「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ③」
聖書:テサロニケ人への手紙 第一 5章16節~19節
牧師:佐藤勝徳

【はじめに】

 私達罪びとは、2000年昔、エルサレムのゴルゴダの丘の十字架で私達の全ての罪を背負って身代わりに、父なる神から刑罰を受け、罪の償いを成し遂げ、三日目に甦られたイエス・キリストを自分の罪からの救い主だと信じると、その信仰だけで、11の福音の恵みに与るのです。その11の福音の全体像(11の福音の恵み)を表しましたのでご覧ください。

1、11の福音の恵み
①永遠の罪の赦しと義認の恵み 
キリストが私達の罪を十字架の死によって全部取り除かれた事を信じるキリスト者は、永遠に罪赦され義と認めら、創造主の聖なる神さまとの生きたコミュニケーションの中に生きる者とされた(神との永遠の和解の恵み)
◆「ヘブル9:26キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです」
◆「ロマ5:1ですから、信仰によって義と認められた
私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
②永遠に神の子とされた恵み キリストを信じた時に、キリスト者には永遠の命が与えられ、神の性質が霊と魂に造りこまれた
◆「ヨハ3:16bそれは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
◆「コロ2:9 キリストの内にこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがた は、キリストにあって、満ち満ちているのです」
③三位一体の神の内住
 キリス者の霊と魂には、父・子・御霊の三位一体の創造主の神さまが永遠に内住されている。
◆「Ⅰヨハ 2:23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。」
◆「Ⅰヨハ2:27 あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油(聖霊)があなたがたのうちにとどまっています。」
◆「コロ1:27・・この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
④キリストの御体なる教会の一員となった恵み キリスト者はキリストと一体化され、主と共に十字架で死に、主と共に甦って、主の花嫁の御体なる教会に属した。また、メシヤニックジュウ(ユダヤ人キリスト者)と共に新しい人となった。
◆「エペ1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」
◆「エペ2:15このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり・・」。
◆「エペ5:31 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」
⑤キリストの似姿に変えられる聖化と栄化の恵み
キリスト者はキリストとの十字架の共同の死と、共同の復活により聖化の道が与えられ、主の空中再臨時に霊と魂は栄化される。聖化はキリスト者の体験的証言により、瞬間的聖化と漸進的聖化がある。
◆「Ⅰヨハ 3:2・・私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。」
◆「ロマ6:19以前は・・手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。」
◆「Ⅱコリ 3:18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
⑥永遠に朽ちない栄光の体の付与の恵み
主が空中に来臨された時に教会は空中に携挙される。その時、全てのキリスト者の体は永遠に朽ちない栄光の体に変えられ、体の贖いが完成する。
◆「ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」
◆「Ⅰテサ 4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。Ⅰテサ 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」
◆「Ⅰコリ15:52 終わりのラッパと共に、忽ち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」
⑦天に国籍が与えられた恵み
キリスト者は、主にあって既に主と共に天の所に座する者であり、主の空中再臨時に携挙され、主の報いを定める天の裁きの座に立ち、その後、主との婚礼に導かれる。そのように、キリスト者は天に国籍が与えられ、天において暫く祝福の時を過ごすのです。キリスト者は天に召されているものであり、天にある全ての祝福に与るのです。天における報いを定める裁きの座で、地上で御霊によって行った全ての業と奉仕の為に冠が授けられ、メシヤ的王国で受ける報いが定められます。実際の報いはメシヤ的王国で実現します。
◆「エペ2:5bあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
◆「エペ 2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。」
◆「Ⅰコリ3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、 3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」
◆「Ⅰコリ9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。」
◆「Ⅱコリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」
◆「Ⅱテモ 4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」
◆「黙19:6ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。 19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」
※キリストの時代のユダヤでは婚礼の時に、花嫁はミクベと呼ばれる儀式において浴槽で身を清めてから、婚礼に臨むと言われています。花嫁なる教会のミクベは、報いを定めるキリストの裁きであり、その後、花婿のあるキリストとの婚礼に臨むと、メシヤニックジュの牧師たちは教え説いている。
⑧万物を所有する所有権付与の恵み
全てのキリスト者(普遍的教会)は父なる神とキリストと共に万物の共同所有者となりました。つまり、全てのキリスト者(普遍的教会)は万物の所有権(支配権)を与えられました。その万物の中には、教会の指導者や教会が必要とする人材や天使も含んでいます。
◆「Ⅰコリ 3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。 3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。 3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。Ⅰコリ 3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。」
⑨天にある全ての霊的祝福によって祝福されている恵み
キリスト者は、天地が創造される前に既にキリストにあって神の子として選ばれて、祝福を受けている。
◆「エペ1:3神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。 1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」
※天地万物が造られる前の永遠の天にはどのような祝福があったのでしょうか。分かる事は、父、子、聖霊の三位一体の神の愛の交わりがあった事です。その後、人間が造られる前に天使が創造され、天使達の豊かな礼拝が天において創造主に捧げられるようになりました。それが天にある霊的祝福です。その後、旧約時代の天には、神が旧約時代の聖徒達の為に永遠の都を築かれましたので、旧約時代の天の祝福は、その二つに加えて永遠の都の存在があった事です。更に、キリストが地上に来臨され、十字架で亡くなられ、三日後に復活された以後の天には、全うされた義人と呼ばれる旧約時代の聖徒達の霊と、長子の教会と呼ばれる地上の旅路を終えたキリスト者の霊の集まりと、御使いたちの大祝会とキリストの十字架の血が天に存在するようになりました。それらも霊的祝福として天に存在するようになったのです。旧約時代に築かれた天の永遠の都をヘブル書と黙示録では「天のエルサレム」と呼んでいます。キリストを信じる信仰に導かれたすべてのキリスト者は、天地万物が創造される前に既に以上の天にある全ての霊的祝福によって、祝福の中に永遠に置かれている存在となっていたのです。
◆「ヘブル12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 12:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、 12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」
➉メシヤ的千年王国の住民となる恵み
主は、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約の成就に向けて、戦争が一切ない、エデンの園が回復したかのような平和と美しいメシヤ的王国の実現の為に地上に再臨される。キリストの花嫁なる教会を構成している全てのキリスト者は、そのメシヤ的王国で主と共に婚宴の座に着く。メシヤ的王国の預言は旧約聖書に約30ヶ所存在する。キリストは、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約の成就の為にこの地上に遣わされた事を新約聖書は教えている。
◆「ルカ 1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
※天使ガブリエルは、マリヤが生む幼子は、ダビデ契約で約束されているメシヤだと教えています。
◆「ルカ 1:67 さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。 1:68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。・・1:69 救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。 1:70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。 ・・1:72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、 1:73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、 1:74 75 われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。・・」
※バプテスマのヨハネの父であるザカリヤは、キリストの為に道を備える息子ヨハネの誕生は、神がイスラエル民族と結ばれた無条件契約であるダビデ契約とアブラハム契約の成就に向けての出来事だと預言しました
◆「ロマ5:8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、・・」
※使徒パウロは、キリストの生涯は、父祖であるユダヤ人に約束された4つの無条件契約の実現を絶対的に実現する保証としての生涯であったと教えている。
◆「マタ23:39 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
※キリストは、終わりの時代に、イスラエル民族全員が改心し、ご自分をメシヤとして正式に招く時が必ず来ることを預言された。
⑪黙示録の新天新地の住民となる恵み
キリスト者が永遠に住む事が約束されている、黙示録の罪無き、死無き、苦しみ無き、病無き新天新地は、現在の天と地が完全に燃え尽きた後に創造されます。罪や死があるイザヤ書65章の新天新地とは異なります。
◆「黙21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
◆「Ⅱペテ3:10その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」
以上の11の福音の恵みに、私達を与らせるために、キリストは神である神の子の立場から、罪を別にして私達と同じ人間となり、ご自分を無にして、父なる神と罪びとの僕となって下さいました。キリストは、全ての罪びとをいつも自分より優る尊い存在として喜び敬いつつ、十字架の苦難の道を歩んで下さいました。キリストは十字架の苦難という、地獄の苦しみを受ける事を喜びとされながら、私達の罪びとの罪の為に身代わりの刑罰を父なる神よりお受けになりました。そして、三日目によみがえり死に打ち勝たれ、天に昇って、父なる神の右の座に着いて下さいました。
2、あらゆる祝福で満たそうといつも愛情を燃やされている神さまの愛
 以上の11の恵みの福音に基いて、全てのキリスト者をこの地上においていつも、あらゆる祝福で満たそうと太陽の如く心を燃やされている天の父なる神さまと、イエス・キリストと、聖霊をいつも喜び感謝しましょう。先日、私は自分が深い虚無感で苦しんでいる夢を見ました。その虚無感から何とか脱しようとするのですが、うまく対処できません。そのまま、夢がさめました。私は、何故、夢の中で自分の虚無感を対処できなかったのか、考えました。その時に、気づいたのは、虚無感から自分を救うためには、自分がどれだけか神さまから愛されているか、その事を十分にイメージして、愛されている喜びで自分の心を満たす事だと気付いたのです。私は、神さまにどれだけ愛されている、その事を深くイメージして、神さまに愛されている喜びで自分の心を満たすことができました。私たちが、神さまのあらゆる祝福で満たされて幸福であるようにと、三位一体の天の父なる神さまも主イエスさまも、聖霊さまも、激しい燃えるような熱情をもって愛されている事を聖書は私たちに一貫して教えています。どんなに激しく燃える恋人同士の愛情以上に、どんなに深く子を愛する親の愛情以上に、ダビデやヨナタンのようにどんなに素晴らしい親友同士の愛以上に、神さまの愛は、どのような愛とも比較ならない太陽のように燃えたぎっている熱情で、私達一人一人を愛されているのです。その愛が、自分に向けられている事をイメージして、そのイメージをもって、自分が神さまに愛されている事を深く想像する時間、黙想する時間を割いて、自分の心を神さまに愛されている喜びでいっぱいにして下さい。そうすれば、あなたの心に春がやって来ます。天国の喜びがやって来ます。信仰から喜びで満たされ、虚無感は吹き飛んでしまいます。そこで、神さまの私達への愛を教える聖句をいくつかご紹介します。

①ある女性に惚れたソロモン王の燃えるような恋心
最初にキリストの愛が、太陽のように真っ赤に燃えるような男女の激しい情熱のようだと学ぶ事が出来る聖句を紹介したいと思います。
◆「雅歌2:4 私の上に翻る、あの方の旗じるしは愛でした」。雅歌書の男女の激しい愛と恋心を歌った歌は、神がイスラエルを愛する愛とか、花嫁なる教会を花婿なるキリストの愛とかを歌ったものではありません。あくまでも、ソロモン王とソロモンが惚れた女性との間における男女の恋心とか夫婦愛が教えられている書です。しかし、その雅歌書から、キリストの花嫁なる教会を愛する愛と恋心が、男女の激しい愛と恋心に優るものだと学ぶ事が出来ます。雅歌書は、あくまでも男女の激しい愛と恋心を歌った書です。また夫婦の愛情を歌った書です。私達はキリストの花嫁なる教会ですので、花嫁なる教会の一員とされている私達は、花嫁を燃えるような愛で愛する花婿のように、霊的花婿なるキリストから激しく愛されているのです。
イスラエルでは、結婚式の時には、雅歌書の言葉が使用されるそうです。その一つが雅歌書8章6節です。
◆「雅歌 8:6私をあなたの心に置いて封印とし、腕に置いて封印としてください。愛は死のように強く、情熱は陰府(よみ)のように激しい。その炎は炎、主の炎(大いなる炎)」。
又、雅歌2章8節9節は讃美になっており、イスラエルではその賛美の中、新郎新婦は入場するそうです。
◆「雅2:8 愛する方の声。ご覧、あの方が来られます。山々をとび越え、丘々の上をはねて。 2:9 私の愛する方は、かもしかや若い鹿のようです。」
 以上の聖句は、空中に再臨されるキリストや、キリストが天に迎える花嫁なる教会とは何の関係もない聖句です。
その事については一切啓示されていません。何故なら、雅歌書を書いたソロモンは、キリストの空中再臨の事も、花嫁なる教会の事も何も知りませんから。しかし、花嫁なる教会を愛するキリストの熱情的な霊的な愛と恋心を学ぶ事は出来ます。
花婿なるキリストは、花嫁なる教会である私たちをどれだけ燃えるような心で愛されているでしょうか。その愛を教えているのが、黙示録22章です。次のように教えられています。「黙 22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る」。花婿なるキリストは、花嫁なる教会を迎えに来て下さる事を一日千秋の思いで待っておられます。父なる神が迎えに行きなさいとGOサインを出されば、まるで、山を飛び越え、丘々の上をはねるかもしかや若い鹿のように、喜び勇んで空中にやって来られます。その時、わたしたちの肉体が永遠に朽ちない栄光の体に与るだけでなく、霊魂がキリストのように完全にされるという栄化の恵みに与るのです。第1ヨハネ3章2節で次のように教えられています。
◆「Ⅰヨハ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」
キリストは花嫁なる教会の一員となった私たちに、一日も早く、一時も早く栄光の体に与らせ、私達の霊魂をご自身の霊魂のように完全にするという祝福に与らせようと心を燃やされうずうずされているのです。その事が実現した時のキリストの感動がどのようなものでしょうか。雅歌書からそれを学ぶ事が出来ると思います。
◆「雅 1:15 ああ、あなたは美しい。わが愛する者よ。ああ、あなたは美しい。あなたの目は鳩。」
以上の雅歌書の聖句は、キリストと花嫁なる教会とは何の関係もない聖句です。あくまでも、ソロモン王の自分が惚れた女性の美しさを感動的に賛美しているものです。しかし、そのソロモン王の惚れた女性への感動的な賛美から、キリストが、栄化された霊と魂と、それに栄光の体をまとった、美しいキリスト者である私たちをご覧になった時の感動を学ぶ事が出来ます。花婿なるキリストは、栄光の体に与り、栄化された霊魂に変えられた、花嫁なる教会の一員となった私達一人一人をご覧になってソロモン以上に「ああ、あなたは美しい。わが愛する者よ。ああ、あなたは美しい」と喜びの感動の声を上げて下さるのです。
雅歌書はイスラエルを愛する神の愛とか、花嫁なる教会を愛するキリストの愛とかは何も教えていません。何も啓示していません。しかし、神がイスラエルを自分の妻の立場において愛されている激しい愛とか、キリストの花嫁なる教会を愛する激しい愛とかを、ソロモン王の女性を愛する愛、ソロモン王が妻を愛する愛以上の激しい愛だと学ぶ事が出来ます。
②幼子を愛する母の如く
次に、産まればかりの乳飲み子や、胎を痛めて生んだ我が子を愛する、深くて優しい愛で愛する母の愛の如くに、私たちキリスト者を愛して下さっている神さまの愛を教えている聖句をご紹介します。
◆「イザ 49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。」
以上の聖句は、キリスト者を愛する神の愛を教えていません。預言者イザヤは、あくまでも神が乳飲み子や胎の子を愛する母の愛のように、神に背くイスラエルを優しく強く愛されている事を教えています。しかし、そのイスラエルへの神の愛は、異邦人である神の子となった私たちキリスト者に向けられている神の愛として学ぶ事が出来ます。この世の中で、どの母親が我が子を一番愛しているのか比較は出来ませんが、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母さんは横田早紀恵さんの我が子を愛する思いは、非常に深く強いものがあります。「愛は諦めない」という、本やパンフレットでその母の愛が教えられています。横田早紀恵さんは、ご自分達の苦難の背後に神の愛が働いている事を知って、更に母親として愛が増し加わり、あきらめずに神さまに祈りつつ、政府や関係者に訴え続けておられます。今年で、恵さんが拉致されて49年になります。それでも、母親である早紀恵さんは諦めずに我が子の解放の時を強く期待しておられます。

③放蕩息子のお父さんの如く
 キリストは、罪びとを愛する父なる神の愛を「放蕩息子を愛する父親」に例えて教えられました。お父さんから遺産を先に欲しいと願い、まるで心でお父さんを心で殺したも同然の冷酷な息子が、受け取った遺産をもって遠い町で放蕩三昧の暮らしをした挙句落ちぶれてしまいました。その我が息子を、今日か今日かと帰りを待つお父さん。わが子が落ちぶれてぼろぼろになって帰って来た時、まだ遠くにいるのを見つけて走り寄って強く強く強くハグして口づけして涙して喜ぶお父さん。息子に最上の履物を履かせ、最上の着物を着させ、自分の財産を自由に使って良いぞと許可する指環をはめさせ宴会を開いて、歌えや踊れで息子の帰還を大喜びするお父さん。それが、罪びとの私たちを愛する天のお父さんの愛だとキリストは教えて下さいました。目に見えない天の父の愛を、目に見えるようにイメージできるようにキリストは教えて下さったのです。
◆「ルカ15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 15:21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
 15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」
【終わりに】
 聖書は、私たちに、目に見えない神さまの愛をしっかりとイメージが出来るように、男女の激しい恋と母親が我が子を愛する愛と、キリストの縦話の放蕩息子を愛するお父さんの愛で教えています。是非、あなたへの神さまの愛の情熱を日々しっかりと信じてイメージする時間を持っていただき、あなたの心が神さまに愛されている喜びで満たされるようにして下さい。それが、信仰から来る喜びと平安であなたの心が満たされる秘訣です。いつも喜び感謝する事は、11の福音の恵みをいつも喜び感謝しながら、神さまにあるがままで愛されている永遠の激しい無条件の愛を、いつも喜び感謝する事です。