シリーズ神学ミニレポート 2023年5月24日
牧師:佐藤勝徳
出エジプト記の終末論Ⅱ
出エジプト記15章~17章

【はじめに】

前回の出エジプト記の終末論Ⅰでは、サタンが自分の野望である「神の代わって宇宙の王の王となる」という野望実現の為に、神が祝福しようとする「イスラエル」をエジプトのパロの手によって滅ぼうそうとしたが、神さまがアブラハム契約の故に「イスラエル」を守られた事をお伝えしました。今回も、その続きと共に、サタンが新たにアマレク人を通して、イスラエルの絶滅図ろうとした事をお伝えします。更に、反ユダヤ主義から生まれた「置換神学」の事と現代の反ユダヤ主義の動向を一部お伝えします。

 

 出エジプト記第15章の終末論

1、エジプトのファラオ王の兵隊よりイスラエルを守る為に、神さまが紅海を二つに分け紅海を渡らせた神の御業は、終末における第2回目の離散の民を帰還させる予型となっている

「出15:19 ファラオの馬が戦車や騎兵とともに海の中に入ったとき、【主】は海の水を彼らの上に戻された。しかし、イスラエルの子らは海の真ん中で乾いた地面を歩いて行った。」

出エジプト記第15章は、追跡してきたファラオのエジプトの軍隊より、イスラエルを守る為に紅海を二つに分けてそこを通らせ、後から追跡をしてきたエジプトの軍隊を海を元に戻し悉く滅ぼされた神の愛と正義の御業を賛美する賛美で満ちています。15章19節はその賛美の締めくくりの賛美となっています。海底に道を設けてイスラエルをエジプトから解放されたという御業は、反キリストにより再び世界に散らされた終末のイスラエルを信仰ある状態で約束の地に帰還させる時に、エジプトの大きな川を七つの小さな川にして、エジプトにいるイスラエルの民がその川を履物で歩いて渡れるようにするという、神の奇跡の御業の予型となっています。イザヤがそれを預言しています。第2回目の世界への離散の地は主にエドムのボツラですが、エジプトにも離散する民がいるようです。

「イザ11:15 【主】はエジプトの海の入江を干上がらせ、また、その焼けつく風の中で御手をその川に向かって振り動かし、それを打って七つの水無し川とし、履き物のままで歩けるようにする。11:16 残されている御民の残りの者のためにアッシリアから大路が備えられる。イスラエルがエジプトの地から上って来た日に、イスラエルのために備えられたように。」

◆イザヤ11:15aの他の翻訳

【口語訳】「11:15 主はエジプトの海の舌をからし、川の上に手を振って熱い風を吹かせ、その川を打って七つの川となし、くつをぬらさないで渡らせられる。」

【新共同訳】「主はエジプトの海の入り江を干上がらせ/ 御手を大河の上に振って、強風を起こし/それを打って七つの流れとし/サンダルのまま渡れるようにされる。」

【NKJV】“The Lord will utterly destroy the tongue of the Sea of Egypt;With His mighty wind He will shake His fist over the River,And strike it in the seven streams,And make men cross over dry-shod.”

【TEV】「The Lord will dry up the Gulf of Suez, and he will bring a hot wind to dry up the Euphrates, leaving only seven tiny streams, so that anyone can walk across.

新改訳では「七つの水無し川」と訳されていますが、他の訳では「水無し」はなく「七つの川(流れ)」と訳されています。いずれにしても、エジプトのディアスポラ(離散の民)であるユダヤ人が、神が設けてくださった奇跡の乾いた道を歩いて約束の地に帰還する事は間違いがありません。その時期は、再臨の主が反キリストの軍隊を滅ぼした後に75日間かけて痛んだ世界の自然を修復される時に起こるでしょう(参照:ダニエル12:11、12)。

◆イスラエルの約束の地への帰還の約束

1)イスラエルの不信仰な状態での帰還の約束

イスラエルの約束の地への帰還には、不信仰な状態での帰還の約束と、信仰ある状態での帰還の約束とがあり、不信仰な状態での帰還の約束については、エゼキエル36:22-42、ゼパニヤ2:1-2を参照してください。

2)イスラエルの信仰ある状態での帰還の約束

イザヤ11章11節~16節の帰還の約束はイスラエルが信仰ある状態での帰還の約束となっています。それは

11章13節でイスラエルの民が互いに敵する事がない祝福の状態となる事、14節のイスラエルが周辺諸国を支配するという祝福が約束されている事で理解ができます。

3)二度以外の帰還の約束はない

イザヤ11章では、約束の地への帰還が二度目であることが預言されています。「イザ11:11その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。残っている者をアッシリヤ、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シヌアル、ハマテ、海の島々から買い取られる」。その二度目の帰還で、神の怒りはイスラエルから去っていくことがイザヤ12章1節で預言されています。「イザ12:1その日あなたは言う。「【主】よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです」。

二度目の帰還で、イスラエルの神の怒りは去ったという事は、再び神の怒りによってイスラエルが世界に散らされる事はないという事を意味しています。イスラエルは、長い歴史の中でいつもその不信仰の故に神の怒りを受け続けてきたのですが、二度目の帰還において彼ら再び神の怒りを受けることがない霊的に素晴らしい民族となり、それが1000年間続くことが約束されています。(参照:エレミヤ31:33-34、黙示20:1-6)

◆新改訳のイザヤ12章1節の「あなたの怒りは去り・・」の他の翻訳

1)口語訳:「その怒りはやんで、・・」 2)新共同訳j:「その怒りを翻し、・・」 3) NKJV:“Your anger is turned away,”

4) TEV:“angry no longer.”

以上の、イスラエルに対する神の約束の地への帰還が二度だけで終わるという預言は何を意味しているのでし

ょうか。それは、1948年5月14日にのイスラエル共和国の樹立したことが、単なる政治的策略の政治的現象という人間のなした業ではなく、「不信仰な状態でイスラエルを約束の地に帰還させる」という約束を神が超自然的な御業によって成就された事を意味しています。現在、世界の190ヶ国から、ユダヤ人が約束の地に帰還している事も、それが聖書の預言の成就である事を教えています。

神の御手によって帰還の約束が成就した1948年5月14日を起点に神は一気に7年の大艱難時代とメシヤ的王国の実現に向けて世界の歴史のスピードを上げておられます。イザヤが次のように教えています。イ「ザ60:22わたしは【主】。時が来れば、速やかにそれをする。」キリストが教えられたように、時のしるしを見分ける霊的感性が今ほどキリスト者に求められている時代はないでしょう。「マタ24:32 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。」「マタ 16:3 朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ』と言います。空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのですか。」

 

2、病気の無いイスラエル国家はメシヤ的王国で実現する

「出15:26 言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」

出エジプト記15章26節では、イスラエルが神に対して従順であれば、エジプト人に下した病気は一切ないことが約束されています。

イスラエルの民が病気にならない条件は「神への従順」です。しかし、これまでのイスラエル民族の歴史は神への「不従順の歴史」でした。彼らはキリストを十字架にかけて殺したのです。今日においても、多くのユダヤ人がキリストを否定し、神に逆らい続けています。それ故に、彼らは多くの苦しみと病を今現在においても負い続けています。

では、イスラエルが神に対して従順となって病気の無い神の民となるのはいつ実現するのでしょうか。それはメシヤ的王国においてです。メシヤ的王国におけるイスラエルの健康についてはイザヤ65章で教えられています。

「イザ65:18 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして/その民を喜び楽しむものとして、創造する。 65:19 わたしはエルサレムを喜びとし/わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。 65:20 そこには、もはや若死にする者も/年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ/百歳に達しない者は呪われた者とされる。 65:21 彼らは家を建てて住み/ぶどうを植えてその実を食べる。 65:22 彼らが建てたものに他国人が住むことはなく/彼らが植えたものを/他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになり/わたしに選ばれた者らは/彼らの手の業にまさって長らえる。 65:23 彼らは無駄に労することなく/生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に/主に祝福された者の一族となる。・・」 。

メシヤ的王国のイスラエルでは不信仰者は一人もいなくなるので、罪の結果である早死にや病気はなく、みな木の如く長い寿命が与えられることが約束されています。それは、出エジプト記の15章26節において従順であれればエジプト人に下された病気の無いイスラエル民族となるという約束がメシヤ的王国で成就する事が教えられています。

 

Ⅱ出エジプト記16章の終末論

1、モーセ律法の安息日とメシヤ的王国の安息日

「出16:23 モーセは彼らに言った。「【主】の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、【主】の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」 16:24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。」

荒野で食べ物について呟いたイスラエルの民に、神は天からマナを与えて彼らを養われました。その時に、七日目を安息日する事を命じられました。安息日のおきては、モーセがシナイ山で十戒を授けられる前に、すでに与えられていた掟でした。その安息日の掟の律法は、キリストが十字架で贖罪の御業をなされた時に、廃棄されました。その事を聖書は証明をしています。

◆613のモーセ律法がキリストの十字架で終わった事を 教える聖書的根拠

①キリストが十字架にかけられた時に、神殿の幕が二つに裂かれました。

モーセ律法によって祭司のみ入る事が許可されている至聖所と聖所を分け隔てていた幕が裂けた事は、モーセ律法が終わったことを暗示的に教えています。(マタイ27:5、マルコ15:39、ルカ23:45)。

②ローマ10章4節でパウロはキリストが「律法を終わら せた」とを教えています。

「終わらせた」というギリシャ語のテロスには三つ解釈があります。「終らせる」、「目標」、 「最後(おわり)」です。その解釈によって以下のようにそれぞれ翻訳されています

【口語訳】「10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。」

【新改訳改訂3】「10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」

【新共同訳】「10:4 キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。」

以上の三つの解釈の内どれが文脈に沿った正しい解釈でしょうか。それは「終わらせた」です。その理由は、ローマ7章では、キリストにあって全てのキリスト者は律法に死に、律法から解放されている事が教えられている事にあります。「ロマ 7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです」

 キリストにあってモーセ律法を初め、自分の意志の力による努力でなさなければならない道徳律法にも、キリスト者は死んで律法からすでに解放されており、「御霊によってはじめて実行できるキリストの律法に生かされている」というのがパウロの教えではないでしょうか。

「ロマ6:14あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。」

 

③ヤコブは「律法」が集合名詞であることを教えている。

律法の一つを犯せば律法全体を犯しているとヤコブは教えていますから、613あるモー律法の一つが終われば全部が終わった事を意味しています。

「ヤコブ2:10 律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです」。

律法に関するヤコブの教えによれば、613もあるモーセ律法を一つでも破れば、その他の律法も犯した事になります。つまり律法は集合名詞となっており、613ある律法全対で一つの律法になっているのです。もし、十戒の一つでも破れば全部破っている事になりますので、一つの嘘をつけば、安息日の掟も殺人の掟も、姦淫の掟も親孝子の掟も、その他偶像崇拝の掟も全部破った事になります。それ故に律法は単数形の名詞ノモンが使用されています。祭儀律法や衣食住等の掟が終わったという事は、安息日の掟も十分の一の捧げ物の掟も同時に終わった事を意味しています。安息日の掟が終わったので、聖書は新約時代において土曜日の安息日から、主が甦られ日曜日に移行したという事を教えていません。パウロはロマ書で日には特別な日がない事を教えています。

「ロマ14:5 ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。」

土曜日安息日の掟は教会時代にはありませんので、どのクリスチャンも安息日を絶対に守らなければならないという律法主義から解放されています。その代わりにキリストの律法が教える通りに集会を守り礼拝する日を、それぞれの各個教会の共同体が自由に決めることが出来ます。それぞれの各個教会の共同体が礼拝の日として定めた事に関しては、絶対化されなければなりません。初代教会の時から、教会は1週間に1度以上は集まって主を賛美し礼拝を捧げる集いを、聖霊の導きとして絶対化し大事にしてきました。

「ヘブル 10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」

「使 2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、・・」

「使 20:7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。パウロは翌日に出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。」

「マタ 18:20 二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」

④パウロは、新約時代のキリスト者はキリストと共に十字架でモーセ律法にすでに死に、キリストの律法によって生かされている事を教えています。

「ロマ7:6しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。」

 「ガラ 6:2 互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」

キリストの律法の中には、モーセの十戒の安息日の掟を除いて他の九つの掟が採用されていますので、新約時代の聖徒はモーセ律法には死にましたが、御霊の恵みによって実行できる「キリストの律法」として新たに与えられています。福音書はモーセ律法の時代ですので、その時代の教えをそのまま、現在の教会に適用をしてはいけない教えが多くありますので注意が必要です。例えば、現在も10分1献金の掟が存続している聖書的根拠とし、以下のキリストの10分1の捧げ物の教えを適用する事は、正しくないのです。それは、モーセ律法が廃止されまでの律法です。

「マタ 23:23 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」

⑤キリストはメルキゼデクに等しい大祭司になられた

  モーセ律法では大祭司になる資格のあるのはレビ人の中のアロンの家系からだと規定されています。キリストはユダ族に属していますから、モーセ律法の規定では大祭司になる事はできません。もし、モーセ律法がキリストの十字架の死後にも存在していれば、現在の復活のキリストは律法違反者になってしまいます。それはあり得ません。

「ヘブル 7:11 民はレビ族の祭司職に基づいて律法を与えられました。もしその祭司職によって完全さに到達できたのなら、それ以上何の必要があって、アロンに倣ってではなく、メルキゼデクに倣ってと言われる、別の祭司が立てられたのでしょうか。」

以上の聖書的根拠により、モーセ律法の安息日規定は「土曜日」「日曜日」に関わらず現在の新約時代においては廃棄されている事が分かります。ユダヤ人キリスト者は土曜日に礼拝を守り、イスラム圏のキリスト者は金曜日に礼拝を守っています。いつ礼拝の日にするからそれぞれの各個教会共同体が自由に決めてよいというのが聖書の教えです。「ロマ 14:5 ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。」

モーセ律法が定めている安息日の掟は「礼拝を守る日」ではなく、普段の労働を休んで身も心も安息するための日として定められています。その安息日のおきては現在の新約時代にはないのですが、メシヤ的王国では再び復活をします。エゼキエルやイザヤが預言しています。「エゼ 45:17 君主は、各種の祭りの日、新月の祭り、安息日すなわちイスラエルの家のあらゆる例祭に、全焼のささげ物、穀物のささげ物、注ぎのぶどう酒を供える義務がある。彼はイスラエルの家の宥めのために、罪のきよめのささげ物、穀物のささげ物、全焼のささげ物、交わりのいけにえを献げなければならない。」(他:46:1、46:3、46:4 46:12、イザヤ66:23)

⑥モーセ律法は終わったのかどうか

以上のモーセ律法が終わったという私の見解に対して、モーセ律法は終わっていないという見解がありますので、その見解を紹介しておきます。

E・Gould・White(ゴールド・ホワイト)の見解

SOSTVジャパンミッションの発行の「キリストの山上の教教え」の中で、律法に関してのE・ゴールド・ホワイトの見解が紹介されています。結論的に言いますと、モーセ律法は終わっていないと論じられています。その最も重要な聖書的根拠としてマタイ5章17節18節を掲げています。「マタイ5:17 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。5:18 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します」。このみ言葉に基づいて次のように見解を述べています。「イエスは律法の霊的性質を示し、その遠大な原則を教え、それが永遠の義務であることを明らかにされたのであった。」(P51)。「キリストは‥律法の最も小さい部分もすたれることはないと言明された。・・誰でも、律法を廃する事が、イエスの使命であったと考えることはできないのである。天地が存在する限り、神の律法の聖なる原則は残る。」(P52)の見解

佐藤の反証

私は、キリストが十字架の死で、613あるモーセ律法を終わらせたことを論証しました。その要点は、①キリストが十字架で死なれた時に神殿の幕屋が裂けた事、②ローマ10章の「キリストが律法を終わらせた」というみ言葉、③パウロの安息日問題に関する教え、④律法は集合名詞であるというヤコブの教え、⑤キリストはモーセ律法によらないで、ユダ族出身であるご自身がメルキゼデクに等しい大祭司となられた事です。

では、キリストが「廃棄するためではなく成就するために来た」と言われた意味は何でしょうか。それは、キリストがモーセ律法の時代において、つまりキリストが十字架で死なれるまでの時代において、神が求められているモーセの十戒を含め律法613の実行を悉く実現されたので、その事を指して「成就する」と言われました。もし、キリストが律法の最も小さな点でも破れば、キリストは全ての律法を破ったことになりますで、キリストはもはや救い主ではありません。キリストは、救い主として律法を廃する為でなく成就するために来られ、それを悉く実行し実現されましたので、モーセ律法を信仰者が守らなければならない義務は終りました。キリストは約33年の地上の生涯においての使命が「律法を廃棄するためではなく成就する事にある」と教えられたのです。もし、その様に解釈しないと、聖書の教えに矛盾をします。モーセ律法とキリストの律法との関係はもっと詳しく次回にレポートします。

 

2、荒野の40年間のマナは、食が満たされるメシヤ的王国のイスラエルの日々の予型

「出16:35 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはその他カナンの地の境に来るまで、マナを食べた。 16:36 一オメルは一エパの十分の一である。」

荒野の40年間において、イスラエルの民は神がお与え下さった「マナ」で養われました。彼らは40年間荒野という過酷な環境の中で食べる事に困らなかったのです。

キリストは山上の説教の中で食べる事について思い煩うなと「鳥を養われ、野の花を美しく飾られる天の父の愛」を信じるように教えられました。その山上の説教は、厳しい荒野で40年間、イスラエルを愛して彼らをマナをもって養われ、衣服やサンダルが擦り切れないようにされた天の父の愛を背後に語られています。日々の衣食住において困らない状況は、メシヤ的王国という素晴らしい環境の中で完全に続くことがイザヤやアモスたちによって預言されています。

「イザ65:22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。」

「アモ9:13 見よ。その日が来る。──【主】の告げ──その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。9:14 わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。 9:15 わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、【主】は、仰せられる。」

 

Ⅲ出エジプト記17章の終末論

1、荒野の水の問題とイスラエルの歴史における水問題  

「出17:6 さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。」

荒野での水不足はイスラエルの民を悩ませました。その為に彼らは呟きましたが、神の愛を信じない不信仰からくるその呟きに対して、神はモーセを通して岩から水を湧き出させて彼らの渇きをいやされました。岩から水を出させて荒野イスラエルの渇きをいやす奇跡の御業は民数記20章にも記録されています。「民20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。」

イスラエルは荒野において水不足に悩まされましたが、イスラエルの歴史において、神の裁きにより水不足と飢饉が襲い悩ませました。

①ルツの時代の飢饉

「ルツ1:1 さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした」

②ダビデの時代の飢饉

「Ⅱサム 21:1 ダビデの時代に、三年間引き続いて飢饉が起こった。それで、ダビデは【主】の御顔を求めた・・」。

③エリヤの時代の干ばつと飢饉

「Ⅰ列王17:1 ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、【主】は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

「Ⅰ列王 18:2 そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリアでは飢饉がひどかった。」

④エリシャの時代の飢饉

「Ⅱ列王 4:38 エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地に飢饉が起こった。」

「Ⅱ列王 6:25 サマリアには大飢饉が起こっていて、また彼らが包囲していたので、ろばの頭一つが銀八十シェケルで売られ、鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルで売られるようになった。」

「Ⅱ列王8:1 エリシャは、かつて子どもを生き返らせてやったあの女に言った。『あなたは家族の者たちと一緒にここを去り、とどまりたいところに、しばらく寄留していなさい。【主】が飢饉を起こされたので、この国は七年間、飢えに見舞われるから。』8:2 この女は神の人のことばにしたがって出発し、家族を連れてペリシテ人の地に行き、七年間滞在した。」

⑤ローマの皇帝クラウディウス帝時代の飢饉

「使11:28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがの時に起こった。11:29 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。」

⑥現代のイスラエルの水事情

イスラエルは2008年に大災害一歩手前であったようです。それは、10年にわたる干ばつが肥沃三日月地帯を枯らし、最大の淡水湖であるガリラヤ湖が底までに達すると、塩分の浸透で永久に湖がダメになるというブラックラインにあと数インチというところまで水量が落ち込んだのです。取水制限が課せられ多くの農業従事者は1年の収穫を失いました。そうした危機に二度と会わない為に、イスラエルは現在では海水を水に変える世界最大の逆浸透膜法による浄水装置により、最も豊かな水の国になり、国内の水の55%を海水淡水化により得ているそうです。(インターネットより)。

更に、イスラエルの企業は空気から水を作り出す事に成功しています。次のように紹介されています。「安全で清潔、かつ、新鮮でおいしい水を作り出すWatergenの造水装置は、間違いなく世界中の人々の心をとらえるでしょう。Watergenの製品は、都市にも、村落にも導入可能であり、商業センター、学校、病院、オフィス、そしてマンション・アパート・戸建ての家といったあらゆる居住用施設、あらゆる種類のコミュニティに適応可能です。」

 

2、メシヤ的王国の水について

イスラエルは荒野においても、これまでの歴史においても、水問題で度々悩まされてきました。しかし、メシヤ的王国では水問題(干ばつ)は起こりません。その聖書的根拠は以下の通りです。                          ①メシヤ的王国の神殿の入口の敷居から湧き出る水が川となってイスラエルを永遠に潤します                   「エゼ47:1 彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。」

神殿から流れる水は、エルサレムの住民の飲用水として、また農業用水として使用されます。更にその水は深い川となり、エルサレムの町から東は死海に流れこみ、死海は生き物で満ち溢れた海に変えられます。漁場も出来ます。西に流れた水は地中海に至ります。その地中海にそそがれたその川の水によって世界の海は大変豊かな海となり、魚や海藻なども育ちがよくなる事でしょう。又その水はシティムの渓流を潤すのです。(ヨエル3:18)。その川の両岸に植えられた木は、毎月食用の実を結び、葉っぱは薬用に利用されます。その水はこれまで罪に堕落した世界の歴史には存在しなかったエネルギーに満ちた物理的H2Oの「黄金の水!」なのです。「エゼ47:この川が入る所では、すべてのものが生きる。」

◆間違った解釈について

多くの説教者がエゼキエル書47章の神殿の敷居から湧き出てやがて川となって流れる水の預言を、イエスキリストがヨハネ7章38節で約束された「生ける水」である聖霊の約束により、成就したと解釈しています。しかし、その解釈は正しくありません。その理由は、第1にキリストが約束された事は、生ける水である聖霊が信じるイスラエルの人の心の底から流れると約束された事です。キリストを拒んでいるその当時の彼らにもメシヤ的王国を待つまでもなくそのチャンスがある事をキリストは大声で叫ばれたのです。

エゼキエルの預言する物理的水はメシヤ的王国の神殿の入口の右の敷居の下と言う物理的場所から湧き出ると預言されている事です。第2に、ヨエルがその川の水はシティムの渓流を潤すと、はっきりと物理的水を意味して預言しています。また、エゼキエルはその水の豊かさは水を必要としている、魚や果樹や樹木などを祝福する明確な「物理的水H2O」を預言しているのであって、象徴的に聖霊を意味して預言をしていません。そのような説明をエゼキエルは一切しておりません。第3に、エゼキエルはメシヤ的王国における川を預言しているのであって、それはまだ成就していません。それ故に、キリストによって既に成就したというのは正しくありません。

キリストが信じる者に与えてくださった「聖霊」は私達の魂を生かしますので、エゼキエル47章の川の水を例えとして利用する事は良いと思います。しかし、イスラエルへのその預言の成就は「メシヤ的王国」においてですので、まだ実現していません。メシヤ的王国のイスラエルの人々が老いも若きも全てエレミヤ31章で約束する新しい契約により、いつも聖霊に満たされ、キリストが約束されたようにその心の底から聖霊が川となって流れ出て、イスラエルの人々同士、又世界の人々に神様の祝福をもたらすので。もちろん、現在において、キリストを信じるイスラエルの人々や異邦人である私達は、メシヤ的王国の祝福を先取りする形で、聖霊に満たされ、聖霊が心の底から川となって流れ、隣人に神さまの祝福をもたらす恩恵に与っている事も間違いがありません

聖書が、神から流れ出る生ける水(聖霊)に関する預言はイザヤ12章で預言されています。「イザ12:2 見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、【主】は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。12:3 あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。」。

ヨハネ7章においてキリストが約束された生ける水である聖霊の預言は、イザヤ12章にあり、ペンテコステにおいてメシヤ的王国の先取りとして成就したというのが正しい解釈です。メシヤ的王国のエルサレム神殿から湧く泉が川となって流れ下る水はあくまでも文字通り字義通りのH2Oの水だという事を忘れないようにすることが必要です。

「エゼ47:9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。・・47:12 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。」

「ゼカ 14:8 その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。」 

②必要に応じて降る祝福の雨の約束

エゼキエルは、メシヤ的王国では必要に応じて祝福の雨が降る事を預言しています。

「エゼ 34:26 わたしは、彼らにも、わたしの丘の周りにも祝福を与え、時にかなって雨を降らせる。それは祝福の雨となる。」

③メシヤ的王国のユダの谷川の水

預言者ヨエルは、エゼキエルが預言する神殿から湧き出る水の預言と共に、メシヤ的王国のユダの谷川にはすべて水が流れること預言しています。

「ヨエ 3:18 その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉が【主】の宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。」

④メシヤ的王国では荒野に水が湧き、荒れ地に川が流れます

イザヤはメシヤ的王国のイスラエルでは荒野に水が湧き、荒れ地(砂漠)に川が流れることを預言しています。

「イザ 35:6 そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。」

「イザ 43:20 野の獣、ジャッカルやだちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」

 

3、アマレク人の絶滅の預言と実現は終末時代の反ユダヤ主義者への裁きの警告

「出17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。」

「出17:14 【主】はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」

アブラハム契約の中に「イスラエルを祝福するものは祝福され、イスラエルを呪うものは呪われる」という約束があります(創世記12 :3)。その約束の実現として、最初に民族としてイスラエルを攻撃をしてきたアマレクが呪われ「アマレクの記憶」が天から消し去れることを神は預言されました。その預言がサウル王の時代に実現しました。「Ⅰサム 15:8 アマレク人の王アガグを生け捕りにし、その民のすべてを剣の刃で聖絶した。」

イスラエルを呪ったアマレクが呪われ、聖絶の裁きを受けた事は、それ以後の歴史において現われるは反イスラエル(現代の反ユダヤ主義)に対する神の裁きの警告となっています。特に、ダニエルが預言している終末の7年の大艱難時代において、試練と苦しみの中にあるキリストの兄弟であるユダヤ人に助けの手を差し伸べなかった人は山羊で例えられ裁きを受けて苦しみの「陰府(ハデス)」に落とされる事をキリストは教えられました。その7年の艱難時代ののユダヤ人を助けた人羊で例えられ、神によって義とされメシヤ的王国の住民として招かれます。それをキリストはマタイ25章の「羊と山羊の例え」で教えておられました。「マタ25:32 そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、25:33 羊を自分の右に、やぎを左に置きます。」

◆今日の置換神学への警告

アマレクの聖絶は、反ユダヤ主義によって生まれたキリスト教会の「置換神学」への警告でもあります。ユダヤ人がキリストを殺したので、彼らはその罪の故に「選民」としての資格を失い、それに代わってキリスト教会が新しい選民、新しい神のイスラエルとして置き換えられ、祝福の契約を受け継いだというのが「置換神学」です。歴史的にはAD3世紀からキリスト教会内で始まり、オリゲネスよって広がり、アウグスチヌスによってキリスト教会に根付かせてきたと言われています。その影響は今日も続き、諸教会の多くの神学者や牧師が置換神学で聖書を解釈しています。

①アドベント・クリスチャンの見解

教会が今や霊的なイスラエルであり神は肉のイスラエルに対してこれ以上のご計画をお持ちでない事、・・・」(「Advent Textbook 2017」のデイビッドA・ディーン博士の『米国アドベントはじまり』P5)

②セブンスデー・アドベンチストの見解

「その最後の1週に、イエスキリストのバプテスマ、十字架、そしてユダヤ国民としての特権の喪失が預言されています」(SDAの津嘉山繁氏の著書「開かれた門を通って・再臨信徒よ『もう一度』P52)

③日本基督教団の相浦忠雄師の見解

「『祭司の国』および『聖なる民』という表現は、Ⅰペテロ2:9において神の真のイスラエルあるキリストの教会に適用されている。」(1957年初版/日本基督教団出版局発行/旧約聖書略解P71)

④ルター派のスイガム博士の見解

ルター派に属するスイガム博士のベテル聖書研究シリーズ続編第4巻「あがないの教会」のテキストに明確に「置換神学」の立場が表明されています。以下の通りです。

「『神に選ばれた者たち』が彼らの運命、つまり『もろもろの国人の光として与える』(イザ42:6、49:6)、或いは『異邦人を照らす啓示の光』(ルカ2:32)となることを追求していたという証拠は何処にもなかったので、主イエスは、その目的放棄について、神の判定を言い渡し、古いイスラエルが立ち往生しているのを見て、次のように断言されたのです。『あなた方に言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国ふさわしい実を結ぶ異邦人に与えられるであろう』(マタ21:43)。そして特権はゆずり渡されました。一つの王国は自ら崩壊するすさまじい轟音に聞き入っていたが、もう一つの国は、神の知恵という胎内に宿り、今まさに誕生しようとしていたのです(使徒3:22-26)。この様にして教会は存在するようになりました。それは古いものから生まれた新しい共同体であり、最初にアブラハムに与えられた使命を遂行するためのものでした。ペテロはペンテコステの説教(使徒2:14-42)や、他の機会に古い共同体の成員に対して語った言葉の中に、この真理を簡潔に述べています(使徒3:17-26)。」(第1課・新しいイスラエルの「そして特権は受け継がれた」PA-7~8)

以上の教団教派や牧師だけでなく、その他多くの神学者や牧師方が聖書解釈の前提として「置換神学」を受け入れています。黙示録において預言されている7年の大艱難時代において反ユダヤ主義者が、迫害の中にある主の兄弟ユダヤ人を援助しなければ「山羊」として裁かれる事が警告されています。(参照:マタイ24:32~46)

反イスラエル民族となった 「アマレク人」の聖絶に関して、これまで私は多くの注解書が霊的に解釈して「キリスト者の内にある肉の聖絶という潔めを意味する」と教えている事を教わってきました。

「これらのことはアマレクが肉の型であることを示す・・」(C・H・マッキントシ著「出エジプト記講義/17章」(P303)/発行伝道出版社/昭和31年10月15日初版)

「アマレクはエソウの裔で(創36:12)、ヨルダンを渡らぬ前の曠野の敵である。是は潔められぬ前の肉の心の型で、全く滅ぼし尽くさるべきものである。(母前15:3)」(米田豊著「旧約聖書講解」P93/いのちのことば社発行/初版昭和28年12月15日)

アマレクの聖絶の出来事は、肉の型として霊的に解釈するのでなく、「イスラエルを呪うものは呪われる」というアブラハム契約に基づいて解釈されるべき出来事なのです。

◆現代の反ユダヤ主義

 現在において反ユダヤ主義がどのように広がっているのか、聖書の終末論を学ぶものは知っておく必要があるでしょう。インターネットより現代の反ユダヤ主義の状況を一部お知らせしておきます。

米仏で連鎖…反ユダヤの動き、今年に入りフランスで69%増

20181116日(金)1810

松丸さとみの報告

 今年の3月、パリで高齢のユダヤ人女性が自宅で刺殺され、遺体に火をつけられる事件が発生。「ストップ レイシズム」と掲げ、女性を追悼する人々。<フランスではユダヤ人への嫌がらせ行為などの「反ユダヤ主義の動き」が急増していることがわかった>

「新たな水晶の夜のよう」

1938年11月9日10日に、ドイツで「水晶の夜」(クリスタルナハト)という事件が起きた。フランスのパリでドイツ大使館の職員がユダヤ系ポーランド人に暗殺された事件を受け、ナチスによるユダヤ人への迫害がドイツ全土で行われたのだ。この事件で少なくとも91人のユダヤ人が死亡し、2?3万人が強制収容所に送られたとされている。ユダヤ人が経営する店舗のガラスなどが割られ、道路にはガラスの破片がキラキラ輝いてまるで水晶のようだったので、「水晶の夜」と呼ばれているという。 この事件から80年となる今年、フランスではユダヤ人への嫌がらせ行為などの「反ユダヤ主義の動き」が昨年より増加し、最初の9カ月で69%増となったという。フランスのエドゥアール・フィリップ首相が自身のフェイスブックで明らかにした。仏国際ニュース専門チャンネル「フランス24」によると、フィリップ首相は、現在の反ユダヤ的な流れは「まるで新たな水晶が割れているようだ」と、80年前の「水晶の夜」を引き合いに出して表現した。欧州「最大のユダヤ人口を抱えるフランスで69%増」                                           フランス24によると、フランスのユダヤ人の人口は欧州最大で、その規模は世界では3番目となる。フランスの人口に占める割合でいうとユダヤ人はわずか1%以下に過ぎないが、2017年には「人種または宗教が動機となった暴力行為」に分類された事件のうち、40%近くがユダヤ人をターゲットとしたものだったという。とはいえ、2015年に過去最多を記録した後、反ユダヤの動きはその後減少し、2016年にはこれが58%減、2017年にはさらに7%減となっていた。これが、今年になって突然また増えたというのだ。米インディアナ大学の歴史学者であるドイツ人のグンター・ジケリ准教授はフランス24に対し、こうした反ユダヤの動きが増加した原因を突き止めるのは難しいと話した。反ユダヤ主義の活動について信頼できるデータはフランスと英国のみにしかないというジケリ准教授は、反ユダヤの動きにおいてこの2カ国には密接な関係があると説明する。反ユダヤ主義の高まりは通常、この2カ国で波のように連鎖して起こっているというのだ。昨年は英国でかなり大きな波が起こったと指摘する。ジケリ准教授はまた、他の反ユダヤの活動がきっかけになって起こることが多いとも説明している。10月27日に、米国ペンシルベニア州のピッツバーグにあるユダヤ教礼拝所で発生した銃乱射事件のようなものが、引き金になる可能性もあるというのだ。この事件では、11人が犠牲になった。                                                                      「本当に危険なのは、無関心」                                                     フランス24によるとフィリップ首相フェイスブックの投稿の中で、「本当に危険なのは、無関心だ」というユダヤ人作家でノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼル氏の言葉を引用し、フランス政府は無関心でいないことを誓った。またBBCによるとフィリップ首相は、反ユダヤ主義のような悪質な活動に対応するための専門家のネットワークを構築したり、教師をサポートする体制を学校に常設したりするといった計画を明らかにした。 一方でフランス24は、フランス政府が来年から、ソーシャルメディア大手に対し人種差別や反ユダヤ的なコンテンツを削除するよう働きかけ、オンラインでのヘイトスピーチの取り締まりを厳格化する予定だと伝えている。                              ※「レイシズム」とは、人種や民族に優劣の差があるという人種差別を正当化する思想。1940年代に文化人類学者のルース・ ベネディクトによって広められた用語。