シリーズ神学ミニレポート
2023年4月30日
創世記の終末論Ⅶ
牧師:佐藤勝徳
創世記37章~50章

 

 【はじめに】

 神さまは、創世記12章~36章までに、アブラハム契約について11回も言及され、アブラハム契約によって、アブラハムやイサクやヤコブやその子孫を色々な危機から保護されてきました。アブラハム契約はイザヤが教えるようにイスラエルを護る城壁となっているのです(イザヤ49:16)。その事を知った悪魔は、キリスト教初期の頃から、キリスト教会の指導者たちに働きかけ、イスラエルはキリストを殺したので「アブラハム契約」などの4つの無条件契約を失った民だという、間違った神学を生み出させ、キリスト教会の中に「反ユダヤ主義」を根付かせてきました。それによってキリスト教文化圏のヨーロッパ諸国でのユダヤ人への迫害と殺害、十字軍による迫害と殺害、旧ソ連の時代から続くロシアのユダヤ人迫害と虐殺のホグロム、ナチによるユダヤ人迫害と虐殺のホローコーストが起きてきました。その影響が今もキリスト教会の中に残っています。キリスト者は、創世記に11回も言及されているイスラエルと神が結ばれた無条件契約の「アブラハム契約」が、今もイスラエルの人々に有効に働き、イスラエルを滅ぼそうとする悪魔から守る「城壁」になっている事に心を止め、イスラエルのリバイバルと祝福の為に祈る必要があるでしょう。今回も、神さまがイスラエルを「アブラハム契約」によって導かれている事を学びたいと思います。

 

Ⅰ創世記37章の終末論

◆イスラエルを象徴する「太陽」「月」「11の星」

「創37:9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。」

ラケルが産んだヤコブの11番目の息子である「ヨセフ」は夢見る者でした。その夢の一つに太陽と月と十一の星が、ヨセフの周りをぐるぐると回るという夢がありました。その夢をお兄さんやお父さんやお母さんに教えると、父ヤコブや兄たちは、ヨセフの父ヤコブは不満に思い、家族がヨセフに頭を下げるのかと叱りました。「創37:10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。・・37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた」。しかし、以上の夢はやがてその後に実現し、その夢が神さまからの夢だとヤコブもお兄さんたちも分かりました。実はその夢が終末論に関係していたのです。神は、ヤコブ家族つまりイスラエルを象徴的に表現するものとして「太陽と月と十一の星」をお用いになりました。その象徴的しるしが終末において悪魔である赤い龍に襲撃される女に用いられています。「黙12:1また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた」。太陽、月、十二の星がセットで啓示されている事は、ヨセフが見た「太陽、月、十一の星」を連想させます。それは、赤い龍である悪魔に襲撃されようとしている女が、イスラエルだという事を象徴的に教えています。又、それは創3:15の原福音が預言している、悪魔の敵である「女」がイスラエルであるという事と符合しています。

 

Ⅱ創世記38章の終末論

「創38:27 彼女の出産の時になると、なんと、双子がその胎内にいた。38:28 出産の時、一人目が手を出したので、助産婦はそれをつかみ、その手に真っ赤な糸を結び付けて言った。「この子が最初に出て来ました。」

38:29 しかし、その子が手を引っ込めたとき、もう一人の兄弟が出て来た。それで彼女は「何という割り込みをするのですか」と言った。それで、その名はペレツと呼ばれた。38:30 その後で、手に真っ赤な糸を付けた、もう一人の兄弟が出て来た。それで、その名はゼラフと呼ばれた。」

ヤコブの息子ユダが自分の二人の息子たち(すでに死亡)の嫁「タマル」が遊女を装っている事を知らずに、「タマル」との間に生んだ双子の息子が「ペレツ」と「ゼラフ」でした。タマルとペレツが、終末時代に生まれるキリストの系図に繋がっている事をマタイは記録しています。「マタ1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。1:2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、1:3 ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、・・」

以上の事は、後にイスラエル十二部族の中の「ユダ部族」からメシヤが誕生するという父ヤコブの預言に繋がっていきます(創世記49:9~10)。そこから、メシヤの事が「ユダ部族から出た獅子」と呼ばれるようになりました。「黙 5:5 すると、長老の一人が私に言った。『泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。』」

 

Ⅲ 創世記39章~48章・50章の終末論

「創41:41『さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。』41:42 そこで、ファラオは自分の指輪を指から外してヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。41:43 そして、自分の第二の車に彼を乗せた。人々は彼の前で「ひざまずけ」と叫んだ。こうしてファラオは彼にエジプト全土を支配させた。」

パロ王からエジプト全土の支配を任せられたヨセフ物語は、創世記37章から始まり、38章を飛ばし39章から50章まで続きますが、これまでアブラハム、イサク、ヤコブと交わされた11回のアブラハム契約に基づき、それを成就する終末に向けての神の不思議な摂理の御手が彼の生涯に働いている事を読み取ることが出来ます。ヨセフの生涯に働く神の摂理を短く要約しておきます。

 

【ヨセフの生涯に働く神の摂理】

1、父ヤコブの偏愛

 ヨセフが、他の11人の兄弟たちにまさって、父ヤコブの偏愛を受けた事は、神が約束の地以外(エジプト)で寄留者となり四百年間奴隷となって苦しめら、その後に解放されるという、創世記15章13~14節でアブラハムに預言された神の預言の成就に向けての第一歩の摂理でした。ヨセフへの父の偏愛は他の兄弟たちに妬みによる憎しみを起こさせ、彼が父ヤコブのもとから離れるきっかけを作ったのです。「創37:4 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった」。

2、ヨセフの見た夢

ヨセフは、神によって二つの不思議な夢を見ましたが、その夢を兄たちや両親に話した結果、兄たちからの一層の憎しみをかい、その結果、エジプトに向かうミディアン人の隊商たちに奴隷として売られるという不幸な出来事が起こりました。それが神の摂理でした。

「創37:8彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。」

「創37:28 そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。」

3、牢に閉じ込められたヨセフ

  ヨセフはミディアン人によってエジプトのファラオの廷臣で侍従長のポティファルに売られ、彼の奴隷として付けるようになり、深い信頼を得ていきます。しかし、ポティファルの妻の誘惑を断ったことで、彼女の怒りをかい彼女の悪だくみで、逆にヨセフが彼女を誘惑したかのように犯人に仕立て上げられ、ポティファルによって牢に閉じ込められます。その事が、やがて不気味な夢を見たファラオ王の前に夢を解き明かす者として引き出され、王の夢を見事に解き明かしたことで、ヨセフはファラオ王から「「創41:41『さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。』・・」」と、エジプト全土の支配をゆだねられる事になりました。ヨセフが兄たちによって売り飛ばされ、エジプトで牢に長年閉じ込められるという苦難は、彼がエジプト全土をファラオに代わって支配する宰相になる為の神の愛の摂理であったのです。

4、エジプトと全地を襲った大飢饉

 エジプトに、ヨセフが解いた王の夢の通り7年の大豊作の後に7年の大飢饉が襲いました。エジプトはその為の備えをヨセフの知恵によって行っていましたので、エジプトには沢山の食料が蓄えられていました。その事を知った、ヨセフの兄たちはヨセフがエジプトの宰相になっている事を知らずに、エジプトに食料を求めてやってきます。大きくなったヨセフが目の前に立っても、兄たちはそれがヨセフだと気が付かず食料を買い求めますが、後にそれがヨセフだと知り、昔自分達がしたヨセフへの悪事を思い出し、ヨセフからひどい仕打ちを受けるかもしれないと恐れおののきました。しかし、ヨセフは兄たちの悪事もヤコブ家族を飢饉から守る神の愛の摂理によるとして、兄たちを憎んでいないと赦しを伝えます。

「創50:19 ヨセフは言った。『』「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。50:20 あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたも、あなたがたの子どもたちも養いましょう。』 このように、ヨセフは彼らを安心させ、優しく語りかけた」。

又、父ヤコブは、死んだものと思っていたヨセフが生きている事を知らされ、ヨセフの為にファラオ王が準備してくれた御車に乗ってエジプトに旅立ちました。「創46:5 ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ヤコブを乗せるためにファラオが送った車に、父ヤコブと自分の子どもたちや妻たちを乗せた。46:6 そして、家畜とカナンの地で得た財産を携えて、ヤコブとそのすべての子孫は、一緒にエジプトにやって来た。」

 その旅立ちの前に、ヤコブは神が約束された約束の地から離れることについて神にお伺いをたて、神がそれを良しとされていことを知らされていました。

「創46:2 神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」46:3 すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。46:4 このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」

エジプトと全地を襲った大飢饉は、主がアブラハムに預言された、約束の地以外で400年間奴隷となって苦しめられるという預言の成就の為の神の摂理であったことを聖書は教えています。

「創15:13 主はアブラムに言われた。「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。15:14 しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。」

 イスラエルが、エジプトの奴隷となり、その奴隷の地エジプトから解放される出エジプトが、終末の時代に生まれたメシヤが、ヘロデ王の手を逃れて避難したエジプトの地から約束の地に連れ戻される事を預言する出来事だったとマタイは教えています。

「マタ2:14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。」

 

 

Ⅴ 創世記49章の終末論

1、ヤコブの終末預言

創世記49章は、ヤコブが死の前に神から示された終末に関する預言が啓示されています。

「創49:1 ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は、終わりの日におまえたちに起こることを告げよう。」

ヤコブの終末預言は、自分の子どもたち12人の末裔がどのようになるのかが預言されています。その中で、特にユダに関する預言は非常に重要な終末預言となっています。なぜなら、ユダ族からメシヤが出現する事が預言されているからです。

「創49:8 ユダよ、兄弟たちはおまえをたたえる。おまえの手は敵の首の上にあり、おまえの父の子らはおまえを伏し拝む。49:9 ユダは獅子の子。わが子よ、おまえは獲物によって成長する。雄獅子のように、雌獅子のように、うずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こせるだろうか。

49:10 王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。

49:11 彼は自分のろばをぶどうの木に、雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。彼は自分の衣をぶどう酒で、衣服をぶどうの汁で洗う。49:12 目はぶどう酒よりも色濃く、歯は乳よりも白い。」

以上のユダ部族に関する預言の中で、ユダ族から世界を支配する王の出現が預言されています。「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う」。この預言は、後に、ダビデ契約により、ユダ部族の中のダビデの家系から誕生する事が明確にされていきます。

この預言の「彼がシロに来て、・・・」のシロが何を意味しているのか、議論が分かれています。

2、「彼がシロに来て・・」は何を意味しているのか

 世界を支配するメシヤである王が「シロ」に来て、という預言はどのように成就するのでしょうか。

①創世記49:10の翻訳の比較

1)口語訳「つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」。

2)新改訳第三版「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

3)新改訳2017「49:10 王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。」

4)新共同訳「王笏はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」

微妙に翻訳が異なっているので、翻訳者の神学が翻訳文

に反映している事が分かります。では、「シロ」は何のかを

以下に考察していきたいと思います。

 

②シロは地名なのか

新改訳2017の翻訳文では、「シロ」が地名として解釈ができま

す。もし「シロ」が地名であれば、メシヤは「シロ」という地にメシヤ

が来るという事が文字通りに実現しなければなりません。シロは

どこにあるのでしょうか。

シロは、位置的にはエフライム部族の地にあり、ユダ部族の地に属していません。また、終末時代に来るメシヤの誕生の地はベツレヘムであり(ミカ5:2)、その活動の場所はガリラヤ地方だと預言されています(イザヤ9:1)。再臨のキリストが反キリストの軍隊と戦う地はエドムのボツラであり(イザヤ34:6)、立つ場所はエルサレムの東にあるオリーブ山である事が預言されています(ゼカリヤ14:9。更に、メシヤ的王国でのメシヤの住まいはエルサレム神殿であることが預言されています。(エゼキエル42章)。「メシヤがシロに来る」という預言を地名とすれば、以上のその他の預言と位置とが一致しない事になります。では、「シロに来る」のシロは地名ではなく、他に何かの概念を意味しているのでしょうか。

 

③シロの意味についての諸説

口語訳、新共同訳、新改訳第三版の翻訳によれば、シロは地名ではなく「何かの概念」を意味する言葉として使用されている事が分かります。では、「シロ」にはどのような意味があるのでしょうか。以下にその諸説を紹介します。

1)エホバの証人の注解:「シロ」は「それが自分のものである者; それが属する者」という意味があるので、「王国が自分のものである者、王国が属するもの」はメシヤ(キリスト)を意味している。」と、シロはメシヤだと解釈をしている。(インターネットより)

2榊原康夫の注解(いのちの言社・P262)

「彼が自分の所有するものの所へ来るまで」と翻訳をしているので「シロ」はメシヤが支配するイスラエル民族

意味していると榊原氏は解釈している事になります。

3) シュバイザーの注解(いのちの言社P262)

榊原氏によるとシュバイザーは「彼にみつぎものがもたらされるまで」と翻訳しているので、「シロ」をメシヤがイスラエ

ルの民と諸国民から得る「貢物」を意味していると解釈している事になります。

470人訳の解釈(いのちの言社P262)

榊原氏によると70人訳は「たくわえられた物が帰属する人」と翻訳しているので、「シロ」はイスラエルの民が蓄え

た物を捧げものとして受け取るメシヤを意味していると解釈をしている事になります。

5) F・C・クックの注解(インターネットより)

F・C・クックはユダヤの古代文献よりメシヤだと理解している。

「ユダヤ人の古代の文献はすべて,この預言をメシアに関係するものと見ていた。例えば,タルグム・オンケロスは,『メシアが来るときにまで及ぶ。王国は彼のものである』となっており,エルサレム・タルグムは,『メシアなる王が来るときにまで及ぶ。王国は彼のものである』となっている。……ゆえに,バビロニア・タルムード(『サンヘドリン』,II,982)には,『メシアの名は何か。その名はシロである。シロが来るときにまで及ぶ,と記されているからである』とある」。
6)尾山令仁の注解(創世記P574)

 「救い主はここでは『シロ』と呼ばれている。」と、尾山氏は「シロ」をメシヤだと解釈している。

7)実用聖書注解(P149)

正確な意味は意味不明としながらも、「シロ」をユダヤのラビたちの解釈に倣いメシヤ」だと解釈している。 ゲルハルトは、「シロ」は場所でなく、ある人物としながらも、明解を避け結論として次のように述べている。「より本当らしいのは『彼の支配者』(モーシェロー)と読むもので、これは最近多くの解釈者に受け入れられている」。

9)牧師の書斎(インターネットより)           

「シロ」はヘブル語の動詞「シャーラ」に由来し、「栄える、引き出す、抜き出す」という意味です。つまり「シロ」はユダ族から引き出されるメシアを表わす特別な名前なのです。さらに注目すべきことに、「シロが来る」というフレーズをヘブル語では「ヤーヴォー・シーロー」と書きます。「シロが来る」というだけでは、一見何のことか分からないのですが、このフレーズを右の文字から数値に換算してみると以下のようになるのです。

  • ヘブル語の文字には数値があってそれに換算することをゲマトリアと言います。これによって「シロが来る」とは「メシア」のことだと分かるのです。  10)アーノルド・フルクテンバウムの注解(2007年の旧約聖書におけるメシヤ預言の講演CDより)
  • ◆フルクテンバウムの注解要約

 ・「シロ」は固有名詞ではなく所有代名詞であるので、人名ではない。

・「シロ」は「権威が所属するところの者」と言う意味で初臨のキリストの事である。それは、エゼキエル21章27節で再臨のキリストが「わたしが授ける権威を持つ者」と呼ばれている事で証明されている

・「シロ」(メシヤ=初臨のキリスト)が来るまでユダ部族に約束されている「杖」「立法者の杖」の象徴的意味は、権威をもつ王たちの事ではありません。それは、ユダ部族にはイスラエルを治める指導者たちが「シロ」が来るまで絶えないという、ユダ部族の「優位性が保たれる」という象徴的意味です。この預言は、ユダ部族の優位性は「シロ」が来る時期まで続くという預言である。キリストが十字架でなくなって約40年後にエルサレムはローマによって滅ぼされ、ユダ部族の優位性も取り去られ、その預言が成就したのである。

・エゼキエル書21章26節27節の預言は、イスラエルから祭司が取り去られ(かぶり物が脱がされ)、王が取り去れる(冠が取り去れる)裁きの預言である。この預言の王が取り去れるという出来事はBC586年にバビロンの王であるネブカデネザルによってエルサレムが崩壊した時に実現したのである。それ以後、イスラエルは再建されても王は出現していない。しかし、祭司は存在した。祭司がイスラエルから姿を消したのは、AD70年にエルサレムがローマによって滅んだ時で、それ以後、祭司は存在していない。そのような状況が、キリストが再臨されるまで続くというのがエゼキエルの預言である。

 「エゼ21:26神である主はこう仰せられる。かぶり物は脱がされ、冠は取り去られる。すべてがすっかり変わり、低い者は高くされ、高い者は低くされる。21:27 廃墟だ。廃墟だ。わたしはこの国を廃墟にする。このようなことは、わたしが授ける権威を持つ者が来るまでは、かつてなかったことだ。」                                 

≪まとめ≫

新改訳2017では「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。」と訳され、シロが地名や貢物やイスラエルの民を意味している固有名詞のように読めますが、「シロ」は地名ではなく、また、人名でもなく、イスラエルの民や貢物でもなく、メシヤだと解すれば、口語訳や新改訳第三版、新共同訳のように「シロが来て」とか「シロの来る時」と訳した方がよいように思います。

以上のいろいろな解釈を参考にした結果、シロはメシヤを意味していると解釈するのが正しいように思います。創世記49章9節の「王」を象徴する「獅子の子」、10節権威(ユダ部族の優位性)を象徴する「杖」となる指導者、及びメシヤを意味する「シロ」は、全てユダ部族から出現する事が預言されていると解釈する事が正しいと思います。

イスラエルを敵として焦点を絞ることが出来たサタンは、イスラエルの中の「ユダ族」からメシアが出現することを知りました。しかし、ユダ族の中のどの氏族からメシヤが出現するかはまだこの時点では知らされていませんので、彼はまだ、メシヤ出現防止の為の対策を十分に立てる事はできません。

 

 

Ⅵヨセフの遺言(創世記50:24~26)

「創50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」 50:25 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。 50:26 ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、自分の父祖「アブラハム、イサク、ヤコブ」に神が誓われた約束の地に自分の亡骸を携え上るように」と遺言を残しました。ヨセフはアブラハム契約を堅く信じて、いつの日にか先祖と共に甦って約束の地を踏む事を堅く信じていたことが遺言でよく分ります。

その遺言で、ヨセフが初めて「アブラハム、イサク、ヤコブ」と三人の先祖の名を連ねて呼びました。この先祖の三人の名を連ねる表現は、後にイスラエルに与えられた「アブラハム契約」の神を意味して「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とか「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と神ご自身の呼称として聖書において10回使用されています。

「出 3:6 また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。」(その他5回使用)

「列王上 18:36 夕の供え物をささげる時になって、預言者エリヤは近寄って言った、「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、イスラエルでは、あなたが神であること、わたしがあなたのしもべであって、あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを、今日知らせてください。」(その他3回使用)

 イスラエルの先祖であるアブラハムとイサクとヤコブと繰り返し交わされた「アブラハム契約」を、神は必ず実現するその堅い決意と御心を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」「アブラハム、イサク、ヤコブの神と表現されたのです。ヨセフはその事を知って先祖の三人の名を連ねて表現した最初の人でした。

 

【終わりに】

創世記は、キリストの十字架の福音を初め、キリストの再臨論、終末論など多くの教理を正しく学ぶための「土台」だという事がよく分かります。

創世記12章~50章で重要なテーマが二つあります。一つは終末時代に登場する神人の「メシヤ」がアブラハムの子孫として、またアブラハムの子孫のヤコブのユダ部族から出ると預言されている事です。その事は、イエス・キリストが約4000年の歳月経て、聖霊によって身ごもったマリヤによりベツレヘムで誕生したことで実現しました。「ガラ 4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。」

もう一つは、神がアブラハムと契約を度々交わされた事です。そのアブラハム契約の条項の一つにアブラハムが歩いた地を受け継ぐべき約束の地とされた事です。アブラハムもイサクもヤコブも、その地を実際に受ける事無く死にました。また、今日までイスラエルの歴史においても実現に至っていません。それは、現代においても実現されていませんので、今後に実現する事だという事が分かります。神は約束された事は必ず守られる真実なお方ですので、今後のイスラエルの歴史に注目をしなければなりません。神はご自分の約束を必ず実現する証明として、死んだ三人の族長たちをいつの日か必ず甦らせ、約束の地を受け継がせるために、約束の地の同じ場所に三人を葬られています。それはマムレに面するマクペラの洞穴でした(創世記25:9)。アブラハムとイサクは約束の地で死にましたが、ヤコブはエジプトで死にました。彼は、遺言で必ず自分をアブラハムとイサクが葬られている同じ墓「マムレに面しているマクペラの洞穴」に葬ることを子どもたちに命じています。それは、ヤコブが「アブラハム契約の実現」を堅く信じていた事を教えています。

「創49:29 彼はまた彼らに命じて言った。「私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。49:30 そのほら穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。49:31 そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。49:32 その畑地とその中にあるほら穴は、ヘテ人たちから買ったものである。」

現在、マクペラの洞穴と推定されるところに大きな建物がたてられ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とされています。

創世記12章~50章の「族長物語」は、やがてキリストの地上再臨により実現する1000年のメシヤ的王国において、三人の族長たちを初め旧約の聖徒達を全て甦らせて「アブラハム契約」を成就されるという、創造主の壮大なご計画の終末論を私達に教えています。その日が近いのです。

「ダニ12:2 ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、・・」

「イザ6:19 あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。覚めよ、喜び歌え。土のちりの中にとどまる者よ。まことに、あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。」

次回は、「出エジプト記の終末論Ⅰ」をお伝えしますが、創造主の神さまが「アブラハム契約」を中心にしながら、イスラエルの民をお導きになっている事をお伝えしたいと思います。