2023年3月19日
シリーズ神学ミニレポート
牧師:佐藤勝徳
創世記の終末論Ⅱ
創世記4章~9章
【はじめに】
前回は、聖書66巻の終末論を正しく知るためには、天使ケルブが堕落し悪魔となったという、「悪魔の起源」を学ぶことの重要さをお伝えしました。今回は、創世記3章15節で、「女から生まれる子孫(メシヤ)」の事を知らされた悪魔が、それをどのように妨げようとしたのか、また、神さまが悪魔の妨害に対してどのように勝利をされたのか学びたいと思います。
1、ヘブル語原語「エット」の翻訳について
◆「創世4:1 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、【主】によって一人の男子を得た」と言った。」
以上の創世記4章1節で、日本語で「を」を意味するヘブル語の「エット」が3度使用されています。①「人はその妻エバを知った」 ②「彼女は身ごもってカインを産み」 ③「わたしは【主】によって一人の男子を得た」
以上の翻訳の中で、「わたしは【主】によってひとりの男子を得た」の「によって」がヘブル語原語に無いのです。その「によって」を省いて直訳しますと「わたしはひとりの男子、主を得た」となります。原語にない「によって」を省いて直訳すれば、3章15節の悪魔に語られたメシヤ預言をエバがどのように理解をしていたかが理解できるようになります。。彼女は、正に女から生まれてくる子孫であるメシヤはイコール主だと、メシヤは主なる神が人となられるお方だと理解をしていたのです。 多くの注解ではそのことが論じられていませんが、唯一、メシヤニックジューの牧師、アーノルド・フルクテンバウム博士が論じられています。博士は、ヘブル語原語には「によって」がなく、翻訳者たちが読者たちの理解を助ける為に、本来「を」と訳されるべきヘブル語原語「エット」を「によって」と意訳するという間違いを犯したと指摘しています。エバの言葉を原語通りに翻訳すると「私はひとりの男子、主を得た」であるとされています。つまり、エバは自分が神である主が人となられたメシヤのお母さんになったと思った事です。エバが自分をメシヤのお母さんだと思った事は明らかにまちがっていましたが、メシヤは「主なる神」が人となるという、メシヤは神であり人であるという「メシヤ神人」という理解は正しかった事を教えています。つまり創世記3章15節が預言するメシヤは、神が人となれるお方、神であり人であるという事をエバを通して神さまは教えられていたのです。それがカインを生んだ時のエバの発していた重要なメッセージだったのです。創世記4章1節は、女が生む終わりの時代に登場する「神であり人であるメシヤ」について預言していると言えるのです。
2、ミルトス発行のヘブライ語聖書対訳シリーズ創世記の翻訳について
ミルトス発行のヘブライ語聖書対訳シリーズ創世記ではエバの言葉を次のように教えています。「カニーティ(私は得た)イーシュ(男を) エット(と共に) アドナイ(主)」。直訳すると「私は男を主と共に得た」となります。しかし、「と共に」と訳されている「エット」はその文脈では「を」という意味で使用されているのです。その証拠に、ミルトスが「と共に」と翻訳している「エット」が創世記4:1と4:2では全て「を」と翻訳しているのです。「エバを知った」「カインを生み」「アベルを産んだ」「羊を飼う」。
◆「創4:1 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、【主】によって一人の男子を得た」と言った。4:2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。」
以上の事実は、A・フルクテンバウム博士が主張をされている通りにエバの発した感動の言葉は「私はひとりの男子、主を得た」と翻訳する事が正しい事を意味しています。A・フルクテンバウム博士は、エバの言葉をユダヤ教のラビたちがどのように解釈してきたのか、その変遷を「メシヤ的キリスト論」(発行ハーベストタイムミニストリーズ/メシヤ的キリスト論/佐野剛史訳P4~6)で教えておられます。
③創世記5章の終末論(人間の寿命)
創世記5章では、アダムから始まりノアまでの主な人物の誕生と死が啓示されています。アダムが罪を犯した結果、罪と死が世界に入ってきたことを教えています。しかし、その寿命は今日の私達からすれば、大変な長寿です。その一番寿命の長い人は969歳、一番寿命の短い人は807歳です。現代では長く生きても120歳でしょう。なぜ人間の寿命に昔と今とではそんなに大きな差が生まれてきたのでしょうか。私は当初、そのような長い寿命を信じられず、何か、比喩的な意味、霊的な意味があるのだろうと思っていました。しかし、創造論者の科学者に出会い、人間の寿命説を学んだ時、それは地球環境の激変により今日の人間の寿命が短くなってきた事を教えられ、納得ができました。人間の寿命が短くなってきたのは、昔より現代の環境が悪くなった結果だという見解は、聖書の記録と符合した現代の科学的調査による科学的事実がそれを教えています。その詳細は創世記10章~11章で論じることにします。
創世記5章の約6000年前のアダムの時代の人の寿命の長さは、やがてキリストの地上再臨によって実現するメシヤ的千年王国における信仰ある人の寿命が木のように長く1000年であるという約束の真実性を証明しています。(イザ65:20~22、黙20:1~7)。メシヤ的王国の住民は全てキリストを信じる人々でスタートします。例えばですが、30歳でメシヤ的王国の住民となった人は、今の私たちと変わらない朽ちる体ですが、決して死ぬ事無く1030歳まで生き、るのです。メシヤ的王国後に、その人の朽ちる体は永遠に朽ちない栄光の体に変えられ、黙示録21章20章に約束されている死も、罪も、病も、苦しみも、悲しみもない、永遠に喜びと平安が続く「新天新地」の神の御国へと導かれていくのです。
創世記5章は終末については何も語っていませんが、アダムの時代の寿命の長さはその時代の環境が良かったことを教えています。預言者イザヤはメシヤ的王国では、人間の寿命が木のように長くなると預言しています。それはメシヤ的千年王国の環境が大変良くなることを教えています。イザヤを初め多くの預言者が、メシヤ的王国の自然はまるでエデンの園が回復したような美しい自然となり、病気や怪我はほとんどないと預言しています。罪はありますが、サタンが1000年間「底知れぬ所(アビソス)」に閉じ込められているので、悪魔と悪霊どもによる悪と罪へ人間を誘惑する活動がなくなり(黙示20:1~3)、罪は大変少なります。死はありますが、不信仰な人でも最低100歳までは生きるのです。(イザヤ65:20)。しかし、キリストを信じている自然人(現代の私たちのように罪の性質をもって生まれた人々)の聖徒は朽ちる体を持ちながらも死ぬ事は決してないのです。それは、メシヤ的王国の自然環境がどれほど素晴らしいかを教えています。自然環境が良ければ人間は長生きすることをメシヤ的王国と、創世記5章が教え、互いに呼応しているのです。
◆「創5:27メトシェラの一生は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ」。
◆「イザ65:20 わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはやその中にいない。百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる」。
※呪われた人々は、メシヤ的王国で生まれたが、キリストを信じる事をしなかった不信仰な人々の事を意味しています
◆「イザ65:22わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく・・」
※わたしの民は、メシヤ的王国で生まれ、キリストを信じる信仰を持った人々を意味しています。
◆「黙20:1 また私は、御使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。20:2 彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、20:3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした」。
◆「黙示録20:6彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」。
6、創世記6章~9章の終末論
①世界がノアの時代に洪水で滅んだ原因
創世記6章~9章のノアの大洪水の歴史的記録は聖書にしばしば啓示されています。キリストは、ご自身が再臨される終末の時代は「ノアの時代のようだ」と教えられました(マタ24:37)。また使徒ペテロは、ノアの時代に世界が大洪水によって滅んだという歴史的事実をもとに、やがて罪に堕落した世界と宇宙が火によって轟音を立てながら滅ぶことを預言しています。
◆「Ⅱペテ 天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。」
預言者イザヤも詩篇の作者も「ノアの大洪水の出来事」を歴史的事実として取り上げています。
◆「イザ 54:9 これは、わたしにはノアの日のようだ。ノアの洪水が、再び地にやって来ることはないと、わたしは誓った。そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。」
◆「詩29:10 【主】は大洪水の前から御座に着いておられる。【主】はとこしえに王座に着いておられる」
ノアの時代に大洪水によって世界が一度滅んだという歴史的事実は現代の世界の終末を語る時に欠かせない歴史的出来事なのです。
ではなぜ、ノアの時代の世界が※BC2349年に大洪水によって滅ぼされてしまったのでしょうか。それはノアの時代は「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」という、人の悪と罪の増大にその原因がありました。その原因を聖書は次のように教えています。
◆「創6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
6:6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。 6:7 そして【主】は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」と。 ※アッシャー司教の年代記(ジェネセスジャパン発行のアダムからキリストまでの系図より)
②ノアの時代に悪が増大した原因
なぜ、ノアの時代の人間はそれほどひどい邪悪な存在になったのでしょうか。その原因を聖書は次のように教えています。
◆「さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、 6:2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。6:3 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。 6:4 神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。」
ノアの時代の人間が邪悪化した原因を聖書は「ネフィリム」の存在にあることを教えています。では、「ネフィリム」というのは、どのような存在なのでしょうか。纏めると次のようになります。
1)「神の子」と呼ばれる青年が人の娘たちに生ませた男子たち。
2)勇士であった。
3)名のある者たちであった。
ネフィリムについて以上の三つの事を聖書は教えています。日本語訳だけを読んでいると、良い存在であるかのように思われますが、実は非常に邪悪な存在なのです。その理由は、人の娘たちに生ませた神の子とは、堕落した天使達であったことです。しかし、「神の子」を信仰のあるセツの子孫の堕落した青年男子だと解釈するのが、多くの神学者の解釈です。「いのちの言社2011年12月25日発行/BIBLE NAVI (P16)」、「尾山令仁著/創世記(P136)」、「いのちの言社1995年4月1日発行/実用聖書注解P104」」、「いのちの言社昭和51年9月15日発行/新聖書注解/担当:舟喜 信(P109)」。しかしその解釈にはいくつかの問題点があります。
③神の子を人間(セツの家系)だと解釈する4つの問題
1)聖書的根拠がない。
旧約聖書において「神の子(ベネー エロヒーム)」という言葉は全て天使をさして使用されています。(ヨブ1:6、2:1・。38:7)。また、「マタ22:30 復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです」を掲げて、天使の性交渉を否定していますが、そこで言われている天使は「善天使」のことであり、天使は全て男性ですので、当然天使間でめとったり嫁いだりすることがありません。しかし、堕天使は、男性の体を受肉し、人間の娘と性的交渉を持つことが出来たことをユダ1:6は教えていますので、マタイ22:3をもって神の子がセツの堕落した子孫だという解釈は聖書的でないのです。
2)神学的根拠がない。
セツの信仰の家系の子孫が堕落するならば、青年男性だけでなく、青年女性も堕落するはずです。人が堕落していくときに、男性も女性もセットで堕落していきますので、セツの家系の青年男性だけが「堕落した」というのは神学的根拠がない事を意味しています。また、堕落した人間が、神の御心を訪ねずに、自分の好みで結婚相手を選ぶのは、ノアの時代の特別な罪ではなく、アダムにより、罪の堕落以降普通に行われていたので、神の子が自分の好みで結婚相手を勝手に選んだことをノアの時代の青年男子の特別な罪として取り上げる事は意味がありません。
3)異常な出産の理由が説明されていない
普通の人間同士の性交渉によれば、男性も女性も生まれるはずですが、神の子と人の娘たちの間に生まれた「ネフィリム」は全て男性であったという事です。「ネフィリム」が「勇士」であったと訳されている「ギボリーム」も、「名のある者たち」と訳されている「アンシェーム ハシャム」もすべて男性形が使用されています。生まれてくる子がなぜ全て男の子なのでしょうか。その理由の説明がありません
※異常な出産の理由は次の通りです。
創世記3章15節で神さまより示された悪魔の敵であるメシヤを生む女を悪魔が忌み嫌い、女子たちによる普通の出産を妨害し、メシヤでない男子を出産させて、メシヤの出現を妨げようとしたのです。それが、男子だけの出産という異常さの理由です
4)新約聖書よりの説明が不十分
新約聖書ユダ書で、堕天使が性的罪を犯したことが明記されていますが、その時がいつか明確に啓示されていません。それをもって、ノアの時代に堕天使が性的罪を犯したという聖書的根拠とはならないとしています。確かにユダ書の「ユダ 1:6 また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。1:7 また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています」という、堕天使の性的罪の説明では、その罪がいつ犯されたのか、明記されていません。しかし、堕天使である悪霊に対する、裁きについては、ペテロ書でそれが「ノアの時代」であったことを教えています。「Ⅱペテ2:4 神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。2:5 また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義をのべ伝えたノアたち八人を保護されました」。ユダ書とペテロ書を合わせれば、性的罪を犯した堕天使はノアの時代の堕天使だという事がはっきりしています。
④ゲルハルト・フォン・ラートの解釈
ゲルハルト・フォン・ラートは、創世紀6章2節の「神の子」が人間か堕天使かという、難しい解釈問題について
結論として以下のように見解を示しています。
「教会の最初期から現在に至るまで繰り返し問われてきた、ここで言う「神の子ら」が天使なのか、それとも人間――すなわちより良い「セツ系の人類」の一員――なのかという問題には、すでに最終的な決着が付けられたといってよい。ここで、人間の娘たちと明瞭に対比されている「ベネー・ハーエローヒーム」(神の息子たち)は天上の世界に住む存在である・・・・・これらの天使たちは人間の娘たちの美しさに魅せられて大きな罪を犯す。彼らの秩序から堕落し、放縦の限りを尽くして彼女たちと交わったのである」(1993年2月1日発行ATD旧約聖書注解/創世記/P182)
⑤「ネフィリム」について
英訳では「ネフィリム」を“giants”(ジャイアンツ)と翻訳していますが、 70人訳聖書では「ギガンテス」と訳し、ルターは「巨大な者たち」と訳していると言われます。(ATD旧約聖書注解創世記/P184) “giants”(ジャイアンツ)は「巨人」という意味ですが、「ネフリィリム」は体が大きいという意味の「巨人」ではないと言われています。ただ異常に力強く、知恵や知識において超人的なものがあったことは間違いがありませんので、「勇士」とか「名のある者たち」と呼ばれていました。ギガンテスは、ギリシャ神話に出てくる「半分神で半分人間」「半分獣で半分人間」という、大変異常な想像上の存在です。どうしてギリシャ神話においてギガンテスが考えられたのでしょうか。それは創世記の6章において神の子が人の娘たちに生ませた「ネフィリム」の存在からから思いついたと言われています。(フルクテンバウム博士の説明)
⑥堕天使と人の娘との性関係について
堕落した天使がどのようにして人の娘と性関係持ったのか、二つの説があります。一つはゲルハルト・フォン・ラートが主張するように、神の子である堕落天使が人となって人間の娘と直接性交渉を行ったという説です。もう一つは、創造論者のヘンリー・M・モリスがその著書である創世記の記録で言うように「人間の子である神の子が堕落した天使のようになり、人間の青年男性や女性に憑いて、堕落した性交渉を行わせ、多くの子供を産ました」という説です。どちらを聖書は教えているのでしょうか。ユダ書を見れば、「堕天使が人となって人の娘と性的関係を持った」が正しい解釈だと判断できます。聖書は善天使も堕天使もすべて男性形を使用していますので、堕天使が人となる時は男性として人となります。それ故に人の美しい娘と性交渉をした「神の子」は堕天使であったと解釈するのが聖書的にも神学的にも正しいのです。
堕天使(悪霊)が青年男性になって人の娘たちの間に産ませた「ネフィリム」は超人的な力、超人的な知恵や知識によって、ノアの時代の人々をますます不信仰と悪へと堕落させていったのです。それ故に、「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く・・」(創6:5)という邪悪な者となり、その結果、大洪水によって滅びるという神の裁きを受けたのです。
では、なぜサタンは自分の手下である堕天使(悪霊)を青年男性として遣わしたのでしょうか。それは、創世記3:15で、神が預言された「原福音」の中に、女がサタンの敵であり、その女の子孫によってサタンの敗北が告知らされていた事にありました。しかし、ノアの時代においては、どのような女がサタンの敵なのかまだ明確に啓示されていなかったので、サタンはとりあえず、人類の女を堕落させ、メシヤが生まれないようにすれば良いと判断したのでしょう。しかし、忠実な一人の人間ノアによって、彼の戦略は失敗し、メシヤが女を通して生まれるという神のご計画はノアの大洪水後も継続していきました。
ノアの大洪水の出来事は、神に代わってサタンは自分が世界の王、宇宙の王となるために、神のご計画を潰しにかかった戦略に対する神の勝利の物語であるのです。それ故に、陰府に下った霊なるキリストが「タータラス」(地獄と翻訳されている)に閉じ込められている(Ⅱペテロ2:4)ノアの時代の堕落した堕天使たち(悪霊ども)に改めて勝利の宣告をされたのです。「Ⅰペテ3:19その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。」※新改訳聖書第3版で「みことばを語った」と翻訳されているギリシャ語には「みことば」がなく、宣告という意味の言語だけが使用されています。それは裁判官が有罪判決を下すときに使用されている言葉ですので、「みことばを語った」と翻訳しないで「宣告」あるいは「宣言」と翻訳する事が正しいと思います。新改訳2017年版では「宣言されました」と翻訳しなおされています。
【終わりに】
悪魔は、「女の子孫から誕生するメシヤによって悪魔に勝利する」と言う神の御計画を阻止する為に、自分の配下においている堕落天使を肉体を持った青年として世界に遣わし、人間の女性との間に「ネフィリム」を多く出産させて、多くの普通の人間を更に罪と悪へと堕落させる事に成功しました。しかし、ノアと言う忠実な一人の聖徒の存在で、神さまは、悪魔の妨害を打ち破りました。それが「ノアの大洪水」の出来事でした。神さまに恵みによってノアの家族8人が、大洪水の中で箱舟によって生き延びるようにされました。それによって、終わり時代に「女からメシヤが誕生する」という神さまのご計画が、ノアの大洪水後の世界の歴史の中で続けて展開される事になりました。その神さまのご計画に対して、悪魔は、再びそれを阻止する為に、新たなら妨害計画を立てました。次回は、その悪魔の妨害と神さまの勝利の出来事をお伝えします。