聖霊の細き御声を聞き分けて歩む事をしていなければ、今の会堂は建設されなかった可能性があったと思います。
【終わりに】
「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ」は、父なる神がキリスト・イエスにあって、あなたにリクエストをされています。私達は、神の僕として神のリクエストにお答えして歩むために、罪が永遠に赦され神との和解の中に生きる者とされました。神の僕として神のリクエストである「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝して」生きる決心を今日神さまにお捧げしましょう。