「レカブ人を見習いましょう」
聖書:エレミヤ35章1節~19節
牧師:佐藤勝徳

「エレ35:1 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代に、【主】からエレミヤにあったみことばは、こうである。 35:2 「レカブ人の家に行って、彼らに語り、彼らを【主】の宮の一室に連れて来て、彼らに酒を飲ませよ。」 35:3 そこで私は、ハバツィヌヤの子エレミヤの子であるヤアザヌヤと、その兄弟と、そのすべての息子と、レカブ人の全家を率い、 35:4 彼らを【主】の宮のイグダルヤの子、神の人ハナンの子らの部屋に連れて来た。それは、首長たちの部屋の隣にあり、入口を守る者シャルムの子マアセヤの部屋の上にあった。 35:5 私は、レカブ人の家の子たちの前に、ぶどう酒を満たしたつぼと杯とを出して、彼らに「酒を飲みなさい」と言った。 35:6 すると彼らは言った。「私たちはぶどう酒を飲みません。それは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にぶどう酒を飲んではならない。 35:7 あなたがたは家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したりしてはならない。あなたがたが寄留している地の面に末長く生きるために、一生、天幕に住め』と言ったからです。 35:8 それで、私たちは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じたすべての命令に聞き従い、私たちも、妻も、息子、娘たちも、一生、ぶどう酒を飲まず、 35:9 住む家も建てず、ぶどう畑も、畑も、種も持ちません。 35:10 私たちは天幕に住み、すべて先祖ヨナダブが私たちに命じたとおりに、聞いて行ってきました。 35:11 しかし、バビロンの王ネブカデレザルがこの国に攻め上ったとき、私たちは『さあ、カルデヤの軍勢とアラムの軍勢を避けてエルサレムに行こう』と言って、エルサレムに住んだのです。」 35:12 そこで、エレミヤに次のような【主】のことばがあった。 35:13 「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。行って、ユダの人とエルサレムの住民に言え。『あなたがたはわたしのことばを聞いて懲らしめを受けようとしないのか。──【主】の御告げ── 35:14 レカブの子ヨナダブが、酒を飲むなと子らに命じた命令は守られた。彼らは先祖の命令に聞き従ったので、今日まで飲まなかった。ところが、わたしがあなたがたにたびたび語っても、あなたがたはわたしに聞かなかった。 35:15 わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送って、さあ、おのおの悪の道から立ち返り、行いを改めよ。ほかの神々を慕ってそれに仕えてはならない。わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住めと言ったのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。 35:16 レカブの子ヨナダブの子たちは、先祖が命じた命令を守ってきたのに、この民はわたしに聞かなかった。』 35:17 それゆえ、イスラエルの神、万軍の神、【主】は、こう仰せられる。『見よ。わたしはユダと、エルサレムの全住民に、わたしが彼らについて語ったすべてのわざわいを下す。わたしが彼らに語ったのに、彼らが聞かず、わたしが彼らに呼びかけたのに、彼らが答えなかったからだ。』」 35:18 エレミヤはレカブ人の家の者に言った。「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『あなたがたは、先祖ヨナダブの命令に聞き従い、そのすべての命令を守り、すべて彼があなたがたに命じたとおりに行った。』 35:19 それゆえ、イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」

【はじめに】

今朝は、久しぶりに旧約聖書からメッセージを語るように導かれました。預言者エレミヤの書35章において、神様に祝福された異邦人「レカブ人」の事を学びたいと思います。天地万物を創造し、お一人ひとりを母の胎内で愛と知恵と力をもって創造され生きて働き実存されている創造主の神さまは、誰よりも、一人一人が御自身が望んでおられるあらゆる祝福で満たされて幸福に歩んでほしいと深く熱く燃えて願っておられる祝福の神です。神さまは人の偶像崇拝と不従順と罪を大変忌み嫌われる正義の御方、聖なるお方であるので、警告しても警告して偶像崇拝と不従順と罪を悔い改めなければ、忍耐の末、必ず強い怒りと厳しい刑罰をもって裁きを降し、不幸の中に閉じ込められます。しかし、それは、神さまは何としても避けたいお方です。悪人の不幸と死を決して願われないお方です。しかし、だからと言って罪を裁くご自身の義を否定する事は出来ません。その神様の御心がエレミヤ35章において明確に示されているのです。

1、レカブ人はケニ人である

預言者エレミヤが活躍した時代は、南ユダ王国が偶像崇拝と不従順と多くの罪の故にAD586年にバビロンの王ネブカデネザルによって滅ぼされようとしている前後の時代です。その彼に、ユダ王の王エホヤキムの時代に預言が下りました。

その預言は、「レカブ人をエルサレム神殿の一室に連れてきて、酒を飲ませよ」と言う預言でした。レカブ人について、私は全くの無知でしたが、自動車のCDで「エレミヤ書」を聞いていて、初めて知ったのです。レカブ人が如何にすごい人たちか初めて知りました。その時、レカブ人の指導者の名が教えられています。ハバツィヌヤの子エレミヤの子であるヤアザヌヤと言います。その兄弟、その息子、そしてレカブ人の全家が、神の人と呼ばれる「ハナンの子ら」の部屋に導かれて来ました。エレミヤは、主の預言に従って彼らにぶどう酒を飲むように勧めるのです。ところが、例え預言者エレミヤのすすめであっても、お酒を飲む事を完全に拒否したのです。その理由を彼はエレミヤに説明します。それは、自分たちの先祖レカブ人の子ヨナダブが、レカブ人は絶対に永遠に酒を飲むなと厳しく戒めていた事にあると説明したのです。レカブ人と言うのは、実は異邦人のケニ人でした。ケニ人と言うのは、イスラエルが荒野を40年終えて導かれた約束のカナンに地に住んでいた先住民だったのです。神さまが、アブラハムに創世記15章でエジプトの川からユーフラテス川までその土地を与えると約束されましたが、その約束の地には沢山の先住民がいたのです、その先住民にケニ人が入っていました。

「創15:18 その日、【主】はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。 15:19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、 15:20 ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、 15:21 エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」

2、モーセの舅はケニ人である

士師記では、モーセの妻チッポラのお父さんレウエルがケニ人だと言われていいます。しかし、出エジプト記ではチッポラたちはアブラハムの息子ミデアンを先祖とするミデアンの地に住んでいたミデアン人だともわれています。詳し事情は分かりませんが、アブラハム時代に既にカナンに住んでいたケニ人が、ミデアン人の中に融合していた事が分かります。そのケニ人のチッポラの兄弟であるホバブが、モーセの切なる頼みで荒野40年の旅案内をしたのです。チッポラのお父さんケニ人のレウエルは、荒野のイスラエルを裁く為に、モーセに知恵を授けています。レウエルはモーセ律法とは別にミデアンで天地万物を創造された神さまに仕える祭司の務めをしていたのです。いつしかケニ人は、イスラエルと同じ神を信じている民族としてイスラエルの民族の中に深く結びつく民族となって行きました。これらの事を教える聖書個所一覧を印刷していますのでご覧ください。

3、ケニ人レカブの子ヨナダブの戒め

そのケニ人の中にレカブが生まれ、レカブからヨナダブが生まれます。このヨナダブは、北イスラエル10代目の王であるエフーに協力して、イスラエルから偶像崇拝を取り除く働きをします。酒を飲むなと厳しく禁じたヨナダムは、BC842年頃〜BC815年頃に在位したエフーに仕えていましたので、その頃に、レカブ人に厳しい禁止命令を出していたのです。その厳しい命令を、レカブ人は南ユダ王国が滅びようとしているBC600年頃まで、約250年間守り続けていたというのです。そのヨナダブの禁止命令は禁酒だけではありませんでした。種を蒔くな、ブドウ畑を作るな、その用地を取得するな、家を建てるな、一生天幕に住めと言う命令もあったのです。その命令を、レカブ人はどんなことがあっても約250年間命がけで守ってきたというのです。何故、先祖ヨナダブがその様な禁止命令を出したのでしょうか。それは、恐らく、北イスラエルが滅びた理由が、偶像崇拝と不従順と多くの不道徳な罪にあった事を痛いほど知らされていた事にありました。異邦人ではありましたが、異邦人の彼らはイスラエルの神が真の神であり、全被造物から礼拝をお受けになる唯一のお方だと信じていたのです。その信仰が無くならない為に、イスラエルの真の神の祝福に与る為、イスラエルに寄留している異邦人として、ヨナダブは、神さまの前にぶどう酒を飲まない事、種を蒔かない事、ブドウを作らない事、ブドウの土地を取得しない事、家を持たない事、一生天幕に住むという「質素な生活」が必要だと、知ったのです。人間の貪欲は偶像崇拝や罪をもたらす事をヨナダブは十分知っていたのです。貪欲は人を不幸にする根源だとヨナダブは知っていたのです。その貪欲を正しくコントロールして、神さまの祝福受ける民族となる事を願ってヨナダブは子孫に厳しい禁止命令を戒めとして与えたのです。聖書には書いていませんが、恐らく聖霊の光が彼の知性に深く臨んだのだと思います。その命令を守れば、必ず創造主の神さまに祝福されると確信していたのです。その事を次のように表現しています。「あなたがたが寄留している地の面に末長く生きるために」と。「あなたが寄留している地」と言うのは、イスラエルがアブラハム契約によって与えられている「カナンの地」です。ヨナダブは、カナンの地はアブラハム契約によってイスラエルに与えられている約束の地だとわきまえていました。また、アブラハム達が家を建てず天幕生活をしていた理由も知っていました。それは、この罪に堕落した地は本当の故郷ではない。本当の故郷は「天」だと知り、自分たちは「天の故郷」を目指している者で、地上の生活は一時的な旅人の生活、寄留者の生活に過ぎないと告白しながら歩んでいたというアブラハム達の信仰に倣って、自分の子孫たちも「天」を目指してほしいと願って「天幕生活」を命じたのです。

4、戒めの忠実なレカブ人と比較して不従順なイスラエルの裁きの宣告

レカブ人は、バビロンの王ネブカデネザルが第1回目の侵略戦争を仕掛けてきたとき、彼らは元北イスラエルであったその力南ユダ王国のエルサレムに逃げ込んできたというのです。バビロンのネブカデネザルは何回かイスラエルへの侵略を繰り消していました。Ⅱ列王記24章から25章において、その侵略の回数は3回だと教えられています。レカブ人は1回目の侵略の時に、エルサレムに逃げてきたのです。

レカブ人の証言の後に、主のみ告げがエレミヤに臨みました。それは、カレブ人は先祖ヨナダブの命令を忠実に先祖ヨナダブ命令を命がけで守って来たのに、あなた方はイスラエルは聞き従わない。預言者を遣わして度々、偶像崇拝の罪。不従順の罪、その他不道徳の多くの罪を悔い改めるように忍耐の限りを尽くして警告してきたが、その警告を嫌って、無視し逆らい続けてきた、それ故に預言者によってで告げて来た全ての災いを降すと宣告をされたのです。

この裁きの宣告はその通り実現しました。南ユダ王国の最後王であるゼデキヤは自分の見ている前で全ての子どもがが虐殺され、自分を目をえぐり取られてバビロンへ連れて行かれたのです。そして、エルサレム死んでっ伯ほ\開き滅ぼされました。BC586年に起きたのです。

4、神を侮るな

パウロは神を侮ってはいけないと警告しています。又次のようにも警告しています「ロマ2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。 2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。 2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。 2:7 忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、 2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。 2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、 2:10 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。 2:11 神にはえこひいきなどはないからです」

5、祝福の宣告を受けたレカブ人

レカブ人は先祖ヨナダブの命令に忠実に聞き従う事がイスラエルの真の神さまに祝福される道だと信じてエレミヤの時代まで、約250年間守り続けた故に、神さまの祝福の宣告を受けます。「エレミヤはレカブ人の家の者に言った。「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『あなたがたは、先祖ヨナダブの命令に聞き従い、そのすべての命令を守り、すべて彼があなたがたに命じたとおりに行った。』 35:19 それゆえ、イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」

「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」と言う、祝福は何を意味しているのでしょうか。先ず家系が絶えない事です。次に永遠に罪がゆるされて、永遠に神と交わりが絶える事なく続き、神に仕え、祭司の役割を担うという神の祝福に永遠に預かる事を意味しているのです。

「神の前に立つ」と言うのは聖書では特別に祝福された者としての地位を得た事を教えています。聖書は次のように教えています

①神に仕えるレビ人や祭司に適用

◆「申 18:7 彼は、その場所で【主】の前に立つ自分の同族レビ人と全く同じように、自分の神、【主】の御名によって奉仕することができる。」

②契約の箱を覗いた為に裁かれたイスラエルのレビ人の町のベテ・シェメシュの神を恐れることば

◆「Ⅰサム 6:20 ベテ・シェメシュの人たちは言った。「だれが、この聖なる神、【主】の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」

③罪びとは本来イスラエルの聖なる神の前に立てないと告白するエズラ

◆「エズ 9:15 イスラエルの神、【主】よ、あなたは正しい方です。まことに、今日あるとおり、私たちは逃れの者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないにもかかわらず。」

④恐竜の前に立つ事が出来る者はいないように、罪人は神の前に立つ事は出来ない事をヨブに教える神

◆「ヨブ 41:10 それを起こすほどの狂暴な者はいない。そうであれば、だれがいったい、わたしの前に立つことができるだろうか。」

⑤誇り高ぶるものM不法を行うものは神の前に立てない事を教えている詩篇の記者

◆「詩 5:5 誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行う者をすべて憎まれます。」

神の前に立つというのは特別な祝福に与り、神の栄光の為にと地位や奉仕に着く事が出来る事を意味しています、その栄誉にレカブ人は先祖ヨナダブの命令を約250年間忠実に守り続けた事の功績として与えられたとエレミヤを通して神さまが宣言されました。

驚くべき祝福です。その祝福が証明されたのは、南ユダがバビロンに滅ぼされた後70年後に入イスラエルは神の約束通り、捕囚の地から帰還し国を再建するという恵みに与ります。そのエルサレム神殿の城壁の再建の労働者の中に、レカブ人の息子がマルキヤの名がネヘミヤ記にかき記され、彼は糞の門と言われる門を修復したと教えらえています。レカブ人は捕囚の地でも生き延びていたのです。

6、聖書が一貫して教えている真理

聖書は一貫して教えている真理は、神さまに祝福に与る為に、先ず罪永遠に赦され、永遠に神の前に立つ資格を獲得する事です。現代の時代でその資格を得る方法はただ一つです。それは、キリストが私たちの生涯において犯す全ての罪を背負って身代わりの刑罰をお受け下さって、永遠に全ての罪を取り除いて下さり、葬られ、三日目に甦って下さって、永遠に罪の赦されたという福音を信じる事です。

キリストの罪赦しの福音を正しく理解して信じた人は、永遠に罪が赦され、永遠にいつでもどこでも、どんな時でも神の前に立つ事が出来る資格を得たのです。それは、信じるだけで与えられ、いつでも祈りをもって神の前に立ち、座り、神との親しい交わりの中に生かされるようなったのです。

7、貪欲な古い人の対処術①

その罪赦された者が。地上であらゆる祝福に与って行くには、日々神様の導きの御声に聞き従う事です。しかし、聞き従う事を嫌がる古い人がキリスト者の内に残存しています。その古い人は貪欲の塊で、神さまに聞き従って犠牲になる事を大変嫌がる習性を持っているのです。ではどうすればその古い人を対処できるのでしょうか。

昔の、レカブ人が先祖ヨナダブに命令を守り続けたのは、自分の内に湧き起こって来る貪欲と日々戦って勝利していたのです。レカブ人は他のイスラエルの人たちのように、葡萄酒を飲みたい、ブドウを作りたい、ブドウ畑を持ちたい、家を建て定住して楽になりたい、そうした日々起きてくる欲、貪欲を殺して押さえて、喜んでヨナダブの命令を忠実に守っったのです。そうすれば神さまの祝福に与り幸福になるというヨナダブの約束を信じて頑張った頑張って従ったのです。その結果、神さまの前に永遠に立つという絶大な祝福を受けたのです。

その彼らと同じように、頑張った人がいました。それはパウロです。パウロは、湧き起こって来る貪欲を湧き起こって来ないように出来ませんでしたが、彼はモーセ律法を100%守る為に、落ち度がないように、日々湧き起こって来る貪欲と戦い、それを殺し、抑え、とにかく自分が守るべきモーセ律法を徹底して守ったのです。彼は律法守る事で「落ち度がなかった」と証をしています。貪欲に負けないように、日々戦い貪欲を退けて生きる事が、道徳的に正しく生きる道です。貪欲を放置すると必ず飛んでも無い罪を犯すのです。日々、ニュースで悲しい殺人事件やさまざまな不道徳的な罪や犯罪は全て心に湧いて来る貪欲を抑えてコントロールしなかった結果起きているのです。

8、貪欲な古い人を主にあって対処する術②

神様の御心である聖書の教え、特に現代の新約時代ではキリストの律法に忠実に生きる事が求められています。キリストの律法とは、福音書に一部教えられ、その後使徒行伝以降教えられている新約聖書の全て戒めを意味します。私たちには、今はキリストの律法を守る事を神さまは命じておられるのです。キリストの律法を日々守り、聖霊の細き御声に忠実に日々聞き従い日々、神さまの豊かな祝福の中に生かされるには、心に湧いて来る貪欲を抑え殺し、コントロールする事が絶対に必要なのです。パウロは、その事を最もよく知っていた聖徒の一人でした。彼は、元々パリサイ人でしたので、パリサイ人的に貪欲をコントロールする事に成功していました。しかし、彼は、キリストによって罪の赦しの恵みに与り、より深く神に愛されている喜びを知った時、パリサイ人的にではなく、キリストの福音を知っている者としてもっと神に喜ばれる聖なる生き方を目指すようになりました。それは、「貪欲が起こらない人にならなければならない」「貪欲が湧いてこないキリストのような聖なる人」にならなければならないと深く思うようになった事です。貪欲を抑えること以上の聖なる生き方を求めるようになったのです。彼はその時に、以前のパリサイ人の時のように、自分の意志を働かせれば、貪欲が起こらないように自己コントロールできる思い、意志の力をフル絞って頑張ってみました。しかし、駄目でした。もう一度挑戦しました。繰りかえし繰り替え挑戦したのです。しかしその度に、何かあると、すぐに貪りが自然に湧いて来て彼を苦しめました。その絶望の果てに聖霊によって諭されたのが、その自然と貪欲な思いを湧き起こす古い人は十字架でキリスト共に死んだという霊的事実を諭され、同時その古人はキリストと共によみがり、決して貪欲な思いを湧き起こさない神の聖なる性質に与った新しい人にされているという霊的事実です。キリストにあっての、目に見えない霊的事実では自分はもう貪る事がなく罪を犯さない忠実な者とされている事を知ったのです。彼は、その「きよめの福音」に立って、その後は残存している古い人から湧いて来る「貪欲」を主にあって対処するようになったのです。それは、古人の貪欲によって湧いて来る全ての邪悪な罪の感情を十字架で死んだ者として退け、十字架に委ね殺し、そして罪を犯さない新しい人にななっているという事実に安んじ宣言するようになったのです。その信仰に聖霊が働き聖霊の力で実際に貪欲が消え、「5:22愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制」と言う御霊の実を魂に結びながら生かされて行く事を知ったのです。

9、新しい契約の成就者イエス・キリスト

レカブ人は自分の貪欲に打ち勝って、先祖ヨナダブの教えを忠実に守り通しました。彼らはおそらくイスラエルの真の神さまに助けを祈ったと思います。自分たちの意志を働かせながらも罪を犯さないように祈ったと思います、神さまの恵みと助けなしには恐らくヨナダブの教えを守り通す事はできなかったでしょう。預言者エレミヤがその事を一番得知っていたと思います。

エレミヤは、レカブ人のように神さまに忠実生きる事に失敗したイスラエル人が二度と神さまに背く事が無いように、神さまから新しい契約がイスラエルにもたらされた事を教えています。新しい契約は、イスラエルの人々の全ての罪の永遠の赦しと、彼らがに二度と神に背く事が無いように心に神の律法を刻み込む事です。その事がやがてイスラエルの人々に100%実現する時がやって来る事が繰り返し聖書は預言しているのです。

エレミヤは、イスラエルに厳しい裁きを宣告する時に、神さまの事を「イスラエルの神、万軍の主」とか「イスラエルの神、万軍の神」と呼んでいます。イスラエルの神と言うのは、イスラエルとアブラハム契約と土地の契約とダビデ契約と新しい契約を結び、その約束の成就として必ず「メシヤ的王国を実現」されるお方であり、その為に永遠にイスラエルを愛されているお方だという意味です。万軍の神とか万軍の書と言うのは、天に存在している無数の天使を初め、神がお造りになり、保持されている万物を御自身の軍隊の一員として自由にお使いになり、御自身の御心、御計画である「メシヤ的王国を実現されるお方だという事です。人間はそのお方の僕として喜んでお仕えするように創造されましたが、人類は全て神に逆らい堕落し、神の前に立って永遠に神を喜び賛美し、万事に感謝しつつ神にお仕えする資格を失ってしまいました。しかしイスラエルの神であり、万軍の主であるお方は、イスラエルと人類を愛し、神のみ前に立って神をいつも喜び賛美し、万事を感謝しつつ神に聞き従ってキリストの律法を守れる為に救い主を遣わして下さいました。それがイエスキリストです。十字架で人類の罪の身代わりに刑罰を受け、血を流し、葬られ、三日目に復活をされたイエス・キリストを信じる者にキリスとの律法を忠実に生きる資格を与えて下さったのです。キリストを信じる者は永遠に罪が赦され、永遠にイスラエルの神、万軍の主の前に立つ事が出来るようになったのです。それだけでなく、キリストの律法に従う事が出来る為の必要を備えて下さったのです。それが聖霊の内住です。聖霊はイスラエルの神である万軍の主です。そのお方が、永遠にキリスト者に内住して下さっているのです。また、その聖霊のお力に覆われて日々聖霊の導きの御声に聞き従えるように神キリストの十字架の死と葬りと復活の中にキリスト者を結び付け「聖化の道」を歩めるようにして下さたのです。それはエレミヤ31章のイスラエルに与えられた「新しい契約」にキリストを信じる者がその一部に与っている事を意味しています。

【終わりに】

その新しい契約がイスラエルに成就する前に、私たちキリスト者にそのおこぼれが与えられているのです。それはキリストによる罪のゆるしと共に、ただキリストを信じる信仰だけで与えられてい聖霊の内住」と言う大いなる恵みです。私達はキリストを信じる信仰によって、キリストの十字架の血により、聖霊の内住により、間違いなく永遠に神の前に立つ者とされているのです。その私達がより多くの祝福に与る道は、レカブ人のように、日々聖霊の細き導きの御声に忠実にしたがう事です。レカブ人を見習いましょう!