シリーズ神学ミニレポート
2023年4月恵日
牧師:佐藤勝徳
創世記の終末論Ⅵ
創世記26章~36章

【はじめに】

神が、「女の子孫」つまり、アブラハムの子孫から出現するメシヤ(イエス・キリスト)によって、全宇宙の王になる野望を抱いている悪魔の頭を踏み砕きながら、黙示録21章の新天新地の永遠の神の国を実現して行く為に、アブラハムとその子孫とアブラハム契約を結ばれましたことをこれまでお伝えしてきました。今回も更に神がアブラハム契約をどのように進展されて行かれたのか、又、悪魔がそれをどのように阻止しようとしたのかをお伝えしたいと思います。

 

Ⅰ創世記26章の終末論

1、神がイサクと結ばれた9回目のアブラハム契約

「創26:2主】はイサクに現れて言われた。「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい。26:3 あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。あなたとあなたの子孫に、わたしがこれらの国々をすべて与える。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。26:4 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与える。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。26:5 これは、アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの命令と掟とおしえを守って、わたしへの務めを果たしたからである。」

以上の聖書個所は、神が、アブラハムと結ばれた「アブラハム契約」をアブラハムの息子イサクと改めて交わされた事が啓示されています。9回目のアブラハム契約です。その契約条項は以下の通りです

契約はイサクにとどまらず彼の子孫に継承される

イサクが滞在している地の国々を全部与える

アブラハムとの契約(誓い)を果たす

イサクの子孫を空の星のように増し加える

イサクの子孫によって地の全ての国々は祝福を受ける

 以上のイサクと結ばれた契約によってアブラハム契約がイサクに継承された事が明確にされました。

 

Ⅱ創世記27章と28章の終末論

1、神がヤコブと交わされた10回目のアブラハム契約

「創 28:3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。 28:4 神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」

以上の、神がヤコブと結ばれた約束は、アブラハム契約の継承となっていますので、ここで神は第10回目のアブラハム契約をヤコブと結ばれた事になります。

 

2、ヤコブがアブラハム契約の継承者

創世記27章は、年老いて目のかすんだイサクはヤコブに騙されて長兄のエソウだと思わされ、本来ならば長兄のエソウに継承させるはずの祝福をヤコブに与えてしまいました。そのヤコブの嘘には母リベカの入れ知恵がありました。しかし、たとえイサクがヤコブに騙されて間違ってヤコブに祝福を継承させたとしても、それは有効な事として神より示されたイサクは、創世記28章において、改めてヤコブを祝福し、ヤコブがアブラハム契約の継承者として立てられている事をヤコブに告げました。その内容は以下の通りです。

全能の神が祝福されるように。

多くの子どもが与えられ、子孫が増えるように。

多くの民の集いとなるように。

アブラハムへの神の祝福がヤコブとヤコブの子孫に授けられるように。

アブラハムに約束された約束の地を継承させてくださるように

イサクのヤコブの為の祝福の祈りは、アブラハム契約がエソウにではなくヤコブが継承するものだと知らされての祈りとなっています。それは、ヤコブが生まれたときに、すでに母リベカに啓示されていました。

「創25:23 すると【主】は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。

一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える」。

兄が弟に仕えるという事は、神がヤコブを愛された事だと預言者マラキは教え、それはエソウを憎みヤコブを愛された事だとパウロは教えています。

「マラ 1:2 「わたしはあなたがたを愛している。──【主】は言われる──しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。エサウはヤコブの兄ではなかったか。──【主】のことば──しかし、わたしはヤコブを愛した。・・・」

「ロマ 9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書かれているとおりです」。

神がエソウを「憎む」と言う意味は、人間が持つ邪悪な悪意に満ちた意味の「憎む」ではありません、神の愛と正義にに基づく善意によって「選ばなかった」と言う意味です。イスラエルでは、物を買う時に、どちらを選べば良いのかAかBか迷った末Aを選んだ時に、「Aを愛しBを憎んだ」と表現すると言われています。

 

2、ヤコブはどんな人であったのか

母の入れ知恵であったとしてしてもヤコブが父のイサクをだますという行為は道徳的義からすれば決して許されるものではありません。それは道徳的犯罪になります。しかし、それでも、神の祝福とアブラハム契約の継承者はヤコブにすると神は決定をされていました。それは、ヤコブがやがて信仰による義という「信仰義認」の恵みに与る事を神はご存じであったのです。彼は、神が自分を守って下さるという事を100%信じ切る信仰を持ちましたので、父祖アブラハムのように信仰によって義とされたのです。それが28章において明確にされていきます。

ヤコブは、双子で生まれた兄エソウのかかとをつかんで生まれてきたので、名前の如く「エゴの強い、狡猾な良くない人物」だと多くの神学者が説いています。しかし、それはヤコブへの偏見です。その偏見により次のようにヤコブの人間性が翻訳されています。「創25:27 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた」。この翻訳により、ヤコブは後にお兄さんのエソウと父イサクをだましたので、穏やかであるがエゴの強い狡猾な人物だと解釈されるようになりました。以下にそのいくつかを紹介しておきます。

UBF(大学生聖書読み宣教会の注解)

「彼は母の胎内から先に出るために戦いましたが、力不足で後になりました。それでも彼はあきらめず、兄のかかとをつかんで出て来ました。彼は少しの差で自分が次男になったことを悔しがっていました。彼は自分の運命を悲しむしかありませんでした。しかし、彼はあきらめず、どうすれば長子の権利を奪い取れるかを考えていた時、煮物一杯でその権利を買おうとしたのです」(インターネットより)

②BIBLE naviの注解

「ヤコブの名前には『かかとをつかむ』」(比喩的に「だます」)という意味がある」。(P49)

③尾山令仁の「創世記注解」

「ヤコブという名前は・・・ヤコブが兄のエソウをつかんで生まれてきたことは、彼がエソウを押しのけることを表している。・・一方ヤコブはずるがしこく、利己的である代わりに宗教的で、穏やかであり、家庭の人となっていく・・」

(創世記注解P345-346)

しかし、以上の「穏やかな人」の「穏やか」は、ノアやヨブが「完全な人」と呼ばれている時に使用されている「完全な」とか「汚れがない」というヘブル語の’タム[形]が使用されています(創世記6:9、ヨブ1:1)。なので本来ならば、ヤコブに関してもノアやヨブの事を「全き人」と訳したように、「全き人」と訳されるべきものなのです。しかし、おそらく置換神学者の影響で、イスラエルを退ける為に、ヤコブが穏やかであるがエゴが強く狡猾で良くない人という解釈がキリスト教会に定着してきたのではないかと思います。しかし、ヤコブは決してそのような人ではないのです。ヤコブという名は、その誕生の様子が「兄エソウ」のかかとをつかんでいたので、その様子をもって「ヤコブ」とつけたにすぎません。預言者ホセアは兄エソウのかかとをつかんで生まれてきたヤコブを性格ではなく、神と格闘して勝つほどに肉体と意志の力が強かったと説明をしています(ホセア12:3・4)。それ以外の理由はないのです。彼は神からノアやヨブのように「全き人」と認められていたのです。「全き人」というのは、「神を恐れ、神と共に歩んだ人」と意味で使用されています。それ故に、彼は、神との親しい交わりの中に生きつつも、ヤコブが神に愛されている事を知っていた母リベカの偽りの策に一度は断ったのですが、痛みながらもそれに従い兄エソウの長子権と祝福を得たというのが、正しい解釈だと思います。その証拠に、だまされてヤコブを祝福した父イサクは、その出来事の背後に神の摂理を読み取って、エソウを祝福せず、ヤコブの事を「創27:33彼は必ず祝福されるだろう。」と言い、改めて祝福を宣言しました。ヤコブの信仰による偽りを神はアブラハム契約の故に許可されながらも、責める事は一切されていないのが不思議としか言いようがありません。

信仰による偽りで、長子の特権を獲得した為に、ヤコブは兄のエソウに憎まれ殺されそうになりました。その事を知ったヤコブは父イサクと母リベカと分かれ、旅立ちましたが、父イサクに祝福されて旅立ったのです。「創28:1イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。28:2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。28:3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。28:4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえが今寄留しているこの地を継がせてくださるように。」

父イサクから「アブラハム契約」に基づく祝福を受けて叔父ラバンのところへと旅立ったヤコブですが、その途上、神が現われましたが、主は彼をとがめだてることを一切されていません。それどころか祝福を約束されました(創28:13~15 )。彼が「信仰による義」に与っている事を教えています。

以上の事から、ヤコブが神の御心に従って行動した人物だという事が読み取れます。彼は、神の御前に全き人(パーフェクト)であったのです。

「創6:9これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人(タミーム)であった。ノアは神とともに歩んだ。」

「ヨブ1:1 ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く(タム)、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」

 

3、ヤコブと交わされた10回目のアブラハム契約

「創28:13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。 28:15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」

アブラハム契約がイサクに継承され、イサクからヤコブに継承されている事を、以上の神のヤコブへの契約からも知ることが出来ます。そのヤコブと交わされたアブラハム契約の内容は以下の通りです。

あなたが伏している地を、ヤコブとその子孫に与える

ヤコブの子孫がちりのように多くなる

ヤコブの子孫が西、東、北、南にひろがり、地の所属がヤコブとその子孫によって祝福を受ける

神はヤコブと共にいて守り、故郷に地に連れ帰る

神はヤコブを決して捨てない。

神はヤコブに約束した事を実行する。

以上の神がヤコブと交わされた10回目の「アブラハム契約」の条項④と⑤はヤコブが地上に生きている間に実現されましたが、①~③は現在に至るまで、まだ実現をしていません。その実現は終末に実現する「メシヤ的王国」を待たなければなりません。神は終末のメシヤ的王国においてヤコブを甦らせ、約束を必ず実現されるのです。

 

Ⅲ創世記29章~31章の終末論

 創世記29章~31章は、神がアブラハム契約の継承者であるヤコブの子どもたちの出産の出来事が記録されています。ヤコブは、自分のお母さんリベカの兄であるラバンおじさんの二人の娘と結婚をします。姉のレアと妹ラケルです。ヤコブはラケルを深く愛します。その二人の間に「出産バトル」が始まります。姉のラケルは、「ルベン、シメオン、レビ、ユダ」を先ず自分で生みます。それを妬ましく思った子を産めない体の妹ラケルは、夫ヤコブに自分に仕えている女奴隷ビルハを与えて「ダンとナフタリ」を生ませます。出産が止まった姉のレアは、夫の心が自分に向くように、自分に仕えている女奴隷ジルバを与えて「ガドとアシェル」を生ませます。その後、出産に効果があるとされる「恋なすび」をめぐって出産が続きます。レアは再び子を産みます。二人の男の子と一人の女の子です。二人の男の子の名は「イッサカルとゼブルン」です。女の子の名は「ディナ」です。恋なすびを手に入れたラケルは神さまの憐れみでついに自分で息子を生みます。それが「ヨセフ」でした。

 以上、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフの11人男の子がヤコブに与えられました。後に、ラケルが「ベニヤミン」を生みますが、ラケルはベニヤミンを出産した後に亡くなります。

イスラエルの12部族のそれぞれの先祖は、レアとラケルの激しい「出産バトル」によって出現したのです。神は世界の祝福の為に、以上のような「出産バトル」で出現した12部族で構成されるるイスラエル民族を歴史の中心に置きながら、終末に向かって歴史を進めて行かれます。それ故に、神は目の瞳のように愛されている事が聖書に教えられています。それ故に、ユダヤ人を迫害する者は神の瞳触れる者として、神の怒りを買う事が聖書に教えられています

「ゼカ 2:8 あなたがたを略奪した国々に主の栄光が私を遣わした後、万軍の【主】がこう言われたからだ。『あなたがたに触れる者は、わたしの瞳に触れる者。』・・」

「申 32:10 主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。」

 

Ⅳ創世記32章の終末論

「創32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。32:23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたがと、またと戦って、勝ったからだ。」32:29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。32:30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせてを見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。」32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。」

 

1、ヤコブにイスラエルという名が与えられる

ヤコブがイスラエルという名を新しく与えられたのは、彼がヤボク川の渡しの場のあるところで、「人であり神である」お方と格闘して勝ったことを記念して祝福された事にありました。イスラエルという名の意味は、「神と戦った者」あるいは「神の支配」という意味であるとも教えられています。イスラエルという名は、ヤコブとその子孫に与えられた「神の特別な愛称」として聖書は使用しています。悪魔はその時から、敵をヤコブの子孫であるイスラエルに焦点を絞るこようになりました。

 

2、イスラエルの神

 神がヤコブに与えられた「イスラエル」という名を持つヤコブの子孫をどれほど愛されているのか、聖書はその神の愛を啓示しています。神はご自身を「イスラエルの神」と呼ばれ、イスラエルとご自身との密接な関係を教えておられます。それは聖書全体で195回も使用されています。何故でしょうか。神が御自身を「イスラエルの神」と呼ばれる理由は二つあります。まず、アブラハム契約は無条件契約ですので、成就するまで必ず続く契約です。その契約がイサク・ヤコブ(イスラエル)に受け継がれているので神はイスラエルと契約を結んだ神として「イスラエルの神」という呼称でその事を強調されている事です。二つ目の理由は神がイスラエルと永遠の契約を結ばれた故に、イスラエルを民族として特別に永遠に愛されている事が強調されている事です。神は選民として選ばれたイスラエル民族を民族として永遠に忘れてない事を、聖書を読む者に強く印象付け理解させるために、神は繰り返し「私はイスラエルの神だ」と宣言し続けられているのです。

 

◆「イスラエルの神」が聖書の各書で使用されている

①出エジプト記で4回使用(5:1、24:10、32:27、34:23) ②民数記で1回使用(16:9)③ヨシュア記で14回使用(7:13、

7:19、7:20、8:30、他)④士師記で7回使用(4:6、5:3、5:5、6:8、11:21、1他)⑤ルツ記で1回使(2:12) ⑥Ⅰサムエル15

回使用(1:17、2:30、5:7、5:8、5:10他)⑧Ⅰ列王で20回使用(1:30、1:48、8:15、8:17、8:20他)⑨Ⅱ列王9回使用(9:6

10:3、14:25、18:5、19:15、他)⑩Ⅰ歴代史で14回使用(4:10、15:12、15:14、16:4、他)⑪Ⅱ歴代史で22回使用、2:12、

6:4、6:7、6:10、6:146他)⑫エズラ記で13回使用(1:3、3:2、4:1、4:3、5:1、6:14他)⑬詩篇で8回使用(41:13、59:68:35、

69:6、72:18他)⑭イザヤ書で13回使用(17:6、21:10、21:17、24:15、他)⑮エレミヤ書で49回使用(7:3、7:21、9:15、

1:3、他)⑯ゼキエル書で7回使用(8:4、9:3、10:19、10:20他)⑰ゼパニア書では1回使用(2:9)⑱マラキ書で1回使用

(2:16)⑲マタイ伝で1回使用(ルカ15:31)⑲ルカ伝で1回使用(1:68)⑳使徒行伝で1回使用(13:17)

 

◆イスラエルの聖なる者

イスラエルの神以外に「イスラエルの聖なる者」という呼び方をもって、主なる神が如何に契約の民であるイスラエルを愛されているかを聖書は教えています。

①Ⅱ列王1回使用(19:2)②イザヤ8回使用(37:23、41:14・16・20・43:3・49:7他)③エゼキエル1回使用 39:7 )

神が永遠に(時間的無限の意味)イスラエルを愛されている事を、黙示録21章の新天新地の天から降りてきた「新エルサレム」の都の門にイスラエル12部族の名が永遠に刻まれている事でも教えられています。神はイスラエルを永遠に愛されているのです。また、「神の民」(単数形)と呼ばれているのも「イスラエル民族」に限って聖書は使用をしています。また、聖書は現代の教会を指して「イスラエル」とか「神の民(単数形)」」と呼んでいないのです。

「黙21:12 都には、大きな高い城壁があり、十二の門があった。門の上には十二人の御使いがいた。また、名前が刻まれていたが、それはイスラエルの子らの十二部族の名前であった。」

イスラエルの神は永遠にイスラエルの神だと聖書は教えています。

 創世記34章と35章の終末論

「創34:25 三日目になって、彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブの二人の息子、ディナの兄シメオンとレビが、それぞれ剣を取って難なくその町を襲い、すべての男たちを殺した。34:26 彼らはハモルとその子シェケムを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出した。34:27 ヤコブの息子たちは、刺し殺された者のところに来て、その町を略奪した。自分たちの妹が汚されたからである。34:28 彼らは、その人たちの羊や牛やろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、34:29 その人たちの全財産、幼子、妻たち、家にあるすべてのものを捕虜にしたり略奪したりした。34:30 それで、ヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは私に困ったことをして、私をこの地の住民カナン人とペリジ人に憎まれるようにしてしまった。私は数では劣っている。彼らが一緒に集まって私を攻め、私を打つなら、私も家の者も根絶やしにされてしまうだろう。」

1、イスラエル絶滅の危機と神の守り

ヤコブの娘ディナが、シェケムに辱められた事で彼女の兄たちはシェケムの町の全ての男子を皆殺しにし、又、略奪を行ったことが、創世記34章に啓示されています。その事を知った父ヤコブは大変嘆き、自分たちが憎まれて絶滅させられると予感し、息子たちを厳しく叱責をしました。おそらくこの歴史的出来事の背後には、ヤコブとその子孫を敵とする「悪魔」のイスラエルを絶滅させようとする策略が働いていたものと思われます。しかし35章を見ると、神がヤコブとその息子たちを憎む、その地方の人たちに、恐怖を与えて追撃を止めさせている事が教えられています。神は、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた「アブラハム契約」の故に、ヤコブの息子達の罪を赦し憐れまれました。もし、アブラハム契約がなければ、ヤコブの息子たちの行ったシェケムの人たちに対する殺人と強奪の罪は、神の怒りをかい周辺の町々の人たちによって滅ぼされていた事でしょう。「創35:5 彼らが旅立つと、神からの恐怖が周りの町々に下ったので、だれもヤコブの息子たちの後を追わなかった。」

                                              

2、ヤコブへのアブラハム契約継承の啓示(11回目のアブラハム契約)

創35:11 神はまた、彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。増えよ。一つの国民が、国民の群れが、あなたから出る。王たちがあなたの腰から生まれ出る。35:12 わたしは、アブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与える。あなたの後の子孫にも、その地を与えよう。」

創世記35:11~12では、アブラハム契約がヤコブに継承される事が約束されています。その内容は以下の通りです。

多くの子孫が生まれる。

多くの子孫の中より多くの王が生まれる。

アブラハムとイサクに約束した土地をヤコブとその子孫に与える

アブラハム契約はイサクとヤコブにそしてヤコブの子孫であるイスラエルに継承される事が約束されています。神は約束した事は必ず実現される真実なお方ですので、アブラハムとイサクとヤコブを甦らせ、また、終末時代のイスラエルを全部救ってその事を「メシヤ的王国」において必ず実現されるのです。 「ロマ11:26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。」

 

 

 

Ⅵ 創世記36章の終末論

「創36:43 首長マグディエル、首長イラム。これらはエドムの首長であり、所有地で住んでいた場所ごとに挙げたものである。エドム人の先祖はエサウである。」

創世記36章は、特別に終末について教えていませんが、ただエソウを始祖とするエドム人の住む土地は、終末時代に大きな役割を果たすことがイザヤ書預言されています。

①反キリストの軍隊よりイスラエルを神が守られる地はエドムのボツラである。

「イザ 34:6 【主】の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊とやぎの血、雄羊の腎臓の脂肪で。【主】がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大虐殺をされるからだ。」

「イザ 63:1 「エドムから来るこの方はだれだろう。ボツラから深紅の衣を着て来る方は。その装いには威光があり、大いなる力をもって進んで来る。」「わたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者。」(参照:黙12:6)

②メシヤ的王国でエドムは茫漠とした空虚な場所となる

「イザ34:8 それは【主】の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年だからだ。34:9 エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わる。その地は燃えるピッチになる34:10 それは夜も昼も消えず、その煙はいつまでも立ち上る。そこは代々にわたって廃墟となり、もうそこを通る者はだれもいない。34:11 ふくろうと針ねずみがそこをわがものとし、みみずくと烏がそこに住む。主はその上に茫漠の測り縄を張り、空虚の重りを下げる。」

メシヤ的王国は、キリストが支配する平和な世界ですが、それでも罪に堕落した世界である事を教えるために、エドムを茫漠とした空虚な場所にする事を主はご計画されています。

 

【終わりに】

 今回も、アブラハム契約が繰り返し教えられていました。神は、嘘をついたヤコブやシェケムの人たちを虐殺したヤコブの子どもたちを、アブラハム契約による「契約の義」によって保護されました。「終末論」を学ぶ上で、イスラエルと結ばれたアブラハム契約に基づく神の「契約の義」をもって、神がイスラエルの歴史に深く関わておらる事は、聖書の終末論を学ぶ上で非常に大切な真理となっています。神さまは、悪魔を滅ぼす悪魔対策のために、「アブラハム契約」をイスラエルを護る強固な「擁壁」にされているのです。