「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ⑥」
聖書: Ⅰテサロニケ5章16節~19節
牧師:佐藤勝徳
これまで5回に渡って、Ⅰテサロニケ5章16節~18節の「 「常に喜び、絶えず祈り、万事に感謝せよ」の実践の道についておつたえしてきました。先ず11の福音をいつも喜び感謝する事。次に神さまをいつも喜び感謝し賛美する事、更に万事と万人をいつも喜び感謝する事の必要性をお伝えしてきました。また、その実践を妨げる原因は不信仰と古き人の邪悪な思いの罪にある事を学び、その古き人と邪悪な感情の対処術をもお伝えしてきましたた。それは、「御霊によって歩む事」だという事です。しかし、更に、私たちが、「いつも喜び、絶えず祈り、万事に感謝」して生きて行く為に、学ばなければならない事が、二つあります。一つは聖書をいつも喜び聖書愛読者になる事です。もう一つは御霊によって歩む事を妨げているもう一つの頑固な魂の問題と解決方法です。
1、万人を喜び感謝する事の大切さ
既に学んでいる事ですが、聖書について感謝する前に、全ての人、万人をいつも喜び感謝する事の大切さを再度学んでおきたいと思います。私達キリスト者は、日々出会う全ての人を初め、全世界の人々を神さまが自分に与えて下さった最高最善の高価な宝石のように非常に喜び感謝すべき人々だという事を忘れないようにする必要があります。私たちは、社会に貢献している人たち、人格的に優れた人たちを当然喜び感謝しなければなりませんが、名もなき人々、社会の底辺におかれている人々、犯罪者を含め多くの問題を抱えている人々をも、神さまが与えて下さった最高最善の喜ばしき尊い存在として日々神様に喜び感謝する事が必要です。その理由は、二つあります。第1に、キリスト者の霊の中に、全ての人々をそれぞれの母の胎内で創造され無条件の愛で愛されている三位一体の創造主の神さまが永遠に内住され、キリスト者を通してその愛を表そうとされている事です。それ故に、神様は全てのキリスト者に向かって、造られた全て人々に福音を伝えなさいと命じ、神の御心は「すべての人が罪赦されて永遠の滅びから救われる事」だと、聖書を通して教えておられます。また、全ての人をキリストのように尊びを愛するようにも聖書は教えています。キリスト者の霊の中に三位一体の偉大なる創造主の神が永遠に内住されているのは、キリスト者の思い、感情、意思、肉体を使って神が全ての人の存在を喜び感謝しながら、その人たちの必要と救いの為に御業をなさる為です。私たちは、私たちによって神が生きて働いて下さる為の土の器なのです。その、真理に基いて、私たちが内住の神さまに向かって、私はあなたの御心に従って万人を尊重し愛しますので、私を通して神さまが私の全てを使って隣人の必要と救いの為の御業をなさって下さいと、日々自分を神さまに捧げる必要があるのです。私たちが、万人の存在を喜び尊び感謝して愛する必要があるのは、第1の理由は内住の偉大なる神さまが万人を高価な宝石のように喜び尊び愛されている事にあります。2番目の理由は、私たちは、偉大なる神さまの祝福が万人に注がれるようにとりなしの祈りを捧げる万人の為の祭司として召されている事にあります。宗教改革者のルターが「万人祭司説」を唱えたのは有名です。全てのキリスト者は、全ての人の救いと必要の為に神さまにとりなしの祈りを捧げつつ、全ての人の奴隷として自分を捧げ尽くす事が祭司としての役目です。ルターが、その祭司万人説の聖書的根拠としてⅠペテロ2:9の「 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」を掲げていますが、正確ではありません。Ⅰペテロの言葉は、ユダヤ民族のユダヤ人キリスト者に対しての約束の言葉です。異邦人である私たちが祭司であるという聖書的根拠は黙示録にあります。黙示録1章6節です。
◆「黙 1:6 また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。」
私たちは、自分が自分の霊の中万人を高価宝石のように尊び喜び愛されている万人の創造主の神が内住して下さっているという、偉大な福音の恵みに感謝しつつ、万人を喜び愛されているお方の救いと祝福が万人に注がれるようにとりなしつつ、その為に自分を捧げるという祭司だという自覚をもって、日々の生活を送る必要があるのです。その為に、先ず長所短所のあるあるがままの万人を自分にとって高価な宝石のように尊い存在として神より与えられ隣人として最大限に喜び感謝する事が必要なのです。自分の妻、自分の夫、自分の子ども、自分の同僚、自分の友人知人、自分の親族、自分の近所の人々、遠くの人々全てが、神さまが自分の為にお与え下さった最高最善の隣人として喜び尊び感謝しましょう。その事に徹しましょう。
2、聖書を喜び愛読しましょう
次に、私たちがいつも喜ばなければならない事は聖書の教えです。聖書66巻は、約40人のユダヤ人を通して神が聖霊によって書かれた神の愛の霊感の書です。その事を、キリストとパウロとペテロが教えています。
①キリストの教え
キリストは、聖書を絶対的な神の言葉だと教えられました。
◆「マタ 5:18 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」
旧約聖書の原語の殆どが以下のヘブル語が使用されていますが一部ヘブル語に近い「アラマイク語」が使用されています。ヘブル語の一点と言うのは、ヨッドを意味します。一角はダレットのように角があるようなアルファベットを意味しています。キリストは、聖書は神の絶対的な言葉だという事を意味して、「律法の一点一画も決して消え去ることはありません。」と語教えられたのです。

②パウロの教え
次にパウロが聖書は神の霊感の書だと教えています。
◆「Ⅱテモ 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」
パウロは、聖書は全て神の霊感の書だという事と、その霊感の書である聖書を正しく学び身に着けて日々実践すれば、その人は、「戒めと矯正と義の訓練を受けて、社会においても教会においてもどこにおいても、神の人として良い働きの為に十分に整えられた者とする」と約束しています。聖書を神が愛をもって書かれた最大の目的は、人々をイエス・キリストを救い主として信じて救いに導く為です。次に、救われた人々が戒められ。矯正され、義の訓練を受け、神の人として、社会においても教会においても良い働きをする人に整える為です。それ故に、聖書は、読む者の救いと祝福を願って神が愛を込めて、書かれた愛の手紙だと言われるのです。私達の救いと祝福を願って書かれた聖書66巻の全てを私たちは、大いに喜びつつ日々愛読する事が、聖書を与えて下さった父なる神さまへの良心的な在り方、正しい在り方です。
③ペテロの教え
次にペテロも聖書は預言者が聖霊によって書いた預言の書だと教えています。
◆「Ⅱペテ 1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」
聖書を神の霊感の書だと教えている目的は、パウロの場合はキリスト者の霊性が神の御心に相応しくなる為でしたが、ペテロの場合はそれも含みながら、「勝手な解釈、私的な解釈、すなわち間違った解釈をしてはいけない」という事です。しかし、ペテロは、では具体的にどのような解釈方法が正しい解釈なのかは、具体的に神学的におしえていませんので、キリストの解釈方法、パウロの解釈方法、ペテロの解釈方法、聖書著者の解釈方法を緻密に調べる以外に、正しい解釈方法を見つける事は出来ません。私が、キリストやペテロやパウロやヘブル書や福音書記者の解釈方法を緻密に調べた結果、聖書自身が聖書は字義通りに、文字通りに解釈しなければならない事を教えている事に気が付きました。明確に或は暗示的に象徴や寓話や例えで教えられている箇所は「象徴的に寓話的に例えとして」解釈しなければなりません。それ以外は、文字通りに解釈しなければなりません。それが、字義通り文字通りに解釈する事を意味しています。神の霊感の書である聖書を字義通り文字通りに解釈するという事は、普通の手紙を読み解釈するように読み解釈するという事です。霊的と称して、文字通りに解釈しなければならないの聖書の言葉を象徴的に解釈してならないという事です。教会はキリスト教の初期のころからユダヤ人を呪うはユダヤ主義の神学者によって構築された置換神学は、旧約聖書を教会の書として適用する為、文字通りに解釈しなければならない聖書個所を、霊的と称して象徴的解釈するという過ちを犯してきたのです。その影響は現代も続いています。
④詩篇が教える聖書の教えの価値
詩篇は、聖書に啓示されている神のみことば、全世界の「金よりも銀よりも価値がある」と教えています。何故でしょうか。それは、金や銀は物質的祝福をもたらしますが、聖書の教えは物質的祝福とは比較ならない「霊的祝福」をもたらすからです。聖書を読み正しく解釈し、その教えを実践する人は「神の人」と呼ばれるようになり、あらゆる分野で役に立つ良きは働きをする人へと引き上げます。つまり、神の栄光と人々の救いと必要の為に用いられ、社会に役に立つ人となるのです。その祝福へ私たちを注ぐために、神さまは聖書を読み学ぶ事を良しとされたのです。詩篇の記者はその事を良く知っていたので、以下のように神のみことばを賛美しています。
◆「詩 56:4 神にあって私はみことばをほめたたえます。神に信頼し私は何も恐れません。肉なる者が私に何を
◆「詩 119:16 私はあなたのおきてを喜びとしあなたのみことばを忘れません。」
◆「詩 119:103 あなたのみことばは私の上あごになんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」
◆「詩 119:105 あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。」
◆「詩 119:162 私は大きな獲物を見つけた者のようにあなたのみことばを喜びます。」
◆「詩 119:172 私の舌があなたのみことばを歌うようにしてください。あなたの仰せはことごとく正しいからです。」
◆「詩119:127 それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。」
聖書の神の言葉をいつも喜び賛美する事を聖書は私たちに教えていますので、日々、聖書の御言葉を喜びつつ愛読する習慣を身に着ける事が必要です。仕事など多忙の故に、聖書を読む時間が無いという事にならないように自らを厳しく律しましょう。読む長さは、それぞれが、自分で自由に決めて良いのです。大事なのは継続的に聖書を愛読する習慣を身に着ける事です。キリスト者の霊の中には、知恵と知識と言う宝をお持ちのキリストがおられますので、キリストと親しく対話しながら聖書を愛読しましょう。読んで、感じた事を感謝の内に、キリストに打ち明けましょう。疑問があれば、尋ねましょう。そうすれば、キリストは何らかの方法で疑問に必ず答えて下さいます。主と対話しながら聖書を愛読する「対話的聖書通読法」を身につけ、生ける主との対話、会話、コミュニケーションを楽しみましょう。
3、頑固な魂を砕いて下さいと祈る事
二つ目の真理は「頑固な魂」が、御霊に聞き従う事を妨げている事を知っておくことです。古き人は遺伝によって罪の性質を受け継いできましたので、それは、改善の方法がありません。それは、一度死んで、新しく甦る事によってのみ、キリストのように聖い者となるのです。それをご存知の父なる神は、古い人である生まれながらの私達を最後のアダムであるキリストに結び付けて、包含させて、キリストが十字架で死んだ時に共に死ぬようにされ、キリストが甦った時に共に甦るようにされて、私たちを聖い者として下さいました、キリストにあって聖い者とされた私たちが、実際の生活の中で、御霊に聞き従って歩み、御霊の実である「ガラ5:22愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制」を魂に結びながら歩んで行くには、御霊によって歩まず、自分の知恵や能力や体験によって歩む傾向性のある頑固な魂が砕かれる必要があるのです。人間の魂には、生まれてから、様々な教育や訓練を受けて、良き知識や様々な能力を身に着けて行きます。そうした知識や能力は、とても大事ですが、その知識や能力はキリストに使って頂いて初めて意味のあるものとなります。キリストの手に無い、知識や能力は神さまにとっては空しく、神の栄光に役立たない肉となるのです。キリストは、人の目にどれほど喜ばれても、神に喜ばれないものは、神の栄光の為には空しい肉であり、肉は何の益も無いと教えられました。
◆「ヨハ 6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません・・」。
◆「伝1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。 1:3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」
アダムの堕落によって、この世界には罪と死が入ってきました。又、人は、罪(アマルティア)の力によって貪欲になるという罪の性質をもって誕生するようになりました。更に、人の魂が頑固になる傾向性を持つようになったことです。人が、神さまの知恵や力や導きを祈り求めずに、自分の知恵や力や体験に基づいて、仕事をし、家事を行い、教会の奉仕をする事を聖書は肉と言い、又、そのような傾向性の魂を頑固と呼んでいます。
この肉は、古い人の邪悪な肉とは異なるもので、人の目には悪には見えません。逆に、称賛を受けるのです。しかし、神の目には悪なのです。その肉、と言う頑固な魂は、改善されて、良くなる可能性があります。古い人は改善の余地がありませんが、肉である頑固な魂は、改善され柔らかくなり、神さまに何事も祈って事をなすという事が可能な魂となるのです。
私たちが頑固な魂と言う肉が改選され、柔らかくなって、何事も神さまの知恵、力、導きに従い、キリストの内に留まり続けるには、私たちがその事を強く望む事が必要となります。頑固な魂、肉が改善され柔らかくなり道は、第1に、いつも神さまに愛されている喜びを心に持ち続ける事です。第2は、頑固な魂を砕いて下さいと祈る事です。そうすると、神さまは、喜んで私達の頑固な魂を砕き、柔らかくして下さるのです。その為に、神さまは、大小さまざまな試練を与えて下さるのです。キリスト者が日々体験している大小さまざまな試練は、キリスト者の頑固な魂を砕き、何事も神さまの知恵と力と導きを求めながら、御霊の細き御声に聞き従って生きる者へと引き上げて下さる為のものです。その神さまの愛の御心、最善の御心を喜び感謝する事が、愛の試練に対して相応しい在り方ですので、そのような在り方をする人の魂はどんどん砕かれ、柔らかくなり、従順なものと引き上げられて行くのです。
【終わりに】
キリスト者が体験する大小さまざまな試練や苦難によってキリスト者の頑固な魂は砕かれ、それによってキリスト者の魂に与えられている聖なる神の性質が拡大成長し、日々御霊の実を結びながら、その人格がキリストに似せられていくのです。その真理を教えている聖句を以下に紹介します。
◆「詩119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
◆「ロマ5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
◆「ヘブル12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」
◆「ヤコブ1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」
キリスト者が、キリストの姿に似せられて行く「聖化の道」を歩んでいる事の証拠の一つは「いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝する」事を、生活習慣にしようと努力をしているかどうかです。
