「愛の実践の秘訣⑦」
聖書:Ⅰコリント13章1節~13節
牧 師 : 佐 藤 勝 徳

「Ⅰコリ13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」

【はじめに】

これまで、数回にわたって「愛は礼儀に反する事をしない」事について学んで来ました、人への礼儀とは何か、神さまへの礼儀とはなにかついて繰り返し学んで来ました。今朝は「愛は自分の利益を求めない」事について学びたいと思います。

1、無償の愛

①物質的、金銭的見返りを求めない

自分の利益を求めない愛と言うのは、先ず、物質的に金銭的見返りを求めない事を意味しています。日本にお中元とかお歳暮とか、夏と年末に「贈り物」をする習慣がありますが、そうした「贈り物」をする時に、自分がプレゼントした事に相応しい「見返り」を求めて、プレゼントをする事は「自分の利益を求めない愛」と言う本当の愛とは程遠いものです。つまり、本当の愛とは見返りを求めない、自分の利益を求めない「無償の愛」の事を意味します。

②人からの称賛を求めない

「自分の利益を求めない愛」とは、人からの称賛を求めない事です。人から称賛が欲しくて、褒められることが欲しくて行う善行は、本当の「無償の愛」ではないのです。パウロが、Ⅰコリント13章の1節~3節で教えた、「異言」を語ったり、預言を語ったり、あらゆる奥義に通じ多くの知識があっても、山を移すほどの完全信仰があっても、貧しい人に全財産を分け与えても、焼かれる為に自分のからだを犠牲にしても、愛が無ければ何の値打ちも無い、何の役にも立たない」と、警告をしたのは、人から見て分からない心の動機に人からの称賛を求める、人から「褒められたい」と願うという、邪悪な動機があれば、それは愛ではないと厳しく教えているわけです。本当の愛は、見返りに人からの称賛を決して求めない「無償の愛」なのです。

2、与える愛

「愛が自分の利益を求めない」と言うのは愛の消極面ですが、積極面は「愛は隣人の利益を積極的に求めるという」事を意味しています。つまり、隣人の必要については積極的に必要なものを捧げ、隣人の必要が満たされるように積極的に協力する事を意味しています。愛は、隣人の必要の為ならば、自分の全財産、自分の命さえ押しむことなく喜んでささげる事を意味しています。本当の愛は隣人の利益の為に「与え尽くす」事を意味しています。本当の愛は無償で与え尽くす事を意味しています。パウロは、異言や預言を語り、知識を語り、完全な信仰を働かせたり、全財産を貧しい人に捧げたり、自分の命を焼かれるため犠牲にする事が見返りを求めない無償の精神」から出ていればそれは「OK」だと教えているのです。その無償の愛を今朝は飢饉の中にある人々に私達は示したいと思います。今朝は国連が定めた「10月16日の世界食料デー」に因んで礼拝を捧げています。3週間ほど前にコピーして現在の世界の飢餓と食料不安の状況をお知らせしましたが、今朝改めて学んでおきたいと思います。

世界の飢餓と食料不安の現状

◆飢餓状態の人数: 約6億4,500万人(世界人口の約7.8%)
◆地域別の飢餓人口: アフリカで約3億900万人、アジアで2億9,200万人。人数ベースではアフリカが最多。
◆食料不安の状況: 世界人口の推定25.8%(約21億人)が中程度または重度の食料不安を経験。
◆健康的な食事のコスト: 経済的な理由などで健康的な食事を摂取できない人は世界で27億人(約32.7%)にのぼる。
◆1年間の餓死者:1分間に17人 1日に2万5千人 1年間に約1000万人

(ネットと国際飢餓対策機構からの情報)

貧しい人への援助と祝福を教える聖書の言葉

箴 14:31 弱い者を虐げる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。
箴 17:5 貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。
箴 19:17 貧しい者に施しをするのは、【主】に貸すこと。主がその行いに報いてくださる。
箴 21:13 貧しい者の叫びに耳を閉ざす者は、自分が呼ぶときにも答えてもらえない。
箴 22:9 善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。
箴 28:27 貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くののろいを受ける。

以上の箴言の教えの元となったのは、イスラエル民族に与えられたモーセ律法です。そのモーセ律法に「自分を愛するように自分の隣人を愛せよ」と教えられています。レビ記19章18節に次のように教えられています。

◆「レビ 19:18 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である」

この隣人愛の実践として、生活が困窮している人、貧しい人を自分と思って愛するように愛の手を差し伸べる事をモーセ律法は教えています。

Ⅰモーセ律法の教え

  1. 経済的弱者を守る農耕・収穫のルール

≪落穂ひろいの権利≫

畑の作物を収穫する際、四隅まで完全に刈り尽くしてはならず、落ちた穂やブドウの実を拾い集めてはならないとされ、貧しい人や寄留者(外国人)が食べるために残しておくように戒められていました。

◆「レビ19:9 あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。 19:10 またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、【主】である。」

◆「申24:19 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、【主】が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。 24:20 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 24:21 ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 24:22 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。」

以上の落穂ひろいに関するモーセ律法を守っていたボアズは、神に祝福され、モアブ人であった「ルツ」をお嫁にする事が出来、そのボアズの家系より、ダビデが生まれたとルツ記は教えています。

「ルツ4:21 サルモンの子はボアズ、ボアズの子はオベデ、 4:22 オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。」

≪安息年の解放≫

7年ごとに土地を休ませる「安息年」が設けられました。この年に自然に実ったものは、土地の所有者だけでなく、貧しい人や野生の動物に自由に食べさせなければならないと戒められていました。

◆「出23:10 六年間は、地に種を蒔き、収穫をしなければならない。 23:11 七年目には、その土地をそのままにしておき、休ませなければならない。民の貧しい人々に、食べさせ、その残りを野の獣に食べさせなければならない。ぶどう畑も、オリーブ畑も、同様にしなければならない。

◆「レビ25:3 六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。 25:4 七年目は、地の全き休みの安息、すなわち【主】の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。 25:5 あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。地の全き休みの年である。 25:6 地を安息させるならあなたがたの食糧のためになる。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷と女奴隷、あなたの雇い人と、あなたのところに在留している居留者のため、 25:7 また、あなたの家畜とあなたの地にいる獣とのため、その地の収穫はみな食物となる。」

≪負債の免除≫

又、7年ごとの免除年には、同胞に対するすべての負債(借金)を免除(帳消し)にしなければならないと戒められていました。

◆「申15:1 七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。 15:2 その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。【主】が免除を布告しておられる。 15:3 外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。 15:4 そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、【主】が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、【主】は、必ずあなたを祝福される。」

2、金銭や負債に関するルール

≪無利子の貸し付け≫

同胞の貧しい人にお金を貸す際、利息(利子)を取ることは厳しく禁じられました。困窮している人から利益を得てはならないと戒められていました。。

◆「出22:25 わたしの民のひとりで、あなたのところにいる貧しい者に金を貸すのなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。彼から利息を取ってはならない。」

◆「レビ25:35 もし、あなたの兄弟が貧しくなり、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、あなたは彼を在住異国人として扶養し、あなたのもとで彼が生活できるようにしなさい。 25:36 彼から利息も利得も取らないようにしなさい。あなたの神を恐れなさい。そうすればあなたの兄弟があなたのもとで生活できるようになる。 25:37 あなたは彼に金を貸して利息を取ってはならない。また食物を与えて利得を得てはならない。」

≪質入(担保)の制限≫

貧しい人の上着を担保(質)として取った場合、日没までに返さなければなりませんでした。当時は上着が夜の防寒具(布団代わり)だったため、命や健康を脅かすような過酷な取り立ててはならないと戒められていた。

◆「出 22:26 もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。 22:27 なぜなら、それは彼のただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。」

◆「申24:10 隣人に何かを貸すときに、担保を取るため、その家に入ってはならない。 24:11 あなたは外に立っていなければならない。あなたが貸そうとするその人が、外にいるあなたのところに、担保を持って出て来なければならない。 24:12 もしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。 24:13 日没のころには、その担保を必ず返さなければならない。彼は、自分の着物を着て寝るなら、あなたを祝福するであろう。また、それはあなたの神、【主】の前に、あなたの義となる。」

≪賃金の正当の支払い≫

賃金を正当に支払って、雇われている者が困らないように、虐げないように戒められていた。

◆「レビ19:13 あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇い人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。」

◆「申24:14 貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地で、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人でも、しいたげてはならない。 24:15 彼は貧しく、それに期待をかけているから、彼の賃金は、その日のうちに、日没前に、支払わなければならない。彼があなたのことを【主】に訴え、あなたがとがめを受けることがないように。

  1. 社会的地位の保護と分配

≪十分の一の収穫の分配≫3年ごとに、収穫の10分の1を町の中に蓄え、土地を持たないレビ人、寄留者、孤児、未亡人たちが満腹して食べられるように分け与えるように戒められていた。

◆「申14:28 三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。14:29 あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、【主】が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」

Ⅱ新約聖書の教え

1、初期教会の「相互扶助」の精神

イエスの昇天後、誕生したばかりの初代教会では、貧しい人を一人も出さないための徹底した支え合いが行われました。

≪共同体での財産の共有≫「使徒言行録」によると、エルサレムの信徒たちは「すべてを共有にし」「資産や持ち物を売り、それぞれの必要に応じて、みんなに分け与えた」と記されています(使徒2:44-45)。

◆「使2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。 2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。 2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

≪組織的な救済活動≫教会が大きくなると、ギリシア語を話す未亡人たちが配給で軽んじられないよう、救済の実務を担当する「七人の執事が選出されました(使徒6章)。貧しい人のケアを教会の重要な公務としたのです。

「使6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。 6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。 6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。 6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」 6:5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、 6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。」

  1. 使徒たちの手紙に見る「行いを伴う愛」

イエスの弟子たちも、書簡を通じて「具体的な行動がない愛は偽りである」と強く戒めました。ヤコブは、兄弟姉妹が着る物も食べる物も無いときに、「温かくしなさい、満腹しなさい」と言葉で言うだけで、体に不可欠なものを与えないなら何の意味があるのか、と問いかけました。

≪行いの伴う信仰のすすめ≫

◆「ヤコブ 2:15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、 2:16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。」

≪神の愛がとどまる条件≫「Ⅰヨハ317世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、これに対して心を閉じるような者に、どうして神の愛がとどまるだろうか。3:18子たちよ。私たちは言葉や舌で愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おう」と教えられています」

  1. 喜んで与える「施し」の姿勢

新約聖書は、義務感や見返りを求めるのではなく、喜びをもって与える心が大切だと戒めています。

≪快く与える人を神は愛される≫パウロはコリントの教会への手紙の中で、エルサレムの貧しい聖徒のための募金を募る際、「各自、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は快く与える人を愛して下さるからである」と記しました。

◆「Ⅱコリ9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」。

≪貧しいユダヤ人に捧げ物をする事は異邦人の絶対義務≫

パウロは、エルサレムの貧しい聖徒達に異邦人の教会が援助をしている事を喜びながら、貧しいユダヤ人聖徒を援助するのは義務であると、絶対化して教えました。その理由は、ユダヤ人から聖書が与えられ、メシヤが与えられ、福音が与えられるという霊的祝福を受けてきた事への感謝の応答が義務付けられているからだと教えました。

◆「ロマ15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。 15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。 15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです」

イスラエルはテロとの長年の戦いで国家予算の多くを国防費に回さざるを得ない状況にあり、生活困窮者は少なくないと言われています。そうした、イスラエルの生活困窮者に対して、クリスチャンの国際的団体であるBFPは積極的に支援活動を行っています。BFPに捧げれば、確実にイスラエル支援に用いられます。BFPがイスラエルに対してどのような支援活動を行っているのか、その項目が記載されている文書をコピーしていますのでお読みください。もし、イスラエル支援についてお考えの御方は専用の封筒で献金をお捧げ下さい。

5、精神的支援

もちろん人の必要性は経済的、物質的必要だけではありません。精神的、霊的必要性があります。精神的必要性とは、いじめや差別等で、心を痛めている人々に寄り添って、心の痛みやストレスを少しでも軽くなるように必要な援助をする事です。

日本にも様々な差別や虐待があり、その差別や虐待で心がずたずたにされている人が多くいます。その傷ついた人の心が癒されるように祈り、必要な支援をする事も、隣人の益の為の働きです。

◆日本の児童相談所における児童虐待の相談対応件数は年間22万件を超え、過去最多を更新し続けています(令和6年度/2024年度は223,691件)

◆日本の学校におけるいじめの実態は、文部科学省の最新調査(2025年10月公表)で認知件数が約76万9,000件、生命や心身に重大な被害が生じる重大事態が1,405件と、いずれも過去最多を記録しており深刻な状況が続いています。

◆日本国内における高齢者(老人)虐待は増加傾向にあり、過去最多を更新し続ける深刻な社会問題となっています。 厚生労働省の最新の 高齢者虐待の実態把握等のための調査研究事業報告書によると、在宅で介護を行う「養護者」による虐待の相談・通報件数は年間41,814件(前年比3.5%増)に達し、そのうち17,133件が実際の虐待と判断されています。

その他、女性差別、性差別、外国人差別、部落差別、障害者差別、パワハラ、セクハラ等、人の心や体が傷つく多くの忌まわしい事件が絶えません。この世の中では、多くの人が傷つき、精神的支援を必要としています。キリスト者は、特に祈りによって傷ついた人の為に、精神的支援が出来ます。自分の身近で、傷ついている人がいれば、祈りつつ必要な援助が出来るように神さまに助けを求めましょう。

6、霊的支援

最後に隣人の霊的支援について考えてみましょう。人は、霊と魂と肉体で構成されていますので、霊的必要性をも抱えています。霊的必要性と言うのは、一つは人生の意味は目的や意義に関しての正しい解答です。もう一つは、罪の赦しに関する正しい回答です。人は、日々罪を犯し、良心の痛みで苦しんでいます。その良心の痛みから解放される道を提供する事が霊的必要性への援助です。隣人との良い関係の為にどうすれば良いのか、その解答を提供する事も霊的必要性の援助を意味します。心の奥の最も深い悩みに解答を提供する事が、人の霊的必要性への援助となります。その為に、多くの人は色々な宗教や哲学を学び、その答えを求めてさまよっているわけです。その答えを正しく伝えるのが、聖書です。聖書は、人間を含め天地万物を愛と知恵と正義と全き善意とによって創造されたお方です。そのお方が、霊的必要性にお答え下さる唯一のお方です。そのお方が、人の生きる意味、目的、意義をご存知です。又そのお方だけが、人の罪を赦す事が出来る唯一のお方です。そのお方が、罪の赦しの為に、御子なるキリストに全人類の罪を負わせ、身代わりの刑罰を受けさせて人類の全ての罪を取り除かれました。その事実を信じる時、人は聖霊の働きを受けて良心の呵責から完全に解放される恵みに与ります。又、そのお方の聖霊のお力で、隣人との良い関係を築かせて下さいます。人の霊的必要性は、全て創造主だけが満たすことが出来るのです。私達、キリスト者が人ん霊的必要性の為に援助する事は、聖書の創造主と創造主による罪の赦しと言う福音を祈りつつ伝える事です。パウロは次のように教えています。

「ロマ10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」

では、創造主と創造主による福音を宣べ伝える人は誰でしょうか。伝道者や牧師に限定さるでしょうか。それとも全てキリスト者でしょうか。いうまでもなく、それは全てのキリスト者の「隣人に益を与える愛の実践」なのです。私は、これまで何度か証をさせて頂きましたが、この7年~8年になると思いますが、神さまから示された「福音宣教」の方法は、とにかく買い物に出かけるスーパーの人、ガソリンを入れるガソリンスタンドの人、ローソンなどのコンビニの人、郵便局の人、郵便配達の人、宅急便の人、役場の人、屋台の人、我が家にヤクルト届けるヤクルトさん散髪屋さん等々に福音文書を配るように努めています、1週間に約3人の人には届けていると思います。その他、教会らの郵便物で関係者に送っています。わたしの住んでいる部落では1年に2度から3度は福音文書を配っています。1年間にすると延べ人数にすれば200人近い人に福音を伝えています。10年だと2000人となります。毎日、毎週のこつこつとした福音宣教の積み重ねが如何に大事な事か、お分かりになると思います。福音文書がどこで芽を出し、人の救いの為に用いられるか分かりませんが、神さまはご存知です。この霊的必要こそが、経済的必要性、物質的必要性、精神的必要性にまして、最も必要な事です。福音を信じると、そのの人は永遠の祝福に導かれるからです。福音宣教は、キリスト者が創造主の神さまから与えられた最も重大な使命であり奉仕です。又、人知れず、福音が届くのを待っている人がいるのです。

隣人の利益を追い求める愛の実践で最も重要な実践が福音宣教なのです。

私たちは、隣人の物質的経済的必要性の援助、精神的必要性の援助、霊的必要性の援助、ユダヤ人への援助と言う、隣人の益の実践愛の為に召されています。

では、何故、無償の愛で隣人の益の為の愛の実践が私たちに要求されているのでしょうか。それは、神さまが無償の愛で、人類を愛されているからです。

神さまが天地万物を創造し、天地万物を保持し、天地万物を統治されている動機は、無償の愛で人類を神の栄光の為に生かす為です。神さまは全知全能ので全ての事で十全のお方ですので、何ひとつ不足が無く、人類に仕えらる必要もありませんし、褒め称えられる必要もないお方です。自分の利益を求める必要のないお方です。それ故に、いつも無償の愛で人類を愛し全てを愛され、自分以外の他の利益の為にどうする事がいつも最善か、をお考えになって行動され存在されているお方です。ですから、自分の利益を求めない無償の愛は永遠の神の愛なのです。それ故私たちにも自分の利益を求めず、隣人の利益を純粋に求める愛の実践が要求されているのです。

しかし、その実践を妨げるのが「古い人」です。古い人は無償の愛で、無条件の愛で隣人の益の為に実践するのを嫌がります。嫌だ、無理だと決めつけ、否定的にさせます。それを打ち破るのがキリスト福音のきよめにたって、聖霊の力で覆われる事です。私達キリスト者は、キリスト共に甦り、イエス・キリストのように隣人の益の為に、無償の愛で、無条件の愛で喜んで自分の命と全財産を捧げて生きる愛に人とされているのです。その霊的事実に目をしっかりと向けて、神さまと自分に向かって宣言しましょう。「私はキリストにあって、無償の愛で、無条件の愛で隣人の益の為に生きる者です」と。その信仰と宣言に聖霊が働き、あなたは聖霊の力で覆われて、隣人の益の為に実際に生きるもとされるのです。