シリーズ神学ミニレポートNO1 2023年3月10日
米子/鳥取復活教会牧師:佐藤勝徳
創世記の終末 
創世記1章~3章

【はじめに】
 今日ほど聖書が教える世界の終末を正しく徹底的に学ぶ必要性のある時代があるでしょうか。聖書は、ドイツのグーデンベルグが15世紀に活版印刷を発明してから世界のベストセラーを続けています。現在、聖書は3000近い言語に翻訳されている偉大な神の書なのです。

その聖書で、創造主の神さまがご自身の事を「イスラエルの神」だと195回も繰り返し宣言をされています。そのイスラエルは昔から世界の終末を正しく知るための「世界の日時計」と呼ばれてきました。イスラエルはAD70年にローマによって滅ぼされ国を失い、離散の民となりました。しかし、1948年5月14日にイスラエル共和国が奇跡的に樹立し、イスラエルは国を復興したのです。それから、今日に至るまでのイスラエルを取り巻く世界の状況は、間違いなく聖書が預言する世界の終末預言の一つ一つが着実に実現している事を教えています。

しかし、私は聖書の終末論は難しいという事で、正しく徹底的に学ぶことを怠ってきました。これまでは誰々がこう言っていると、優秀な神学者や牧師方の教え鵜呑みにして、自分で目の前にある聖書を創世記から黙示録に至るまで、66巻がどのように終末論を説いているのか、徹底して学んできませんでした。聖書の終末論の学びを「つまみ食い」程度で終わらせていたのではないかと自戒をしています。そうした反省を込めて、私は聖書66巻が教える「終末論」を徹底してリサーチする事にチャレンジする事にしました。神さまの導きと助けを祈りつつ学びながら、レポートしたいと思います。足らざる者ですが終末論に焦点を当てての学びを共にして頂ければ感謝です。

Ⅰ創世記の終末論

1、創世記第1章~2章の終末論

◆「創1:1 初めに、神が天と地を創造した。1:2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」

◆「創1:31 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。」

 

①未完結体の天地の創造

創世記第1章~2章は、宇宙の始まり、世界の始まり、人類の始まりを教えています。それは黙示録21章22章の死や罪や悪がなく、病もなく悲しみも苦しみもない、神の完璧で完全な支配が永遠に続く完結した新天新地の新しい創造に向けての始まりとしての創造であった事は間違いがありません。創造主の神さまが、文字通り6日間で現在の宇宙と世界と自然と生物と人間を創造されたときに「はなはだ良かった」と言われた事は、未完結の完成形の世界として創造されたことを意味して喜ばれたことです。、黙示録の完結形の新天新地の創造に向けての未完結の完成形として創造されたという意味で神さまは「はなはだ良かった」と喜ばれたのです。

②黙示録の完結体の新天新地の創造へ向けての神の歴史統治の方法(悪魔の悪や人間の罪をも用いる)

創造主は6日間で創造された世界が、堕落したケルブである悪魔の誘惑によってアダムとエバが罪に堕落し、呪いの中に置かれる未完結な世界である事をご存知でした。神様の創造の御業はいつも完全なものですが、神さまの最初の創造は完全で完璧な完結した新天新地へ向けての未完結な状態で創造する事が完全な創造だったのです。最初の世界はサタンの誘惑に負けたエバとアダムにより罪に堕落しました。創造主は罪に堕落した世界を空中の権をもって飛び交っている悪魔とその手下である悪霊の悪や罪に堕落した罪びとの罪による悪を許可したり(エペソ2:2)、また、積極的に用いたりしながら、また、堕落した世界の歴史と堕落したイスラエルの歴史を統治し、キリストの救いの御業の歴史、教会の誕生とその歴史、キリストの空中再臨(教会携挙)、地上再臨の出来事、反キリストの軍隊の壊滅、メシヤ的王国の樹立などを進めておられます。更に、最後にそのサタンと未信者を滅ぼし、罪に堕落した現在の天地万物とその万象を海も含めて火によって完全に焼き尽くされます。ペテロがそれを教えています。(Ⅱペテロ3:10)。その後に罪なき、死もなき、苦しみもない神と人との完全な愛の交わりの喜びが永遠に続く、全く新しい新天新地が創造されます。その新天新地には天から降りてきた2200キロ平方メートルもある巨大な宝石に輝く新しいエルサレムの都が存在し、そこにいます神がその都の光となり(黙示録22:5)夜がなくなります。そして二度と罪に堕落する事がない、二度と悪魔の侵入がない、何一つ呪いのない完全な愛と義のみが永遠に続く永遠の御国となります。創造主の神の偉大な御心の完結であるその新天新地の創造に向けて、現在の天地を創造され、人類の歴史を統治されているのです。

創造主の神さまは、黙示録の完全で完璧な完結体の新天新地に向けて、完成形でありつつも完結していない現在の天地万物を創造されたのです。それが創世記1章の6日間における創造主の完全な創造の御業であったのです。イスラエルに約束された再臨のキリストにより実現する「メシヤ的千年王国」もイザヤが新天新地と呼んでいますが、罪も死も存在している未完結な王国なのです。それ故に、メシヤ的王国の世界は、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約の実現と言う使命が終われば火によって焼き尽くされるのです。

最初のエデンの園は罪に堕落し、やがてノアの大洪水で姿を消す定めにあった有限な楽園であったので、黙示録21章22章の完全で完璧な完結体の新天新地がエデンの園の回復でないことは明らかです。そこには、現在の太陽と月もなく海辺の砂の数ほど存在する星もなく塩水の海もないのです。黙示録21章22章の新天新地は最初のエデンの園とは全く異なる永遠に変わらない完結体の字義通り永遠の神の御国なのです。

 

2、創世記第3章の終末論

①原福音の啓示

創世記第3章は、人類の堕落の出来事(神話にあらず)が創造主によって啓示され、今日の世界の罪の始まり、死の始まりを教えています。その堕落の出来事に悪魔が深くかかわっている事を教えています。人類を罪へと堕落させた悪魔に向かって創造主は呪いを宣言されましたが、その時に悪魔を滅ぼすメシヤの出現という福音を預言されています

◆「創3:15わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

以上の聖句は、メシヤによって「人類を不幸にしている悪魔を滅ぼすという福音」の預言ですので「原福音」と呼ばれています。その預言で重要なのは、その福音がアダムでなく、エバでもなく、悪魔に向かって語られている事です。福音を最初に知ったのは悪魔なのです。創造主は、悪魔を滅ぼす為の手の内の一部を悪魔に知らせながら、終末に向かって歴史を推し進め最後に悪魔を滅ぼして、黙示録21章22章の新天新地を新しく創造される事が分かります。黙示録20章では、悪魔がメシヤ的千年王国の千年間、ハデス(陰府)にある「アビソス」に閉じ込められます。千年後悪魔は 「アビソス」から解放されますが、最後には裁かれて火の池に投じられることが預言されています。(黙示20:2、7、10)

◆「黙20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。」

聖書の終末論を正しく学ぶために欠かせないのが、聖書の教える悪魔論です。創造主は悪魔を最終的には直接ご自身の力で滅ぼされますが、それまでは悪魔の対処方法としてのご計画は女の子孫(メシヤ)とメシヤを生んだ女(イスラエル民族)をお用いになる事です。それが創3:15の原福音の預言で示されています。

◆「創 3:14 神である【主】は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

では悪魔が敵意をもって滅ぼそうとする女(イスラエル民族)と女の子孫(メシヤ/キリスト)をなんの為に滅ぼそうとするのかその目的は何でしょうか。 それを知る為に、ここでは悪魔の起源について簡単に触れることにします

 

②悪魔の起源

1)創造論者の見解

悪魔の起源の時については諸説ありますが、多くの創造論者は最初の創造の6日間の後か、6日間の創造の日々のいずれかに天使が創造され、その中に堕落した天使が出現し、それが悪魔となったと教えています。その根拠は創世記1:31の「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」と創世記1:2の「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」という二つの聖書の言葉においています。神さまが創造された6日間に堕落した悪魔がエデンの園に存在していれば創1:32の「非常に良かった」という言葉を相応しくない、不自然だという事です。それ故に創1:2の「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、」を否定的にではなく、肯定的に解釈し、悪魔の堕落は7日目以降だと考えています。

 

2)有神的進化論者の見解に対する創造論者の反駁

現代の神学者の中には、進化論という仮説の科学を前提に解釈し、創造の6日間を24時間の1日ではなく、地質的に長い時代を意味していると解釈している神学者がいます。創世記1:1と1:3の間に否定的な何かが起こり長い時間があったという「間隙説」を主張します。それによって、進化論的に古い化石の存在や、進化論的に古い宇宙の存在を説明しようと試みているのです。しかし創造論者は、進化論を前提に創世記を解釈する「有神的進化論者」の解釈を否定し、創造の6日間文字通り6日間だと解釈するために、創1:2を否定的なでなく、1:3からの6日間に渡っての創造のための序文的な表現として肯定的な表現として理解しています。「形なく、むなしい」を単なる「空っぽ」という意味に解釈をしているのです。CRJ(クリエーション リサーチ ジャパン)のヘブル語研究家である野口誠先生は、創世記1章2節の「地は形なく、空しく」と訳されているヘブル語(トフー ワァ ヴォフー)」を単なる空間を意味しているとし、地球が空っぽのカバンのようなものだったと説明をされています。また、CRJの理事である奥山実先生も野口誠先生と同様に解釈され、「トフー ワァ ヴォフー」は「何も描かれていないキャンバスのようだ」と説明をされています。(CRJの機関紙より)。「アンサーズブック」(2004年3月1日ICM出版発行)の創造論の著者たちは次のように論じています。「間隙説(あるいは『破滅―再構築説』)は非常に薄弱な根拠に基づいた聖書解釈の上に成り立っています。世界が、創造の6日間の残りの期間で段階的に「世界が形のあるものとなり、中身のあるものとなった」は神の創造エネルギーを通してなされたのです」。更に、「トフー ワァ ヴォフー」を陶器師が陶器を造る時に手に握った最初の形のない土の塊に似ていると教えています。

創世記1:2の以上の創造論者の解釈の背後には、私も受け入れていないある種の間隙説の主張をくつがえすことが動機となっています。創造論者が退ける「間隙説」を短く要約的に以下に説明をしておきます。

 

 

③創造論者が退けるある間隙説「アンサーズブック」(P77)より

1)創世記1:1の天地の創造の時に、創造主はルシファーを含め天使と魂のない人間をお造りなっていた。

2)悪魔に堕落する前のルシファーは魂のない人間を支配していた。

3)悪魔に堕落する前のルシファーは、宝石からなるエデンの園を住まいとしていた。(エゼキエル28章)

4)ルシファーは、神のようになることを望み、神に反抗をした。

5)悪魔が堕落したために罪がこの世に入った。

6)神は悪魔となったルシファーを洪水とその後に続く氷河期で裁き、太陽の光と熱を取り除いた。

7)植物と動物と人間の化石は「ルシファーの洪水にその期限がある。それらの化石は現在の動植物と人間とは遺伝的に関係が一切ない。

8)化石記録(地層の重なり)は何百万年にわたって形成され、その後ルシファーの洪水で地球を滅ぼし地球を「形なく、むなしいもの」とされた。

※悪魔をルシファーと呼ぶのは、ラテン語訳より来ています。日本語訳では「明けの明星」(イザヤ14:12)と訳されていますが、それをラテン語訳では「ルシファー」と訳したのです。

 

以上の創造論者が否定する間隙説と私が信じる正しい間隙説は大きく異なります。

 

④聖書的に正しい間隙説

1)創世記1:1の天地創造の時に、創造主は以下の天使達だけを創造された。A)ケリブ(ケリビムの単数形) B)セラフィム C)ミカエル D)ガブリエル E)無数の天地たち。(参照:ヨブ38:4~7)

2)天使の中の明けの明星とかルシファーと呼ばれるケリブは美の極みとして、完全なものとして創造され、宝石に囲まれたエデンの園と呼ばれる地球を住まいとして与えられ、更に神を賛美するために金のタンバリンと笛が与えられていた。(参照:エゼキ28:13~15 )

3)以上のケルブは、傲慢になり神に反抗をし、その時に無数の天使の3分の1は堕落させた。(参照:エゼ28:16、黙示録12:4)

4)創造主はご自身に反抗し、悪魔化したケリブを裁き、彼の住まいとして与えられていたる宝石に囲まれていたエデンの園と呼ばれる地球を裁き、塩水にされた。(参照:創1:2、Ⅱペテ3:5)

5))その裁かれた地には、魂のない人やその他何の動植物も創造されていなかったので、化石や地層なども存在しない。

6)創1:3以降の6日間は、創造主が傲慢になって堕落した悪魔を裁き、彼の住まいであった宝石に輝く地を塩水にされ、その地を人間の住まいとする為の再創造の出来事である

※地球の海は、神が悪魔を裁いた時につくられたものですので、海は聖書では二次的な被造物になっています。その証拠に、黙示録21章の新天新地の創造の時には、海がないことが強調的に啓示されています。

◆「黙21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

 

⑤      (トフー ワァ ヴォフー)の意味

私は、創造論者の一人であり、創世記1章3節以降の天地万物の創造は文字通りに6日間でなされたと信じています。しかし、1:2の「茫漠」「何もなかった」「やみが大水の上にあり」という3つの言葉を否定的に解釈しています。英訳では“formless“ “desolate“ “darkness“と三つの言葉で翻訳されています。新共同訳では「混沌」「闇」という2つの言葉で訳されています。口語訳では「形なく」「むなしく」「闇」という3つの言葉で訳されています。特に私にとっては、光そのものである神さまのみが存在する永遠の光の世界に、「闇が大水の上にあった」という事はどうしても不自然にしか思えません。現在の天地万物が創造される前に、闇と水で覆われた茫漠な地球はいつ創造されたのでしょうか。なぜ、創造の6日間の間に「闇で覆われた大水の茫漠な地球」の創造は入らなかったのでしょうか。エレミヤ書ではイスラエルに対する神の裁きである「滅び」の概念を表現する否定的な言葉として (トフー ワァ ヴォフー)が創世記1章2節で使用されている事をどのように解釈されるのでしょうか

◆「エレ4:20 破滅に次ぐ破滅が知らされる。全国が荒らされるからだ。たちまち、私の天幕も荒らされ、私の幕屋も倒される。・・・エレ 4:23 私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく( )、天を見ると、その光はなかった。」。

創造論者はエレミヤ書で使用されている否定的な意味の「トフー ワァ ヴォフー」をもって、創1:2の「トフー ワァ ヴォフー」を否定的な意味で使用されているという解釈に対して、創1:2はエレミヤ書ではないので、エレミヤ書の使用方法をもって解釈するのは文脈が無視されていると反論をされています。(アンサーズブックP89~90)。しかし、その反論に問題があります。私は、創世記もエレミヤ書も創造主である神の啓示の書で、その言語の使用方法には一貫性があると信じています。つまり、聖書は約40人のユダヤ人著者によって書かれた書だと言われていますが、同時に神がその霊によって彼らを支配し、啓示された神の霊感の書で、統一性のある一つの書となっている事実に目を留める必要があります。それ故に、創1:2の「トフー ワァ ヴォフー」の意味を、特に旧約聖書のエレミヤ書の使用方法で理解することは大変重要な事だと思っています。

 

⑥天使の創造と堕落

創1:2になぜ否定的な茫漠として何もなく 「トフー ワァ ヴォフー」と「闇」o (ホーシェク)が存在するのでしょうか。その疑問を解くには、天使の堕落を説く以外に道はないと思います。

では創世記1:1と1:3の間にどのような否定的な事が起こったのでしょうか。創世記1:1の天地創造の時に、天使の創造があったことを聖書は教えています。それを証明しているのがヨブ記です。

◆ 「ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。38:5 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。 38:6 その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。 38:7 そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちは (ベン エロヒーム)みな喜び叫んだ」。

旧約聖書では「神の子ら」 (ベネー ハエロヒーム」は善天使と堕天使を含み、天使を意味して使用されています(創世記6:2、ヨブ1:6、2:1)。聖書は「星」も天使を象徴的に表す言葉として使用しています。天使のケルブがサタンに堕落する前には「明けの明星」と呼ばれていました(イザヤ14:12)。その悪魔によって堕落した3分1の堕天使も(黙12:4)星で象徴され、黙示録に啓示されているアジアの七つの教会の星も「み使いたち」だと説明されています(黙示録1:20)。

ヨブ記38:7は、現在の天地万物が創造された時には、すでに創世記1:1の初めの天地の創造の時に天使たちが創造され存在していたことを教えています。

天使には、ケリブ(複数形ではケリビム/創3:27)とセラピム(イザヤ6:2、黙示録4:7))と天使長のミカエル(ユダ9節)とガブリエル(ルカ1:26)、そして無数の天使たちが(へブル12:22、黙5:11)存在している事を聖書は教えています。サタンに堕落する前の天使はケリブと呼ばれ、美の極みで完全であったとエゼキエル書は教えています(エゼキエル28:12・15)。明けの明星と呼ばれ、美の極みと呼ばれたケルブがどうして悪魔(サタン)となったのでしょうか。そのいきさつをイザヤとエゼキエルが説いています。(参照イザヤ14:12~14、エゼキエル28:12~19)。彼は、傲慢になり創造主の神よりも自分を上に置き、自分が創造主に代わって神さまのように万物を支配したいという野望を抱いたのです。その為に、神の怒りをかい、創造主に仕えていた天から落とされ、更に、住まいとして与えられていた宝石に輝くエデンの園と呼ばれた地が塩水に変えられてしまったのです。そのケリブに対する裁きがあったことを創世記1:2は「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、・・」と表現しているのです。

私は、創1:1に創造された最初の地は植物世界ではなく、植物を必要とするどんな生物も恐竜も一切創造されていない地であったと理解しています。それは宝石に輝く世界であったのです。当然その地が裁かれて滅ぼされ「塩水」になっても、化石などは一切存在しません。私は間隙説を主張するものですが、それによって、その時に地球に死が入ったとかか、罪がその世界に入ったとか、化石が出来たとか、6日間の創造以前に生物、動物、アダム以前の魂なき人間が存在していたという説は一切退けています。それらは何の聖書的根拠がないからです。また、間隙説を唱える者は、キリストの福音を土台から崩していると、創造論者は主張をされますが、私が唱える堕落した悪魔に対する裁きがあったという間隙説は、人の為に主が十字架でなされた罪の赦しと福音の御業を支持しても、崩すものではありません。悪魔の堕落に対する裁きがあったという聖書的に正しい「間隙説」は、再創造としての6日間の前にその地に「死があった」とか「罪があった」とは論じていませんし、もちろん長い年月をかけて神が生物を進化させた創造されたという事も否定はしても決して肯定するものではありません。傲慢により堕落し悪魔になったケリブに対する裁きの故に「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、」という、否定的な状態になったという間隙説は、聖書の終末論とキリストの福音を正しく学ぶ上で非常に重要な真理なのです。

サタンは天から追放され、宝石に輝くエデンの園である地を失いましたが、それでも彼は空中にとどまることが許されました(参照:エペソ2:2)。彼は自分の住まいである空中より地にやって来て蛇に乗り移り、最初のアダムとエバを含め人間を罪に堕落させ、人間を誘惑して不幸にさせる事が許されました。また、万物を自分が支配するという野望を達成するために神に逆らい続ける事が許されたのです。そのようなサタンを、神様はご自分のお力で滅ぼすことをご自分の栄光とされずに、女と女の子孫によって対処する事を栄光とされたのです。それが創世記3:15の「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」でした。それは人間を罪に堕落させた悪魔への創造主の神さまの挑戦状でした。

聖書の終末論の学びは、黙示録21章22章の新天新地の創造に向けて、女と女の子孫によって悪魔を滅ぼす為の神の御心やご計画についての学びだとも言えるのです。

 

⑦悪魔の敵である女はだれか

では悪魔の敵として神が予定された女とは誰でしょうか。四つの解釈があります。1)「エバ」 2)「キリストの教会」 3)「マリヤ」 4)「イスラエル民族」。悪魔はメシヤ的千年王国の後に滅びますので、悪魔が敵対する「女」は終末まで存続する存在でなければなりません。そのような存在は、エバでもなく、キリストの教会でないことはキリストが教会から生まれていないので、はっきりとしています。教会は主の空中再臨の時には天に挙げられ、地上には教会はありませんので、悪魔の敵である「女」はキリストの花嫁なる教会でないことは明確です。残るは「母マリヤ」か「イスラエル民族」です。母マリヤは、キリストの産みの親ですので「女」は母マリヤだと解釈するのが妥当だと思います。その聖書的根拠はパウロの言葉にあります。「ガラ 4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました」。パウロは、キリストが「マリヤ」から生まれたと言わず「女」から生まれたと言っています。また、「時が満ちて」と言って、創世記3:15のメシヤの母となる「女」の預言の事を念頭に置いていた事は間違がないでしょう。しかし「マリヤ」は既に死んでいますので「マリヤだけ」と限定するとサタンの敵である「女」が現在いない事になります。その矛盾を解決するために聖書はサタンの敵であるメシヤを生んだ「女」が「マリヤ」であるとともに「イスラエル民族」であることを教えています。マリヤはイスラエル民族に属する女ですから、そのイスラエル民族はメシヤを生み、終末までサタンの敵として存続する民族として啓示されています。創世記3:15の「女」は「母マリヤ」でありまた「イスラエル民族」とであると、二重預言として解釈するのが正しいことになります。以上の解釈を裏付ける聖書的根拠は黙示録12章のメシヤを生んだ女、悪魔の攻撃を受け荒野に逃げ保護された「女」がイスラエル民族だと教えられている事にあります。(参照:黙示録12章1~18)。黙示録12章では、メシヤを生んだ女が、悪魔の敵であるメシヤを生む「女」がイスラエルを象徴する表現で教えられています。「一人のお女が太陽をおおい、月を下にし、12の星の冠を被っている」(12:1)。以上の聖書の言葉から原福音の「女」が「マリヤ」であり「イスラエル民族」である」という「二重預言」になっている事が分かります。

 

⑧悪魔が敵として絞ったターゲット

悪魔は自分の野望達成を妨げるのが誰であるのか、神さまから示された原福音の預言により「メシヤを生む女」と女が生むメシヤ」だとターゲットを絞ることができました。しかし、人類のどの女が自分の敵である子孫(メシヤ)を生むのかは当初においては悪魔に知らされていません。悪魔にとって、とにかく人類の女が敵となったのです。それで、彼は、女を堕落させる為に、堕落させることに取引で成功した無数の天使の中の3分の1の天使の中から、青年男子として人間界に送り、女と雑婚させる事に成功しました。(創世記6:2、Ⅱペテロ4:2、ユダ1:6・7、黙12:4)。しかし、一人忠実なノアの存在により、悪魔の策略は打ち破られました。悪魔を滅ぼすメシヤを生む女はノアの大洪水以降の女から出現する事となりました。それは漸進的啓示により、やがてその女はイスラエル民族でありマリヤであったという事が明確になりました。マリヤが、またイスラエル民族がメシヤを産んだ後は、メシヤはナザレのイエス・キリストだという事がはっきりし、悪魔の闘いの焦点はイスラエル民族とナザレのイエス・キリストの撲滅だという二つに絞られてきました。

【終わりに】

聖書の終末論を学ぶというのは、悪魔が創造主の全知全能の神さまに勝利し、神さまのように万物の王になるという自分の野望達成の為にどのようにしてキリストを滅ぼそうとしてきたのか、また、悪魔の子孫である反キリストがキリストに今後どのように歯向かおうとしているのか、その反キリストの戦略とそれに対する神さまの勝利を学ぶことを意味しています。更に悪魔がどのようにしてイスラエル民族(ユダヤ人)を滅ぼうそうとしてきたのか、また今後、どのようにして滅ぼそうとしているのかを学ぶ事をも意味しています。次回は創世記4章~の終末論を紹介させていただきます。ご意見、ご質問があればお寄せください。誤字脱字があると思いますがご容赦下さい。