岡山英雄牧師著「小羊の王国」の問題点7
麦と毒麦のたとえ話について③
≪はじめに≫
前回では、岡山牧師が、麦と毒麦のたとえ話の解釈を論じる前提として、「使徒信条」と「ニケヤ信条」から教会が終末論において三つの点で一致しているという、「三つの一致点」について検証をしました。今回は、麦と毒麦のたとえ話が「神の国」と「獣の国」の進展を教えているという解釈(P30~P68)の問題点を聖書により検証をしたいと思います。
岡山牧師の「麦と毒麦のたとえ話」の解釈の要点は以下の通りです。
「すなわち、刈り取りの日まで、「麦」に象徴される神の国の光が輝き続けるとともに、「毒麦」に象徴される悪の暗黒も深まっていく。収穫の日まで、両者は共に勢力を拡大し、互いの葛藤は激しさを増し、やがてその頂点に至る」。(同P35)
Ⅰ 麦の成長は神の国(小羊の王国)の進展を意味しているのか
岡山牧師は「麦」の成長は「神の国(小羊の王国)」の進展と勝利を意味していると解釈されていいますが(P38~P45)、その解釈が正しいかどうかを見極める為に、最初に聖書は「神の国」あるいは「天の御国」という事をどのように教えているのかを論じておきたいと思います。 「神の国」は聖書全体で68回使用されていますが、神の国、と同じ意味で使用されている「天の御国」は33回、「御国」は29回です。その「神の国」「天の御国」「御国」がそれぞれどのような概念で使用されているのかを先ずお伝えしたいと思います。
1、神の国とは
「神の国」の意味は、「神の王国」或いは「神の支配」です。「神の王国」「神の支配」という定義に基づいて聖書は「神の国」の概念(神の国の計画)が複数ある事を教えています。わたしは8つあると解釈しています。それは①第3の天。②罪に堕落した世界と宇宙。③神政国家イスラエル。④イスラルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)。⑤復興したイスラエルを中心としたメシヤ的王国の世界。⑥キリスト教文化圏。⑦霊的王国。⑧黙示録の新天新地です。
聖書が、「神の王国」「神の支配」という定義に基づき以上の8つの「神の国」の教えている事を確認したいと思います。8つの神の国の2つは、神への従順と神の御心が完全に実行されている完全な御国です。それが第3の天と黙示録の新天新地です。それ以外の6つの「神の国」は神への従順と神の御心が完全に実行されていない「神の国」です。キリストが「麦と毒麦」の例えで教えておられる神の国(小羊の王国)は、8つの神の国のどれに当てはまるかが明確になる時、そのたとえ話の真意が理解できます。その1つ1つの神の国を聖書はどのように教えているのでしょうか。それを知るには、まず「天」について聖書がどのように教えているのか、天について知っておく必要があります。①天 (シャーマイム)
ヘブル語で、天と訳される「シャーマイム」が複数形なのは、第1の天、第2の天、第3の天と、天が複数存在している事によります。第1の天は、悪魔や悪霊が活動をしている空間で、鳥たちが飛んでいる大空です(エペソ2:2、創世記1:18)。第2の天は地球の大気圏を超えた宇宙空間です。第3の天は宇宙空間を超越した天です。
創世記には天は30回使用されています。その1つ1つを観察しますと、第1の天から第3の天まで、3つの天が啓示されている事が分かります。第1の天とか第2の天という用語は聖書にはないのですが、天を第1の天、第2の天、第3の天と数える事が出来るのは、パウロが「第3の天」に上った体験を証言している事によります。また、聖書は鳥が飛ぶ空間と大気圏と、それを超えた宇宙空間を区別してそれぞれ「天」と呼んでいますので、1番上の天が第3の天ですので、その下の天を順番に第2の天、第1の天と数える事が可能となっています。
◆「Ⅱコリ 12:2 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。」
≪創世記が教える天≫
1)第1の天 ◆「創 1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。」
◆「創 1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。」
◆「創 6:17 わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。」
◆「創 1:20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
◆「創 7:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、大いなる淵の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた。」
◆「創 7:19 水は地の上にますますみなぎり、天の下にある高い山々もすべておおわれた。」
◆「創 8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。」
◆「創 11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
◆「創 21:17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。」
◆「創 22:11 そのとき、【主】の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
◆「創 22:15 【主】の使いは再び天からアブラハムを呼んで、・・」
◆「創 27:28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒を与えてくださるように。」
◆「創 27:39 父イサクは彼に答えた。「見よ。おまえの住む所には地の肥沃がなく、上から天の露もない。」
◆「創 49:25 おまえを助ける、おまえの父の神によって、おまえを祝福する全能者によって、上よりの天の祝福、下に横たわる大水の祝福、乳房と胎の祝福があるように」
2)第2の天
◆「創 1:14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。」
◆「創 1:15 また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。」
◆「創 1:17 神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、・・」
◆「創 15:5 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」
3)第1と第2を合わせた天
◆「創 1:1 はじめに神が天と地を創造された。」
◆「創 2:1 こうして天と地とその万象が完成した。」
◆「創 2:4 これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である【主】が、地と天を造られたときのこと。」
◆「創 14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。第1第2
◆「創 14:22 アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、【主】に誓う。」
4)第3の天
◆創 19:24 そのとき、【主】は硫黄と火を、天から、【主】のもとからソドムとゴモラの上に降らせられた。」
◆「創 24:3 私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。私はカナン人の間に住んではいるが、あなたは、その娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。」
◆「創 24:7 天の神、【主】は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。」
◆「創 28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。」
◆「創 28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
以上のように創世記が第1の天から第3の天までを詳細に啓示していますので、それ以後の各書に啓示されている
天が、文脈によって第1~第3のどの天を指すのかが理解できます。八つある「神の国」を理解するには、第3の天を詳細に知っておく必要があります。聖書は第3の天をどのように教えているのでしょうか。
② 第3の天の詳細
1)第3の天に神が臨在されているので神は「天の神」と呼ばれている
◆「創 24:3 私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。私はカナン人の間に住んではいるが、あなたは、その娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。」
◆「創 24:7 天の神、【主】は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。
以上の第3の天に臨在されている神を「天の神」と呼んでいる箇所は聖書全体で23か所です。創世記以外は以下の通りです。
◆Ⅱ歴代 36:23 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、【主】がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。』」
◆「エズ 1:2 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。(他、5:12、6:9、10、 7:12、21、23)
◆ネヘ 1:4 このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
(他 1:5、2:4、20)
◆「詩 136:26 天の神に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。」
◆「ダニ 2:18 それは、ダニエルとその同僚たちがほかのバビロンの知者たちと一緒に滅ぼされることがないように、この秘密について天の神にあわれみを乞うためであった。(他2:19、37、37、44、
◆「ヨナ 1:9 ヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、【主】を恐れる者です。」
◆「黙 11:13 そのとき、大きな地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のために七千人が死んだ。残った者たちは恐れを抱き、天の神に栄光を帰した」(他16:11)
2) 第3の天は神が会議される場である
◆「創1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
◆「イザ6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。・・・6:8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いた・・」。
3) 第3の天から神は裁きをなさる
◆「創11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。 11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。 11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」 11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。」
◆「創 19:24 そのとき、【主】は硫黄と火を、天から、【主】のもとからソドムとゴモラの上に降らせられた。」
4) 第3の天ではみ使いが神に仕えている
◆「創 28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。」
以上の創世記に啓示されている第3の天の啓示によって、創造主の天の神は第3の天から、宇宙空間の第2の天と、罪に堕落し、悪魔や悪霊どもが働いている第1の天を支配しつつ、罪と死に満ちた地上の世界と万物を支配され、統治されている事が分かります。その事を聖書は以下のように教えています。
◆「出 15:18 【主】はとこしえまでも統べ治められる。」
◆「詩 22:28 王権は【主】のもの。主は国々を統べ治めておられます。」
◆「詩 47:2 まことにいと高き方【主】は恐るべき方。全地を治める大いなる王。」
◆「詩 47:8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。
◆「詩 66:7 神はその御力をもってとこしえに統べ治めその目は国々を見張られる。どうか頑迷な者を高ぶらせないでください。セラ」
◆「詩 103:19 【主】は天にご自分の王座を堅く立てその王国はすべてを統べ治める。
◆「イザ 40:10 見よ。【神】である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。」
以上の第3の天に神がおられる事とサタンの来訪が許されている事をヨブ記は教えています。
◆「ヨブ1:6 ある日、神の子らが【主】の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。 1:7 【主】はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは【主】に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
第3の天には父なる神がおられる事を、キリストは「主の祈り」で教えておられます。又、へブル書では「新しいエルサレムの都」、「無数のみ使いの祝宴」、「長子の教会」、「全うされた義人の霊」、「審判者の父なる神」、「仲介者キリスト」、「アベルの血より力強く語る注ぎかけの十字架の血」などが第3の天に存在している事を教えています。その天にある「新しい都エルサレム」を旧約の聖徒たちが目指していたこともへブル書は教えています。
◆「ヘブル12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 12:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、 12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」
◆「ヘブル 11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」
以上の第3の天である神の国から、神が天地万物を支配し、統治されているという事から、「罪に堕落した世界と宇宙」、「神政国家イスラエル」、「復興した『メシヤ的王国』のイスラエル」、「復興したイスラエルを中心とした全世界のメシヤ的王国」、「キリスト教文化圏」、「霊的王国」、という「神の国」を聖書が教えている事が分かります。黙示録の新天新地の神の国は全く別格です。黙示録の新天新地では、神は第3の天からでなく、新しいエルサレムの都から新天新地をご支配なさるのです。父なる神はなんと天にある住所を黙示録21章が啓示している新天新地の黄金と宝石に輝く新しいエルサレムに移されるのです。
②罪に堕落した世界と宇宙も神の国である
讃美歌に「ここも神のみくになれば」と歌われている通り、悪魔や悪霊どもや罪びとがうごめく「罪に堕落した世界と宇宙」も神の国なのです。その真理に気づくことは難しいことですが、「神の国」が「神の支配」を意味している事から、その事が理解できます。又、岡山牧師が取り上げているキリストの「麦と毒麦」のたとえ話にも、世の終わりにみ使いが刈り取り「毒麦」である「悪魔の子たち」も「御国から取り上げる」と教えられていますが、その御国は悪魔も働いている罪に堕落した世界を意味しています。「マタ 13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて13:42 火の燃える炉に投げ込みます。」
現在の罪に堕落した世界と宇宙において、悪魔や悪霊どもが、いくら悪意を持って働こうとしても、神の許可がなければ、絶対に何もすることができません。また、罪びとの私たちがどんなに悪意を持って悪と罪を行おうとしても、神の許しがなければ絶対にその悪と罪を行う事ができません。キリストはその事を「マタ 10:29 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」とか、「ルカ21:17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。21:18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。」という御言葉で教えられています。悪魔が神の支配の中におかれている事は、黙示録20章の千年王国の期間、彼がみ使いによって「アビソス」という陰府の世界に閉じ込められ事でよく理解ができます。又、ヨブ記では悪魔は、神が許可した悪しか行えない事が教えられ、悪魔が神の支配の中にある事が分かります(ヨブ1:12、2:6)。罪に堕落した世界に存在しているもので、神に支配されていないものは何一つ存在しないのです。以下の聖書個所がその事を教えています。
1)詩篇の教え
◆「詩 103:19 【主】は天にご自分の王座を堅く立てその王国はすべてを統べ治める」。
2)ヨブ記の教え
ヨブ記において、サタンは神が許された悪しか、ヨブにすることができませんでした。彼は神から「ヨブの命を奪うな」と命じられていたのです。その出来事も、サタンが神の支配の中におかれている事を教えています。
◆「ヨブ2:6 【主】はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」
3)ダニエル書の教え
神が万物を支配し統治されているという真理を、BC586年に南ユダ王国を滅ぼしたバビロンの王ネブカデネザルに神が教えています。
◆「ダニ 4:34 その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。4:35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押さえて、「あなたは何をされるのか」と言う者もいない。 4:36 私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。4:37 今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる」。又、詩篇では神が罪に堕落した世界と宇宙の支配者である事を次のように賛美しています。「135:6 【主】は望むところをことごとく行われる。天と地で海とすべての深淵で。」
4)パウロの教え
パウロも、以上の真理をよく知っていましたので、この世において起きる全ての出来事は天から万事を統治されている善なる神による最高最善の出来事して「感謝するように」教えています。
◆「Ⅰテサ5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
5)キリストの教え
(1)父なる神は万物の支配者
キリストは、父なる神が万物を統治されている事を教えられました。
◆「マタ 10:29 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
(2)父なる神は時を統治されている
キリストは、ご自身が十字架にかかる時は、「時の支配者」である父なる神が定められている事を教えられました。キリストは十字架にかかるその時を「わたしの時」と呼ばれて、神が定められた「過ぎ越し祭」の祭りの時に十字架にかかる事を目指しておられました。それまで、悪魔の働きでパリサイ人や律法学者たちがキリストに殺意をもって石打で殺そうとしましたが、悉く失敗しました。キリストの十字架の死は「神が定められた時に実現するように、神は悪魔を含め当時のユダヤ人やローマ人を支配されていたのです。
◆「マタ 26:18 イエスは言われた。「都に入り、これこれの人のところに行って言いなさい。『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と先生が言っております。』」(他:ヨハネ2:4、7:6、7)。
(3)父なる神は権力者を統治されている
ローマの総督ピラトに対しても、キリストは父の許しがなければ、ピラトは何ひとつ出来ない事を教えています。
◆「ヨハ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「私に話さないのか。私にはあなたを釈放する権威があり、十字架につける権威もあることを、知らないのか。」19:11 イエスは答えられた。「上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません」。
(4)キリストの初臨の預言の成就と父なる神の万事の統治
キリストの初臨のご生涯が、旧約聖書の約50の預言通りに成就した事は、創造主の神が、宇宙の万事をご支配され統治されている事を私たちに教えています。マタイによる福音書2章だけで、キリスト初臨の旧約預言の成就が繰り返し教えられている。
◆「マタ 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。
◆「マタ2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。」
◆「マタ 2:23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。」
ヨハネによる福音書では、キリストの十字架の出来事が悉く、預言の成就であった事を教えています。
◆「ヨハ 19:24 そのため、彼らは互いに言った。「これは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」これは、「彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします」とある聖書が成就するためであった。それで、兵士たちはそのように行った。」
◆「ヨハ 19:28 それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
◆「ヨハ 19:36 これらのことが起こったのは、「彼の骨は、一つも折られることはない」とある聖書が成就するためであり、・・」
更に、復活のキリストが、ご自身の十字架の受難による死と復活の出来事が全て、旧約聖書に預言されている事を疑い深い弟子達に説き明かされています。
◆「ルカ24:25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。24:26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」24:27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。]
3、神政国家イスラエルも神の国である
罪に堕落した世界と宇宙も神の国であるという事から、サウル王から始まった「罪のあるイスラエル国家」も神の国であるという事が出来ます。神は、イスラエルが他の諸国のように「王」を立てて「王国」となる事を喜ばれませんでしたが、イスラエルの民が執拗に求めたので、その求めに応じて「王」を立てる事を許可されました。その時に、神はイスラエルの支配者である事を明確にされ、それ以後も何度かご自身が「イスラエルの支配者だ」と啓示されています。
◆「Ⅰサム8:7 【主】はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。。神は明確にご自身の事を「彼らを治めているこのわたし」をと証言されています。神がご自分を「イスラエルを治める神」だという事が以下の聖句で明らかです。
◆「Ⅱサム 7:26 こうして、あなたの御名がとこしえまでも大いなるものとなり、『万軍の【主】はイスラエルを治める神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立ちますように。
◆Ⅰ歴代 28:5 【主】は私に多くの子を授けてくださったが、私のすべての子どもの中から、私の子ソロモンを選び、イスラエルを治める【主】の王座に就けてくださった。」
神が、イスラエルを治め支配する神である事を、「アブラハム契約」、「モーセ契約、「土地の契約」、「ダビデ契約、「新しい契約」の5つの契約をイスラエルと結ばれた事で教えられています。それ以外に、ご自身の事を「イスラルの神」だと195回も聖書で繰り返しお呼びになっている事でも明確にされています。その詳細は「小羊の王国の問題点Ⅱ」(P10~12)で論じていますので、参照にして下さい。イスラエルはこの地上が続く限り永遠に「神政国家」の「神の国」なのです。1948年5月14日に樹立した現在のイスラエル国家も神の特別な支配下にある神政国家であり「神の国」なのです。
4、イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国=千年王国)も神の国である
聖書は、やがて復興するダビデ王国のイスラエルを神の国だと教えています。教会初期から反ユダヤ主義によって置換神学が生まれ拡大してきた為に、イスラエルの「復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」という真理がこれまで多くのキリスト者によって見過ごしにされてきました。又、隠されてきました。その為に。聖書は「復興したイスラエル」を意味して「神の国」と教えているにも関わらず、別の意味に解釈すると言う過ちを教会は現在も続けています。岡山牧師は、神の国である「復興したイスラエル」(ダビデ王国)について何も教えていませんので、是非この項目に目をとめていただければと思います。
「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」を聖書は神の国だと教えています。キリストが度々そのように教えられました。以下の通りです。
◆「マル 1:15 『時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』・・」
※8つの神の国の中で、イスラエルの民にとって「近づいている神の国」は、「アブラハム契約」、「土地の契約」、「ダビデ契約」、「新しい契約」という、神がイスラエルと結ばれた4つの無条件契約の成就としての「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国=千年王国)」以外にありません。
◆「マル 14:25 まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」
※キリストは、最後の晩餐の席で、ご自身が「ぶどう酒」を神の国で新しく飲む日がやってくることを約束されました。その「神の国」は、エゼキエルなど多くの預言者が預言している「エデンの園」のように回復した「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」以外にありません。
◆「マル 15:43 アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。」
※ユダヤ人であるサンヒドリンの有力な議員のひとりであったヨセフが待ち望んでいた「神の国」は、「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」以外にありません。彼はまだ黙示録の新天新地の事は全く知らせれていません。
◆「ルカ 10:9 そして、その町の病人を癒やし、彼らに『神の国があなたがたの近くに来ている』と言いなさい。
◆「ルカ 10:11 『私たちは、足に付いたこの町のちりさえ、おまえたちに払い落として行く。しかし、神の国が近づいたことは知っておきなさい。』・・」
◆「ルカ 13:28 あなたがたは、アブラハムやイサクやヤコブ、またすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分たちは外に放り出されているのを知って、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
※復活したアブラハム、イサク、ヤコブが入っている「神の国」は、アブラハム契約に基づく「イスラエルが約束のカナンの地に復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」以外にありません。
◆「ルカ 13:29 人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。」
※人々が、東からも、西からも、南からも、北からも来て食卓に着く神の国は、この地上で「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」以外にありません。イザヤ書2章2節・3節では、世界の国々から世界で一番高い山に建設された「エルサレム神殿」に、多くの巡礼者がやってくると預言しています。
◆「ルカ 21:31 同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは神の国が近いことを知りなさい。」
※キリストの終末の前兆の教えの中で教えられた「神の国」は、キリストの地上再臨の約束やいちじくの木の例えで終末を教えられている事から、それは「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」以外にありません。キリストの地上再臨の目的は、イスラエルと交わされた4つの無条件契約の成就として「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」を実現する事にあります。マタイ23章39節がそれを明らかにしています。
◆「ルカ 22:16 あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」
◆「ルカ 22:18 あなたがたに言います。今から神の国が来る時まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、決してありません。」
◆「ルカ 23:51 ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた彼は、議員たちの計画や行動には同意していなかった。」
◆「使 1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」
※復活したキリストが40日にわたって弟子たちに語られた「神の国」は、弟子たちの「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」という応答ではっきりと理解ができます。それはイスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」を意味しているのです。
以上の、「イスラエルが復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」を意味しての「神の国」を聖書は「天の御国」とか「御国」と呼んで教えています。以下の通りです。
≪天の御国と御国≫
◆「マタ 3:2『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』と言った。」
◆「マタ 4:17 この時からイエスは宣教を開始し、『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』と言われた。」
◆「マタ 8:11 あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。」
◆「マタ 10:7 行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。」
◆「ダニ 7:27 国と、主権と、天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主は彼らに仕え、服従する。』・・」
※ダニエルが預言した「永遠の御国」は、再臨のキリストによって実現する「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」を意味しています。キリストが活躍された当時のユダヤ人は、黙示録の新天新地を知らされていませんので、「ユダヤの国」に近づき実現する「御国」と聞けば、「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」だと理解していました。パウロもその事を理解していましたので、その伝道活動で、「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」を意味して、ユダヤ人たちと「御国」ついて論議したことが聖書に教えられています。
◆「使 19:8 パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。」
◆「使 28:23 そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた。」
◆「使 28:31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
※「御国の福音」は、キリストの十字架の死と復活の救いに御業によって実現する「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国」の実現を意味して使用されています。
◆「マタ 4:23 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。」
◆「マタ 9:35 それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。
◆「マタ 13:43 そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」
※このキリストの約束は、ダニエル書12章2節3節で預言されている「旧約聖徒」の復活と「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」における祝福の預言に基づくものです。
◆「マタ 25:34 それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。』
◆「マタ 26:29 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」
◆「ルカ 23:42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
※キリストの十字架の両サイドに同じように十字架にかけられていた強盗の内のひとりがキリストに救いを求めた時に語った「神の国」は、ユダヤ人が切に求めている「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」以外にありません。
以上のように、聖書は「神の国」「天の御国」「御国」を「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国=千年王国)」を意味して度々使用しています。使徒行伝15章使徒会議でも、使徒たちは「イスラエルの復興したダビデ王国」を預言したアモス書などの言葉を引用しながら、異邦人キリスト者に対する教会の在り方を協議しています。
◆「使15:14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。15:15 預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。15:16『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。15:17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。 15:18 大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』」
以上の「イスラエルの復興したダビデ王国(メシヤ的王国)」の詳細については「小羊の王国の問題点Ⅱ」(P12~25)ですでに詳細に論じていますので参照にして下さい。
5、復興したイスラエルを中心としたメシヤ的王国の全世界も神の国である
メシヤ的王国は、復興したイスラエルのみに実現するのではなく、全世界にも実現する事が聖書に詳しく預言されています。以下の通りです
≪メシヤ的王国においてキリストが異邦人諸国の王として支配される≫
①創世記
◆「創 49:10 王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。
※創世記49:10は、やがてイスラエルのユダ部族から出現するメシヤが、諸国民をご支配する王となる事が預言されています。
②詩篇1)第2篇
◆「詩2:6 「わたしがわたしの王を立てたのだ。わたしの聖なる山シオンに。」2:7 「私は【主】の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまであなたの所有として。2:9 あなたは鉄の杖で彼らを牧し陶器師が器を砕くように粉々にする。』」2:10 それゆえ今王たちよ悟れ。地をさばく者たちよ慎め。2:11 恐れつつ【主】に仕えよ。おののきつつ震え子に口づけせよ。2:12 主が怒りおまえたちが道で滅びないために。御怒りがすぐにも燃えようとしているからだ。幸いなことよすべて主に身を避ける人は。」
※詩篇第2篇では、神の御子がメシヤ的王国で世界の諸国民を統治される事が預言されています。
2)詩篇72篇
◆「詩72:1 神よあなたのさばきを王にあなたの義を王の子に与えてください。72:2 彼が義をもってあなたの民をさばきますように。公正をもってあなたの苦しむ民を。72:3 山も丘も義によって民に平和をもたらしますように。72:4 王が民の苦しむ者たちを弁護し貧しい者の子らを救い虐げる者どもを打ち砕きますように。72:5 彼らが日と月の続くかぎり代々にわたってあなたを恐れますように。72:6 王は牧草地に降る雨のように地を潤す夕立のように下って来ます。72:7 彼の代に正しい者が栄え月がなくなるときまでも豊かな平和がありますように。72:8 海から海に至るまで川から地の果てに至るまで王が統べ治めますように。72:9 砂漠の民は王の前に膝をつき王の敵はちりをなめますように。72:10 タルシシュと島々の王たちは貢ぎを納めシェバとセバの王たちは贈り物を献げます。72:11 こうしてすべての王が彼にひれ伏しすべての国々が彼に仕えるでしょう。72:12 それは王が叫び求める貧しい者や助ける人のない苦しむ者を救い出すからです。72:13 王は弱い者や貧しい者をあわれみ貧しい者たちのいのちを救います。72:14 虐げと暴虐から王は彼らのいのちを贖います。王の目には彼らの血は尊いのです。72:15 どうか王が生き続け彼にシェバの黄金が献げられますように。王のためにいつも彼らが祈り絶えず王をほめたたえますように。72:16 大地には穀物が豊かにあり山々の頂では実がレバノンのようにたわわに揺れ町の人々は地の草花のように咲き誇りますように。72:17 王の名がとこしえに続きその名が日の照るかぎり増え広がりますように。人々が彼によって祝福されすべての国々が彼をほめたたえますように。72:18 ほむべきかな神である【主】イスラエルの神。ただひとり奇しいみわざを行われる方。72:19 とこしえにほむべきかなその栄光の御名。その栄光が全地に満ちあふれますように。アーメン、アーメン。72:20 エッサイの子ダビデの祈りは終わった。」
詩篇72篇に描かれている王は、ソロモン王の事でもダビデ王の事でもない事は、「代々の王」であり、「全地の王であり、「諸国民の王」として、世界を正義と愛をもって支配する事からはっきりと理解が出来ます。それは、メシヤなる、イエス・キリストです。
③イザヤ書
1)イザヤ2章
◆2:2 終わりの日に、【主】の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。2:3 多くの民族が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。2:4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」
2)イザヤ11章
◆「イザ11:10 その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。」
3)イザヤ42章
◆「イザ 42:1 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。」
4)イザヤ49章
◆「イザ49:6 主は仰せられる。「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」
※イザヤ2章と11章では、メシヤ的王国の諸国民がエルサレム神殿を住まいとされているキリストに、巡礼者として礼拝を捧げ、喜んで従う事が教えられています。
※イザヤ42章と49章は、メシヤがメシヤ的王国の諸国に正義をもたらす「異邦人の光」となる事が預言されている。
④ダニエル書
◆「ダニ7:13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。 7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、・・」
⑤黙示録
1)黙示録12章
◆「12:5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた。」
2)黙示録19章
◆「19:15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。」
※黙示録12章と19章では、メシヤが詩篇2篇で預言されている通りに「鉄の杖」でメシヤ的王国の諸国民を統治される事が教えられている。
≪メシヤ的王国における異邦人の統治形態≫
①教会時代の聖徒達と大艱難時代の聖徒達による支配
◆「黙20:4 また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。20:5 残りの死者は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である。20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。」
※空中再臨の時に空中挙げられ、キリストの花嫁として天において結婚式を挙げた花嫁なる教会の聖徒達と、大艱難時代に首をはねられ殉教の死を遂げ復活した聖徒達がメシヤ的王国の世界を統治します。
②メシヤ的王国の住民となった諸国の王たちによる支配
◆「詩篇72:8海から海に至るまで川から地の果てに至るまで王が統べ治めますように。72:9 砂漠の民は王の前に膝をつき王の敵はちりをなめますように。72:10 タルシシュと島々の王たちは貢ぎを納めシェバとセバの王たちは贈り物を献げます。72:11 こうしてすべての王が彼にひれ伏しすべての国々が彼に仕えるでしょう」
※メシヤ的王国の諸国民には王たちが存在している事を詩篇72篇は教えています。その彼らが自分たちの国を治めるために、王なるキリストに従う事が預言されている。
③イスラエルによる支配
メシヤ的王国におけるイスラエルは異邦人の頭として異邦人を統治する使命が与えられている事を聖書は教えている。以下の通りです。
1)申命記
◆「申15:6 あなたの神、【主】はあなたに約束したようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。また、あなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。
◆「申28:1 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。」
◆「申28:13 私が今日あなたに命じる、あなたの神、【主】の命令に聞き従い、守り行うなら、【主】はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。」
2)イザヤ書
◆「イザ14:1 まことに、【主】はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選んで、彼らを自分たちの土地に憩わせる。寄留者も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。14:2 諸国の民は彼らを迎え、彼らのところに導き入れる。イスラエルの家は【主】の土地で、その寄留者を男奴隷、女奴隷として所有し、自分たちを捕らえた者を捕らわれ人にし、自分たちを追い立てた者を支配するようになる。」
◆「イザ49:22 【神】である主はこう言われる。「見よ。わたしは国々に向かって手を上げ、わたしの旗を諸国の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちを懐に抱いて来る。あなたの娘たちは肩に担がれて来る。49:23 王たちはあなたの世話をする者となり、王妃たちはあなたの乳母となる。彼らは顔を地に付けて、あなたを伏し拝み、あなたの足のちりをなめる。あなたは、わたしが【主】であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」
3)ダニエル書
◆「ダニ7:27 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』・・」
≪メシヤ的王国における異邦人諸国の一般的特徴≫
①イザヤ書
◆「イザ11:10 その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。」
◆「イザ14:1 まことに、【主】はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選んで、彼らを自分たちの土地に憩わせる。寄留者も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。14:2 諸国の民は彼らを迎え、彼らのところに導き入れる。イスラエルの家は【主】の土地で、その寄留者を男奴隷、女奴隷として所有し、自分たちを捕らえた者を捕らわれ人にし、自分たちを追い立てた者を支配するようになる。」
◆「イザ42:1 「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。」
◆「イザ49:5 今、【主】は言われる。ヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。私は【主】の御目に重んじられ、私の神は私の力となられた。49:6 主は言われる。「あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」49:7 イスラエルを贖う方、その聖なる方、【主】は、人に蔑まれている者、国民に忌み嫌われている者に、支配者たちの奴隷に向かってこう言われる。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。真実である【主】、あなたを選んだイスラエルの聖なる者のゆえに。」
◆「イザ56:1 【主】はこう言われる。「公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近いからだ。わたしの義が現れるのも。」56:2 幸いなことよ。安息日を守って、これを汚さず、どんな悪事からもその手を守56:3 【主】に連なる異国の民は言ってはならない。「【主】はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。56:4 なぜなら、【主】がこう言われるからだ。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、56:5 わたしの家、わたしの城壁の内で、息子、娘にもまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。56:6 また、【主】に連なって主に仕え、【主】の名を愛して、そのしもべとなった異国の民が、みな安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、56:7 わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」
◆「イザヤ65:1見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。」
◆「イザ66:18 「わたしは彼らのわざと思いを知っている。わたしはすべての国々と種族を集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。66:19 わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちの逃れた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、弓を引く者ルデ、トバル、ヤワン、そして、わたしのうわさを聞いたことも、わたしの栄光を見たこともない遠い島々に。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせる。66:20 彼らはすべての国々から、あなたがたの同胞をみな【主】への贈り物として、馬、車、いわい輿、らば、らくだに乗せて、わたしの聖なる山エルサレムに連れて来る──【主】は言われる──。それはちょうど、イスラエルの子らが穀物のささげ物をきよい器に入れて、【主】の宮に携えて来るのと同じである。66:21 わたしは彼らの中からも、ある者を選んで祭司とし、レビ人とする──【主】は言われる。66:22 わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、──【主】のことば──あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。66:23 新月の祭りごとに、安息日ごとに、すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する。──【主】は言われる──66:24 彼らは出て行って、わたしに背いた者たちの屍を見る。そのうじ虫は死なず、その火も消えず、それはすべての肉なる者の嫌悪の的となる。」
※以上のイザヤの預言から、メシヤ的王国における異邦人の一般的特徴は、異邦人諸国の中心的な存在となっているキリストのシャカイナグロリーを見て異邦人諸国は感動します。異邦人は未だ約束の地に帰還していないイスラエルの人たちを帰還の手助けをします。彼らの1部はイスラエルに寄留し、イスラエルの奴隷として仕えます。また、異邦人の中より祭司となる人が選ばれ主につかえます。異邦人はメシヤ的王国の新月や安息日を守りながらエルサレム神殿にお住いの主の前で礼拝を件献げ祈ります。エルサレム神殿は「異すべての民の祈りの家」となり、異邦人は諸国民の光となっているキリストを愛し礼拝を献げます。
②ゼカリヤ書
◆「ゼカ14:16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。14:17 地上の諸氏族のうち、万軍の【主】である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。14:18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を【主】が打つ疫病である。14:19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。」
※預言者ゼカリヤによりますと、異邦人は王なるキリストを礼拝し、仮庵の祭りをエルサレム神殿で祝います。しかし、その祭りに上ってこない異邦人の諸国やエジプトは裁きを受け、干ばつや疫病に襲われます。
以上のように、聖書はイスラエルを中心とした「メシヤ的王国」の世界を数多く預言しています。よって、その王国も「神の国」なのです。
岡山牧師はイザヤ65章17節~25節を引用して(P221~222)、イザヤ65章の新天新地を黙示録の新天新地の預言だと解釈されていますが、それは明らかに間違った解釈です。イザヤ書65章の新天新地は文脈により、明らかに「メシヤ的王国の世界」を意味しています。イザヤ書65章の預言する新天新地と黙示録の新天新地とは明らかに異なるのです。その詳細はここでは割愛しますが、誰もが気が付く大きな違いがある事を一つお伝えしておきます。それは、イザヤ書の預言する新天新地には「死」と「苦しみ」がありますが、黙示録の新天新地に「死」はない事です。その一つの違いだけでも、明らかに両者の違いが分かります。旧約聖書には黙示録の新天新地については一切預言されていないのです。家の建築に例えればイザヤ書の新天新地は「リフォーム」であり、黙示録の新天新地は「新築」を意味しています。「リフォーム」の新天新地には悪魔や悪霊どもの働きはありませんが、それでもまだ、罪(アマルティア)と死が入り込んだままです。罪と死を忌み嫌われる創造主の神は、悪魔の誘惑により罪を犯したアダムによって罪と死が入り込んでいれば、それがメシヤ的王国の世界であっても、火をもって焼き滅ぼされるのです。以下の岡山牧師の見解は明らかに間違っています。
「‥イザヤ65:19~25にしても、これは17節で明らかなように新天新地(黙示録の新天新地)の預言であり、歴史の完成した世界を象徴的に描いているのであって、それは千年王国のみに限定することはできない」(P221)
6、キリスト教文化圏も神の国である
アウグスチヌスが教会を神の国だと論じている事は有名ですが、彼は、置換神学者ですので彼の「教会論」には大きな問題があります。それをここでは論じませんが、ここでは彼が「教会」を「神の国」だと論じるほど彼の時代には「キリスト教文化圏」が拡大し、キリスト教の勢力が強くなっていいた事を教えています。現代のキリスト教文化圏は初期キリスト教時代から随分拡大し、キリスト教の人口は20億人を超えているとネットで教えられていました。右表の通りです。聖書の翻訳原語数はやがて3600(分冊などを含めて)を超えました。世界の言語数は6877だそうですが、世界にある聖書翻訳団体は互いに協力しあって地球上のすべての言語に聖書翻訳を2025年までに着手する事を目指していると言われています。「同協会では2025年までに、必要とされるすべての言語で聖書翻訳に着手することを目指している。」(ウイクリフ聖書翻訳協会ニュース/2018年10月/ネットより)。キリスト教が小さな小さな国イスラエルから始まり、今日まで大きな世界最大の宗教になるとは、キリスト在世時代の人々は誰も思いつかなった事です。しかし、キリストはご存知でした。キリスト教の拡大でキリスト教の影響を受けた音楽、美術、文学、科学、医学、建築、経済など様々な分野の文化が発展してきたことは誰もが周知の事だと思います。70年間在位し96歳で亡くなったイギリスのエリザベス女王の国葬が2022年9月19日に荘厳の内に執り行われ、世界に中継されました。その荘厳さはイギリスの華麗なキリスト教文化を世界に知らしめたと思います。小さな存在から始まったキリスト教の進展により、キリスト教の文化圏が多くの諸国に拡大してきました。しかし、キリスト教の文化圏の拡大は決して良い面だけではありません。マイナス面も沢山あります。良い面とマイナス面を含めどうしてこれほど、キリスト教の文化圏が世界に広がってきたのでしょうか。それは、第3の天から世界を支配されている天の父なる神と御子キリストによる許可の御業だとしか言いようがありません。キリストは教会の支配者ですが、同時に万物の支配者です。全世界は、復活した小羊キリストが統治している小羊の王国なのです(参照/ヨハネ13:3、11:エペソ1:21~23)。キリスト教の文化に触れてどれだけ多くの人が、キリストを信じる信仰に導かれ救われてきたことでしょうか。同時にどれほど多くアフリカ諸国、アジア諸国、南米諸国、北米諸国などが植民地化され荒らされてきたことでしょか。また、どれほど多くのユダヤ人が差別され、人権を奪われ、虐殺されて来たことでしょうか。聖書の「神の国」(神の統治)という教えから、良い影響とマナナスの影響を世界にもたらしてきた「キリスト教文化圏」も「神の国」だという事が出来ます。キリストは弟子たちに「全世界に出て行って造られた全ての人に福音を宣べ伝えなさい」とか、「すべての国民を弟子としなさい」とか、「エルサレムとユダヤとサマリヤ全土、更に地の果てまでも私の証人となるであろう」と言われた時に、福音宣教によりキリスト教とキリスト教文化が世界に拡大する事をご存知であったでしょう。そのキリストがやがて拡大する「キリスト教文化圏」を神の国として教えておられたのです。「麦と毒麦のたとえ話」「からし種のたとえ話」「パン種のたとえ話」はいずれも、キリスト教文化圏という神の国の拡大を教えておられるのです。その一つ一つのたとえ話を注意深く観察したいと思います。
- 麦と毒麦のたとえ話
「麦と毒麦のたとえ話」の中心的な人物は、良い麦の種をまいた人です。それは、人の子(キリスト)意味しています。種は文脈からして、人の心の中にまかれる「み言葉(福音)」を意味しています。神は人の心の中に良い麦の種がまかれます。成長した良い麦は、その「良い神のみ言葉(福音)」を受け入れる人が多くなる事を意味し。それが世の終わりまで続きます。同じ世界にサタンは「毒麦の種」をまくのです。「毒麦の種」はサタンの偽りの悪い教え、偽りの悪い価値観を意味しています。毒麦の成長は、サタンの偽りの教えと価値観を受け入れる人が多くなる事を意味しています。それが世の終わりまで続きます。最終的には、サタンによる悪い教えを受け入れた人々はみ使いによっては世界から一層されていきます。神の良い教えを受け入れた多くの人々と、サタン偽りの教えを受け入れた多くの人々が混在しながら、拡大発展してきた世界には明らかに「キリスト教文化園」が存在しています。そのキリスト教文化園の中で敵であるサタンが人々に撒いた代表的なサタンの最大の偽りの教えは「反ユダヤ主義」と反ユダヤ主義から生まれた「置換神学」です。それによってキリスト教文化圏のヨーロッパ各地でユダヤ人が差別され、虐殺され、また、十字軍によって多くのユダヤ人が虐殺されてきました。また、ロシアにおいても19世紀終わりと20世紀初頭にキリスト教徒も含めて行った「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人虐殺事件を度々起きてます。20世紀になると、又、キリスト教徒とが協力して、ドイツのヒットラー率いるナチによる「ホロコースト」が起き、600万人のユダヤ人が虐殺されてきました。そして現代もキリスト教文化圏にはサタンの偽りの教えである「反ユダヤ主義」と「置換神学」が満ちています。キリスト教文化圏以外のキリストを否定している異教徒文化圏は昔から、サタンの色々な偽りの教えが満ちています。パウロがその事を教えています。「エペソ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、 2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」
「麦と毒麦のたとえ話」は、「神の良い教えを「受け入れた人々」と「サタンの偽りの教えと偽りの価値観」を受け入れた人々の拡大が世の終わりまで続くことを教えていますが、最後にサタンの偽りの教えを受け入れた悪い人々が「御国」から取り出されて、み使いによって裁かれる事が教えられています。前述していますが、このたとえ話では、良い麦と毒麦が混在している世界を「御国」と呼んでいることです。それは、その善と悪が混在した世界を神が統治されている事を教えています。神に統治されているこの世界も「御国=小羊の王国」だとキリストは教えておられるのです。その中でキリスト教文化圏も善と悪が混在した世界ですが、神が統治されているので「神の国=小羊の王国」と言えるのです。
「麦と毒麦」のたとえ話は、神の国(小羊の王国)と獣の国との戦いの歴史を象徴的に教えたものでなく、神の国(小羊の王国)の中で、神の子と悪魔の子が混在し続ける事を教えているのです。この罪に堕落した罪と死が入り込んだ世界には、悪魔が悪いことをしていても彼が「サタンの国」と呼ばれる程の支配範囲を拡大していません。「神の国」は神が万物を支配している事を意味している事を前述しましたが、悪魔はこの世界において神が許可された範囲でしか活動できません。彼は自分の思い通りに何でもできる存在ではありません。彼の活動は非常に限定的です。それは、彼が現在までこの世界で「サタンの国」と呼ばれる程の支配領域を拡大していない事を教えています。「サタンの国」というのは、彼が支配している「悪霊ども」の世界を意味してキリストが使用をされています(ルカ11:18)。又、聖書の中で、唯一黙示録16章10節で「獣の国」と呼ばれる世界が存在する事を教えています。それは獣と呼ばれる「反キリスト」がイスラエル以外の全世界を支配する領域を得た事によります。聖書では、獣と呼ばれる反キリストが登場するのは、7年の大患難時代ですので、彼が登場するまでは「獣の国」は存在しません。よって「麦と毒麦」のたとえ話は、「神の国と「獣の国」の戦いを教えているのではないのです。その真理を「からし種のたとえ話」と「パン種のたとえ話」が教えています。
- からし種のたとえ話
キリストは神の国を「麦と毒麦のたとえ話」で教えられた後に、神の国を「からし種の木の成長」で象徴的に教えられました。それは「キリスト教文化圏」の神の国を意味して教えておられます。なぜそう言えるのか、その理由は次の通りです。前述しましたように、キリスト教は、ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝によってAD313年に公認され、更にAD392年にテオドシウス帝によって国教にされてから世界にどんどん拡大して行きました。キリスト教の福音宣教の拡大と共に「キリスト教文化圏」が拡大し、現在ではキリスト教徒が20億人を超える世界最大の宗教に発展してきた事です。そのキリスト教文化圏と言うその木に、悪霊どもの象徴である空の鳥たちが飛んできてその枝に巣を作ると教えられました。キリストのマタイ13章の一連のたとえ話では「鳥」は悪魔や悪霊どもを象徴するものとして教えられています。「マタ13:4すると鳥が来て食べてしまった」の鳥は「マタイ13:9悪い者」を象徴している事をキリストは教えられました。サタンと彼に仕える悪霊どもはパウロが教えるように、まるで空の鳥のように、第1の天である大空を飛びながら活動をしているのです。マタイ13章4節の鳥はギリシャ語で「ペティナ」で複数形になっています。からし種のたとえ話の鳥も同じく「ペティナ」が使用されています。複数の鳥は、サタンに仕える悪霊どもの事を意味しています。その、彼らが、空の鳥が枝に巣を作るようにして居座りながら、キリスト教文化圏に入り込み、様々な間違った価値観や偽りの教えを吹き込んできたのです。その中で最大の偽りの教えは「反ユダヤ主義」と反ユダヤ主義から生まれた「置換神学」です。「置換神学」は「アブラハム契約」等、イスラエルと結ばれた4つの契約の成就としての「イスラエルの復興したダビデ王国/メシヤ的王国」を認めない神学です。その神学は悪魔と悪霊どもは悪い影響をキリスト教文化圏に与え続けてきました。キリストは、その事をそれが神の許しと統治の中で起きますので、「キリスト教文化圏」を意味して「からし種」のたとえ話で神の国(小羊の王国)を教えられたのです。からし種について、インターネットの牧師の書斎で以下のように教えています。
「このからし種が成長した木には三つの不思議なことがあります。①最も小さい種から最も大きな木になるという驚くべき成長。②庭園の草木(野菜)が大きな木になるという不自然な成長。③木の枝は空の鳥の安息所になる。このたとえの意味は、神の働きを攻撃するサタンは、不自然な驚くべき支配をもたらすことを教えています。」「からし種のたとえ話」でキリスト教文化圏が「神の国」(小羊の王国)であるという真理を、「パン種」のたとえ話によって更に深く教えられています。
- パン種のたとえ話
マタイ13章の一連のキリストの「神の国」のたとえ話では、種は「教え」とか「言葉」を象徴して教えられています。その中で「パン種」も「教え」を意味していますが、聖書は一貫して「パン種」は「罪や悪」、又「偽りの教え」を象徴するものとして啓示されています。以下の通りです。
◆マタ 16:6 イエスは彼らに言われた。「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい。」
◆マタ 16:11 わたしが言ったのはパンのことではないと、どうして分からないのですか。パリサイ人たちとサドカイ人たちのパン種に用心しなさい。(他:マルコ8:15、ルカ12:1
◆「マタ 16:12 そのとき彼らは、用心するようにとイエスが言われたのはパン種ではなく、パリサイ人たちやサドカイ人たちの教えであることを悟った。
◆Ⅰコリ 5:6 あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。 5:7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。5:8 ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。
◆「ガラ5:7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。5:8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。 5:9 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。 5:10 私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。」
以上のように、「パン種」は偽りの教えと罪や悪の象徴として聖書は使用していますので、キリストの神の国(小羊の王国)の例えで使用されている「パン種」を神の国の良い面の拡大として解釈するのは間違っているのです。「キリスト教文化圏の「反ユダヤ主義」や「置換神学」を初め様々悪の拡大が神の統治の中で起きる事を「パン種」の例えでキリストは教えられたのです。以上の解釈を証明する聖句の一つは、創世記3章15節です。
④悪魔が敵意を持つ相手は誰か
◆「創 3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
以上の聖句は「原始福音」と呼ばれていますが、その意味はまずサタンと女に間に「敵意」を置くことが教えられています。では、その女とは誰の事でしょうか。それは、次に「サタンの子孫」と「女の子孫の間」に敵意を置くと言われているので、サタンが敵意を持つ女は「サタンの子孫」が敵意を持つ「女の子孫」の「女」です。では、その女は今日では誰の事でしょうか。それを知る道は女の子孫が誰かを知る事です。女の子孫は「かかと」をサタンにかみつかれ傷を負いますが、「サタンの頭を砕く」と教えられています。では人類の長い歴史の中で、サタンに「かかと」をかみつかれながらも「サタンの頭」を砕いた人がいたでしょうか。それは、イエス・キリストです。イエス・キリストは悪魔の子と呼ばれているユダ人の指導者の妬みによって十字架にかけられて殺されました。しかし、三日目に甦りました。そのイエス・キリストの十字架の死と三日目の甦りは何を意味しているのでしょうか。それは、第1に人類の罪を取り除いたことです。それによって信じる者は全ての罪が赦され、「永遠の命」が与えられ、更に聖霊が与えられ、キリストの内住して下さったのです。又、キリストの十字架の死と復活は、信じる者の古い人を十字架で共に死なせ、共に甦らせ、神の性質を持つ新しい人にしたのです。更に信じる者はキリストと共に天に上り共に父なる神の右の座に着かせられたのです。以上の、キリストを信じる者に与えられる一連の救いにより、信じる者を死と罪の法則から解放されたのです。十字架の死と復活は、死の力を持つサタンの頭を打ち砕いた勝利の御業であり、その勝利にキリストを信じる者もすでに預ってているのです。以下の聖句がそれらを証明しています。
◆「ヘブル2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし 2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」
◆「エペ 2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
女の子孫がサタンの「頭を砕く」というのは、女の子孫であるイエス・キリストがサタンに勝利することを象徴的に預言したものです。サタンが女の子孫の「かかとにかみつく」は、女の子孫であるキリストがサタンによって十字架で死ぬことを象徴的に預言したもので。 以上の解釈から「サタン」が敵意を持つ「女」はイエス・キリストを生んだイスラエルを意味している事は明らかです。その女の子孫であるメシヤが誰であるか聖書は漸進的に啓示していきます。次のように漸進的に啓示されて行きました。まず、アブラハムの子孫からメシヤが生まれる事から始まり、次にアブラハムの子孫のヤコブから生まれた「ユダ部族」からメシヤが生まれる事が啓示され、次に、ユダ部族の中の「ダビデ族」からメシヤが生まれる事が啓示され、更にダビデ部族のナタンの家系からメシヤが生まれる事が啓示されてきました。その漸進的預言に基づき、ついに、ダビデ族のナタンの家系のマリヤを通して、イエス・キリストがお生まれになりました。
イエス・キリストはイスラエルの長い歴史を通してお生まれなったので、キリストを生んだイスラエルこそがサタンが「敵意」を持つ「女」だという事が分かります。女の子孫であるイエス・キリストはすでに十字架の死と復活によりサタンの頭を砕き「勝利」しましたので、サタンはキリストに勝つ見込みは全くありません。彼がまだ勝利する可能性のある敵はイエスキリストを生んだ女「イスラエル」なのです。≪キリスト教初期の反ユダヤ主義の教父たち≫
サタンは、キリスト教文化園という神の国に居座り、キリスト教初期の時代から「反ユダヤ主義」の指導者を起こし、「置換神学」を構築させ、ユダヤ人撲滅を目的に、ユダヤ人が厳しい迫害を受け、虐殺されるように、キリスト教文化圏のキリスト者や教会を使ってきたのです。「私たちの父/アブラハム」の著者マービン・R・ウイルソンが、キリスト教初期時代の反ユダヤ主義者であった教会指導者をリストパップしています。以下の通りです。(同P135~142)
「オリゲネス、アウグスチヌス、殉教者ユスチティヌス、アレクサンドリア学派のクレメンス、キプリアヌス、ヒッポリュート、テルトゥリアヌス、イレナエウス、ミラノのアンブローズ司教、ジュン・クリソストム」
マービン・R・ウイルソンは、キリスト教初期の反ユダヤ主義の拡大について次のように教えています。「コンスタンティヌス帝がキリスト教をローマ帝国の公式宗教とした4世紀に、ユダヤ人はさらなる差別と迫害の波を経験します。彼らの多くは法的権利をはく奪されました。もはやエルサレムに住むことも、改宗することも許されなくなりました。339年には、ユダヤ教への改宗は犯罪行為と見なされるようになります。この数十年後、ラオデキアの議会ではクリスチャンがユダヤ人と食事会をすることが禁じられ、それを行った者は異端だと分類されました。380年ごろには、ミラノのアンブローズ司教が、「シナゴグを焼くことは神が喜ぶ行為であると称賛しました」(同P141) また、AD787年の「第2ニカイヤ公会議」で、教会は「反ユダヤ主義」を政策とすることを決定したのです。ダニエル・Cジャスターが以下のように教えています。
≪サタンの最終的な敵は教会ではない≫
現代において、サタンが最も激しい敵意をもって滅ぼそうとしているのは「イスラエル」だという事を知っておくことは、聖書的終末論を構築する上で非常に重要な真理なのです。悪魔は、キリストを頭とする教会にも確かに敵意をもって働き、神の御心からそれた存在にさせようとしています。しかし、キリストに従う者に勝つことはできない事を、黙示録のアジアの教会の中で主に従った人の存在で教えられています。「黙 2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」(他2:11、17、26、28、3:5、12、21)。アジアの7つの教会には、サタンとの戦いにおいて「勝利を得るキリスト者」が存在することを黙示録は教えているのです。
サタンは、教会を敵として働いて限定的に教会を神の道からそらす事が出来たとしても、キリストを頭としみ使いに守られているキリストのみ体なる教会を滅ぼすことはできません。サタンはキリストの教会をキリストのゆえに撲滅することはできない事を彼は知っているのです。また、キリストの教会は主の空中再臨により天に挙げられますので(Ⅰテサロニケ4:16~18)サタンの敵でなくなります。それにもかかわらず、岡山牧師は「創世記3章15節」を無視して、サタンが最終的に敵意を抱いているのは「イスラエル」でなく「教会」だと教えているのです。そのボタンのかけ間違いによって間違った終末論を「小羊の王国」で論じる結果となっています。岡山牧師は、7年の大患難時代の前に起きる「教会携挙」を否定していますので、黙示録12章の赤い竜であるサタンが滅ぼそうとする男の子(キリスト)を生んだ女を「神の民」だと解釈しています。又、女の子孫を「教会」だと解釈している事で、サタンが敵意を抱いているのは「神の民」であり「教会」だと論じています。次の通りです。「この幻の中心にあるのは①竜の激しい怒りである。「竜」は男の子(キリスト)をく食い尽くそうとするが果たせず、『激しく怒って』(12:12)『女』(神の民)に迫る。しかし『女』は神の手によって完全に守られ、『竜』は激怒して『女の子孫』(教会)に襲いかかる(12:17。『竜』の激怒が『獣の国』」原動力となっている、・・」(同P124)
創世記3章15節でサタンが最終の敵として敵意を持つのはイエス・キリストを生んだ「イスラエル」であることは、キリスト教文化圏に拡大した「反ユダヤ主義」と反ユダヤ主義によって生まれた「置換神学」のゆえに、キリスト教文化圏においてユダヤ人撲滅の為の虐殺を繰り返し起きてきたことで明確です。そうした度重なる虐殺により世界の様々な諸国に散った「離散のユダヤ人」はたびたび「絶滅の危機」に瀕してきたのです。離散の不信仰なユダヤ人が散らされた諸国でどのように厳しい苦難に遭遇するか、既に旧約聖書で預言されてきました。
◆「申4:25 あなたが子を生み、孫を得、あなたがたがその地に永住し、堕落して、何かの形に刻んだ像を造り、あなたの神、【主】の目の前に悪を行い、御怒りを買うようなことがあれば、・・4:27 また、【主】はあなたがたを諸国の民の中に散らされ、あなたがたは【主】が追いやる国々の中で、ごくわずかな者として生き残ることになる。」 キリストは、「麦と毒麦の例え」「からし種の例え」「パン種の例え」を通して神の国(小羊の王国)である「キリスト教文化圏」の中に、サタンが様々な偽りの教えを吹き込むことを教えられているのです。その中でサタンの偽りの教えである「反ユダヤ主義と「置換神学」によってユダヤ人の撲滅を計って来たのです。それが、キリストの再臨を妨げ、又、神がイスラエルに幾度なく約束されてきた「メシヤ的王国」の実現を妨げる唯一の道であるからです。キリストの地上再臨により「メシヤ的王国」が実現すると、彼は1000年間アビソスに閉じ込められてしまい、神に代わって神のように自分が宇宙の王となる野望が消え失せてしまう事を知っているのです。彼の野望が神に代わって神のように自分が宇宙の王となる事だという事は、イザヤが預言しています。
◆「イザ 14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。 14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。 14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』・・」
その野望実現のために大艱難時代7年の後半において、かつてのキリスト教文化圏の諸国を含んだ世界の全ての国々が、ユダヤ人撲滅のための「反キリスト」の軍隊に加わり、ユダヤ人を攻撃するのです。しかし、イスラエルのメシヤ的王国の実現の為に、地上に再臨されるキリストが、その世界軍隊を悉く滅ぼされる事をイザヤは預言しています。
◆「イザ 34:1 国々よ。近づいて聞け。諸国の民よ。耳を傾けよ。地と、それに満ちるもの、世界と、そこから生え出た全てのものよ。聞け。34:2 【主】がすべての国に向かって怒り、すべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、彼らが虐殺されるままにされたからだ。」「麦と毒麦のたとえ話」「からし種のたとえ話」「ぱん種のたとえ話」は、神の国(小羊の王国=キリスト教文化圏)の中で、悪魔が撒いた偽りの教えである反ユダヤ主義と反ユダヤ主義によって生まれた「置換神学」とか、あるいは、間違った「イスラエル観」によって、イスラエルの民が呪われ、差別され、人権が奪われ、虐殺される事を教えておられます。偽りの父であるサタンは「人殺し」であり「キリスト殺し」であり「ユダヤ人殺し」なのです。その事をキリストは群衆に教えながら、最終的にイスラエルは救われて「メシヤ的王国」が実現することを教えようとされたのです。それが「麦と毒麦のたとえばなし」「からし種のたとえばなし」「ぱん種のたとえ話」の中心的メッセージです。
≪キリストのご生涯の目的≫
キリストの道備えをするバプテスマのヨハネとキリストの誕生は、アブラハム契約とダビデ契約に基づく誕生であることを福音書は教えています(ルカ1:31~33、ルカ1:68~79)。それ故に、キリストの地上での教えや御業の目的は、イスラエルの民にアブラハム契約ダビデ契約などの4つの無条件契約により「メシヤ的王国」の実現を伝え、成就に向けての確証の為であったのです。パウロがその事を次のように教えています。「ロマ 15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり・・」と。、
キリストの十字架の死と復活の贖罪の御業がなければ、アブラハム契約などの4つの無条件契約の成就としてのメシヤ的王国の実現はないのです。メシヤ的王国が実現しなければ、黙示録の新天新地も実現しないのです。その視点から三つの例え話を説くことが重要だと思います。その視点を欠いた岡山牧師や多くの神学者や牧師が解釈するように、からし種とパン種の例え話は神の国の善の面の成長と拡大と勢力を教えるたとえ話ではないのです。「この麦の成長、「神の国」前進と言う側面は、「からし種」と「パン種」のたとえによって強調されている」(同P36)という岡山牧師の解釈は明らかに間違っているのです。
⑥マタイ13章43節
麦と毒麦とパン種のたとえ話の後に続くマタイ13章43節が、キリストの御国のたとえは「イスラエルの復興したダビデ王国」であるメシヤ的王国の実現を教えられている事を証明しています。43節の「マタ13:43 そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」というキリストの教えはダニエル書12章13節で預言されている「メシヤ的王国」における思慮深いイスラエルの聖徒たちの事を教えておられます。ダニエル書で次のように預言されています。「ダニ12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる」。天の父の御国は、マタイ26章29節で最後の晩餐の時にキリストが教えられた「わたしの父の御国」(マタイ26:29)と同じですので、それは明らかにイ「スラエルの復興したダビデ王国」である「メシヤ的王国」を意味しているのです。しかし、キリストを信じて救われた多くの異邦人も義人として「メシヤ的王国」で太陽の如く輝くのです。キリストの「そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。」はキリストを信じて義とされたイスラエルの民と、異邦人キリスト者に対する約束なのです。
⑦宝石と真珠と地引網のたとえの意味
1)宝は救われたイスラエルの民の事です
その事をキリストは神の国を「人が発見した畑に隠された宝」と「商人が探し求めた真珠」のたとえ話で教えられました。
「人が発見した畑に隠されていた宝」を、イスラエルの救われた人々を意味しています。それは、昔からイスラエル民族は「神の宝」として愛されてきたことによります。以下の聖句がそれを教えています。
◆「出 19:5 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」
◆「出 28:21 これらの宝石はイスラエルの息子たちの名にちなむもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。それらは印章のように、それぞれに名が彫られ、十二部族を表す。
◆「申 7:6 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。あなたの神、【主】は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。」
◆「申 14:2 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。【主】は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。
◆「申 26:18 今日、【主】は、あなたに約束したとおり、あなたが主のすべての命令を守り主の宝の民となること、・・」
◆「詩 135:4 【主】はヤコブをご自分のために選びイスラエルをご自分の宝として選ばれた。」
◆イザヤ43:3わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
たとえ話の中で畑の中に宝を発見した人が「持ち物を全部売り払ってその畑を買います」とありますが。それは、キリストご自身の事を意味し、イスラエルの救いの為にご自分の命を代価として買い取る(贖い)ことを教えておられます。
2)真珠は救われた異邦人の事です
真珠のたとえ話の中で、素晴らしい「真珠」を見つけた商人が「行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」とありますが、その真珠は異邦人を意味しています。その理由は、「海」は聖書では象徴的に「異邦人世界」を意味して使用されており、その「海」から真珠がとれることによっています。ダニエル7章3節4節に幻で「大海」から四つの奇妙な生き物が出てきたことがダニエルに知らされています。その4つの生き物は、それぞれ異邦人世界のどう猛な王たちを意味しています。ダニエル書では「海」を象徴的に異邦人世界として描いています。キリストはその事をご存知でしたので、「海」から採取される最高の真珠を異邦人の象徴としてお話になったのです。その真珠を手に入れる為に「行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」という商人はキリストの事を意味しています。キリストは、異邦人の救いの為にご自分の命を代価として十字架におかけになって、異邦人を買い取られたのです。パウロの教える通りです。
◆「Ⅰコリ 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。」
◆「Ⅰコリ 7:23 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。人間の奴隷となってはいけません」。
3)地引網のたとえ話の意味と羊と山羊を分けるたとえの関連
地引網のたとえ話の意味は、メシヤ的王国に王として着座されたキリストの御前に、イスラエルの民も異邦人もまるで地引網の魚のように、み使いによって集められて裁かれる事を教えています。その時に、み使いにより「メシヤ的王国」に入れない異邦人と、「メシヤ的王国」に入れる異邦人が分けられ、入れないと異邦人は「ハデス(陰府)」にある燃える炉の中に投じられることを教えられました。全世界の異邦人諸国の人々に対する裁きをキリストは改めてマタイ25章32節~46節の「羊と山羊を分ける」たとえ話で教えられました。
◆「マタ 25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。 25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、 25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。 25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい」。
「人の子が栄光の位に着く」という「栄光の位」は、メシヤ的王国の栄光の位の事です。羊と山羊を分ける裁きのたとえは、メシヤ的王国に入れる異邦人と入れない異邦人とが分けられる裁きの事を意味しています。メシヤ的王国が実現する直前の7年の大艱難時代を生き抜いてきた全ての異邦人たちが、み使いたちによって栄光の位にお着きになったキリストの御前に導かれ、キリストの兄弟である迫害の中にある「ユダヤ人」を支援したか、しなかったかで羊と山羊のように分けられ裁かれるのです。
≪現代キリスト教会の重要な使命≫
教会もパウロが教えるように、悪魔と悪霊どもに対して戦う使命があります。「6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」。 悪魔との戦いは、岡山牧師も教えるように悪魔の偽りの教えや偽りの価値観に基づく間違った「道徳、倫理、暴力」との戦いであり、その戦いによって社会が良くなるように「世の光・地の塩」としての戦いです。しかし、同時に、イスラエルに激しい敵意をもってユダヤ人を撲滅しようとするサタンの策略との戦いです。岡山牧師の終末論には、それが明らかに欠落しているのです。
現代のキリスト教会は、「置換神学」に基づく間違った終末論、岡山牧師の「イスラエルの普遍性」に基づく間違った終末論との戦いに召されているのです。もし、現代キリスト教会がイスラエルをアブラハム契約に従って祝福しながら、イスラエルの為の「メシヤ的王国」の成就を否定した間違った終末論との戦いをしなければ、永遠にイスラエルの神である創造主の神に喜ばれないでしょう。逆にサタンを喜ばせてしまうのです。
7、霊的王国の神の国(小羊の王国)
これまで、罪に堕落した地上の神の国の事を論じてきましたが、キリストの「神の国」に関する教えの中には、目に見えない心の王国である「霊的王国」が教えられています。それは、キリストを信じる者の間において、あるいはキリスト者の心において実現している「神の国」(小羊の王国)です。キリストはパリサイ人たちに次のように教えられました。
◆「ルカ17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 キリストは、地上に実現する「イスラエルの復興したダビデ王国/メシヤ的王国」が、ローマの圧政から解放されてすぐに目に見えるように実現すると思っていたパリサイ人達に、彼らの間にキリストご自身がおられる事が「神の国」だと教えられ、ご自身を「メシヤ」だと信じる事を促されました。復活のキリストが霊において臨在されているところは神の国です。復活のキリストが臨在されている集会、復活のキリストが臨在する人の心は「神の国」(小羊の王国)なのです。
小羊であるキリストは、信じる者の心の中に永遠に住んでくださっているのです。
◆「マタ 18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
◆「コロ1:26 これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。
1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」 キリスト者が体験している祝福としての神の支配である「霊的神の国」は、旧約時代の聖徒たちも祝福としての神の支配の中にありましたので、「霊的神の国」を体験してきたと言えます。聖霊による心の「霊的神の国」は旧約時代から永遠に続く「神の国」だと言えます。
8、黙示録の新天新地の神の国
黙示録の新天新地の神の国は、これまでの、地上における神の国と目に見えない霊的神の国とは、まったく別格です。罪に堕落した世界というの神の国、神政国家のイスラルという神の国、悪と善が混在しているキリスト教文化園という神の国等は、父なる神がキリストによって天から統治し支配されています。又、「メシヤ的王国」と言う神の国は父なる神が世界で一番高い山にあるエルサレム神殿を住まいとするキリストを通してイスラエルと異邦人諸国支配をされます。黙示録の新天新地では、「天から降りて来る新しいエルサレム」から、新天新地を統治し支配されます。その新天新地については、黙示録で啓示されるまで、誰も知らなかったのです。旧約の預言者も、キリストの弟子達も、パウロもペテロも知らなかったのです。旧約聖書には、黙示録の新天新地に関する教えが、字義通りにも象徴的にも、一切啓示されていないのです。しかし、前述していますが岡山牧師は「旧約の預言の多くは千年王国と新天新地の双方に関わっており、それらを千年王国にのみ限定視する事は出来ない」と論じて(同P220)、旧約聖書で預言されている「メシヤ的王国(千年王国)」の預言を度々黙示録の新天新地の預言として引用しているのです。なぜそのように論じるのでしょうか。そのように論じないと旧約聖書の預言を引用して、ご自分の考えた「終末論」を語る事が出来ないからです。岡山牧師の間違った解釈の主な聖書個所を以下に紹介しておきます。
①イザヤ60章2節3節(同P253)
◆「イザ60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。 60:3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」
以上の聖句は、岡山牧師が教える、決して黙示録の新天新地の事を預言したものではありません。それは、メシヤ的王国のイスラエルを祝福した預言です。前後の聖句を見れば一目同然です。
◆「イザ60:1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、【主】の栄光があなたの上に輝いているからだ。 60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。 60:3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。 60:4 目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。 60:5 そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。 60:6 らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、【主】の奇しいみわざを宣べ伝える。 60:7 ケダルの羊の群れもみな、あなたのところに集まり、ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。 60:8 雲のように飛び、巣に帰る鳩のように飛んでくる者は、だれか。 60:9 まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真っ先に、あなたの子らを遠くから来させ、彼らの金銀もいっしょに、あなたの神、【主】の名のために、イスラエルの聖なる者のために運んでくる。主があなたを輝かされたからである。 60:10 外国人もあなたの城壁を建て直し、その王たちもあなたに仕える。実に、わたしは怒って、あなたを打ったが、恵みをもって、あなたをあわれんだ。 60:11 あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである。 60:12 あなたに仕えない国民や王国は滅び、これらの国々は荒廃する。 60:13 レバノンの栄光は、もみの木、すずかけ、檜も、共に、あなたのもとに来て、わたしの聖所を美しくする。わたしは、わたしの足台を尊くする。 60:14 あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来、あなたを侮った者どもはみな、あなたの足もとにひれ伏し、あなたを、【主】の町、イスラエルの聖なる方のシオン、と呼ぶ。 60:15 あなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、わたしはあなたを永遠の誇り、代々の喜びの町に変える。 60:16 あなたは国々の乳を吸い、王たちの乳房を吸う。あなたは、わたしが、あなたを救う【主】、あなたを贖うヤコブの全能者であることを知る。 60:17 わたしは青銅の代わりに金を運び入れ、鉄の代わりに銀、木の代わりに青銅、石の代わりに鉄を運び入れ、平和をあなたの管理者とし、義をあなたの監督者とする。 60:18 あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。 60:19 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、【主】があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。 60:20 あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。【主】があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。 60:21 あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現す、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。60:22 最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、【主】が、すみやかにそれをする。
イザヤ60章で繰り返し語られている「あなた」は、明らかにイスラエルの民を意味していますので、60章の預言は、イスラエルの為の「メシヤ的王国」における祝福が預言されている事は明らかです。7節に「わたしの祭壇」とありますが、メシヤ的王国にはエルサレム神殿があり、その前には「祭壇」がある事をエゼキエル書は教えています。しかし、黙示録の「新しいエルサレム」には、神殿がありませんので当然祭壇もないのです。
◆「エゼ 40:47 彼が庭を測ると、長さ百キュビト、幅百キュビトの正方形であった。祭壇は神殿の前にあった。」
◆「黙21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。」
②イザヤ65章17節~25(同P220~222)
「イザ 65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。 65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。 65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。 65:21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。 65:22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。 65:23 彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは【主】に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。 65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。 65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる。」
以上のイザヤ65章では、創造されたエルサレムがありますが、黙示録の新天新地では創造されたエルサレムでなく、天から降りてきたエルサレムが存在しています。イザヤ書の新天新地では「乳飲み子」が存在しますが、黙示録の新天新地には「乳飲み子」は存在しません。黙示録の新天新地の住民の体は復活の栄光の体であり、み使いのようであり、とついだり、めついだりすることはないからです。イザヤ書の新天新地は呪われて百歳で死ぬ人がいますが、黙示録の新天新地にはそれがありません。すべての住民が決して永遠に死ぬことがない「栄光の体」が与えられているからです。イザヤの新天新地の住民には「寿命」がありますが、黙示録の新天新地の住民には「寿命」はないのです。以上のように、イザヤ書の新天新地と黙示録の新天新地は全く違うのです。イザヤは決して黙示録の新天新地を預言したのではないのです。
- レビ記26章12節とゼカリヤ書2章10節・11節(同P242)
岡山牧師は、黙示録21章3節を私訳して、黙示録21章3節を約束している旧約聖書の聖書個所としてレビ記26章12節とゼカリヤ2章10節・11節を取り上げています。しかし、どう考えても、レビ記26章12節とゼカリヤ2章10節・11節が、黙示録21章3節を預言しているとは思われません。
≪黙示録21章3節の岡山牧師の私訳≫
「見よ、神の幕屋が人間と共にある。神は彼らとともに住み彼らはその民となる。又、神ご自身が彼らと共におられる。」
岡山牧師は以上の私訳聖句で、「その民となる」の民は、ギリシャ語では複数形の「ラオイ」が使用されていますが、レビ記の「民」は単数形「アム)が使用されているのです。岡山牧師は「共にある、共に住む、共におられる」の「共に(メタ))が三度使用されている事から、レビ記26章12節とゼカリヤ2章10節・11節の預言の成就だと解釈されています。しかし、レビ記もゼカリヤ書も黙示録21章3節を約束し預言したみ言葉ではありませんん。あくまでも、イスラエル民族に対する約束です。レビ記12章3節の「26:12 わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。」というのは、、モーセ律法をイスラエルが守る時に受ける神の祝福を意味しているみ言葉です。以下のその前後の文脈で明らかです。
◆「レビ26:3 もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、・・・・・
26:12 わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。
26:13 わたしはあなたがたを、奴隷の身分から救い出すためにエジプトの地から連れ出したあなたがたの神、【主】である。わたしはあなたがたのくびきの横木を打ち砕き、あなたがたをまっすぐに立たせて歩かせた。・・」
ゼカリヤ書2章10節・11節とその前後の文脈を見れば、それはメシヤ的王国のイスラエルに対する約束だと言ことが分かります。
◆「ゼカ 2:10 シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。──【主】の御告げ── 2:11 その日、多くの国々が【主】につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の【主】が私をあなたに遣わされたことを知ろう。2:12 【主】は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」
10節の「シオンの娘」と12節の「エルサレムを再び選ばれる」の、ゼカリヤ書の約束は黙示録2章3節を約束したのではなく、イスラエルに対する「メシヤ的王国」を約束したものです。レビ記もゼカリヤ書も黙示録の新天新地については何も語っていないのです。
【終わりに】
以上に、論じてきましたように、岡山英雄牧師は、ご自身が構築した「終末論」の証明として引用している聖書箇所を、自分の神学に合うように、文脈を無視して間違った解釈をしている事を明らかにしました。「麦と毒麦のたとえ話」は、「すなわち、刈り取りの日まで、『麦』に象徴される神の国の光が輝き続けるとともに、『毒麦』象に象徴される悪の暗黒も深まっていく。収穫の日まで、両者は共に勢力を拡大し、互いの葛藤は激しさを増し、やがてその頂点に至る」(同P35)、という事を教える例え話ではないのです。