「キリスト者の霊に内住されているキリスト」
聖書:コロサイ書1章21節~29節
牧師:佐藤勝徳
「1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。 1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。 1:19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。 1:21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、 1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。 1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 1:25 私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。 1:26 これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。 1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 1:28 私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。 1:29 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」
【はじめに】
創造主の神が人間をご自身の形に似せて創造された目的は、罪に堕落した人間が、その失った神の形を神の御子が人間となった御子キリストによって回復しキリストのような人格者とする為です。そのような神の子を地上に満たす事が神のビジョンです。そのような人を「キリストにある成人」とパウロは呼びました。私達キリスト者が、キリストにある成人として霊的に、人格的に成長して行く為には、キリストと自分との関係を正しく理解しておく必要があります。キリストにある成人として成長するという事は、「それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。とパウロが教えているように、天の父なる神の前に「キリストのように、聖く、傷の無く、非難されるところが無い者」となる事を意味しています。その事を、パウロはコリント書では「霊なる主の働きによって栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられることだ」と教えています。
◆「Ⅱコリ 3:18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」また、エペソ書では「キリストの満ち満ちた身丈に達する」ことだと教えています。
◆「エペ 4:13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。」
パウロは、教会の指導者の牧会と宣教の目的を、全てのキリスト者を「キリストにある成人として立たせるため」ですと教えています。信徒の兄弟姉妹方が教会の指導者である私達の為に是非祈っていただきたいことは、全てのキリスト者を「キリストにある成人として神の御前に立たせる」という、奉仕を全うできるように祈って頂く事です。パウロは、全てのキリスト者が「キリストにある成人として成長していく為には、先ず、御子と呼ばれるキリストとの関係を正しく理解しておく必要性を教えています。
1、御子なるキリストとキリスト者の関係
①暗闇の圧政からキリストの愛の支配移されたキリスト者
パウロは、御子なるキリストとキリスト者の関係を次のように教えています。
◆「1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 1:14この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」
天の父なる神は、この世の神と呼ばれるサタンの大変強い圧力による暗闇の圧政によって、創造主を否定し、偶像崇拝に生き、自分の肉と思いのままに生きるという罪に満ちた生活を送っていたキリスト者の私達を、救い出して、ご自身が愛する御子の御支配の中に移して下さったと、パウロは教えています。私たちは、十字架に掛かり葬られ三日目にご復活をされた御子なるキリストを自分の救い主と信じた結果、悪魔の圧政から解放され、御子なるキリストの愛と正義の支配の中に移されたのです。私たちキリスト者は、キリストをわが救い主と信じた結果、悪魔の暗闇の圧政から完全に解放され、愛と正義と慈しみと恵みに満ち満ちた御子なるキリストの御手の中に包まれて生かされるものとなっている事を信じましょう。キリスト者が、キリストにある成人として成長していくには、先ず、自分が、悪魔の暗闇の圧政から既に完全に解放され、御子なるキリストの愛と正義と慈しみと恵みに満ち満ちた御手の中に包まれている事をしっかりと信じる事です。
②十字架のキリストの贖罪の御業によって永遠に罪が赦されているキリスト者
なぜ、御子なるキリストの御手の中に愛をもって優しく包まれて生かされているのか言うと、それは、贖い即ち罪の赦しを得ているからだとパウロは教えています。御子なるキリストは、私達が一生涯において犯す全ての永遠の死罪の罪を全部背負って、十字架で身代りの刑罰をお受け下さいました。その事を信じた、全てのキリスト者、天の父なる神から、永遠に、神の怒りである裁きから贖い出され、永遠に罪が赦されたのです。御子なるキリストは、全てのキリスト者がご自分の十字架による死と復活に基づいて罪の贖いを受け、永遠に赦されたものだと知っておられますので、御自身の愛の御手の中に全てキリスト者を永遠に包まれ守られているのです。その事をパウロは次のように教えています。「1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。 1:21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。」
③十字架のキリストの贖罪の御業によって万物も神と和解した
御子なるキリストが十字架で流された肉体の血は、人類と天の父なる神との和解の為だけでなく、天の父なる神と万物の和解の為にも流された血であったのです。なぜ、父なる神は罪を犯してもいないのに、御子の十字架の血によって地上の万物と和解する必要があったのでしょうか。それは、地上の万物は元々人類の支配下にあった事によります。万物の頭として人は創造されましたが、その万物の頭である人類が罪に堕落した時、万物も実は堕落し、神の裁きの中にあったのです。人類が御子なるキリストの十字架の死によって流された血によって、天の父なる神と和解が成立したとすれば、人類の支配下にあって神の裁きのもとにあった万物の天の父と和解した事になるのです。現在の地上の万物は、肉食の獣や鳥類、或は毒のある蛇や生き物で、又、人間の貪欲による自然破壊によって、様々な災害がおきて、呻いています地上の万物は全て元々、平和の中に存在するものとしてそうぞうされたものですので、万物は全て平和を望んでいます。万物は人類の罪の為に様々な災害や戦争などによって、呻いているとパウロはローマ書で教えています。万物は平和をもたらすキリストのような人物である神の子の出現を待っているのです。キリストの十字架の血は、人類の罪によって呪われて呻きの中にある万物に、神が平和をもたらす為にも、御子なるキリストの十字架の血が流される必要があったのです。罪人が、キリストの十字架の血によって罪赦され神さとの和解の中に導かれる為には、その御子なるキリストを自分の救い救い主だと信じる信仰が必要です。万物には、人間のように意志がありませんので、キリストを信じる信仰は当然必要がありません。では、キリストの十字架の血によって万物が和解したという、その和解が実際にこの地上に実現するのはいつでしょうか。それは、キリストが再臨されて、この地上にメシヤ的王国を実現して下さる時です。そのメシヤ的王国では、戦争が一切ありませんので、戦争によって万物が呻くという事は無くなります。また、全ての肉食動物と肉食の鳥類が草食となりますので、肉食動物、肉食の鳥類による万物の呻きは無くなります。また、毒のあり蛇や生き物は全て無毒となりますので、毒のある生き物で万物が呻くという事は無くなります。不信仰な人を裁く為の、災いはありますが、それは非常に限定されたもので、人間には厳しいですが、その他の生物が、自然災害でうめく事から守られます。メシヤ的王国は、まるで最初にアダムとエバ存在していた美しい、穏やかな、呻きが一切ないエデンの園のように美しい平和な国となるのです。メシヤ的王国の到来は、御子なるキリストが十字架で人と万物の為に血を流されていなければ、絶対に実現しないものです。御子なるキリストは、人類と万物が天の父なる神と和解する為に、十字架で贖いの血を流されたというのがパウロの教えです。天の父なる神とキリストは愛をもって、平和の内に人類と万物が存在する事を願って創造されたのです。キリストにある成人として成長するということは、キリストのように人を愛し万物を愛する人になる事を意味しているのです。パウロは、その事を知っていましたので、天の父と万物の和解の為にもキリストの十字架で愛の血を流された事を教え説いたのです。私たちは、万物を愛して、万物が少しでも呻きから解放される為にも、日々の生活を送る必要があるのです。人を愛し、万物を愛しましょう。
2、キリストは誰か
人類と万物が神との和解する為に、十字架で血を流された子なるキリストとはどのようなお方なのか、正しく理理解して異端の教えに囚われないようにする必要があります。異端の教えに囚われると、聖霊がその人に働かなくなり、その人はキリストにある成人として成長する事が出来なくなるのです。初代教会の頃から、キリストに対する異端の教えが教会に入り込んでいました。それは、ギリシャ的二元論による影響によって生まれて来たキリスト論です。ギリシャ的2言論と言うのは、霊は善で物質は悪、霊は善で肉体は悪と言う哲学の事です。キリストは、神が肉を体持つ人なられたお方だというのが、聖書の教えですが、ギリシャ的二元論はそれを否定しました。霊である善なる神が悪である肉体を持つ人なる事は絶対に無いと教えるようになったのです、その教えがコロサイの教会にも入りこんで来たので、その異端を退ける為に、パウロは御子なるキリストがどのどのようなお方かを詳しく教えたのです。御子なるキリストを正しく理解し、信じる人に聖霊が働いて、その人をキリストにある成人として成長させて下さるのです。ですから、私達は何としても、パウロが教える御子なるキリストの事を正しく理解し悟る事が必要です。では、御子なるキリストはどのような方でしょうか。
①万物より先に生まれた御子とは、人となった御子なるキリストである
第1に、「1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方」であるという事です。私もそうですが、多くの人は、御子が万物より先に生まれたとあるので、御子なる神にも始まりがあったのかと疑問を持ちます。神とは、時間的始まりが無く、永遠に存在されている永遠のお方です。もし、御子なる神に、時間的始まりがあれば、もはや神でなくなります。では、なぜパウロは御子が「生まれた」と言って存在の始まりがあったかのように受け止められる表現をしたのでしょうか。実は、「生まれた方」と日本語で翻訳されているギリシャ語は、プロートトコスと言う、形容詞が使用されています。その意味は「初子」なのです。聖書では、「初子」と言うのは、父の財産を他の兄弟より2倍受け継ぐという、特権的地位にあった事が教えられています。御子なるキリストが、万物より先に生まれ存在していた神の初子、プロートトコスと言うのは、神との関係で特権的な地位を与えられた「人となった神の御子キリスト」だと、尊称を意味して使用されているのです。
◆「申 21:17 嫌われている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から二倍の取り分を彼に与えなければならない。その子は父の力の初穂であるから、長子の権利は彼のものである。」
◆「創 25:34 ヤコブがエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を侮った。」
人となった御子キリストが「初子」と言うのは「初子」に続いて、御子キリストのような人物が出現する事を意味しています。それ故に、パウロは、人となった御子なるキリストをロマ書で「長子」と呼んでいます。長子と言うのは、長子に続くキリストのような神の子が出現する事を意味して使用されています。パウロはキリストの復活に続いて同じように復活する聖徒が起きるので、キリストを復活の初穂と呼びました。人となった御子キリストが、永遠の時間中で、父なる神によって万物が存在する前に生まれたというのは、父なる神の御思いの中で生まれていた事を意味しています。父なる神の御思いの中で生まれた人なる御子キリストは、神がアダムを創造された時の原型であった事をパウロは教えています。歴史的時間においてはアダムが先に生まれ、キリストが約4000年後にユダヤのベツレヘムでお生まれになっていますが、その後で生まれたお方、来るべきお方のひな型としてアダムが創造された事は人間御子なるキリストが先に存在していた事になります。どこに存在されていたのでしょうか。それは父なる神の御思いの中です。
◆「ロマ5:14b アダムはきたるべき方のひな型です。」
◆「ロマ 8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。」
◆「Ⅰコリ 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」
②御子なるキリストは万物を創造された神である
御子なるキリストの人性の主張の為にパウロは「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です」と教えたのです。しかし、その御子なるキリストが同時に永遠の神である事を教える為に、パウロは、御子が人として父なる神の御思いの中にお生まれになった後に、その神である御子によって万物が創造されたと教えました。
◆「1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
③御子の為に万物は創造された
御子なるキリストによって万物は創造され存在していますが、その万物は御子の為に創造されたとパウロは教えています。私は、19歳の時に自分の存在目的を知る為に、色々と考えました。もし、進化論者が教えるように、偶然によって自分が存在しているとすれば、自分の人生には生きる目的や意味が無いと分かるようになりました。又、もし、自分の人生に意味や目的があるとすれば、自分は神さまによって創造されたものだと分かるようになりました。私はある時、ご飯を食べる為のテーブルに置いてある茶わんや湯飲みを見て、「茶わんや湯飲みには存在目的があるなあ」と思いました。続けて部屋をぐるりと見渡すと、ラジオや扇風機があるのを見て、「ラジオや扇風機も存在目的があるなあ」と思いました。その時、存在目的があるのは全て人間によって造られたという事が共通した真理だと分かりました。その真理に気づいたので、「もし、自分に存在目的があるとすれば、自分は神によって造られた」と言えるのではないかと思うようになりました。その時、同時に、「人間によって造られたものは、全て人間のために造られた」という事も分かるようになりました。コップはコップの為に造られたのでなく、人間が水やジュースを飲む為に造られたという事が見えてきたのです。つまり、コップの所有権はコップにあるのでなく、造った人間にあるという事が分かってきたのです。その様に考えていた時に、イスラエルを創造された創造主の神がイスラエルに向かって「あなたはわたしのもの」だと言われているイザヤ43章1節御言葉に出会い、私の「造れたものの所有権は造った者にある」という考えと聖書の教えが一致してることを知っったのです。それが、その時に生ける創造主の神と出会っ体験でした。
以上の様に、パウロは改めて、万物は万物を造った御子に所有権がある事を「万物は御子の為に造られた」と教えたのです。私たちは、御子なるキリストの為に生きるように御子によって愛をもって創造された御子なるキリストの愛の作品です。御子によって御子の所有物として御子の為に創造された事が、私たちにとって最高最善の出来事だという真理を真理として受け止めて深く喜び感謝する事が、キリストにある成人として、聖霊によって成長していく為に必要な事なのです。
④万物を保持されているキリスト
人なった御子なるキリストは万物より先に永遠の世界に存在していた神の御子であり、また、万物は御子なるキリストによって造られ、御子の為に造られましたが、その万物を御子は継続的存在し続けるように保っておられます。その事を万物が成り立っているとパウロはおしえました。ヘブル書でも、万物をキリストが保持されている事を教えています。
◆「1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
◆「ヘブル 1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。 1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
くりかえしになりますが、天の父なる神と人類、天の父なる神と万物が和解する為に、十字架で血を流されたキリストは、御子なる神が人となれたお方であり、万物の存在前から天の父から「初子」として愛され、万物より先に存在し、、万物を創造し、万物を保持されている偉大なる神です。その様に御子なるキリストを信じる者が、聖霊によってキリストにある成人として成長していくのです。キリストを単なる人だとか、キリストを単なる神だという教えは異端ですので、その異端に囚われている人には聖霊は一切働かれません。
3、教会の頭なる御子なるキリスト
更に、パウロは御子なるキリストは、御体なる教会の頭であると教えました。その教えはコリント書やエペソ書でもパウロは詳しく教えています。キリストの御体なる教会に属する全てのキリスト者は、御子なるキリストの御体の各器官として、全てのキリスト者と結び付けられ一体化されています。全てのキリスト者は、人間の体の各器官のように既に「互いに愛し合い、支え合い、助け合う存在」となり、完全な一致の中におかれています。その真理を喜び受けれ、その真理に安んじる時に、聖霊がその人に働き、聖霊によって実際にキリスト者に対して、相互扶助の愛の心で生きるように導かれのです。キリスト者が、キリストにあって成人するというのは、キリスト者同志の相互扶助の愛に生きる事が深められていく事を意味しています。キリストの御体なる教会の一員とされている事を深く自覚していたパウロは、様々な苦難に中にあるキリスト者の為に、喜んで共に苦しみながら、相互扶助の愛の中に生きました。それをパウロは、「私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」と証をしました。
4、奥義なる内住のキリスト
「聖く、傷なく非難されるところのない者として御前に立たせてくださる」という、キリストある成人として成長する為には、私達が踏みとどまり続けなければならい真理があります。その真理とは、キリスト者の霊に中にキリストが永遠に住んでいて下さるという真理です。キリスト者の霊には、キリストを信じた時に、罪が赦されただけでなく、復活のキリストが霊によって、キリスト者の霊の中に永遠に住んで下さるようになったのです。キリスト者の霊には、万物より先に「初子」として存在した人なる御子なるキリスト、又、父なる神から愛され、万物を創造し、保持されている偉大な全知全能の愛に満ち満ち溢れた神である御子なるキリストが永遠に住んで下さるようになったとパウロ教えています。その真理を、パウロは奥義だと呼びました。奥義と言うのは、旧約時代には隠され、新約時代になって始めて聖徒達に示された真理の事です。旧約時代は多くの素晴らしい信仰を持った聖徒達がいましたが、誰ひとり、自分の霊の中に永遠に神が住んで下さるという、祝福を受ける事はありませんでした。神が人の霊の中に永遠に住んで下さるという真理は、新約時代になって、初めてキリストを信じた聖徒達の霊に実現した真理であったのです。そのような真理が、ユダヤ人のキリスト者だけでなく、元々は偶像崇拝者であった、異邦人キリスト者にも実現し理であることにユダヤ人キリスト者の聖徒達は驚きました。正に、異邦人キリスト者の霊を永遠の住まいとして住んで下さっている人であり神である神人のキリストは、異邦人キリスト者にとって、永遠に栄光の望みだとパウロは教えました。栄光の望みとは、この世には無い喜び踊って感謝すべき最高の希望だという事です。
◆「これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。 1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
【終わりに】
キリスト者が踏み止まらなければならない真理は、万物の先に「初子」として父なる神の御思いの中に存在した人であるキリスト、万物を自分の為に創造した万物の創造主、万物の保持者である神であるキリスト、聖なる神の人類と万物の和解の為に、十字架で贖いの血を流す愛の犠牲を示されたキリスト、御体なる教会頭として、全てのキリスト者支配されているキリスト、その偉大な御子なる神人のキリストが、「永遠にキリスト者の霊の中に住んでいて下さっている」と言う真理です。その真理に踏みとどまるというのは、霊の中に住んで下さっている、キリストの導きに日々従がって歩む事です。そのキリスト者は「キリストにある成人」として、聖霊によって霊的に成長するという祝福に与るのです。人間の霊は、頭のてっぺんから足のつま先まで、体全体の中に存在しています。キリスト者の肉体はその霊を服のように来ているのです。キリスト者の霊の中にキリストが住んで下さっているというのは、キリスト者の肉体全体の中にキリストが内住されていることを意味しています。その事を、パウロは体験的に知りました。彼は元々、キリスト者を迫害していました。そのパウロに復活のキリストが顕れ、「何故私を迫害するのか」と言われました。パウロが迫害していたのは、目に見えるキリスト者でしたが、キリストはな何故か「私を迫害するのか」と語られたのです。そのキリストの言葉によって、パウロは霊の中にキリストを宿しているキリスト者とキリストは一体の関係にある事を後に知ったのです。キリスト者を迫害し、差別し、傷つける事は、キリストを迫害し、差別し、傷つけている事だと知ったのです。お互いその事を忘れないようにしましょう。キリストを愛する事は、長所短所のあるがままの全てのキリスト者を愛する事です。長所短所のあるがままの全てのキリスト者を愛する事は、キリストを愛する事です。
私たちは、キリストにある成人として成長するために、悪魔の暗闇の圧政が届かない 内住のキリストの愛の支配に中に、愛の御手の中に生かされている事を信じて深く安んじながら、日々内住のキリストの導きの御声に聞き従いましょう。
