「ヘブル書のキリスト③」
天使より低くなったイエス・キリスト
聖書:ヘブル人への手紙 2章:1~10節
 牧師:佐藤勝徳

「2:1 ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。 2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、 2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、 2:4 そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。 2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。 2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。 2:7 あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、 2:8 万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。 2:9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。 2:10 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。

【はじめに】
今、私たちはヘブル書で教えられているキリストについて学んでいます。それは、初代教会の時代から現代においてまで、聖書が教えていない別のキリスト、間違ったキリストが多くの人々によって考え出され、多くの人々がその間違ったキリストを信じて神の祝福から、真の幸せから離れて生きるようにさせられてきた事によります。現代では、エホバの証人が教えるキリストや統一協会が教えるキリストが間違ったキリストを代表しています。初代教会のユダヤ人キリスト者の間では、キリストを天使だと教える人が出てきましたので、ヘブル書の著者はその間違ったキリストについての考え方を正す為に、旧約聖書を基準として正しいキリストについて教える事に努めました。ヘブル書はユダヤ人キリスト者を意味するヘブル人に宛てて書かれた手紙です。
≪聞いたこと≫
先ほど、読んで頂きましたヘブル書2章1節に「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」と教えられていますが、「私たちが聞いたこと」と言うのは、ヘブル書1章で教えられている天使に優る万物の創造主であり、万物の保持者であるキリストと、そのキリストが人類の罪を清めて天の父なる神さまの右に座されたという、罪の清めと言う救いの御業の事を意味しています。私たちが聞かされた正しいキリスト観、そのキリストによる正しい救いについて、再度改めて学んでおきたいと思います。
1、神は語られるお方
①自然啓示と特別啓示
ヘブル書1章1節2節に「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」とありますように、聖書の神さまは言葉を語る生ける神さまです。何故、神さまは、昔、イスラエルの先祖達や預言者達を通して語り、罪や死や病や苦しみが一切ない新しい世界が目の前に近づいている終わりの時と呼ばれる現代では、御子であるキリストによって語られてきたのでしょうか。言葉と言うのは、目に見えない心にある思いや感情や考えを表現するものです。そのことばによって、人間はお互いを理解して、相手の必要に答えるように、また、自分の必要を理解して答えてもらえるようにしています。言葉は、人間同士が目に見えない思いを正しく理解し合う為に絶対に欠かせません。もちろん、言葉と言うのは、口で発する音の言葉や、身振り素振りでそれとなく態度で示す言葉や、SNS等の通信による情報の言葉や、本などで文字であらわす言葉があります。創造主の神さまは、ご自身がどのような性質やご自身が世界に対してどのような御計画や御心をお持ちなのか、昔、イスラエルの先祖達や預言者たちを通して語り、現代ではキリストを通してお語りになって、示してこられました。それを神学的には「特別啓示」と言います。人間の肉の目では見えない霊なる創造主の神さまは、目に見えないご自身の愛の性質、正義の性質、又、知恵や力と言う善なる聖なる神性を、ご自身が創造された被造物である美しい自然を通して示してこられ、今もそれが続いています。それを神学的には「自然啓示」と言います。神さまは、ご自身の愛と言う善なる神性を、美しい草花、美しい山、川、谷、海、湖、月、太陽、無数の星などの自然を通して、また、山の幸、野の幸、海の幸等の栄誉たっぷりの美味しい野菜、果物、魚介類などを人間の為に動物の為に造って、示されてきました。
②神の啓示を無視して偶像崇拝者になった人間
しかし、罪に堕落した知性を持つ人間は、その自然啓示だけでは、目に見えない創造主の神さまを神さまとして認める事をしてきませんでした。又、自分達の貪欲を満たす為に、自分勝手に考えた神を造り拝むという、偶像崇拝者になってきました。その結果、人間の道徳性は増々悪くなってしまいました。その事をパウロはローマ書1章で教えています。「 1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。 1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、 1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」
③人類の救いの為の特別啓示の聖書
以上のように人類の殆どの者が偶像崇拝者になってしまいましたが、創造主の神さまは、その間違いから人類を救い、真の神さまであるご自身を真の神さまとして崇め、仕えるという、人間の本来の幸せな在り方へ救う為に、イスラエル民族の父祖たちや預言者たちを通して、ご自身の事を正しく教える言葉みよって、世界の人々に語りかけてこられたのです。その言葉が今は聖書におさめられているわけです。聖書は、聖霊により預言者たちを通して語られた創造主の神さま聖なる御言葉なのです。ペテロやパウロやイエス様がその事を教えています。
1)イエス・キリストの証言
イエス様は旧約聖書を神の律法として表現し、その絶対性を「一点一角も消えない」と教え表現されました。。                                                ◆「マタ 5:18 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」
2)ペテロの証言
キリストの一番弟子であるペテロは聖書について、「神の預言者たちが聖霊によって書いたもの」だと証言しました。                        ◆「Ⅱペテ1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」
3)パウロの証言
クリスチャン迫害から回心し、クリスチャンになったパウロも聖書は全て、神さまの霊難による神のことばだとに教えました。
◆「Ⅱテモ3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」
4)聖書が「神さまのことば」である事を示す科学的証拠
 聖書が、間違いなく絶対的に信頼できる神さまの誤り無き御言葉だと信じる為の科学的証拠は多くあります。その一つは、メシヤ(キリスト)がこの地上に誕生し、この地上で活躍する預言が50程ありますが、その全て実現した事です。メシヤ(キリスト)はユダ族の家系によりベツレヘムで生まれ、ナザレの村でお育ちになり、ガリラヤ地方で多くの奇跡をなし、愛のメッセージを語りつつ、と愛の奇跡の御業をなすも、最後に、ユダヤ人の不信仰により、エルサレムでユダヤの過ぎ越し祭の時に、ひどい仕打ちと苦難の内に十字架にかかられ、葬られ、三日目に甦る事などが預言されています。その一つ一つが、ナザレのイエス・キリストによって実現したのです。私は、その事実を知って聖書は間違いなく嘘のない神の絶対のことばだと信じるようになりました。それ以外の科学的証拠は、聖書は現在約3000の言葉に翻訳されている事です。そのような本は他にありません。全世界の人々がいつでもどこでも、読める程に世界に普及している永遠のベストセラーになっています。それは、創造主の神さまが全ての人に聖書を読ませて、目に見えないご自身の愛と正義、善である聖なる神性、そして全知全能性などを信じて安んじるようにしようとされている意図が私には見えたのです。
以上、キリストの父なる神さまは イスラエルの先祖達や預言者たちを通して、又、今の終わりの時代は御子なるキリストを通して語って来られた言葉を旧約聖書と新約聖書に収められているという事が、聞かされてきた事です。
2、キリストは父なる神の設計に基づいて万物を創造し、保持されている
旧新約聖書66巻は、キリストは神である神の子であり、万物の創造者であり万物の保持者だと教えています。また、父なる神さまは万物の原因であり目的だとも教えています。
◆「1:2神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
◆「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。
父なる神さまは万物の設計者です。その事を「万物の原因者」だとヘブル書は教えています。キリストは、万物の原因者(設計者)であり万物の存在の目的である父なる神の命令に従って、その設計に従って万物を創造されたのです。また、キリストはその万物を外套のように纏われて保持されているのです。キリストは、地球に存在する人間の全て、動植物の全て、山や川や海や、火山やマグマ、小さな虫や微生物などを愛もって外套のように纏われているのです。又、宇宙の月や太陽も無数の星たちも全てを外套のように愛と正義をもって纏われて保持されています。天使さえも外套のように纏われてその存在が保持され統治されているのです。キリストはそのような偉大な全知全能の神、永遠に変わらない不変のお方なのです。
◆「1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。 1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。 1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」ヘブル書の著者は、万物をキリストが創造された事を、建築士が家を建てる事と比較して語っています。人が住む家は、建築士が設計し、大工さんがその設計に基づいて家を建てます。その事をヘブル書は、父なる神さまの設計に基づき御子なるキリストがこの世界を神さまと人間の住まいとして創造された事を比較して語っています。
◆「ヘブル 3:4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。」
預言者イザヤもその真理を預言しています。
◆「イザ 45:18 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、これを堅く立てた方、これを茫漠としたものとして創造せず、住む所として形造った方、まことに、この【主】が言われる。「わたしは【主】。ほかにはいない。」
ヘブル書やイザヤ書で教えられているように、この世界は、人間が神と共に安心して住めるように設計され創造されました。その事が、創世記第1章~2章に詳細意教えられています。いつか、創世記1章~2章を読んで頂きたいと思います。地球は人間が神と共に住み、動植物や生命あるものが生きるために、素晴らしく設計されています。その一つが、太陽と地球の距離です。地球と太陽の距離は1億4960万km。 光の速さは毎秒29万792.458kmで、光が1年かかって到達する距離を1光年といい、9兆4600億kmもあるのです。 地球と太陽の距離を1光年の距離でわってみると、0.00001581光年、分になおせば8分19秒。 太陽から出た光は約8分後に地球に到着しているのです。
太陽と地球の距離は、地球に動植物が生存する為に、非常に適した距離にあると言われています。AIが次のように教えていました。「生物が生存するためには、太陽からの適切な距離が必要であり、この範囲を「ハビタブルゾーン」と呼びます。地球は、液体の水が存在し、生命を維持できる温度を保つことができる、太陽からの適切な距離に位置しています。」
地球に動植物等の生物が生存できる為に、非常に緻密な設計に基づいて造られていますので、預言者イザヤは、天と地は創造主によって創造された事を教えました。
◆「イザ 45:18 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、これを堅く立てた方、これを茫漠としたものとして創造せず、住む所として形造った方、まことに、この【主】が言われる。「わたしは【主】。ほかにはいない。」
3、キリストは人類の罪を清めたお方
 キリストは父なる神さまの設計に基づく命令により、天使を含め万物を創造され保持された創造主の神さまですが、その神さまであるキリストが人となって、つまり、天使よりもしばらくの間低くなって十字架にかかり人類の罪を清めるという救いの御業をなされて、大能者である天の父なる神さまの右の座につかれました。
◆「1:3bまた、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」
父なる神さまと御子なるキリストが、罪に堕落した私たちを、どれほど深く愛しておられるのかを、私たちの罪を十字架の血によって清めるという、救いの御業によって示されました。罪を清めるというのは、人が生まれてから死ぬまで犯す、思いの罪、言葉の罪、行いの罪の全てを完全に取り除いて下さった事を意味しています。ペテロが次のように教えています。
◆「Ⅰペテ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」。
父なる神さまは、私たちの犯してきた罪、又これから犯す全ての罪を2000年昔、私たちから取り除いてキリストに負わせられたのです。キリストは、私たちの全ての罪を背負ったので、その背負った罪の為に、父なる神さまから怒りを受け、裁かれて、罪なき肉体は裂かれ、罪なき血が流されました。それによって、私たちの罪は永遠に取り除かれ、世界から宇宙から完全に消滅したのです。その事をヘブル書の著者は繰り返し教えています。以下の通りです。
◆「ヘブル7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」
◆「ヘブル9:11 しかしキリストは、・・ 9:12やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」                                              ◆「9:14キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」                              ◆「ヘブル9:26bキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」                                                                             ◆「ヘブル9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました・・」                                                              ◆「ヘブル10:10 このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」                                                         ◆「ヘブル10:14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」
◆「ヘブル10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」
天使に優るキリストが、人となって天使より低くなり十字架で流された血によって、私たちの全ての罪をこの世界から、この宇宙から完全に取り除き、父なる神が罪びとの私たちを完全におゆるしになった事を宣言されたのです。それ故に、罪びとの私たちはいつでもどこでも、どんな時でも自由に聖なる父なる神さまに祈り、お交わりができる者と既にされているのです。それをヘブル書の著者は「こんなにすばらしい救い」と語っています。
父なる神さまは、何故御子なるキリストを十字架にかけてまでも、私たちの罪を永遠に赦し、永遠にご自身との憩の中に生かそうとされたのでしょうか。それは、私たちが、神の形と似姿に創造されている非常に尊い存在であるからです。神さまが人間を創造され時のことが創世記1章に啓示されています。
◆「1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配するように。」 1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地を這うすべての生き物を支配せよ。」
キリストは、神の形と似姿に創造された私たちが、どれほど父なる神さまによって愛されているかを、「放蕩息子の例え話」(ルカ15章)で教えられました。また、父なる神さまは人類への愛を、ご自身が御子なるキリストによって創造された万物を通して教えられました。又、イスラエルの父祖たちや預言者や御子なるキリストを通して語られた御言葉である聖書を通して教えられました。更に、御子なるキリストを通してなされた十字架の苦難による罪の清めの救いの御業を通して示されました。 ヨハネはキリストの十字架の死によって父なる神さまが人類への愛を示されたと教えています
◆「Ⅰヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
【終わりに】
 神さまは、目に見えない神さまの愛を、美しい自然を通して、又、聖書の御言葉によって、更に、天使に優るイエス・キリストが天使よりも低くい人となって十字架で私たちの罪を取り除き、永遠の赦しを与えて下さったその救いの御業によって示されました。その神さまの愛をいつも認め信じて、深くイメージして日々を歩んで下さい。そうすると、おのずと生ける神さまとの愛の交わりとしての生きた祈りが生まれてきます。神さまと愛の交わりを楽しむ者となるのです。原因者である父なる神さまの設計により、神の御子キリストがその設計によって、人間を大変尊い聖なる神さまの形とその姿に似せて創造された目的は、その聖なる神さまである創造主と深く愛の交わりを永遠に楽しむ事にあるのです。しかし、罪に堕落した人間はその資格を失ってしまいましたが、怒る事遅く、憐れみ深い聖なる天の父なる神さまは、ご自身と人との愛の交わりの回復の為に、天使に優る神の御子キリストを天使よりも少し低くい人とされて、この世界に遣わされました。天使よりもしばらくの間低くなり人となった神の御子イエス・キリストは、十字架で私達の罪を全部背負って身代わりの刑罰をお受け下さったのです。その流された、罪なき尊い血によって、キリストを救い主として信じる者は、いつでもどこででもどんな状況の中なっても、天の聖所にいます父なる神さまに、霊によって近づき、愛の交わりの喜びを体験できるのです。
◆「ヘブル 10:19 こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」