「全ての人を愛されている神」
聖書:Ⅰテモテ2章1節~6節
牧師:佐藤勝徳

「Ⅰテモ2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」
パウロは、少々神経質でその為に、その為に胃を少々患っていた若き伝道者テモテを励ます為に、テモテ第1の手紙と第2の手紙を書き送りました。第1テモテ2章1節~6節では、キリスト者が誰の為に祈るべきか、祈りの在り方について指導する為のアドバイスが教えられています。
これから、お話しますメッセージは、パウロによってテモテが教会の指導者として、指導すべき祈りの在り方から、私達の祈りの在り方に関してお伝えします。

Ⅰ祈りの対象

1, 全ての人
 まず、誰の為に祈るべきか祈りの対象を教えています。それは、全ての人です。全ての人は文字通り全ての人です。、私たちは地球上に存在している人、地球外の宇宙で宇宙ステーションに滞在している人をも覚えて祈る事が求められています。ですから、この地球上の国々で何が起きているのか、日々ニュースに耳を傾けて知る必要があります。キリスト者は、社会音痴になってはいけないのです。自分の狭い生活範囲だけでなく、地球全体の全ての人々を覚えて祈る事が求められています。もちろん、報道には偏向報道やフェイクもあるので気を付けなければなりませんが、神さまに助けを求めつつ全世界の全ての人々の為に正しい祈りを捧げる事が出来るように祈り求めながら、キリスト者は常に心の目を全世界の人々の為と言う、グローバルな心をもって祈る事が求められています。私たちは、日々の祈りの中で、「全世界の全ての人々、まだ一度もお会いした事が無い人、私の知らない全ての人びとに、神さまの恵みをお注ぎ下さい」と。また、今日、世界のあちこちで大きな自然災害が頻繁に起きていますので、そうしたニュースを知ったならば、率先して被災地の人々の為に神さまの助けを祈る事が求められています。

全世界の人々の為と言っても、身近な人々の事を決して忘れてはならないのです。自分の家族、親戚は勿論、ご近所の皆さんの為、職場の皆さんの為、学校の友達や先生方の為に祈る事が必要です。

2, 上に立つ人々の為に
 次に、「また王とすべての高い地位にある人たちのために」とありますように、国や地方で上に立って国政、県政、市政,町政を担っている上に立つ全ての人々の為に祈る事が求められています。私たちは、国の首相である「高市早苗氏」を愛して、祈る必要があります。又、身近な鳥取の県政を担っている「平林真治氏」を愛して祈る必要があります。又、それぞれが住んでいる市や町の市長さんや町長さんを愛して祈る必要があります。自分の好き嫌いに関係なく、思想や信条が合う合わないに関係なく、それぞれ上に立つ人々の為に祈る事がキリスト者に求められています。因み、鳥取県には4つの市がありますが、鳥取市の市長さんは「深沢義彦氏」です。倉吉の市長さんは(広田一恭氏/ひろたかずやす)、米子の市長さんは「井木隆司氏」、境港の市長さんは「伊達憲太郎氏」です。それぞれ住んでいる地域の上に立つ人々の為に祈る事がキリスト者に認められています。

Ⅱ祈りの課題

1, 願いと祈り
どのような祈りを捧げるべきか祈りの課題は、第1に、全ての人々の為の願いと祈りです。願いと祈りは同義語です。同じ意味です。全ての人々の為に先ず願いと祈り捧げるべきです。それは、第1に、全ての人が、イエス・キリストを信じて救われ、罪赦され、永遠の命を得る事です。次に、人々が抱えている問題が解決するように祈る事です。心身の病気、事故、災害、戦争などで、多くの人々が苦しみの中にありますので、その苦しみから解放され癒されるように祈る事です。私たちはまずは身近な人々の為に願いと祈りを捧げましょう。次に世界の人々の為に願いと祈りを捧げましょう。次に上に立つ人々が先ず、キリストを信じて救われるように願い祈りを捧げる必要があります。次に、国民、県民、市民、町民の平和と幸せの為に上に立つ人々の国政、県政、市政、町政が祝福されるように、願い祈りとりなしを捧げましょう。現在、上に立つ人々の為に私が願い祈りとりなしを捧げている事は、北朝鮮に拉致された被害者の解放の為に、上に立つ人々に外交的知恵と手腕が与えられる事です。米子からは「松本京子さん」が拉致被害者となっています。横田めぐみさんや多くの拉致被害者の解放の為に願いと祈りととりなしを捧げています。

勿論、日々の生活で祈りの時間については制限があり、一人で多くの事を祈る事は無理がありますので、御霊の導きを求めながら、特に重荷を感じる事について願いと祈りととりなしを捧げる事が肝心だと思います。

2, とりなし
 次に、全ての人々と上に立つ人々の為にとりなしを捧げましょう。とりなしとは、人々の痛みや苦しみや重荷を自分の問題として、その痛みや苦しみや重荷を深く共有しながら深く祈る事です。

復活され天におられるキリストの祈り「がとりなし」と呼ばれているのは、キリストの祈りは、私達の痛みや苦しみや重荷をいつも共に共有しながら、深い呻きをもって神さまの助けを祈り求めて下さっている故です。私たちも、キリストに倣って、時には、隣人の為に祈る時、隣人の痛みや苦しみや重荷を自分の課題として共有しながら、時間を割いて深い呻きをもって祈りとりなしの祈りを捧げる事が求められています。

3, 感謝 
 次に捧げるべき祈りは、全ての人々と上に立つ人々に対して神さまに「感謝」を捧げる事です。パウロは全ての事に感謝せよと教えていますが、その全ての中に、万人が含まれているのです。万人の存在に対して日々神様に感謝を捧げましょう。特に、家族、親族、友人知人、職場の同僚、学校の友達や諸先生、同じ地域の人々ついて神さまに感謝を捧げましょう。

Ⅲ願いと祈りととりなしと感謝を捧げる人への祝福
 全ての人々と上に立つ全ての人々の為に、願いと祈りととりなしと感謝を日々神さまに捧げる人は、神さまの豊かな祝福に与る事が出来ます。その祝福をパウロは次のように教えています。「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」

1、敬虔が深まる
 敬虔と言うのは、神さまを恐れ神さまを喜び讃える信仰の事を言います。神さまを恐れるというのは、神さまは罪に厳格なお方である事を心から喜び尊びつつ、神の怒りと裁きに合わないように、あらゆる罪と悪を憎み否定して日々歩む事です。神を喜ぶというのは、神さまのその御性質が愛と正義と謙遜と善意に満ち満ち溢れた何一つ欠点の無い非常にきよいお方聖なるお方、美しいお方だと信じて喜び讃える事です。この地上には、美しい花が沢山あります。今、私の家に庭には、くちなしの花が咲いています。その白さ、純白さは見事な美しさです。谷川を流れる多くの清流の中には、なんとも言えない透きとおった見事な美しい清流があります。神さまの御性質のきよさ、美しさは、美しい純白の花や、透き通った非常に美しい清流とは比較にならない非常にきよいもの美しいものですので、私達は、創造主の神さまをそのように完璧にきよく美しいお方として、いつも最高の喜びをもって讃えましょう。それが、神への敬虔です。全ての人の為に、上に立つ人々の為に、願いと祈りととりなしと感謝を日々捧げる事に忠実に生きる人の敬虔は保持され、深められていくのです。私にとって、何が一番幸福か、何が一番の祝福かと言いますと、敬虔が神さまの助けによって保持され、深められていく事です。聖歌に「恵みの高き嶺」と言う賛美がありますが、私の愛唱歌の一つです。神さまへの敬虔が深められていくと、それまで知らなかった神の多くの恵み深さがが見え、恵みの高嶺に導かれて行くのです。昔、リバイバルミッションと言う宣教団体の伝道師でった田中政男牧師が「祈らないと損である」と言うタイトルのメッセージをされた事があります。そのとおりです。日々、例え短い時間であっても、全ての人と上に立つ人々の為に、願いと祈りととりなしと感謝捧げる祈りの時を持たないと神への「敬虔」が養われるという祝福を受け損なってしまう危険がありますので、祈らないと損です。

2, 威厳が深まる 
 敬虔の次の祝福は「威厳」がその人に備えられ深められていく事です。威厳と言うのは、神が与えて下さった権威に満ちる事です。それは、決して威張る事ではありません。それは、全ての人を自分より優る方として、全ての人を尊敬する心が深められ、全ての人の僕として奴隷として仕える人になる事です。その人に、神はご自身の権威を備え、その人の発言に対して、真っ割の人々から深い尊敬を受けるようになるのです。キリストは弟子達に、あなた方が上に立ちたければ、仕える者となりなさいと教えられました。神の威厳と言う権威は、全ての人々の奴隷として仕える為に献身する人に備えられていくのです。全ての人と上に立つ人々の為に、願いとと祈りととりなしと感謝をっ下げる人は、ますます謙遜にされ、神の威厳を備え、周りの人々からその振る舞いや発言に深い尊敬を受けるようになるのです。祈らないと損ですね。

3, 平安で静かな生涯
次に、全ての人と上に立つ人々の為に願いと祈りととりなしと感謝を捧げる人は、「平安で静かな一生」と言う祝福にあずかるのです。その祝福は苦難が無いとか、試練が無いとか、迫害が無いとか、と言う事でなく、どのような環境にも影響されない、心の平安と静けさを保ちながら生きるという、心の平和を神が備えて下さる事を意味しています。この世界では、様々な試練や苦しみは避けられません、キリストも弟子達に向かって「この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私は世に勝ちました」と、教えられました。キリストは、悩みが多いこの世を支配しているサタンに打ち勝って復活をされました。サタンは、様々な試練によって、私達の心から平安、静けさをいつも奪おうとしています。しかし、そのサタンに打ち勝たれたキリストは、私達がサタンの影響から守り、心に深い平和を与え給って下さるのです。全ての人の為に、上に立つ人々の為に、願いと祈りととりなしと感謝を捧げる事に忠実に生きる人は、キリストから平安と静けさが与えられ、環境に左右される事無く心の平和を保ちながら生涯を生かされて行くのです。パウロはピリピ書4章6節7節でも同じような事を教えています。

「ピリ 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」。祈らないと損ですね。

Ⅳ なぜ祝福されるのか
 以上のように、全ての人と上に立つ人々の為に、何故願いと祈りととりなしと感謝を捧げるとなぜ祝福があるのか、その理由を、パウロは三つ教えています。

1, 神さまが大変喜ばれるから
 第1の理由は、それは、神さまが大変深くお喜びになるからです。神さまが深くお喜びなる事をパウロは次のように表現しています。「2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです」と。私達が、神さまをお喜ばせするように神さまに従って良い事をすると必ず、何らかの方法で神さまの祝福に与るのです。全て人々と上に立つ人々の為に、願いと祈りととりなしと感謝を捧げる人を神はお喜びなるので、その人を必ず霊的に、また全ての事で祝福して下さるのです。

 2, 神さまは、全ての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられるから
第2の理由は「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられるから」です。パウロは、神は全ての人の救い主だと教えています。創造主の神は、全ての人の罪が赦されて、永遠の火の池に投じられて永遠に苦しみ続けるという裁きから救いに導こうとされているお方です。その神さまの御心に従って、全ての人と上に立つ全ての人々が、キリストを信じて罪が赦され永遠の命を得て、神さまの裁きから解放され救われる事を熱心に願い、祈り、とりなしを捧げる事を神さまはお喜びなるのです。神さまが全ての人の救いを願われる理由は、全ての人をご自分が一人一人の母の胎内で創造され真の生みの親だからです。私達には人間の生みの親がいますが、同時に、霊の真の生みの親である創造主の神さまがおられるのです。聖書は創造主の神さまを霊の親と呼んでいます。乳飲み子を愛する母親以上に、創造主の神さまは私達一人一人を深く強く燃えて愛されていますので、全て人が救われて、あらゆる神さまの祝福に与って生きる事を求めておらるのです。その神さまの御心に沿って、私達が全ての人々と上に立つ全ての人々の救いと必要の為に、熱心に願いと祈りととりなしと感謝を捧げるならば、神様は非常にお喜びになるのです。

神さまは、全ての人々と上に立つ全ての人々を愛され、地球上の砂以上の数々の恵みを注いで生かされています。地球上のすべての青草、樹木の緑の葉っぱはどれほど多く存在しているでしょうか、その青草、緑の葉っぱから、人間が生きて行く上で必要な酸素がいっぱい放出され、それに代わって人間が口から吐き出す二酸化酸素を吸って、空気を浄化してくれています。海にはサンゴ礁はありますが、地球上に多くの酸素を放出しています。

◆AIの情報
「地球上のすべての酸素の約50〜85%は海から生み出されていますが、そのなかでもサンゴ礁は極めて優れた「酸素の供給源」として機能しています」陸上の多くの全て青草、緑の葉っぱと共に、海の中より、50%~80%に比率で酸素が放出している生き物や植物が多く存在しています。その一つひとつの青草や緑の葉っぱや海の生き物や食物が、全ての人を生かしている恵みなのです。私達を生かしている空気には窒素、酸素、二酸化炭素、アルゴンが含まれています、その比率について

◆空気の主な成分
空気のほとんどは、少数の気体で構成されています。

窒素(約78%): 空気中で最も多くを占める気体です。直接呼吸で取り込まれるわけではありませんが、植物が育つための栄養分として自然界で重要な役割を果たしています。
酸素(約21%): 動物や植物が生きていくための「呼吸」に欠かせない気体です。取り込んだ酸素と栄養分を使い、エネルギーを作り出しています。
二酸化炭素(約0.04%): 植物が光合成をするために不可欠な気体です。
その他(約0.96%): アルゴンや水蒸気などが含まれています。

創造主の神さまは、空気をいくつかの気体を見事に配合されながら、地球上の動植物を生かしておられます。その恵みの数々は計り知る事が出来ません。それは、目的意識の無い、知恵の無い、愛情の無い、目的の為に力を働かせる事が無い無力な偶然では決して生み出されないものです。それらは見事な創造主の知恵と愛と力によっているとしか考えられません。地球上の人間や動植物は、空気中の気体によって生かされるように造られているので、神さまは、地球上の人間や全て動植物の為に、その命に必要な気体を空気中に存在させておられるのです。それらは、無目的、無知、無力、無情の偶然では絶対に生み出せない見事な調和、ハーモニーとなっています。美しい音楽を奏でているようです。ちょうど、今は梅雨の季節で雷がとどろく季節になっています。雷にはどのような恵みが込められているのでしょうか。

雷がチッソを固定する仕組み
◆空気中のチッソ:地球の大気の約80%は窒素ガスで占められていますが、このままでは植物は吸収できません。
◆放電による化学反応:雷が鳴るときの超高熱と放電によって、空気中の窒素と酸素が結合し「窒素酸化物」に変化します。
◆雨に溶けて土へ:この物質が雨に溶け込んで土壌に染み込み、植物の三大栄養素の一つである「硝酸態窒素(天然の肥料)」になります。

 「稲妻」という言葉の由来
雷が光る現象を日本では「稲妻(いなづま)」と呼びます。大昔の人々は、雷が鳴る(=チッソが雨と降り注ぐ)と稲がよく育つことから、雷を「稲を実らせるための良きパートナー(夫・妻)」だと考えていました。これが「稲の妻」から「稲妻」と呼ばれるようになった由来とされています。創造主の神さまは、稲妻を恵みとして人類と地球上の動植物に与えておられるのです。キリストは、創造主の恵み深い父なる神さまは、全ての人を平等に愛されている事を次のように教えられました。

◆「マタ5:45b天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」。
創造主の天の父なる神さまは私達全ての人間を母の胎内で神の形に似せてお造り下さった生みの霊の親ですので、全ての人を平等に愛され、地球上のすべての砂の数をもってしても計り知れない多くの恵みもって全ての人を生かしておられます。その一人一人は、神さまの形に似せて創造されているので、神さまは一人一人を非常に高価な宝石のように尊び、その存在を深くお喜びなっているのです。神さまは一人一人と永遠に愛しあって生きて行くための、永遠の愛の対象としてお造り下さっているのです。それ故に、全ての罪びとの罪が赦されて、永遠の命を得て、神の裁きから救われる事を強く深く熱く願っておられるのです。同時に、全ての人が悟るべき真理を悟る事を願っておられます。その為に、憐れみによって計り知れない恵みの数々をもって、命を与え生かしておられるのです。真理と言うのは、聖書に啓示された神さまの御心やご計画の事です。特に、今日では、創造論、救済論、イスラエル論、教会論、終末論の真理を悟ることを強く深く熱く願っておられます。今回は、それらの真理を学ぶ時間はありませんが、是非、創造論、救済論、イスラエル論、教会論、終末論の真理を、聖書を通してしっかりと学んで頂きたいと思います。
神さまは、全ての人々と上に立つ全ての人々が、救われる事、また、聖書から創造論、救済論、イスラエル論、教会論、終末論の真理を悟る事を願っておられます。私達も、全ての人々と上に立つ人々が救われ、聖書の教える真理に目が開かれるように祈る時、神様は非常にお喜びなるので、祈る人を祝福されるのです。祈らないと損ですね。

3, 神は唯一

第三場目の理由は、創造主の神さまは唯一で、その唯一の神と和解に導くイエス・キリストも唯一の仲介者だからと言う事です。私達、全ての人が救われて真理を悟ることを願っておられ、祈りに答えて下さる神さまは唯一の神さまだけです。 人の祈りに答えて下さる神さまは、全ての人を創造し、全ての人を無条件の愛で愛されている唯一の全知全能の創造主の神さまだけです。人間の祈りに答える事が出来るのは、唯一の創造主だけだという真理をみなさん悟っておられるでしょうか。地球上に約80億人の人が住んでいます。その一人一人の祈りに耳を傾けてお答えくださる可能性がある神さまはどのようなお方でしょうか。

①無条件の愛に満ちた神さま
全ての人の祈りに応答が出来るは、全ての人を無条件の愛で愛されている神さまです。地球上のあらゆる宗教が崇拝されている神々で、全人類を無条件で愛している神さまは誰でしょうか。それは、聖書の教える唯一の創造主以外に存在しません。

②罪や悪を憎む正義の神さま
次に、罪や悪を憎む正義の神でなければなりません。人間の祈りには貪欲からの間違った祈りも多くありますので、間違った祈りを厳格に退ける正義が無ければ、本当の意味の祈りの聞き手ではありません。そのようなお方は、聖書の愛と正義に満ちた創造主の神さまだけです。創造主の無条件の愛は全ての人の幸福を願いますが、罪や悪の祈りは人を不幸にしますので、創造主の愛は必然的にそのような悪や罪の祈り憎み退ける正義のお方です。無条件の愛と正義に満ち満ちたお方は、聖書が教える創造主の神さまだけです。

③全知全能の神さま
次に、全知の神さまでなければなりません。全知でないと、人の祈りに間違った答えを与える危険性があります。正しく適切に祈りに答える事が出来るのは、聖書の天地万物を創造された全知の創造主の神さまだけです。又、なんでも自由に答える事が出来る全能の神でなければなりません。全能でなければ、誰かの妨害に合えば、祈りに答える事が出来ません。全ての人を平等に無条件の愛で愛し、罪や悪を憎む全知全能の正義の神さまの事を教えているのは、聖書だけです。聖書が教える創造主の神さまだけが、祈りに答えて下さる愛と正義と知恵と力と満ち満ちた唯一の神さまです。だから、その神さまに向かって祈りを捧げる人は、その唯一のお方から祝福を受けるのです。

4, 神と罪びとの仲介者は唯一
 次に、全ての人々と上に立つ全ての人びとが唯一の聖なる神さまによって罪が赦され、永遠の救いに導く事が出来る唯一の仲介者イエス・キリストだけです。人は、自分の犯した全ての罪が赦される為に、何一つも唯一の聖なる神さまに差し出すものはありません。なぜなら、人の犯す全ての罪は、永遠の死罪に価する罪だからです。神さまは、その真理を良心によって示されています。死罪に価する罪の赦しの為には、人間の善行も捧げものも、難行苦行も償いにはなりません。死罪に価する罪の赦しの為には、罪無きお方が償いとして、身代わりに死の刑罰をお受けになる以外に道はありません。その、罪のないお方と言うのは、神の子が人なって、地上の生涯を歩まれた、イエス・キリストのことです。キリストは、母マリヤが聖霊によって身ごもって生まれたお方なので、罪の性質は無く、神の聖なる性質が満ち満ちていました、それ故に人を妬んだり恨んだり憎んだりする心の罪も、言葉の罪も、行いの罪もありませんでした。又、ご自分の自由意思で、父なる神に全ての事で十字架の死に至るまで、徹底して従がわれました。それ故に、イエス・キリストは唯一のお方である創造主の天の父なる神様と罪に堕落した人類の唯一の仲介者となる事が出来ました。そのキリストだけが、十字架でご自分を贖い代価としてお捧げになる事が出来ました。その真理をパウロは次のように教えています。

◆「神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」
キリストが、十字架で人類の罪の赦しの為に、十字架に掛かり、死んで葬られ、三日目に甦られたと言う、救いの御業は、既に今から約6000年前から預言されていたのです。その最初の預言は創世記3章15節です。それから、漸進的メシヤに関する啓示が積み重ねられ、発展的に詳細に具体的に示されてきました。その預言が約50あり、全てが成就したのです。メシヤがユダヤ人のユダ族から出現する事。ユダ族のダビデの氏族から出現するる事、ダビデの町ユダヤのベツレヘムでお生まれになる事など、詳細な預言が、約4000年に渡って漸進的に少しずつ発展的に預言され、啓示されて来たのです。パウロはその事を意味して「これが時至ってなされたあかしなのです。」と証言したのです。

【終わりに】
私達が、全ての人々と上に立つ全ての人々救いの為に祈るという事は、全ての人のそれぞれの死罪に価する全ての罪が永遠に赦される為に、創造主の正義の神さまが、唯一の仲介者であるイエス・キリストを救い主として遣わされた事を信じるように祈る事です。そのキリストが十字架の身代わりの刑罰をお受けになって死なれた事によって罪が償われた事を正しく理解し、信じ認め受け入れるように祈る事です。その信仰のみによって、どんな人も直ちに全ての罪が永遠に赦され、永遠に正しい人して、生みの霊の親である創造主の父なる神さまとの生きた交わり、和解に生きるもとされるのです。それが救いです。 その救いに与るように、全ての人の為に祈る事が、私達キリスト者に求められているのです。私達が、全ての人と上に立つ全ての人の救いの為に祈る時、天の父なる神さまは大変喜ばれ、その人を祝福されるのです。それが、私達が「敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす」と言う祝福です。イエス・キリストが、十字架で罪無きご自身を、人類の死罪に価する全ての罪の贖いの代価として十字架にご自身を捧げて下さったという真理に立って、全ての人々と上に立つ全ての人々の為に、願いと祈りととりなしと感謝を捧げる事を、生活習慣としましょう。