シリーズ神学ミニレポート   
2023年5月7日
牧師:佐藤勝徳
出エジプト記の終末論Ⅰ
出エジプト記1章~12章

【はじめに】

これまでアップしました「創世記の終末論」の中で、一つ書き足しておけば良いと思う項目がありました。それは創世記49:10の「メシア」を意味する「シロ」に関する預言の中で、「諸国の民は彼に従う」という事が預言されている事です。「諸国民がメシヤに従う」というメシヤが世界の王となる預言は初臨のキリストによってまだ実現していませんので、今後起こる出来後だという事が理解できます。即ちそれは、再臨のキリストによってイスラエルと結ばれた「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」である4つの無条件契約が成就し、イスラエルを中心とした「メシア的王国」において実現する事だと聖書は教えているのです。イザヤ書2章では、メシヤ的王国の諸国の人々が世界の最高峰の山となるエルサレムの神殿を住まいとされているキリストの教えを聞くために上ってくることが教えられています。「イザ2:3 多くの民族が来て言う。『さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはそのことばが出るからだ」

人類の歴史は創造主の神によって、万物創造の目的である黙示録の新天新地の実現とその前に実現する「キリストが世界の王として支配されるメシヤ的王国の実現に向けて間違いなく着実に進んでいます。

 

Ⅰ 出エジプト記の終末論

1、第1章の終末論 

「出1:22 ファラオは自分のすべての民に次のように命じた。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」

悪魔は、やがて自分を滅ぼすメシヤがイスラエルのユダ部族から出現する事を知っていたましたので、イスラエルに生まれる全ての男子をファラオによって殺害させて、イスラエルの子孫がこれ以上継続的に存在しないように策略を練りました。しかし、勇気あるヘブル人の助産婦たちによって、又、ヘブル人の知恵によって彼の策略は失敗しました。イスラエルは男の子が絶えることなく生まれ成長していきました。「民1:45 一族ごとに登録された二十歳以上のイスラエルの子らで、イスラエルで戦に出ることができる者すべて、1:46 登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。」

2、第2章の終末論

「出2:10王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。

レビ族の出身であるモーセが神の不思議な愛の守りと摂理により、エジプト王女の息子となり、エジプトの学問や武術を身に着けて、やがてエジプトの奴隷として苦しんでいる同胞の「イスラエル」を解放する解放者となりました。その事によって、神は、終末にモーセと似ているモーセのようなメシヤをこの世界に派遣される準備を進められました。モーセは終末に遣わされたメシヤ(キリスト)といくつかの点で似ているのです。

「初代教会の歴史家エウセビオスはモーセを拾い上げたエジプトの王妃の名前を「メリス」であたという伝説を記録にとどめているが、ユダヤ教のラビの伝説では「ビトヤ」であったとし、ヨセフォスは「タームチス」と呼んでいる」(ファイファー著「旧約の歴史P242」より)

◆モーセと似ているメシヤ(キリスト)

モーセはイスラエルを苦しみのエジプトから解放しました。それはキリストが信じるイスラエル(異邦人も含む)を罪と裁きから解放する事と似ています。

神はモーセと顔と顔と合わせて語りました。(出33:11.申34:10) それは、キリストが父なる神と親しく語られた事とよく似ています。(ヨハネ1:1,18、8:38)

モーセは仲保者としてイスラエルの罪が赦されるようにとりなしをしました(申9:11~29)。それは、キリストが仲保者として信じる全ての人の為に天においてとりなしをされている事と似ています(へブル7:25)。

モーセはモーセ律法をイスラエルの民に授けました。それは、キリストが現在のメシヤニックジュー(ユダヤ人キリスト者)と異邦人キリスト者にキリストの律法を授けておられる事と似ています。(Ⅰコリ9:21)

モーセは誕生した時にファラオによって命の危機を体験しましたが、それはキリストが誕生した時にヘロデ王によって命に危機に遭遇された事と似ています。(マタイ2:1~16)

「申18:15 あなたの神、【主】はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。」

 

◆アブラハム契約を思い起こされる神

「出2:23 それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。2:24 神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。」

神様は、アブラハム、イサク、ヤコブと11回にわたって契約を交わされた「アブラハム契約」を決して忘れる事無く、イスラエルを導き存在させておられるお方だと出エジプト記は教えています。その神様の御心はイスラエルの為に再臨のキリストによって成就する終末の「メシヤ的王国」の実現まで継続するのです。

 

3、第3章の終末論

「出3:6 さらに仰せられた。「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」

「出3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。

「出3:16 行って、イスラエルの長老たちを集めて言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、【主】が私に現れてこう言われた。「わたしは、あなたがたのこと、またエジプトであなたがたに対してなされていることを、必ず顧みる。出3:17だからわたしは、あなたがたをエジプトでの苦しみから解放して、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地へ、乳と蜜の流れる地へ導き上ると言ったのである」と。』」

神が、奴隷として苦しんでいるイスラエルの民をエジプトから解放する解放者としてモーセを遣わすにあたり、2

章と同様に「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と3回も繰り返し語られています。それにより神が「アブラハム契約」に基づいてその約束を必ず実現するために活動をされている真実なお方だという事をモーセの魂に刻印されました。また、アブラハムと約束されたその嗣業の地にも必ず導き上る事をも強調をされ、約束実現に向け歴史の駒を一歩進められました。

 

4、第4章の終末論

第4章においても神はご自身の事を「彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」(4:5)と呼ばれ、アブラハム契約の神であることを強調されています。モーセは、これからイスラエルの民を導くために手に神の権威と力が伴う「杖」が与えられたことが教えられています。「4:2 【主】は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」 4:3 すると仰せられた。「それを地に投げよ。」彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。 4:4 【主】はまた、モーセに仰せられた。「手を伸ばして、その尾をつかめ。」彼が手を伸ばしてそれを握ったとき、それは手の中で杖になった。 4:5 「これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】があなたに現れたことを、彼らが信じるためである。」

「出 4:17 あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」

「出4:20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。」

モーセが神の力と権威が伴う「杖」を手にして、イスラエルの民を導いたように、メシヤ的王国においてはキリストが鉄の杖でメシヤ的王国の諸国を治めることが詩篇第2篇と黙示録で教えられています。キリストの鉄の杖は、キリストが神の厳しい正義による権威によって「メシヤ的王国」の諸国の王たちを厳しく統治される事を象徴的に表現しています・

「詩2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。」

「黙 12:5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた」。

「黙 19:15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。」

 

5、第6章の終末論

「6:4 またわたしは、カナンの地、すなわち彼らがとどまった在住の地を彼らに与えるという契約を彼らに立て

た。」

「出6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしが

あなたがたの神、【主】であり、あなたがたをエジプでの苦役から導き出す者であることを知る。6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地にあなたがたを連れて行き、そこをあなたがたの所有地として与える。わたしは【主】である。』」

出エジプト記第6章においても神は再び、アブラハム契約に基づき、イスラエルをエジプトから解放し、約束の

地に連れ帰るだけでなく、所有地として与えると約束され契約に念を押されました。それによって、イスラエルの民

の魂に「アブラハム契約」強く思い出させ、イスラエルの民に、アブラハム契約に基づいて神に愛されている事を

確信させようとされました。

 

5、第7章の終末論

①終末における悪魔の偽りの呪術の知恵と力

「出7:10 モーセとアロンはファラオのところに行き、【主】が命じられたとおりに行った。アロンは自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げた。すると、それは蛇になった。7:11 そこで、ファラオも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらエジプトの呪法師たちもまた、彼らの秘術を使って同じことをした。7:12 彼らがそれぞれ自分の杖を投げると、それは蛇になった。しかし、アロンの杖は彼らの杖をのみ込んだ。

神は、エジプトからイスラエルを解放させるために、モーセの兄アロンがファラオの前に投げた杖を蛇にするという奇跡をもって説得の手始めとされました。しかし、ファラオはその奇跡に負けじと、エジプトの呪術者たちを呼び寄せ同じようにさせました。しかし、神はアロンの杖がエジプトの呪術者たちの杖を飲み込ませるようにされ、ご自身こそが神であることを教えようとされました

以上の出来事は、世界の王となる事を野望とし、偽の宗教を生み出しているサタンも奇跡をなし、物質に命をもたらす知恵と力を持っている事を教えています。もちろん、神の奇跡とサタンの奇跡には雲泥の差はある事は勿論のことですが、サタンの力は人間を間違った偽りの偶像や宗教に導くために偽りの教えを罠として十分に発揮するのです。

黙示録では、反キリストの偶像がエルサレム神殿に設置される事が預言されています。サタンはその偶像は語ることが出来るように、偽預言者たちを通して息を吹き込む事も預言されています。サタンは終わりの時代における自分の滅びが近い事を知って、創世記3:15で自分の頭を踏み砕くメシヤ出現の預言が成就しないように、又、キリストの地上再臨を止めようと必死になります。また、終わりの時代に救われた全てのイスラエルの民が「主の名によって来る方に祝福あれ」(マタイ23:31)と復活のキリストをメシヤとして迎えさせる事を阻止するために、ユダヤ人絶滅の炎を燃え立たせ、巧妙な偽りの罠と奇跡、そして偽りの教えと教理(背教)を世界とキリスト教会とにますます吹き込むでしょう。全ての聖徒はそれに惑わされないように、これまで以上に警戒が必要だと思います。

「黙12:12悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。」

「黙13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。」

「Ⅱテサ2:9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、2:10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。・・」

 

②終末における水の難の予表

「出7:21 ナイル川の魚は死に、ナイル川は臭くなり、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。エジプト全土にわたって血があった。7:22 しかし、エジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。【主】が言われたとおりであった。」

神は、ファラオの心にイスラエル解放を決断させるために、エジプトのナイル川をアロンの杖で打ち、血に変えて魚を死なせ、川を臭くさせ、飲めなくされました。しかし、エジプトのファラオは、水の難をもたらした神に対抗して、呪術師たちに同じような不思議を行わせました。サタンは神のように全知全能のではありませんが、その力を侮る事はできません。エジプトの水の難は終末の7年の大艱難時代の水の難の予表となっています。

 

◆大艱難時代の水の難

大艱難時代7年の時に、神が世界の海の3分の1を血とし、海の生物を3分の一死滅させられます。また、水源の水と川の3分の一の水を苦よもぎのような苦い水にされ、その為に多くの人が死滅します。」(黙示録8:8~11)。また、海を死者の血のように変わり、海の全ての生き物が絶滅します。(黙示16:3)

 

6、第8章の終末論

「出8:6 アロンが手をエジプトの水の上に伸ばすと、蛙が這い上がって、エジプトの地をおおった。8:7  呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じように行った。彼らは蛙をエジプトの地の上に這い上がらせた。」

「出8:17 彼らはそのように行った。アロンは杖を持って手を伸ばし、地のちりを打った。すると、ブヨが人や家畜に付いた。地のちりはみな、エジプト全土でブヨとなった。8:18 呪法師たちも、ブヨを出そうと彼らの秘術を使って同じようにしたが、できなかった。ブヨは人や家畜に付いた。8:19  呪法師たちはファラオに「これは神の指です」と言った。しかし、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。【主】が言われたとおりであった。」

出エジプト記第8章では、蛙の災いブヨの災いアブの災いが神によって下されたが、それに対してエジプトの呪術師たちが対抗できたのは、蛙の災いだけでした。彼らは蛙をもとのナイル川に戻す事ができず、その後の災いにも対抗できず、彼らはついに様々な災いは「これは神の指です」と王に言わざるを得なくなったのです。。

悪魔は、呪術師たちを通してどれほどその知恵と力を使って神に対抗しも、最後は敗北を迎える運命なのです。彼は、1000年続くメシヤ的王国において、その間、天使の鎖によって縛られてアビスに閉じ込められ、そして最後には火の池に投じられることが黙示録20章に預言されています。悪魔の力を侮ってはいけませんが、呪術師や偽預言者や反キリストによって神に抵抗する悪魔は、最後には神によって火の池に投じられ永遠に苦しみ続ける滅びの運命に定められているのです。黙示録20章において、創世記3章15節の悪魔がメシヤによって滅びる預言が成就するのです。

「黙20:1 また私は、御使いが底知れぬ所(アビソス)の鍵と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。20:2 彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、20:3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所(アビソス)に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。」

「黙20:7 しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、20:8 地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである。20:9 彼らは地の広いところに上って行き、聖徒たちの陣営と、愛された都を包囲した。すると天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。20:10 彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。」                

 

7、第9章の終末論

「出9:3 見よ、【主】の手が、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に重い疫病が起こる。」

「出9:9 それはエジプト全土にわたって、ほこりとなり、エジプト全土で人と家畜に付き、うみの出る腫れものとなる。9:10 それで彼らは、かまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセはそれを天に向けてまき散らした。すると、それは人と家畜に付き、うみの出る腫れものとなった。」

「出こうして【主】はエジプトの地にを降らせた。9:24 雹が降り、火が雹のただ中をひらめき渡った。それは、エジプトの地で国が始まって以来どこにもなかったような、きわめて激しいものであった。9:25 雹はエジプト全土にわたって、人から家畜に至るまで、野にいるすべてのものを打った。またその雹は、あらゆる野の草も打った。野の木もことごとく打ち砕いた」

出エジプト記9章では三つの災害が下っています。①重い疫病。すすによる腫物。。以上の三つの災いは黙示録の大艱難時代の7年においても起こります。(腫物の災いは黙示10:10に啓示されている)

黙示録では重い疫病が「死病」と表現されていますが、「死病」に関して黙示録では2か所で預言されています。

「黙 6:8 私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた。

「黙 18:8 これらのことのため、一日のうちに、様々な災害、死病と悲しみと飢えが彼女を襲います。そして、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は、力ある方なのです。」

雹の災いについても黙示録で以下のように預言されている。「黙 8:7 第一の御使いがラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火が現れて、地に投げ込まれた。そして地の三分の一が焼かれ、木々の三分の一も焼かれ、すべての青草も焼かれてしまった。」

「黙 16:21 また、一タラント(約30キロ」ほどの大きな雹が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒瀆した。その災害が非常に激しかったからである。」

エジプトの不信仰なファラオとエジプトの民に対する神の怒りによって起こった厳しい災害の数々は、終末の7年の大艱難時代にイスラエルと異邦人の不信仰に対する神の怒りによって起こる厳しい災害の数々の予表として起こっていたと言えるでしょう。

8、第10章の終末論

①エジプトのイナゴの災いと黙示録の悪霊ども

「出10:14 いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。これは、かつてなく、この後もないほどおびただしいいなごの大群だった。10:15 それらが全地の表面をおおったので、地は暗くなり、いなごは地の草と、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くした。エジプト全土で、木や野の草に少しの緑も残らなかった。」

出エジプト記第10章にはイナゴの災いがエジプト全土に及んだことが記録されていますが、黙示録では、5か月間死なさずに人間のみに苦痛を与える悪霊どもの象徴としてイナゴが使用されています。エジプト全土を襲ったイナゴの災いは、終末の人類に苦痛を与えるイナゴで象徴される悪霊どもの予表となっていると言えるでしょう。

「黙 9:3 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。」

「黙 9:7 いなごたちの姿は、出陣の用意が整った馬に似ていた。頭には金の冠のようなものをかぶり、顔は人間の顔のようであった。

「黙 9:11 いなごたちは、底知れぬ所の使いを王としている。その名はヘブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンという。」

②エジプトの闇の災いと黙示録の闇の災いの比較

「出10:21 【主】はモーセに言われた。「あなたの手を天に向けて伸ばし、闇がエジプトの地の上に降りて来て、闇にさわれるほどにせよ。」10:22 モーセが天に向けて手を伸ばすと、エジプト全土は三日間、真っ暗闇となった。10:23 人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。」

出エジプト記の9番目の災いである「闇」の災いは、黙示録の大艱難時代の災いとしても預言されていますが、黙示録の闇の災いはただ、エジプトの「闇の災い」と異なり、ただ見えなくなるという事だけでなく激しく苦しみに襲われ噛むほどです。

「黙 16:10 第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。」

 

9、第11章~12章の終末論

①最後の災いとエジプト軍の壊滅と再臨のキリストによる反キリストの軍隊の壊滅

「出12:29 真夜中になったとき、【主】はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。」

「出14:27 モーセが手を海に向けて伸ばすと、夜明けに海が元の状態に戻った。エジプト人は迫り来る水から逃れようとしたが、【主】はエジプト人を海のただ中に投げ込まれた。14:28 水は元に戻り、後を追って海に入ったファラオの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残った者は一人もいなかった。」

イスラエルをエジプトから解放するために、神は最後の災いとして、エジプト人の初子の男子と家畜の初後の雄とをみな打たれ死なせられました。また、エジプトから出たイスラエルを追ってきたエジプト軍を紅海で一人も残さず壊滅させられました。その様に、イスラエルを絶滅させるための、反キリストの軍隊を再臨のキリストが一人で壊滅させられることが預言者や黙示録で預言されています。神に反抗するエジプトに対する神の徹底した裁きは、終末時代の大艱難時代における不信仰な人類とイスラエルを絶滅させようとする反キリストと世界連合軍への神の徹底した裁きを予表していると言えるでしょう。

「黙 9:18 これら三つの災害、すなわち、彼らの口から出る火と煙と硫黄によって、人間の三分の一が殺された。」

「黙14:19 御使いは地上に鎌を投げて、地のぶどうを刈り集め、神の憤りの大きな踏み場に投げ入れた。14:20 都の外にあるその踏み場でぶどうが踏まれた。すると、血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」

「黙19:15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。」

「黙19:20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。19:21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。」

以上の黙示録の預言は再臨のキリストによって、反キリストとその預言者と世界連合軍の軍隊がことごとく殺され、流されたその血の高さは馬のくつわにまで届き、その範囲は1600スタディオンだと預言されている。1スタディオンは約185㍍ですので、約300㍍にも及ぶ広さです。それは、キリストの軍隊より保護あされるエドムの地にあるボツラからエルサレムまでの距離を指していると言われます。再臨のキリストは口の剣をもってお一人で反キリストの軍隊を悉く滅ぼされますので、真っ白な服装がその返り血によって真っ赤に染まるのです(イザ63:1~6)。再臨のキリストのすさまじさが伺えます。正に詩篇24篇で預言されている戦いに勇ましい万軍の主こそ再臨のキリストです。「詩24:7 門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。24:8 栄光の王とはだれか。強く力ある【主】。戦いに力ある【主】。24:9 門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。24:10 栄光の王それはだれか。万軍の【主】この方こそ栄光の王。」      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【終わりに】

 神さまが、エジプトで400年間奴隷として苦しんでいたイスラエルの人々をエジプトから解放された理由は、イスラエルと結ばれた無条件契約の「アブラハム契約」によることが出エジプト記でも繰りかえし強調されている事を学びました。それによって、イスラエルの生まれた男の子を全てパロ王の手によって殺そうとした、悪魔の策略からイスラエルは守られました。「アブラハム契約」は、イスラエルを滅ぼうそうとする悪魔の力と策略からイスラエル守る頑丈な城壁になっている事を出エジプト記は改めて教えているのです。