「ヘブル書のキリスト②」
天使に優るキリスト
 聖書箇所:ヘブル人への手紙 1章:1~14節
牧師:佐藤勝徳

「1:1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、 1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。 1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。 1:4 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。 1:5 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」 1:6 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」 1:7 また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、 1:8 御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。 1:9 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」 1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。 1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。 1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」 1:13 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。 1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」

【はじめに】
先週に続いて今日もヘブル書のイエス・キリストについて学びます。先週は、キリストは神のメッセンジャーつまり預言者だという事、キリストは万物の相続者であり、創造主であり、万物を保っておられる神だという事、また、キリストはイスラルと全人類の全ての罪を清めて父なる神の右の座に着座されたお方だという事を学びました。以上のキリスト論に従って、ヘブル書の著者は初代教会のユダヤ人キリスト者の間で教えられていた「キリスト天神論」を排除に尽くしました。先週は、ヘブル書の著者が詩篇第2篇の7節の「『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と言う、メシヤ預言の御言葉によって、キリストが天使に優る「神の御子」だという事を学びました。今日はその御言葉から、改めて、キリストが天使に優るお方だという事を学んで行きたいと思います。
1、今日あなたを生んだ
 詩篇第2篇7節の「きょう、わたしがあなたを生んだ」と言う言葉を聞くと、神の御子の存在に始めがあったかのように聞こえます。しかし、もし、神の御子に始めがあれば、神の御子は「神でない」事になります。なぜなら、神は永遠のお方で「初めも終わりもないお方」だからです。「生んだ」と言う言葉を、母親が赤ちゃんを産む意味で「生んだ」と言う意味で使われていません。ではどのような意味で「生んだ」が使用されているのかを考えてみましょう。その為には詩篇を詳しく知らない異邦人の私達は詩篇第2篇全体を学ぶ必要があります。詩篇第2篇を開いて下さい。(旧約聖書P832)
2:1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
2:2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、【主】と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
2:3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
2:4 天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。
2:5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。
2:6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
2:7 「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。
2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」
2:10 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。
2:11 恐れつつ【主】に仕えよ。おののきつつ喜べ。」
2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。
①詩篇第2篇1節と2節の解説
「2:1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。2:2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、【主】と、主に油をそそがれた者とに逆らう。」
この詩篇第2篇はダビデによるメシヤ預言で、1節2節は、キリストが十字架につけられた時の、受難を預言している言葉です。その事を使徒行伝4章でユダヤ人キリスト者達が次のように証言しています。「使4:24 これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。 4:25 あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。 4:26 地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』 4:27 事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、 4:28 あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。」
2節の「油注がれた者」と言うのはメシヤ(キリスト)を意味しています。
②詩篇第2篇3節~5節の解説
2:3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
2:4 天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。
2:5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。
3節から5節は、神に逆らう者への神の裁きの言葉となっています。4節の「天の御座に着いている方」は天の父なる神さまの事です。
③詩篇第2篇6節の解説
2:6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
6節は、父なる神さまが、聖なる山シオンに王なるメシヤ」をお立てになる事が預言されています。
この預言は、王となったキリストが地上に再臨され、メシヤ的王国のシオンの山であるエルサレムの山を世界で一番高い山にされ、その所に第4神殿を建て至聖所を住まいとされた時に実現します(参照イザヤ2:1~4)。「わたしは」の私は父なる神を意味し、「わたしの王」はキリストの事を意味しています。
④詩篇第2篇7節の解説
2:7 「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。
7節の、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」と言うのは、父なる神が、キリストを復活させて王として即位させたことを意味しています。「生んだ」と言うのは、人となった神の独り子のキリストを王として「即位させ」、改めて「神の御子と」定められた事を意味しています。使徒行伝13章でその事が教えられています。「使13:32 私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。 13:33 神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。」
 キリストが甦って天に昇られた時、天ではキリストが万物の王となった即位式が行われ、天の父なる神さまから聖霊が注がれました。その聖霊を、ペンテコステの日にキリストが約120人の弟子達に注がれたのです。ペテロが次のように教えています。「使 2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。 2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」
 旧約聖書では、大祭司や王が即位する時にオリーブ油が注がれますが、オリーブ油は聖霊を象徴しています。キリストが父なる神から聖霊を注がれた事によって、「わたしは、きょう、あなたを生んだ」と言う、預言が成就したのです。「わたしは主の定めについて語ろう」の、「わたし」は神の独り子を意味しています。「主の定め」の主は「父なる神」を意味しています。「あなたはと呼びかけている「あなた」は父なる神を意味しています。「わたしの子」は父なる神の独り子を意味しています。「きょう、わたしがあなたを生んだ」と言うのは、繰り返しになりますが父なる神が永遠の独り子の神を、人とならせて万物の王としてメシヤと定め、改め神の御子と定められた事を意味しています。それ故に、パウロは、永遠の神なる神の子が人なり復活をされた事で「神の子」と定められたと教えています。【口語訳ロマ1:3御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、 1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」 新改訳で「示された」と訳されている言葉はギリシャ語では「オリゾー」でその意味は口語訳で訳しているように「定める」と言う意味です。

 

 

父なる神の想像のキャンパスの中には、永遠に神である神の独り子であるお方が、人となってメシヤとなり、又、万物の王となり、改めて御子となるという事が既に描かれていました。ですから、人となってメシヤとなり万物の王となり、改めて御子となるという、御子なるキリストは、天地万物が創造される前に既に、父なる神の想像のキャンパスの中に生まれ存在していたのです。その事をコロサイ書でパウロは次のように教えています。「コロ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」 また、パウロは最初のアダムは、すでに父なる神の想像のキャンパスの中で生み出され存在していたキリストのひな型として創造されたと教えています。人なるキリスト、人なる神の御子は、万物が創造される前に既に神の愛のお考えの中に生まれ存在していたのです。「ロマ5:14アダムはきたるべき方のひな型です。」
⑤詩篇第2篇8節~12節
「2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」2:10 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。2:11 恐れつつ【主】に仕えよ。おののきつつ喜べ。2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」
詩篇2篇8節~12節は、メシヤ的王国での王なるキリストの愛と正義の支配と統治が教えられています。イスラエルの神である天の父なる神さまは、イスラエルと「アブラハム契約」、「土地の契約」、「ダビデ契約」、「新しい契約」と言う4つの無条件契約を締結されました。その契約には、約束の土地の付与、子孫の増大、メシヤがダビデの子孫から出現する、イスラエルが世界を支配する、などの条項が含まれています。復活されたキリストが地上に再臨される目的は、その4つの無条件契約の成就としてイスラエルを中心とした「メシヤ的王国」をこの地上の世界に実現する事にあります。詩篇第2篇8節~12節は、そのキリストが世界の王となって義によって支配される事が預言されているのです。
以上のように、詩篇第2篇を正しく理解をしないと、ヘブル書の著者がキリストと天使との比較で詩篇2篇7節の「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」をなぜ引用したか理解ができません。キリストは、メシヤ預言である詩篇第2篇で預言されている永遠に神である神の独り子が、十字架の死と復活によって改めて「神の御子」と定められたお方だという意味で引用し、キリストは天使に優るメシヤだと教えています。

2、ダビデ契約の解説
次にヘブル書の著者が引用した、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」 と言う聖句は、歴代誌で教えられているメシヤ預言のダビデ契約からの引用です。歴代誌のダビデ契約をも読みましょう。(旧約聖書新改訳第3版P654)
◆「Ⅰ歴代17:11 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。 17:12 彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。 17:13 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。 17:14 わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」
「わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。」
歴代誌のダビデ契約ではダビデの死後、ダビデの子々孫々の息子の中から、ダビデ王座を受け継ぎ王国を確立させる」と契約が交わされています。ダビデの子々孫々の系統は2系統あります。1つはソロモンの系統です。もう一つはナタンの系統です。最初は、二つの系統の内どの系統からダビデの王座を受け継ぐメシヤが生れてくるか、分かりませんでした。しかし、預言者エレミヤの出現により、それが明確になりました。エレミヤが活躍している時代の南ユダ王国の王に「エホヤキン」と言う王がいました。彼は別名「エコヌヤ」或いは「エコニヤ」とも呼ばれていました。彼は悪い王でしたので、エレミヤが彼の将来を呪いました。「エレ 22:28 このエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる像なのか。それとも、だれにも喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国に投げやられるのか。 22:29 地よ、地よ、地よ。【主】のことばを聞け。 22:30 【主】はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」
このエレミヤの預言によって、ダビデの息子のソロモンの家系からはダビデの王座を継ぐメシヤの出現は無いという事が明確になりました。マタイによる福音書のキリストの系図を見て下さい。6節にダビデ、ソロモンの系図が示され、11節に「ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた」とあります。このエコニヤがエレミヤに呪われ、彼の子孫からはダビデの王座に着く者は出現しないと呪いの預言を受けました。では、ダビデの息子たちの中から誕生するという約束はどのようにして成就したのでしょう。それは、ダビデにはソロモン以外に、ナタンと言う息子がおり、そのナタンの家系からメシヤが誕生してその預言が成就しました。ダビデの王座を受け継ぐメシヤはナタンの家系から生まれた事がルカによる福音書の系図で教えられています。ルカ3章31節を見て下さい(P103)。
◆「ルカ3:23 教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、 3:24 マタテの子、レビの子、メルキの子、ヤンナイの子、ヨセフの子、・・・3:31 メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子」。
マタイによる福音書では、ダビデの子ソロモンの家系の下に生まれたのが、マリヤの夫なったヨセフです。彼は、自分の血をもってメシヤを生む事は出来ないようにエレミヤによって預言されていました。マリヤは、ヨセフによって身ごもってイエスを生んだのではありませんでした。マリヤは聖霊によって身ごもりました。聖霊によって身ごもった胎児のイエスは、ダビデの子ナタンの血統であるマリヤの血によってマリヤの胎内で成長し誕生しました。聖霊によって生まれたキリストは人間の罪性を遺伝によって受け継ぐことなく、母マリヤの胎内でマリヤの血によって人として成長し誕生しました。神さまは、ダビデに告げられた「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」と言うメシヤ預言は、ダビデの子ナタンの家系からマリヤが聖霊によって身ごもって誕生したナザレのイエス・キリストによって実現したのです。詩篇第2篇のダビデによる「きょう、わたしはあなたを生んだ」と言うメシヤ預言と、ダビデ契約で約束された「「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言うメシヤ預言は、ナザレ人イエス・キリストによって実現しました。そのイエス・キリストを、旧約聖書で預言されている神が遣わされた「メシヤ」だとヘブル書の著者は教えています。
3、十字架に死に三日目に復活し御子と定められたキリストは創造主の神である
①70人訳聖書の申命記32章による証明
 ヘブル書の著者はそのメシヤが、創造主の神だという事を改めて旧約聖書のメシヤ預言を引用して教えています。
◆「1:6 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」
ヘブル書の著者は、御使いは長子という「メシヤ」を礼拝する存在する者として、メイヤの下位にある者だと教えています。しかし、「「神の御使いはみな、彼を拝め」というこの御言葉は、旧約聖書の申命記32:43の引用ですが、ヘブル語の旧約聖書には無いのです。それはギリシャ語に翻訳された旧約聖書である70人訳に出てくる御言葉です。以下はその70人訳聖書の英訳です。

 

 

 

ヘブル書の著者はヘブル語の聖書をギリシャ語に翻訳した「70人訳」聖書も神の霊感を受けた言葉として引用し、神の御子であるイエス・キリストは神のみ使いが礼拝を捧げなければならない創造主の神だと教えています。
②詩篇104篇による証明
「1:7 また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、・・」
この御言葉は詩篇104篇4節の引用です。「詩104:4 風をご自分の使いとし、焼き尽くす火をご自分の召使いとされます。」
神の御使いは、神であるキリストに仕える風であり、炎だとして、キリストが神だと強調し、御使いはキリストの下位にある事を教えています。
③詩篇45篇による証明
「1:8 御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。1:9 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」
この御言葉は詩篇45:6節と7節が引用されています。 「それゆえ、神よ。あなたの神は」とありますように、メシヤが「神」と呼ばれ、又、メシヤの父なる神を「あなたの神」と呼んで、メシヤが御使いに優るお方だと教えています
◆「詩45:6 神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。 45:7 あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よあなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。」
ここでは「神よ」と呼びかけられているのが御子なるキリストの事であり、「あなたの神」と呼ばれているのが父なる神を意味しています。詩篇45篇6節7節も、神の御子なるキリストが神だと教えるメシヤ預言の聖句として引用されているのです。
④詩篇102篇による証明
◆「1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。 1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。 1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
この御言葉は詩篇102篇25節から7節の聖句の引用です。
◆「詩102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。 102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。 102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
この詩篇102篇25節は、キリストが地の基を据えられた創造主であり、天もキリストの御手の業だと教えています。更に、創造主のキリストは、永遠に変わらない不変のお方だと教えています。イエス・キリストは昨日も今日もとこしえに変わる事が無い不変のお方です。13章でその真理を改めて強調しています。「ヘブル 13:8 イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。」
キリストの私たち罪びと愛する十字架の愛、命がけの愛、無償の愛、無条件の愛は永遠に変わることなく、私たち一人ひとりに永遠向けられている事を感謝し喜び讃えましょう!!!
キリストはみ使いとは比較出来ない程、御使いに優る天地万物の偉大なる創造主なのです。
⑤詩篇110篇による証明
◆「1:13 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい」
この御言葉は詩篇110篇1節の引用です。
◆「詩110:1 【主】は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」
イエス。キリストは地上のご生涯の時に、この詩篇の御言葉を引用して、メシヤは神だと教えられました。当時、ユダヤ社会では、メシヤをダビデの子と言う単なる人間と思っていたのです。その間違いを正し、メシヤであるご自分が神だという事を詩篇110篇1節の御言葉で証明されたのです。以下の通りです。
◆「マタ22:41 パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。 22:42 「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」 22:43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、 22:44 『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。 22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」 22:46 それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。」以上のように、ヘブル書の著者は、キリストは天使ではなく、天使を創造された創造主で天使にはるかに勝るお方でる事を旧約聖書の御言葉で証明しました。又、その創造主の神が人となれたメシヤが、イエス・キリストだと、多くの旧約聖書の聖句を正しく解釈した上で引用して論証をされました。このヘブル書の著者の論証の仕方がユダヤ人キリスト者の真理を論証する方法です。4、ユダヤ人キリスト者の聖書の真理を論証する方法
私は、聖書の真理を論証するユダヤ人キリスト者の論証の方法を学んだのは、メシヤニックジュのフルクテンバウム博士によってです。ヘブル書の著者は初代教会の時代、ユダヤ人キリスト者の間に広がりつつあった「キリスト天使論」の間違いを、聖書全体から指摘し、キリストが神だという事を見事に論証したのです。
キリスト天使論は、キリストが神であり人であるという、メシヤ神人説を否定するのが初代教会から起こった異端のキリスト論です。そのようなキリスト論は反キリストの霊から出ているとヨハネは教えています。
◆「Ⅰヨハ4:2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。 4:3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。」
キリストは天地万物が創造される前の永遠の昔から、父なる神が深い愛と憐れみによって、罪深いイスラエルと人類の救い主としてお遣わしなる事を定めておられた神である神の独り子なのです。私たちに内住されているお方は、どんな偉大な存在とも比較できない、父なる神が愛をもってお与え下さった愛と正義に満ちた救い主です
私たちに内住されているキリストは「神であり人であるお方、人であり神であるお方」なのです。つまり、神である神の独子が人となられた救い主だという事です。
5、偉大なる創造主のイエス・キリストがキリスト者に内住されている
 偉大な神でありつつ、人となって下った愛に満ち溢れた、謙遜なキリスト、天使にはるかに勝るキリストが全てのキリスト者の心に内住され、日々導きの御声をかけておられます。その御声に敏感に聞き従う者となるには、いくつかの条件を満たす必要があります。
第1に「いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝する」という、生き方を習慣化する事です。(Ⅰテサロニケ5:16~18)
第2は、個人的に日々聖書を読み祈るという静まりの時を聖別して神さまに捧げる事です。「マタ6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」。
第3に、毎週の日曜日の礼拝を大事に守る事です。「ヘブル 10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」
第4に、忠実に献金を感謝と喜びをもって捧げる事です。「Ⅱコリ 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」
第5に、聖書研究会及び祈祷会に積極的に参加する事です。
第6に、福音宣教に励む事です。「マルコ16章15節」
福音宣教に奉仕する事は、第1に直接に言葉や文書で福音を伝える事 第2に、福音宣教に励んでいる聖徒や諸団体の為に祈り、間接的に福音宣教に仕える事です。第3に、福音宣教のために献金を捧げ、間接的に福音宣教に仕える事です。
第7に聖化に道を歩む事です。十字架でキリストと共に古きわれは死に、キリストと共に新しきわれになったというきよめの福音を会得して、聖化の道を歩む事です。
◆「ガラ 2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。生きているのはもはや私ではなく私の内に生きておられるキリストが生きるのである」
以上の7つの条件を満たす人の霊性は、祝福され、偉大な神であるキリストへの信頼が深まり、平安が増し加わって行きます。聖書は、「穏やかにして信頼するならば力を得る」と約束しています。
◆「イザ 30:15 イスラエルの聖なる方、【神】である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」・・。」
イザヤは、イスラエルに対して神に信頼し、従順であれば祝福される事を次のように教えました。
◆「48:17 あなたを贖う【主】、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、【主】である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。 48:18 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。 48:19 あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」
イスラエルの神、それが父なる神であり、又、イエス・キリストです。そのイエス・キリストが私達異邦人キリスト者の内側にも内住し、従えばあらゆる面で祝福しようと心を燃やされているのです。従わない事は大損です。
【終わりに】

私は自分のいつも静まる部屋にリラックスできる椅子を置いています。その椅子に腰かける時、なんとも言えないリラックスを感じます。その事を通して、キリストに信頼する事の意味を学んでいます。キリストに先ず自分の全てを委ね、リラックスします。その上で、主の導きや助けを求めます。主の導きの御声を聞けばすぐに従うように心がけています。